芝居としての裁定
大講堂の空気は、煮え立つ鍋のようにぐつぐつと音を立てていた。
エレオノーラが挑発的に微笑み、オスカーが毅然とその隣に立ち、レオナが消極的ながらも手を挙げて「断罪不要」を口にする。
三者三様の言葉が交錯した瞬間、場は一気に沸騰する。
「言語道断!」
「悪役令嬢の本分を忘れるなど!」
悪役令嬢協会の令嬢たちは椅子を鳴らして立ち上がり、扇子を振り回して声を張り上げた。
観客席に詰め込まれた学院生たちは顔を見合わせ、青ざめ、ざわめきが波紋のように広がっていく。
――混乱。恐怖。疑惑。
それらが絡み合い、大講堂は修羅場寸前の喧噪に包まれた。
だが、その渦中でただ一人、女神フェリシアだけは揺るがない。
白金の髪を静かに揺らし、虹色の瞳をすうっと細める。
「……」
深く、ひとつ息を吸い込む。
その仕草ひとつで、場の空気がピタリと張り詰めた。
――女神が動く。
誰もが本能的にそう悟り、ざわめきが凍りつく。
女神フェリシアの唇が、ゆっくりと開かれた。
その声は冷徹に澄みわたり、まるで大講堂そのものが心臓を持ち、鷲掴みにされるかのような重圧を響かせる。
「……言葉では決着はつかぬ」
一語、一語が鋼のように硬質で、冷たい刃を突きつけられたように誰もが息を止める。
虹色の瞳がわずかに細められ、視線だけで千の群衆を沈黙させる。
「ならば――舞台そのもので裁定を示すまで」
低く、しかし絶対の威光をもって放たれたその宣告。
言葉が大講堂に反響するたび、壁も床も共鳴するかのように震えた。
次の瞬間。
……空気が凍る。
ざわめきは一瞬で掻き消え、観客も協会も王子も、まるで時を止められたかのように口を閉ざした。
残されたのは、女神の声の余韻と、心臓を軋ませるほどの緊張だけだった。
女神フェリシアが、ためらいもなく右手を掲げる。
その動作は優雅でありながら、抗えぬ威厳を帯びていた。
指先から溢れ出したのは、きらめく光の帯。
それは蛇のように絡み合い、瞬く間に床一面へと広がっていく。
「……っ!」
生徒の誰かが小さく息を呑む。
光は複雑な紋様を描きながら結びつき、大講堂の床全体を覆い尽くす巨大な魔法陣を形成した。
幾重にも走る線は流麗な舞曲の譜面のようであり、同時に舞台装置の歯車のような重厚さを感じさせる。
淡い白銀の輝きが床板を包み込み、建物そのものが生き物のように軋んだ。
頭上ではシャンデリアが震え、光に飲み込まれながら幽玄に揺らめく。
まるで――舞台の幕が上がる直前、観客に息を潜めさせる“装置”の始動。
学院の大講堂は、すでにただの場所ではなく「裁定の舞台」へと変貌しつつあった。
「ひっ……!」
前列にいた女生徒が椅子から転げ落ち、悲鳴を上げた。
「な、な、何をなさるおつもりなのですかっ!?」
声を震わせた男子生徒は、後ずさるあまり机にぶつかり、慌てて立ち直る。
煌々と輝く魔法陣に包まれた空間は、もはや常識からかけ離れた異界のよう。
観客席と化した学院生たちの間に、恐慌のざわめきが広がっていく。
悪役令嬢協会の面々ですら、一瞬だけ息を呑み、言葉を失った。
彼女たちにとって絶対であるはずの「女神の裁定」――それがあまりに現実離れした形で降りてきたからだ。
だが、その混乱の只中。
ただ一人、エレオノーラだけは扇子を軽やかに打ち合わせ、静かに微笑んでいた。
「ふふ……やはり舞台の幕は、こうして華やかに上がるべきですわね」
不気味なほどの余裕。
その姿は、恐怖に囚われる生徒たちと対照的に、まるで“舞台の主役”のようであった。
ゴウン……ゴウン……。
床下から重々しい響きが伝わり、光の魔法陣が完成した瞬間――空気が一変した。
湿った緊張が、まるで幕開けのざわめきに変換されていく。
さっきまで学び舎だった大講堂が、今は観客席を備えた巨大な劇場へと“変質しつつある”のが誰の目にも明らかだった。
天井の梁が暗転のように影を落とし、壁の窓は赤い緞帳に姿を変えていく。
空間そのものが、観客を取り囲む“観覧席”と、登場人物が立つべき“舞台”を形作っていく。
生徒たちは思わずごくりと唾を飲み込み、震える声を漏らす。
「な……なんですか、これ……」
「空気が……舞台の匂いになっていく……」
鳥肌の立つような実感。
それは比喩ではなく、現実が“物語”の形式へと書き換えられていく感覚だった。
そして、誰もが悟る。
――これから行われるのは、ただの討論でも罰でもない。
“芝居としての裁定”なのだ、と。




