第四話⑤
流石に洗濯機なんてものはこの世界には存在しないようで、オケとともに水廻りのある別室に入っていったサンスケは、風呂場でゴシゴシと布おむつをこすり洗いしていた。
「坊ちゃん、あまりお湯を飛ばしまくると濡れますでぃすよ」
「なんだよ、そのときはやつがれもまとめて乾かせばいいじゃないか」
「坊ちゃんの魔術呪文は強力でぃすから、ぼ木まで干からびないかと心配になりますでぃす」
「そのときは別の木桶に命を与えるさ」
「ぼ、ぼ木は嫌でぃすよ! そんなこと!」
「アハハハ!! 冗談だよ」
サンスケの魔術で浴槽を運ぶのはいいが、お湯はどうやって調達するのだろうと思っていたが、洗い場にはホースが丸めて置いてある。独立した水栓があって蛇口が伸びているから、そこにホースを繋ぐのだろう。
俺は台所に立って、なにを作ろうか思案していた。やはりこの世界にある食べ物は馴染みのあるものばかりだ。じゃがいも……おっとこの世界ではテイトウイモというんだったな。玉ねぎ、人参。それに冷蔵庫には、袋に入った肉が入っていた。調味料もひととおり揃っているな。ぱっと見た感じ、俺にも見覚えのあるものばかりだ。
洗濯機はないのに冷蔵庫はあるんだなと思いながら、俺はその肉を取り出した。
「肉……」
ガークが覗き込んできて、物欲しそうな顔をしている。
「ガーク、お前の分じゃないぞ」
「わ、わかっている!」
ガークはそう言って、ぷいっとそっぽを向いた。
俺は包丁でじゃがいもと人参の皮を剥き、乱切りにした。ついで玉ねぎの皮をむしり取り、くし切りにする。
「コタロー、なにを作っているんだ」
「拙者はわかりますよ」
ぐいとカクスケが割り込んでくる。こんなときになんの対抗意識を燃やしているんだ。見ろ、ガークがムッとしているじゃないか。
「肉じゃがという料理で御座います」
「すげえなカクスケ、なんでわかったんだ?」
同じ材料を使う料理なら他にもあるというのに、ピンポイントで当ててくるカクスケに、俺は素直に驚いた。
「拙者はコタロー殿の使い魔で御座いますから。主さまと一心同体になれるよう努めなければなりませぬ」
そう言ったカクスケは、ちょっと得意げだった。
「コタロー殿が用意した調味料は、醤油、砂糖、みりん、酒で御座います。それに調理をはじめた食材と照らし合わせ、献立を判断させていただきました」
アマドキアがロイメンだからなのか、それとも俺が元いた世界と、共通点がいくつもあるからなのかは分からないが、竜族の集落の炊事場を借りて料理をするときよりも、色々と馴染み深いものが多くあった。
カクスケは、俺が具材を鍋に入れてことこと煮込んでいるあいだに、洗い物を片付けてくれた。曰く、「主さまばかりにお手間を取らせるわけにはいきませぬ」だそうだ。
ガークとサティーには、竈で味噌汁を作ってもらった。具にタマネギとテイトウイモを入れたやつだ。ベリュージオンでも味噌があるのを見て嬉しくなる。
家の外にあった薪をウェイドが運び入れてくれて、焚口に積み重ねると、ガークの息吹きで火を起こす。俺はガスコンロに頼ってばかりで、火起こしの経験なんてなかったから、竜族が火を扱う能力をもっているのは助かった。本来ならば戦いのときに使うことの多い能力なのだろうが、こうして平和なときにも応用できるというのはありがたい。
「アマドキアさんはきっとお金持ちなのね」と竈の横に米が入った容器を見て、サティーが言った。やはりベリュージオンでは、白米は高価な食材なんだろう。だからカクスケは塩むすびをあんなにありがたがっていたのか。
「オレたちも負けていないだろう。コタローなど、カクスケと共にたらふく食っているしな」
俺はちょっとした入手ルートがあるんだよと言おうかと思ったがやめておいた。ホライゾンのことというか、こもれびの杜の建物の中にいるあいだは電気、ガス、水道とネット環境が使えるということを秘密にしておかねばならないような気がしたからだ。
「せ、拙者はそんなに食ってはおりませぬ! いえ、コタロー殿にはいつもありがたい程に贅沢な御食を頂戴しておりますが……」
みおし……ってなんだろう……と思ったが、たぶん飯のことだろう。こいつのことだから、また古風な物言いをしているに違いない。
