第1話 ステラバース
始めまして、「かげりよの」と申します。小説家になろう様では初投稿となります。今作は毎日17:00頃投稿、全50話前後を予定しております。第2話、第3話はこの後すぐ投稿予定です。最後までお読みいただいた方に、少しでもポジティブな感情をお持ちいただけるよう頑張ってまいりますので、よろしくお願い致します。
キレイな世界だった。
サファイアを覗き込んだようにどこまでも蒼い夜空。つるりとした質感の山々。童話の挿絵をそのまま立体化したような町並み。存在する全ての物体に、わずかな汚れも傷もない。
まさに絵に描いたようにキレイで、それゆえにリアルな手触りのない世界。
温かな明かりを灯す家々が並ぶ町の外れに、小高い丘がある。一面に草のテクスチャが敷き詰められただけの無機質な斜面の頂上には、簡素な屋外ステージのような建築物が設けられている。
壇上に、一人の少女が――少女のような外見の人物が――立っていた。
夜空の星を映す淡い碧色のとびきり大きな瞳、親しみやすくデフォルメされた顔の造形、金色の髪は天の川のように中空になびき、星型の髪留めが爽やかなアクセントを添える。濃紺のブレザーとグラデーション柄のスカート、そこから伸びる白磁のような手足。全てのパーツが細心の技と心遣いによってデザインされている。
人間としてのリアルさを捨て、代わりに夢のようなキレイさを得たその姿。実在と非実在の側面、その両方を併せ持つ、そんな奇妙で儚くて、だからこそ尊い存在。
仮想の世界にいるその少女は、野外ステージの上で客席側に背を向け、蒼い夜空を見上げている。天宮に散りばめられた星の数は決して満天とは言えないが、しかし一つ一つの星々が色とりどりに瞬いている。懸命に、まるで地上に向かって己の存在を訴えかけるかのように。
「……私は、幸せです」
不意に、少女が呟いた。細い弦を小指で弾いたような、どこか懐かしさを感じさせる声。
「Vライバー、『星空アイリス』として活動してこれたこと……。みんなと一緒に過ごしてこれたこと……私は本当に、幸せだったって、心から思ってます」
少女、星空アイリスはゆっくりと振り返り、芝生に設けられた客席へと笑顔を向けた。
客席――そこだけが、キレイではなかった。
そこには、怪物がいた。
それも、無数に。
怪物としか言い表しようのないその異形。黒い靄を人の形に練り上げたようなその姿は、輪郭が曖昧で絶えず蠢いている。黒く骨ばった両手からは爪が伸び、時折威嚇するように腕を振っている。面貌は見るもおぞましく、目と耳は強い力で押し込まれたように肉の中に埋もれている。見ること、聞くことを自ら拒絶しているかのようだった。
そして顔の中心には抉られたようなグロテスクな口腔と、そこから生える不揃いの鋭い牙。無数の怪物達は各々その大口から、読み上げソフトのような機械音声で言葉を発している。
〈まずは謝罪だろうがクソビッチ〉
〈そりゃ幸せだろうよ。オタクから金吸い上げて男とヤりまくってんだから〉
〈顔も住所も晒されてんの分かってる? 早く泣いて謝んないとどうなるか知らないよ?〉
〈股も頭もガバガバで草〉
〈で、いつ死んでくれんの?〉
怪物達はその姿と同様におぞましい言葉の数々を発しながらステージへにじり寄ってくる。
壇上の星空アイリスは迫り来る悪夢のような生き物の群れに対してわずかの怯えも見せず、ただ碧色の瞳を少し悲しげに伏せて言った。
「……みんなが怒る気持ち、悲しむ気持ち、たくさん伝わってきます。でもさっきも言った通り、私はみんなを騙すつもりも、隠し通すつもりもありませんでした。だって、この事は……この事は私にとって、本当に幸せな事だからです」
怪物達は進軍を止めず、その口から発せられる攻撃的な言葉も止まない。
〈自己満もいい加減にしろやクソアホ〉
〈Vごときが人並みの幸せなんか求めていいと思うのが間違い〉
〈ゲロ吐きそう。頼むから誰か家凸して黙らせてきて〉
「バーチャルの世界で、私は少しでも多くの幸せを生み出したいと思って活動してきました。もし現実でもそれができたら……現実の世界でも、心から幸せだと思えることを生み出せたらいいなって、そう思うようになったんです。この『ステラバース』という素晴らしい世界を創ってくれた、あの人と一緒に」
どこまでも穏やかなアイリスの口調とは裏腹に、怪物達の発する機械音声は過激化し、その数を増やして糾合しながら不快な噪音となってキレイな世界を埋め尽くしてゆく。
〈ごちゃごちゃ言い訳してもファンを裏切ったって事実は変わらねーんだよ〉
〈あーなんかもうこいつだめだわ。やるしかねーわ〉
〈馬鹿は死ななきゃ治らないんだな〉
〈オタクどもキレ散らかしてて草草。家凸まだー?〉
〈V界最大の害悪だな。他のVのためにも消すしかない〉
黒い群れがついにステージの端にまで到達した。怪物達は各々を踏み台にしてステージに上ると、巨大な虫の群れのように固まりを形成してさらに迫る。
世にも恐ろしい蠢く壁となって迫ってくる怪物達に向けて、アイリスは今一度微笑んだ。
「私の運命は、今この配信を見てくれている人に任せます。でも、忘れないで欲しいことがあります。もしあなたが、本当にこのステラバースを……いいえ、バーチャル世界全てのことを考えてくれているなら、どうか……」
弦楽器のような声は機械音声にかき消され、もうほとんど聞こえない。
怪物の群れはもはやステージ全体を飲み込まんばかりに巨大な黒い津波と化し、アイリスの頭上に迫っている。
「……どうか忘れないで。バーチャルを守れるのは――――」
―――― ◇ ――――
キレイな世界に、恐ろしい轟音が響き渡った。
プログラムに宿命づけられた地上のオブジェクトは、揺れることもなく静かに在り続ける。
ただ、夜空に浮かぶ数少ない星の一つ、金色の優しい輝きを放っていた星が。
苦しみを表すように幾度か明滅した後――
今、静かに消え去った。
お読み頂きありがとうございます。次回はこの後すぐに投稿される予定です。