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第四話⑬

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「もの忘れと、そのニンチショーとよばれるものとは、違うのでしょうか」

 俺の説明を一から十まで、ちゃんと聞いてくれたカクスケは、神妙な面持ちでそう尋ねてきた。なんかのショーみたいなイントネーションで言ったものだから、きっとまだ『認知症』という言葉の全貌を理解出来ていないのだろう。

「カクスケ、一週間前の夜はなにを食った?」

「えっ!?」

 唐突な俺の質問に、うーんと唸りながらもカクスケは必死で記憶を呼び起こそうとしていた。

「コタロー殿は、そんないにしえの記憶を覚えていらっしゃるのですか」

 どうやら思い出せなかったらしく、それを誤魔化すためか、質問に質問で返してきた。

「覚えてるわけねえだろ」

「では拙者を試したということでしょうか」

「これから話すことに関わってくる重要な質問さ。カクスケ、食ったものは覚えていなくても、食ったことは覚えているだろ」

「勿論で御座います。コタロー殿は拙者にも、たいへん美味しい夕餉をこさえてくださいますから、その御恩を忘れることなどありましょうか」

「カクスケが俺への恩義を忘れてないということは、お前は認知症じゃないといえるだろう」

 一週間前の献立を思い出してみろとカクスケにけしかけたのは、こいつなら、昨日、あるいは二、三日前の献立なら覚えているかもしれないと思ったからだ。スラスラと答えられては、話が進まない。

「たとえばばあちゃんが、食後に『晩ご飯を食べていませんよ』と俺に言ってきても、食ったものや、そのときの状況を俺が教えてやると、食べたことを思い出すかもしれない。これが、もの忘れ。……俺がどんなに説明しても、食べたことを思い出せずに、頑なに食べていないと言い張るのが認知症だ」

 つまり、ばあちゃんは我が儘を言ったり、俺を困らそうとして、そんなことを言っているのではない。『晩ご飯を食べていませんよ』と言ったのなら、ばあちゃんの中ではほんとうに食べていないのだ。食べていないはずのものを食べたと周りに言われれば、本人は混乱するし、場合によっては怒るだろう。俺たちが、やってもいないことをやったと決めつけられるのとおなじだ。

「承知いたしました。キョウコ殿は、ニンチショーという症状のせいで、過去のことをごっそり忘れてしまうことが多い。だから、教えたはずの拙者の名前も、なかなか覚えていただけない、と。では、アヴァリュート殿もキョウコ殿と同じ症状なので御座いますね」

「ああ、そうだ」

「しかし、お二方とも、拙者のことがまったく分からないわけではないようです。キョウコ殿からは『褌のお兄さん』などという呼称で呼ばれておりますが、整合性はともかく、拙者がコタロー殿と近しい関係にある者だと、認識しておられるようです」

「ああ。ばあちゃんもアヴァリュートも、お前の名前が分からなくとも、ちゃんと存在は認識しているからな」

 どうせこの人は、俺がなにをやっても全部忘れてくれるだろうと、かつては俺も思っていた。ひとくくりに認知症といっても、その症状の起こり方は人それぞれ違うから千差万別の対応をしないといけない。だが、皆に共通していえるのは、そこで生じた感情は、失くならないということだ。

 たとえば俺が、突然ばあちゃんにとって悪い孫になったとする。

「晩ご飯を食べていません」と言ったばあちゃんのことを頭ごなしに否定して、ぞんざいな扱いをしたら、俺から受けた対応は忘れても、ばあちゃんの心の中に、そのとき感じた負の感情が残るのだ。そうすると、ばあちゃんの中での俺は、「なんかよく分からないけど、この孫がいたら、わたしはイライラする」という評価に転じてしまう。そうすると、俺の顔を見ただけで、不穏になったりすることだってあるかもしれない。不穏というのは、落ち着きをなくし、興奮したり、攻撃的になったりする状態のことで、具体的には、過剰に動き回る、叫ぶ、暴れる、不安や恐怖のせいで言動が変化するなどといった状態を指す。以前、アヴァリュートが竜族の集落を襲ったのがそれだ。

「コタロー殿は、拙者が知らぬことを沢山知っておられます故、日々拙者自身の無力さを痛感致します」

「そんなことねえだろ。カクスケはもうちょっと自分に自信を持ったほうがいいぞ」

 カクスケの自己評価が低いのは、使い魔という立場だからこそなのかと思っていたが、同じ立場のツヴァルザランはそれほど自分を卑下していないようだったから、きっと過去の何かが起因しているのだろう。カクスケは俺と出会う前、一体どんな暮らしをしていたのか、生い立ちから知りたいと思うけれど、今のところそれも難しそうだ。

『童』

「うわっ!」

 アヴァリュートの声が脳内に突然響いてくると、心臓に悪い。アヴァリュートの小屋を見てみると、彼が顔だけを覗かせてこちらに視線を向けていた。

『なにを驚いている。……まあいい。ガークは何処だ』

「ガークなら、集落に戻っていると思うぞ」

『呼んでこい』

 俺やガークの都合も聞かずに随分と傲慢な物言いだ。……とは一瞬思ったが、年寄りの言うことは、仕方ないなあと聞いてしまうのが、俺の悲しい性。「はいよ」と返事をして、俺は竜族の集落に向かった。


「ガークは寝てるのよ」

 集落について、ガークの家を訪ねると、中にはサティーがいた。癒舎から帰ってきた彼は、すぐに家に戻ってそのまますやすやと寝息をたてはじめたという。部屋の中を覗くと、蓙のようなものが敷かれた床の上に、体を横に向けて眠っていた。

