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第一話 今すぐ grasp the situation

 1

 

 俺たちの目の前には、森が広がっていた。事務所が建っていた場所は、住宅街の中だったはずなのに。

 俺の記憶の中だと、その名の通り住宅が建ち並び、家々の垣根を縫うように、道路が整備されていた。いつもと同じ光景に飽き飽きしていたけれど、飽きるほどに馴染んでいた光景が、あるはずの場所に無いというのは、奇妙を通り越して不気味だった。

 住宅街の代わりに現れた森は、空を覆い尽くすほどに背の高い針葉樹が集まってできたところらしい。葉の隙間から木漏れ日が降り注ぎ、ふかふかとした土の地面を照らしている。鳥の囀りが鮮明に聞こえてくる。『こもれびの杜』とは、まさにこの状況のことを言うんじゃないだろうかと思うほどにぴったりの光景だった。

「筒原さん」俺は、隣に立つ職場の上司に向かって呼びかけた。「これは一体、どういうことなんでしょうね」

「異世界転生よ」

 断言するのか。それは、あなたの願望でしょう。

 筒原さんの趣味は、読書だ。休日には駅前の大型書店に行って、何時間も本を物色するのが楽しみなのだという。小説が好きだと言っていたが、読むジャンルには隔たりがなく、俺にはよくわからない小難しそうな内容から、ライトノベルまで。目についた本を、手当たり次第に買って読んでいるらしい。ずっと独身を貫いてきたから出来ることよと、笑っていたことがあった。

 そんな彼女の口から、「異世界転生」という言葉がするりと出てきたのには納得だ。だが、この状況に一番順応しているのが筒原さんだということには納得がいかない。

 超常現象だ。本やアニメの中だけで起こるようなことが、実際に起こっている。それとも俺が知らないだけで、自分たちは本やアニメの中の住人なのだろうか。冗談はさておき、訝しげに筒原さんを見つめる。小説の読み過ぎで、現実と空想の区別がつかなくなったんだろうか。あるいは知識の積み重ねで、何が起こっても動じなくなったのだろうか。

 後者はない。筒原さんは介護職をしているが、そんなことを気にするのか? と言いたくなるようなことで取り乱すことがある。普段の彼女の様子から鑑みても、この状況で一番取り乱しそうなのは(一番といっても、俺と筒原さんとばあちゃんの三人しかいないけど)筒原さんだと思ったが、どうやらそうではないらしい。

「あれあれ、これはまた、素っ頓狂なことが起こりましたねえ」

 とことこと小刻みな足音がして、ばあちゃんまでもがこちらにやってくる気配がした。ばあちゃんもまた、いつもと変わらない調子で今の状況を受け入れている。……と言いたいところだけれど、ばあちゃんは多分現状がわかっていない。

 見当識という言葉がある。現在の年月や時刻、自分がどこにいるかなどの基本的な状況を把握する能力のことだけれど、ばあちゃんはそれがうまく機能していないことがある。

 俺たちは「見当識障害」といっているけれど、自分はまだ二十代ですと言い張ったり、昼なのに夜だと勘違いしたり、自宅にいるのに「家に帰ります」と言って出て行こうとするような状態だ。

 俺も見当識がおかしくなりそうだ。このあと何が待ち受けているのかなんて、全く見当がつかない。なんちゃって。

「コタロウくん、それとお姉さん。わたしたちは一体どこに来てしまったんですかねえ」

 大丈夫。ばあちゃん、俺にもわからない。



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