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第五話⑤

 帰り道。すっかり日も落ち、本物の夜空には満天の星が輝いている。俺もよく知っている星座はひとつもないし、そもそも星と星を繋げて星座と形作っている文化なんてあるのか分からないけれど、元いた世界でたまに眺めていた夜空とおなじくらい、綺麗だった。

「なあコタロー。オレは今日、ひとつ学んだぞ」

 前を歩いていたガークが、突如振り返らずに言った。足を踏み出すたびに彼の背中の筋肉が引き締まる。

「なんだ?」

「相手の感情に寄り添い、否定せずに受け入れる。……戦いにおいては相手の動きを読むことが重要だが、カイゴにおいては、相手の『心』を読むことが戦術なのだな」

「……へえ、ガークにしては上手いこと言うじゃん」

「うるさい! キサマ、オレを馬鹿なヤツだと思っているだろう」

 俺たちは軽口を叩きながら歩いていた。

「コタロー殿! お待ちしておりました!」

 ジェインズとダインズヴェルシュを繋ぐ道端で、カクスケは本当にあのまま一歩も動かずに待っていたらしい。俺なら、主の姿が視えなくなった途端にだらけてしまうだろう。

「ただいま、カクスケ。待たせたな」

「いえ! コタロー殿が無事に戻られただけで、拙者は感無量であります!」

 カクスケはそう言って遠慮がちに微笑んでみせた。ガークがどんどんと先に歩いていくので、言葉を交わすのはそれだけにして、俺たちもあとに続く。カクスケはスタスタと、俺の斜め後ろを黙ってついてくる。緑色の瞳が、夜の闇の中でエメラルドのようにキラキラ光っている。大人になればなるほど、目の輝きが減っていくやつもいるけれど、カクスケはまだ大丈夫そうだ。

 カクスケはまだ若い使い魔だから、エルフとのあいだの確執が起こっている真っ最中に生きていたわけではないだろう。カクスケはなにもしていないのに、過去のそういったいざこざの皺寄せを被っている。

「カクスケ」

「はっ!」

 話しかけられると思っていなかったのだろうか。カクスケは緊張した面持ちで、姿勢をピンと伸ばした。

「お前はどう思う。……その、エルフと使い魔の関係性については」

「拙者がその件についてなにかを考えて、それを述べたとしても、つぶさに関係性とやらが良くなるわけでは御座いませぬ。故に拙者のような者が、私情をつらつらと述べるべきではないと、考えます」

 もどかしい。相手の本音が見えないのは、なにかを誤魔化されているような気持ちになる。カクスケに悪気がないのは分かるが、主従関係にあるとはいえ、自分の内を曝け出してくれないのは、なんだか寂しい気持ちになる。

 俺は小さく息を吐き、砂利を蹴った。前を歩くガークの背中は、もう闇に溶けて見えなくなっていた。竜族の歩幅は広い。ガークのことだから、俺たちがついてきていないと気付けば、そのうち戻ってくるだろう。だから今は、この気まずい沈黙と向き合うしかない。

「カクスケ」

「はっ」

 名前を呼ぶと、条件反射のように弾かれた声が返ってくる。その反応の速さが、かえって俺の心をささくれ立たせた。それは信頼からくる返事ではない。主人の機嫌を損ねないための、防衛本能だ。

「本当に、何も思わないのか? 悔しいとか、悲しいとか、あるいは腹が立つとか……なんかあるだろ」

 カクスケは歩調を緩めず、俺の斜め後ろという定位置をキープしたまま、困ったように眉を寄せた。

「コタロー殿。……道具が、使われる場所を選り好みしてはなりませぬ」

「道具?」

「はい。拙者共使い魔は、主さまの手足となり、命じられたことを遂行するための道具に過ぎませぬ。道具が『あそこへは行きたくない』とか『あの場所は嫌いだ』などと感情を持ってしまえば、主さまは使いにくくて仕方がないでしょう?」