「長老サマがお呼びなんだ。何か用があるんじゃねえのか」

「あら、それは大変。ちゃんと行って差し上げないと長老様、ご機嫌を損ねてしまいそうね」

 最初は薄い布団を体にかけていたらしいが、それを抱きかかえるようにして眠っているガークの寝顔を見るのは新鮮だった。こいつくらいの立場なら、有事のときに瞬時に対応出来るように眠りが浅いというのがお決まりの展開なんだけど、集落にいるあいだは周りのみんなに心を許しているのか、俺がそばに寄っても、それで起きる気配はなかった。

「気持ち良さそうに眠っておられますね」

 カクスケがひそひそと言った。

 安眠を貪っていたガークを起こすのは、なんだか憚られたので、しばらくそばで様子を見ていたら、突然彼がうんうんと唸りはじめた。

「おい、ガーク!?」

 悪夢でも見ているのだろうか。さっきまでは安らかだった寝顔が、ちょっと険しくなっている。起こしたほうがいいのだろうか。

「ガーク!」

 俺はガークの肩にそっと触れて、ゆすってみた。「大丈夫か? ガーク!」

「んんっ……」

 俺の手をはらうような仕草でガークの腕が動いたあと、彼はハッと目を覚ました。寝起きとは思えないくらい俊敏な動きで、上半身を起こす。

「……コタロー? ……あれ?」

「おはよう。おまえ、うなされてたみたいだぞ」

 体の動きは素早かったが、脳はまだ半分寝ているのか、ガークはぼんやりと俺の顔を見ていた。寝起きのくせに随分と整った顔だ。

「……夢……だったか……」

「なんだガーク、悪夢でも見たのか?」

「……ん……あ、ああ……どうやらそうみたいだ」

 掛け布団がぱさりと床に落ちた。

 竜族の家は、ログハウスだとか、コテージのような造りをしている。風呂や台所、トイレはなどといった設備は集落の中に共同のものがあるから、それぞれの建物の中に広間があるというシンプルな構造だった。とくにガークは持ち物が少ないのか、壁には斧や弓、刀などの武器がかかっていて、寝床のそばには、トレーニングに使うのだろうか、石や木で作ったダンベルのような器具が置かれている。円形の部屋の端のほうに、申し訳程度の椅子と机があって、そこには同じデザインの腰蓑が乱雑に重なっていた。

「奇妙な夢だ。目覚めれば荒唐無稽な内容であったと分かるが、夢の中のオレにはどうすることも出来なかった。我らの集落が、サンスケの眷属の木桶の生き物による襲撃に遭ったんだ。一族の皆の腑が抉られ、首を刎ねられるという阿鼻叫喚の光景を、オレはただ眺めていることしかできなかった。どう足掻いても体がなにかに縛りつけられたかのように動かなかったんだ。皆の血を浴び、悲鳴が聴覚に刻み込まれても、どうすることも出来なかった。やがてオレ以外の皆が木桶によって屠られたとき、絶望に打ちひしがれるオレに向かって、アイツはこう言ったんだ。『その顔が見たくて、ついやってしまいましたでぃすよ』と」

 ガークには申し訳ないが、俺は噴き出してしまった。それが単なる夢の内容であることが分かっているからだ。カクスケが「コタロー殿、ガーク殿がお困りですよ」と嗜めてくるくらい、笑ってしまった。

「夢でなければ、あのような木桶をオレの拳で粉々に粉砕することなど造作もないから、何ら脅威ではないが、現実に起こり得ないようなことでも、あたかもそこで起こっているかのように思わせてくるから、まるでなにかの奇術のようだな」

 俺が馬鹿みたいに笑い転げているのを責めることなく、ガークはただ苦笑していた。そして、なにかに気づいたように表情を引き締める。

「コタロー、以前、じいちゃんが我を忘れて集落を襲ったあのとき、いまのオレのように夢を見て、目覚めたときにそれが現実のものだと思い込んでしまったから、あんなことになったのだろうか」

「ああ、そうかもしれないな」

 人が不穏になるきっかけはいろいろな要因がある。ガークが自分が見た夢を、夢ではないとすぐに認識出来たが、場合によっては上手くいかないことだってある。あのときアヴァリュートは、長年幽閉されていた場所から出たことによって、大きな環境の変化があった。それは必ずしも良いほうに向かうとも限らず、最初のうちは慣れない場所に混乱してしまうかもしれない。アヴァリュートもそのうちのひとつのケースだ。後になって振り返ってみると、もう少し慎重にことを進めれば良かったかなと反省する。アヴァリュートの暴走によって犠牲になった者はいなかったが、ウェイドなど、怪我をした者はいた。竜族の皆がそこを追及してこなかったから大ごとにはならなかったものの、元いた世界だと、大問題になっていただろう。

「ガーク、ありがとな。俺もべリュージオンに来て、色々勉強になっているよ」

 唐突に礼を言われたガークはきょとんとしていた。

「ガーク殿、長老殿がお呼びで御座います。拙者共は、ガーク殿をお呼びに馳せ参じた次第で御座いまする」

 ああそうだった。カクスケが冗長になりかけた俺の話を遮って、本題に入ってくれた。あまり待たせると、アヴァリュートが癇癪を起こしてしまうかもしれないと、ヒヤリとする。

 こもれびの杜に置かれているヒヤリハット報告書に、今のことを書いて筒原さんに渡したら、彼女はどんな顔をするだろうなと考えながら、俺たちはガークと共にアヴァリュートの元に戻っていった。



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