第2話 悪意の怪物
創造主の、あなたへ。
この世界を創ってくれたあなたに、私は訊いてみたいことがあります。
どう思っていますか?
良かったと思っていますか?
それとも後悔していますか?
あなたが創った世界に生きる、あなたの子供達を、今どんな気持ちで見ていますか?
私は……
―――― ◇ ――――
まさに無数の星々が、溢れんばかりに輝く夜空。
星の海原。夜空の宝石。光の織り成す蒼き綾。どれほど言葉を尽くしても、言い表せないその美しさ。
それゆえ誰にでも分かる、そこが仮想の世界だと。
過剰なほどの星光を戴く地上には、これまた想像と創造を極めたような都市があった。
電光煌めくタワービルを中心に、いくつもの区画に別れた近未来的な巨大都市は、まるで地上にあるもう一つの星空のように色とりどりの光を発し、力強い人の営みを否応なく感じさせる。
そんな華やかな都市の外縁部には、比較的落ち着いた雰囲気の住宅街があった。それでも現実にはあり得ないほど多種多様、奇妙奇抜な様式の建物が立ち並んでいるのだが、その中の一軒、球状のドームとイルミネーションが特徴的なとある一軒家にて、一人のVライバーが配信を行っていた。
銀髪のショートボブに三日月型のイヤリング。銀を基調とした華やかかつ流麗な衣装。神秘的な美しさを感じさせる外見は、しかし今は緊張と怯えの混じった表情によって翳を落としている。
彼女はコズミックな装飾とインテリアに囲まれた配信部屋で、デスクの上に浮遊している不思議な物体と向かい合って座っていた。それは小型の月のような見た目をしており、周囲にはいくつかのウィンドウが浮かび上がっている。そのうちの一つには、
『今回の件につきまして【月白ルナ】』
というタイトルと共に「1,7万人が視聴中」の文字が表示され、さらに別のウィンドウにはかなりの速度でスクロールするコメント欄が表示されていた。
その仮想デバイス『リスナーカメラ』に向かって、銀髪の少女は震える口を開いた。
「改めて、説明させていただきます……。私、月白ルナは、先日『誹謗中傷ケアセンター』様との案件配信を行わせていただき、配信内で送って頂いた『スターギフト』を、同団体様に寄付させていただくという企画を行いました……。その結果、先方の公式サイトに多数の……心ないコメントが送られてしまいましたこと、ここにお詫び申し上げます……本当に、申し訳ありませんでした……」
月白ルナは深く頭を下げた。月の形をしたリスナーカメラのそばに表示されているコメント欄が、一段と速度を増してスクロールする。
・ルナちゃんは悪くないよ!
・正直叩かれそうな企画だなとは思ってた
・偽善丸出しで見てて気持ち悪かった
・ふーん、最近のVってこうやって金稼ぐんだ
・事務所が悪いけど断らなかったあなたも悪いと思います
顔を上げた月白ルナはコメント欄を見て焦りを浮かべ、
「視聴者の皆様に送って頂いた『スターギフト』は必ず先方の団体様に届けると、事務所も確約しています……! 一部の人が言っているような、売名行為だとかお金目当てだとか、そんなことは絶対にありません……! 私は、誹謗中傷に苦しむ人が一人でも減ってくれたらと――ひっ!」
ルナは突然肩を震わせて背後を振り返った。配信部屋の窓を、外から何者かが強く叩く音がしたからである。
耳障りな音を立てて震える窓ガラス。その向こうには、見るもおぞましい怪物の群れ。黒く曖昧な輪郭は鋭い爪を振りかざし、貌の無い頭部の中心には、牙も不揃いな大口が……。
ルナは恐怖の表情を露わにし、リスナーカメラに向き直って懇願するように言った。
「どうか落ち着いて……‼ 『トロール』にならないでください……‼ 悪意を力になんて、変えちゃダメ……‼」
窓ガラスが割れる音。ルナは再度振り返る。
その怪物、『トロール』達は叩き割った窓から我先にと身体を押し込みながら、口々に機械音声のような声で言葉を発した。