 カクスケは、淡々と、まるで今日の天気を語るかのように言った。その口調には、悲壮感すらない。それが彼にとっての、揺るぎない常識なのだ。

 胸の奥が、ずしりと重くなる。俺たち介護職が対峙するのは、認知症や身体機能の低下だけではない。お年寄りが長い人生の中で培ってきてしまった諦めや固定観念とも戦わなければならないことがある。

『年寄りは邪魔者だから』『どうせ役立たずだから』

 そうやって自分を卑下し、心を閉ざしてしまった人の殻を破るのは、骨が折れる作業だ。そしてカクスケのそれは、数十年どころか、彼が生まれたときから、あるいは使い魔という種族が背負ってきた歴史そのものによって形成された、分厚い殻だ。

 俺が抱いた寂しさの正体はこれか、と腑に落ちた。こいつは、俺に心を許していないわけじゃない。最初から心なんてものを、俺との関係に持ち込むつもりがないんだ。

「俺は、お前を道具だなんて思ってないぞ」

 ありきたりな言葉だとは思ったが、口に出さずにはいられなかった。

「コタロー殿はお優しい方ですから」

 カクスケは微笑んだ。けれどその目は笑っていなかった。

「ですが、コタロー殿がどう思われようと、世間はそうは見ませぬ。エルフの方々のように、使い魔を忌避する者もおります。……もし拙者が『悔しい』などと声を上げれば、それは巡り巡って、主さまであるコタロー殿の品位を傷つけることになりかねませぬ」    

 カクスケが足を止めた。つられて俺も立ち止まる。夜闇の中で、カクスケの緑色の瞳だけが、弱々しく光っていた。

「コタロー殿。拙者は、貴方様に拾っていただいたご恩を、仇で返したくはないのです。だから、拙者は何も感じないほうがいい。心など無くして、ただの飛脚としてお役に立てれば、それで本望なのです」

 それが、カクスケの処世術なのだと痛感させられた。心を殺すことで、自分を守り、ひいては主人を守ろうとしている。俺が感じた寂しさなど、彼が背負ってきた覚悟に比べれば、甘っちょろい感傷に過ぎないのかもしれない。

 ああ、手強いな。

 俺は頭をガシガシとかいた。安易な励ましや、価値観の押し付けでどうにかなる相手じゃない。

 俺が元いた世界で、「人権」だの「尊厳」だのと教わってきた価値観は、このベリュージオンでは通用しないのかもしれない。少なくとも、今のカクスケにとっては、ただの綺麗事にしか聞こえないだろう。

「……わかったよ」

 俺は息を吐き出した。

「お前の考えはわかった。無理に考えを変えろとは言わない」

「かたじけのう御座います」

 カクスケが安堵したように頭を下げる。だが、俺はそこで終わらせるつもりはなかった。

「でもな、これだけは覚えておいてくれ。俺は、道具に飯を食わせたり、一緒に風呂に入ったりする趣味はないんだ」

「へ?」

 カクスケが素っ頓狂な声を上げて顔を上げる。

「俺が飯を食わせるのは『仲間』だし、背中を流し合うのは『友達』だ。お前が自分をどう思おうが勝手だが、俺はお前をそう扱わせてもらう。……文句あるか?」

 カクスケは、口をぽかんと開けて俺を見ていた。そんなカクスケを見るのは初めてだった。鳩が豆鉄砲を食ったような、とはこういう顔を言うのだろう。

「あ……、い、いえ……文句など……」

「ならいい。帰ろうぜ。腹減ったろ」

 俺はカクスケの返事を待たずに歩き出した。少し遅れて、裸足で砂利を踏む音がついてくる。その音が、さっきまでの機械的に追従するようなものとは、少しだけリズムが変わったような気がした。

 すぐになにかが変わるわけじゃない。明日になればまた、カクスケは「拙者は道具で御座います」という顔をして、俺に傅くのかもしれない。それでも、俺は諦めない。

 アヴァリュートやばあちゃんたちに提供している介護と同じだ。今日だめなら、明日。明日だめなら、明後日。時間をかけて、少しずつ、その分厚い殻にヒビを入れていけばいい。俺たちには、時間はたっぷりあるのだから。

