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第四話⑥

「オイラが?」

 マルクの頭の上に、はてなマークが浮かんでいる様子がみえるような気がした。もしかすると彼は、この場から早く立ち去りたかったかもしれないな。

「あー、もし良かったら、なんだけどな」

 いちおう、マルクが気兼ねなく断れるように気を遣ったつもりだったが、それは徒労におわった。

「いいのか! オイラ誰かの家で飯をご馳走になるの、憧れてたんだ!」

 なんだかマルクはやたら嬉しそうにそう言った。ガークのことを恐れていそうにみえたのは、俺の思い過ごしだったのだろうか。

「じゃあ、オイラが魚を全部捌いてやるよ!」

 アマドキア邸の前に荷車を置き、マルクは俺たちのあとについて、屋敷の中に入った。

 アマドキアとツヴァルザランに、ここでみんなで飯を食っていいかと聞いたところ、彼らは快諾してくれた。

「アマドキア殿もご一緒に召し上がりませんか」とカクスケが提案したので、俺は早速アマドキアを離床させようと促してみた。離床というのは、寝床から離れることだ。

 さっそく彼の歩行状態を確認できる良い機会だ。

「わ、わたしがきみたちと?」

「ええ、たまには大勢で食事を召し上がると気分転換になりますからね」

 アマドキアは若干戸惑っている様子だった。「しかし、わたしは歩けないよ」

「俺が支えてあげますよ」

 そうは言っても、アマドキアは不安げに眉をひそめていた。無理もないと思う。俺も逆の立場なら、気軽に相手を信じることもできないし、なによりも迷惑をかけてしまうとか、転んでしまったらどうしようという不安のほうが大きくなるだろう。

 俺たち介護をする側からすれば、そんな想いを微塵も抱いてほしくないのだけれど。相手に気を遣わせてしまっているのだと考えると、俺もまだまだだなと思う。

「アマドキアさん、ぼ木が言うのもなんでぃすが、コタローさんの言うことは聞いておいたほうがいいでぃすよ!」

 いつの間にかオケが俺の背後に浮かんでいたようで、耳のすぐそばで彼(彼というのはおかしいのか?)の声がけたたましく響いたものだから驚いた。

 台所のほうからは、マルクが魚捌きを披露しているのか、包丁を滑らせる音と、「ほう、なかなか上手いもんだな」というガークの感心したような声が聞こえてきた。

「あちらではなにをしているんだい」

「いつも魚を売りに来るらしい青年が、今日はみんなに魚料理を振る舞ってくれるんですよ」

 俺の言葉に、アマドキアは興味をもったようだった。魚が好きなのだろうか。だったらこれを口実に向こうの部屋まで歩いてもらうのがいい。

「一緒に見に行きましょう。気分は悪くないっすよね」

「あ、ああ。調子はすこぶる良いよ」

 俺はにっこりと笑ってみせると、アマドキアが被っている掛け布団を剥がし、起き上がりやすいように彼の膝を立てた。仰向けのまま、腕を体の前で組んでもらうように伝える。

「じゃあ、ちょっと体を横にするっすよ」

 アマドキアの肩と膝に手を当てて、くるりと体を横向きにする。そのあとすぐに、両足をベッドから降ろす。こうすると、上半身も起き上がりやすくなるのだ。

「俺が支えますから、一緒に起き上がるっすよ」

 向こうの部屋に俺の声が聞こえたのか、ウェイドとカクスケが顔を覗かせてきた。きっと手持ち無沙汰なのだろう。

「おう、お前たちも見ておいてくれ。今後、手伝ってもらうことがあるかもしれないからな」

 元いた世界では、教える相手にそう言うと、大抵尻込みをしてしまう人たちが多かったのだが、ウェイドとカクスケは同時に「かしこまりました」と言って、俺のやっていることをよく見ようとベッドの端に並んで覗き込んできた。

 俺はそのままアマドキアの腰と、ベッドに接地している右肩のほうに腕を回し込み、ぐいっと彼の上体を抱き起こした。このときに、なるべく俺と相手の体を近づけると、俺の体にも負担が減るのだ。