「ここは、アマドキア様の別邸なんですよ」
ツヴァルザランだ。手持ち無沙汰なのか、どこからか取り出してきたらしい編み物をしていた。サティーが目を輝かせ、テーブルに置いてある籠に積まれている色鮮やかな毛糸を物珍しそうに眺めた。
ツヴァルザランがアマドキアのことを軽く教えてくれた。
「アマドキア様は、王都マサゴリアムで貿易商をなさっておりました。一代で財を築き、平民からのし上がり、貴族の仲間入りを果たしたのです。王都には本邸があり、いまは事業を息子様に託し、ここで余生を送っておられるのです」
おおかた、本業で忙しい身である息子には迷惑をかけたくないというわけか。あちらも、父親の顔を見に来る暇もないのだろうと察することができる。独居老人が増えているといわれていた元いた世界においても、ありふれた話だった。
「アマドキアさんはなぜ、寝たきりに?」
「いまから二年程前のことです。わたくしが留守にしているあいだに、主さまが倒れられてしまいました。医者によれば、脳の血管が切れたのだとか。幸いなことに一命は取り留めましたが、後遺症が残り、歩けなくなってしまわれたのです」
リハビリだとか、車椅子だとかいう概念は、この世界には浸透していなさそうだ。医学もどこまで発達しているかはわからない。ツヴァルザランの言い分を悪いほうに解釈すると、倒れたアマドキアの発見が遅れてしまったともとることができる。俺たちは職業柄、最悪の場合の想像をしてしまうのだ。
「歩けない状態になってから、ずっとベッド上での生活が中心か?」
俺の質問に、アマドキアは、ええと頷いた。
「わたくしに彼を再び歩かせるような技術などありませんから」
「やつがれが風呂の助けをするときに、少し起き上がるくらいだな」
サンスケとオケが風呂場から戻ってきたようだ。「ツヴァルザランさん、洗濯物はやつがれが乾かしておいたから、安心するといいぞ」
オケの中に畳まれた布おむつが入っている。「あとで返しておきますでぃす」と、オケが言った。
「サンスケ、そのとき、アマドキアさんは立ち上がることが出来るのか?」
「そんなことを聞いて、どうするんでぃすか?」
オケが口を挟んでくる。元々丸い目が余計に丸くなっていた。
「やつがれが支えていると、立ち上がれるっすねえ。よろよろしてますけど、少しなら支えていれば歩くこともできるっすよ」
「そうか」
思案する。二年間、ほぼベッド上での生活を強いられてはいるが、誰かが支えていれば立つことも歩くことも出来る。アマドキアの下肢筋力は、まだ完全には死んでいないということがわかった。だったら……。
「方法次第では、アマドキアさんはまた立って歩けるかもしれねえ」
俺の呟きに一番に反応したのは、やはりツヴァルザランだった。
「なんと……そんなことが……」
たぶんこの人は、アマドキアが寝たきりになった時点で諦めていたのだ。もう歩けないと。人間は脆い生きものだ。一度壊れてしまったものは、二度と元には戻せないと。だが、それは違う。完全に元には戻らなくとも、方法さえ分かっていて本人にその気があれば、いつだって回復することが出来るのだ。
そのとき、屋敷の外でラッパを吹き鳴らすような音が聞こえてきた。ツヴァルザランがその音に反応する。
「まあ、今日は、魚屋さんの来る日だったのね。コタローさん、申し訳ないけれど、外に出て呼び止めてもらえるかしら」
「……ああ、わかった」
元いた世界では、夜鳴きそばとか、ラッパを吹きながらキャリーを引いて売りに来る豆腐屋なんてものが存在していたらしい。それと似たようなものだろうかと思いながら、俺は表に出た。
「あっ、あぶなーーーい!!!」
「え?」
扉を開けて体が外気に触れた瞬間、俺の耳を甲高い声の叫び声がつんざいた。薄暗がりの中に、なにか球体のような黒い影が俺に向かってとんでくるのと、「ああ、外はもうこんなに暗くなっていたんだ」と思ったのは同時で、咄嗟にその球体を蹴り飛ばしてしまった。学生時代にサッカーをやっていたから、土壇場でその癖が出てしまったのかもしれない。
ぐにょりと、思っていたよりも柔らかい感覚が土踏まずに伝わる。……ん? ぐにょり……?