〈オタクから金だまし取っといてまだ善人面してんの草。はよ死んで〉
〈明日、事務所を訪問させていただきます。自衛のため武装して行きますのでよろしく〉
〈性格ブス判明。顔もブス確定〉
〈覚悟しとけよ偽善女。引退までとことん追い詰めるからな〉
コメント欄より遥かに攻撃的な言葉が、嵐のように吹き荒れる。
ルナは震えあがり、急いでウィンドウのコンソールを操作。コメント欄の下部にある『通報』ボタンをタップする。
直後、一体のトロールが気味の悪い動きで部屋に侵入し、床に這いつくばって早口の機械音声で言った。
〈悲報。女Vライバーさん、アンチを挑発しながら慈善(笑)のためにスタギフ乞いしてしまう。♯拡散希望。♯V界の闇。♯ファンはATM。♯偽善詐欺を許すな〉
そのトロールは言いながら不気味な大口をさらに広げ、なんと喉奥から赤々とした炎を噴射した。炎はたちまち床に燃え移り、配信部屋を炎上させてゆく。
「ひっ――!」
慌ててルナは立ち上がり、部屋の出口へ走った。触感の無いドアノブを掴むジェスチャーでオブジェクトにインタラクトし、ドアを開く。もどかしさと焦りに追い立てられ、ルナは部屋から飛び出した。リスナーカメラが音もなく浮かんでその後を追随する。
炎上する配信部屋を後にして廊下を走り、またもジェスチャーでドアを開け、寝室へと飛び込む。
ところが――そこはすでに地獄の様相だった。数体のトロールが寝室の中央で踊るように火を噴き回り、家具や壁、そしてルナの『ログアウトポート』であるベッドまでもが、轟音を立てて炎上していた。
〈つきしろるな? とかいうVが寄付金詐欺して燃えてるらしいね。まあVって時点で社会不適合者だし別に驚かんけど〉
〈誰とは言わんけど例のVマジで迷惑だわ。責任取って早く消えて欲しい〉
〈私は詳しくないからどっちでもいいけど、バーチャル好きな人はこの月白ルナって人のことスルーしてていいのかな? 心配だな(=^・^=)〉
無関心を装うようなその発言とは裏腹に、トロール達は目と耳の塞がった顔をルナの方に向け、炎の燻る大口をさらに大きく開いた。
「いやぁぁっ――‼」
あまりの恐怖にルナは悲鳴を上げ、一目散に逃げだした。
妖精のように付き従うリスナーカメラを伴い、ルナは無我夢中で廊下を駆け抜け、玄関を開け、『ホーム』から外に飛び出す。
夢のような『ホームタウン』の風景も、今となっては悪夢でしかない。ドーム状の家に張り付いていた十数体のトロール達が、飛び出してきたルナの姿に目聡く気付き、爪と牙を剥き出しにして追いかけてきた。
ルナは助けを求めて街路をひた走った。すると間もなく前方から、人影が二つ並んでこちらに走ってくることに気が付く。警備員のような制服を着て警棒を携えたその姿は――
「モ、モデレーターさん‼ こっちです‼ お願い助けて‼」
ユーザーの投稿内容を監視・管理する職務であるモデレーターが、ルナの通報によって駆け付けてくれたのだ。
揃いの制帽と制服、そしてバイザーゴーグルに覆われた顔まで全く同じ外見の二人は、ルナの後方から向かってくるトロール達を見て緊張に身を固くし、慌ただしくルナを追い越してトロールの前に立ちはだかった。
警棒を左右に振りながら一人が声を張り上げる。
「公式からアナウンスです! コミュニティガイドラインに則り、節度あるコメントを心がけ――」
〈失せろやクソ運営〉
暴言と共に黒い爪が空間を斬り裂いた。二人のモデレーターの身体ごと。
トロールの群れは怯みさえ見せずにモデレーター達に襲い掛かり、まるで貪り食らうように爪で引き裂き牙で噛み砕いた。たちまち二人の身体は無数の光の粒子となって霧散し、あっという間に消滅した。
先頭の一体がルナの方を向き、大口を歪ませて笑った。
〈運営に泣きついてどうにかしてもらえると思ったか? 俺らを怒らせた時点でお前はもう終わってんだよ諦めろ〉