「コタロー! 遅いぞ!」

 前方からガークの声が聞こえてきた。やはり俺たちがなかなか来ないのを見かねて、戻ってきたようだ。

「悪かったな、ちょっと男同士の話をしてたんだよ」

 俺は声を張り上げて応えた。カクスケと一瞬、視線を交わして歩き出す。二人のあいだに吹き抜けた夜風が、少しだけ温かく感じられた。


 こもれびの杜に戻ると、事務所の明かりが煌々と灯っていた。

 戸を開けると、筒原さんが読みかけの文庫本を机の上に伏せて、眼鏡の位置を直しながらこちらを見た。

「おかえりなさい。いつもより遅かったわね」

「ただいま戻りました。……ちょっと話が弾んじゃって」

 俺の後ろから、カクスケとガークもぞろぞろと入ってくる。ばあちゃんはもう奥の布団で寝息を立てていた。

 俺たちはテーブルを囲み、ジェインズでの出来事を報告した。ヴェルチンシアさんの症状、夕暮れ時の幻覚、ガークの機転、そして俺が提案したデイサービスもどきのこと。 「なるほどねえ。エルフの長老様を、ここでお預かりする、と」

 筒原さんは腕組みをして、ふむ、と唸った。「相変わらず空野くんは、仕事を増やすのが得意ね」

「嫌味ですか?」

「褒め言葉よ。……でも、問題があるんでしょう? その方をお預かりするには、一筋縄ではいかないなにかがある……とか」

 さすがベテラン、察しがいい。俺はチラリとカクスケを見た。彼は居住まいを正し、じっと正座をした膝の上の拳を見つめている。

「エルフは、使い魔を嫌ってるんです。歴史的な背景があるらしくて、生理的に受け付けないレベルで」

「あら、それは厄介ね」

「ヴェルチンシアさんの付き添いで来るオフィリアさんは、カクスケをまるでそこにいないかのように扱っていました。……俺が提案した話も、カクスケがいるってわかったら、破談になるかもしれません」

 沈黙が落ちる。ガークが申し訳なさそうに口を開いた。

「すまない。オレたち竜族とエルフの間にはそこまでの溝はないのだが、使い魔となると話は別だ。オレが仲介に入っても、エルフたちの根深い怨恨までは拭いきれん」

「拙者が……」

 カクスケが、消え入るような声で言った。「拙者が、席を外せば済む話であります。エルフの皆様がいらしているあいだ、拙者は森の奥で薪拾いなどでもしていれば……」 「駄目だ」

 俺は即答した。カクスケの喉がごくりと動く。

「カクスケ、さっき言ったろ。俺はお前を仲間だと思ってると。そんな仲間を隠してこそこそやるなんて、俺はやりたくない」

「しかし、それでは本末転倒では……」

「まあまあ、二人とも落ち着きなさい」

 筒原さんがパンと手を叩いた。「カクスケくんの言うことも、空野くんの言うことも、どっちも一理あるわ。……でもね、空野くん。私たち介護職の仕事は『利用者様の生活を整えること』が最優先なのよ。こちらの理念や理想を押し付けて、利用者様が不穏になったら意味がないわ」

 痛いところを突かれた。俺のエゴで現場を混乱させてはいけない。それではプロ失格だ。

「じゃあ、どうすれば……」

「環境調整よ」

 筒原さんはにやりと笑った。「真正面からぶつかる必要はないの。最初は距離を取りつつ、少しずつ慣れてもらう。……相性の悪い利用者様とどう関わるか。空野くんも散々やってきたでしょ?」

 ハッとした。そうだ。元いた世界のこもれびの杜で働いていたパートのおばちゃんの中に、デイサービスで働いていた経験のある人がいた。

 その人がぼやいていたことがある。

 犬猿の仲の利用者AさんとBさんがいたとして、職員は二人を同じテーブルには座らせない。視線が合わない位置に座席を配置したり、活動時間をずらしたりして、トラブルを回避する、と。

 それを応用すればいいのだ。

「……わかりました。俺に考えがあります」


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