「いでえっ!!」
さっきの叫び声と同じトーンの声だ。暗がりの中から聞こえてくる。人影がその球体を受け止めたようだ。球体は俺の前方に跳ね返っていったが、誰かにぶつかってしまったのだろうか。それなら謝らなければならないと思って、人影に近づく。
「す、すみません! 怪我はないですか!」
暗がりに視界も慣れてきて、相手の風貌がみえたとき、俺はおそらくダインズヴェルシュのに住む誰よりも大きな叫び声を上げていた。
「う、うわああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
「コタロー殿!」
俺の声は屋敷の中まで聞こえたのだろう。カクスケが大慌てで飛び出してきた。ついでガークとウェイドも後ろにかまえている。俺の身になにかあったのかと警戒してくれたのだろう。だが、俺は無事だ。無事じゃないのは、俺の目の前に立っている青年だった。
「くっ、首っ、か、か、カクスケ、首がっ……」
腰から下の力が抜けて、俺はへなへなと地面にへたり込んでしまった。カクスケが俺の前にずいっと出てきて、俺の上半身を支えるようにして抑えてくれた。
「いてえなあ、おめえいきなりなんなのさ!」
当たり前のように首がしゃべった。俺が蹴ったせいか左の頬が少し腫れているが、それ以外は平気そうだ。すると首から下しかないのに立っている体は、自分の首を抱いているということか。
「ったく、オイラをみてそんな反応をするのは、おめえが久しぶりだよ」
驚きのあまり言葉を発せなくなった俺をみてため息をつき、青年は腕を上げ、首を元の位置にはめ直した。
体にはりつくような生地のタンクトップを着用し、魚のデフォルメイラストが大きく描かれた前掛けをつけている。この世界にいる若者は、みんな体格がいいのはどうしてだろうか。青年もカクスケとガークのちょうど中間くらいの体躯の持ち主だった。普段から太陽の下で仕事をしているのか、衣類に覆われていない顔と手足が真っ黒に日焼けをしている。
「なんだ、マルクじゃないか」
背後でガークが言った。彼の姿をみとめた瞬間、青年の顔が少し強ばったのを、俺は見逃さなかった。
「ガ、ガーク様、なぜこんなところに……」
「ん? 我がここにいてはまずいのか?」
ガークの一人称、「我」を久々にきいた。マルクが慄いていることに、不思議そうな顔をしている。
「コタロー、案ずることはない。コイツはマルクという名の、ただの魚売りだ」
ガークがそう言うのなら、そうなんだろうけど。俺にとっては「ただの魚売り」ではない。こいつは、何の種族なんだ。
「オマエは分類するのが好きだな。マルクはデュラハンだぞ」
ガークが呆れたようにそう言った。どうやら俺は無意識のうちに心の声を漏らしていたらしい。デュラハンだから首が取れるのか。
当たり前のように異種族がでてくることに、俺ももっと慣れないといけない。
「はじめまして、マルクさん。俺はコタローです」
「コタローか。よろしくな! ……ところでおめえはガーク様の仲間、なのか?」
「コタローは我を使役することもあるぞ」
俺の代わりにガークがこたえる。マルクの喉があからさまにごくりと鳴った。
「マルクは集落にも魚を売りにくるのだ。他の商人の相場と比べて、破格の値で売ってくれるから、我々も助かっている。……ふむ。今日はいつもより高いようだが」