再び迫ってくるトロール達。
もはやルナは悲鳴も上げられずに逃げ出すことしかできない。
走る背中にもトロール達の悪口雑言が容赦なく浴びせられる。辛さと悲しみに心をかき乱されながらルナは走った。だが足がもつれ、その場に倒れこんでしまう。痛みに呻きながら上体を起こし、涙で滲む視界に目を凝らす。
目の前に見えるのはアスファルトの地面。しかし身体を通して伝わるのは『全方向性トレッドミル』の凹型パッドの感触だ。
(もう、これしかない……)
ルナは倒れ込んだまま、両手で頭を抱えるようなポーズを取った。目には見えないが確かにそこにある物――頭に被っているVRヘッドセットを掴んだのだ。
『ログアウトポート』を使わない強制切断――それをしてしまうと魂の抜けたアバターはこの場に取り残され、為す術もなくトロールに破壊されてしまうだろう。でも……もうこれ以上は耐えられない。一刻も早く、この世界から消えてしまいたい。
ルナはヘッドセットを外すべく、両手に力を込めた。
だが、その時――
「いけませんよ。兜を脱いでは」
春風のような青年の声。
「……え?」
目を上げたルナの視界に、奇妙なものが映る。
足袋を履いた足がアスファルトを踏みしめながら、こちらへ向かってきていた。
ルナは徐々に顔を上げる。
白い足袋、鼠色の袴、濃紺の羽織の裾はだんだら模様。すらりと伸びた長身に、後ろで束ねた長い髪。そして腰には、黒蝋色鞘の打刀。提灯の形をしたリスナーカメラが、従者のように付き従う。
ルナが顔を見るより前に、その人物はルナの横を通り過ぎ、迫り来るトロールの群れへと一歩ずつ歩みを進める。
〈なんか男出てきて草。彼氏か?〉
〈邪魔すんな消えろやゴミ虫がおめもぶtっつぶすぞ〉
十数体のトロール達は即座に標的を変え、勢いを増して突っ込んでくる。
侍装束の青年は変わらず散歩のようなゆったりとした足取りで歩みつつ、耳を吹き抜けるような爽やかな声で、傍らを浮遊する提灯の形をしたリスナーカメラに向けて言う。
「では隊士の皆さん。『エモ因子』の方を、よろしくお願い致します」
前面に「一」という筆字が大きく書かれた弓張提灯。付随するウィンドウの中で、コメント達が躍動する。
・合点承知! 一番隊、出陣!
・我が熱き想い、受け取ってくだされ!
・¥1000 今宵も美技に酔わせていただきます♪
先頭のトロール三体が地を蹴り、爪をぎらつかせて跳びかかってくる。
青年が刀に手を添え、鯉口を切る。
次の瞬間、まさに瞬く間に、夢幻のような光景が。
青年の手に蒼く輝く刀身が現れたかと思えば、それは流星のように蒼い軌跡を描き、三体のトロールを一息に薙ぎ払った。
BAN――‼ 字で表すならばこのような音が三連続で聞こえ、三体のトロールが黒い塵と化して消えた。
間髪入れず、青年は足を動かし横移動。背筋をまっすぐ伸ばしたまま腕の動きだけで煌めく刀を振るい、黒い怪物をその贄と為す。
BAN、BAN、BAN――――どこかコミカルな破壊音を残し、十数体のトロール達が次々仮想世界から消え去っていく。
ルナは地面に倒れたまま無意識に声を発していた。
「モ……モデライバー、さん……⁉」
それはモデレーターとライバー、二つの側面を併せ持つ存在。
正の感情エネルギー『エモ因子』を武器とし、負の感情エネルギー『アンチエモ因子』の具現化であるトロールを討つVライバー。
蒼い刀を提げ持つ青年はゆっくりと振り返った。星明りに照らされる白い細面に、陽気な弧を描く切れ長の目。細い輪郭線のみで表現された口が開く。
「I'sプロダクション所属、『新星組』一番隊組長――」
無数の星が輝く夜空を背景に、青年剣士は透き通るような笑顔を浮かべて言った。
「――大星誠志郎。ただいま推参仕りました」
次回も、この後すぐの投稿を予定しております。