「ほう、なかなか上手いものだねえ」

 アマドキアが感心したように息を呑んだ。慣れてますからと、俺は返す。

「カクスケ、ウェイド、アマドキアさんはいま、ベッドの端に腰掛けている。この状態を、俺たちの言葉で、端座位と呼ぶんだ」

 ふたりは聞き慣れない言葉を聞いたようで、「タンザイ」とぼそぼそ呟いている。

「じゃあ、こっからは、アマドキアさんも頑張る番っすよ」

 見たところ、アマドキアは背もたれや俺の支えなしにベッドから足をおろして座れるようだ。予想していたより彼の身体状況は良好じゃないか。

「足をしっかり地面につけて、腕を伸ばしてください」

「こうかな?」

 アマドキアが伸ばした腕の下に俺の腕を添えて支える。手のひらで包み込むようにして、彼の上腕を掴んだ。

「いいですね、じゃあ、つぎは前屈みになりましょう」

「おっと」

 足は地面につけたままですよと言葉を添えながら、俺はそっとアマドキアの腕を引き上げた。

「……立てた」

 アマドキアは放心したように言った。いつもはほとんどツヴァルザランに力を借りて動いているんだろうということを察する。だが今回、俺はほとんど力を加えていない。ほとんどアマドキア自身の筋力を使って立てたのだ。

「立ってみて、ふらふらしてるとかはないっすか?」

「ああ、立ち上がった瞬間はちょっとフラッときたけれど、いまはどうともないよ」

「オッケーっす。じゃあ、ふらつきに気をつけて、ちょっとずつ居間まで歩きましょうか」

 いちに、いちにと掛け声をかけながら、俺はアマドキアの腕に手を添えたまま、後ろ向きに歩く。カクスケが心配そうに俺のそばについて誘導するかのようにゆっくり歩を進めている。しかしこの掛け声はベリュージオンでも通じるのだろうかと考えながら、それでも他に思いつかなかったため、そのまま声をかけ続ける。

「歩けてますよ、アマドキアさん」

「おお、そうかい」

 まるで他人事のようにそう言ったアマドキアは、驚きながらも、どこか嬉しそうに瞳を輝かせていた。


 アマドキアを居間に連れて行くと、ツヴァルザランが「まあ、主さま……」と感嘆の声を漏らした。

「坊ちゃん、坊ちゃん、アマドキアさんが立って歩いていますでぃすよ!」

 オケも嬉しそうにくるくると回っている。サンスケは「おー、そうだなー」と、間延びした声を出して返事をしている。アマドキアの入浴の手助けをしている彼なら、歩いている姿をみるのは珍しいことではないのかもな。

 キッチンでは、マルクが魚を捌き終わって、煮付けを作っているようだった。煮汁の良い匂いが部屋中に漂っている。マルクが調理している様子を、ガークが隣でじーっと見ているので、心なしか緊張しているようにみえる。

 俺はアマドキアをツヴァルザランの隣に座らせた。無言のまま顔を見合わせるふたり。安堵したようなツヴァルザランの微笑み。俺は、その顔を見られただけで、ここに来た甲斐があったなと思った。

「いやあ、コタローさん、あなたの誘導は素晴らしい。わたしも安心して、あなたに身を預けることが出来ましたよ」

「俺の力じゃありません。アマドキアさんの心の中に、まだ歩きたいって想いが残っていたからっす。俺はそれをちょこっと引き出して、表に出しただけっすよ」

 俺たち介護職が、いくら相手に向かって援助をしようとしても、本人にその意志がなければどうしようもない。

 廃用症候群ということばがある。病気や怪我などが原因で身体を動かせない状態が続いたり、運動量が減少したりするときに、本人の心身機能が低下する症状のことだ。体や心の機能が低下すると、筋力が低下したり、食欲がなくなったり、色々なものごとへの関心がなくなったり、鬱症状が出てきたり……。つまり、「なにもできないことによって、なにもしたくなくなる」状態に陥ってしまうのだ。

 アマドキアが寝たきり老人だと聞いたとき、俺はこの廃用症候群になっていやしないかと危惧していたが、すぐにその懸念は払拭することができた。

 アマドキアにはまだ意欲がある。自分の力で動き、生きようとする意欲が。これまではその手立てを見つけることが難しかっただろうが、そもそも食事は自分で摂れるし、誰かの手助けがあれば、離床して風呂にも入れる。

 もともと出来ることはかなりあったのだ。俺はアマドキアのなかに眠っていた意欲を、ちょっとだけ刺激してやっただけに過ぎない。



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