ガークがマルクの背後に置かれていた荷車に下げてある値札を覗き込んで言った。俺も彼が引いて歩いていたらしい二輪の鉄製の荷車を覗く。氷が敷き詰められた荷台の上に、木箱がいくつか置かれており、種類の違う様々な魚介類が入っていた。
「オイラは魚売りである前に、漁師なんだ。自分で採った魚をこうやっていろいろなところで売らせてもらってる。も、もちろん、ガーク様の住まわれている集落にも行くことがあります」
さっきからマルクはガークのことを話そうとするとどうも口調や態度がぎこちなくなる。互いの様子から察するに、おそらくマルクはガークのことを一方的に怖がっているのだろう。なぜだかは知らないが。まあ確かに、竜族の長老の孫で、態度も堂々としているから、あまりこいつのことを知らないと畏怖の念を抱くのも分かる気がする。
「今日も美味そうな魚がたくさん並んでいるな」
「ご、御入り用ですかっ!?」
「ふむ。我ではない。こちらの屋敷にいる、御婦人がご所望だ」
ガークが屋敷を指差した。
「あ、ああ、ツヴァルザランさんか」
幾分かマルクの表情が和らいだようだ。
「しかし、御婦人は動けぬゆえ、我らが代行しているのだ」
「ひっ、そうなんですね。いつもごひいきにありがとう、ございます」
ガークがウェイドに目配せをすると、ウェイドはこくりと頷いて荷車に近寄った。マルクはその様子を心配そうに目で追っている。
「コタロー殿、我々も拝見いたしましょう」
カクスケに腕を引っ張られて、俺もウェイドの背後を陣取り、あらためて荷車の中を覗き込む。
「俺、みてもわかんないんだけどな」
「なんだだらしない」
ガークがケラケラと笑った。「コタロー、ここにある魚を全部買ったら、みんなで夕飯が食えるな」
「そうだな……。刺身や煮魚にすると美味いかもな」
「作ってくれるのか!」
ガークの目が輝く。腹が減っているのだろうか。まあ、もう夕食の時間だもんな。たぶん。
「ぜ、全部買われるんですか!?」
マルクが目を丸くする。なんだか嬉しくなさそうだ。
「なんだ、悪いか? これだけ売れ残ってるんだ。我らが買ってやったほうが、オマエも助かるだろう」
「……あ、ああ、いや、まあ……」
マルクはバツが悪そうに頭をかいた。
「なんだ、不都合なのか?」
「い、いや……」
俺と目が合う。助けを求めるような目でこちらを見ているが、申し訳ないが何もしてやれない。
「よし、決めた! マルク、この魚をすべて、我に売れ。いつもより高いが、まあよかろう」
「い、いや、もう店じまいですから、書いてある値段から八割引でいいっすよ」
マルクの額をみると、汗をかいている。そんなに暑くないとは思うが。
「本当か!? なら、いつも通りの値段になるな」
ガークは気付いていないのだろうか。マルクが竜族の集落に魚を売りに来るときは、なにかを恐れて値段を大幅に割り引きしてしているであろうことに。
結局ガークは言葉どおり、マルクから魚を全部買っていた。竜族の懐事情は、ウェイドが管理しているようで、支払いをしているのは彼だった。
「あ、ありがとうございます」
やはりあまり嬉しくなさそうにマルクは言った。それがあまりにも不憫にみえたので、俺はマルクに思わず声をかけた。
「もしよかったら、マルクも食っていかないか?」




