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第四話④

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「ちわーっ! アマドキアさん、お加減いかがっすかー!!」

 無遠慮な大声が響き渡る。アマドキアの家の前に到着した瞬間、サンスケが勢いよくドアを開き、ずかずかと中に入っていったのだ。

「あれ、ツヴァルザランさん、どうしたんでぃすか?」

 オケがふわふわと浮遊して、テーブルの近くの椅子に座ったままのツヴァルザランの近くに寄っていった。「いつもは一目散にぼ木たちを迎えてくださいますのに、立てないんでぃすか?」

「ごめんなさいね。……ちょっと腰を痛めてしまってね。なるべく安静にしていようって主さまに言われたものだから」

 やっぱり腰を悪くしたんだな。俺はカクスケと顔を見合わせて、サンスケのあとを追うように家の中に入った。

「ツヴァルザランさん、こんにちは」

「あら、コタローくん」

 馴染みの者以外の来訪者に気がついたようだ。ツヴァルザランが立とうとしたので、俺は慌ててそれを止めた。

「無理に動くことはやめましょう」

「でも、動かないと足腰が弱くなって、頭もボケちゃわないかしら」

 ツヴァルザランの言ったことはごもっともだ。入院して、体を動かさないでいると、急に認知症の症状が現れちゃって困っているのよと相談してくる人は、こもれびの杜の利用者の中にも時々いた。だが認知症はゆっくりと進行していくものなので、健常だった人が入院をきっかけに、突然認知症を発症するということはなく、あまり体を動かさなくなったときに症状が現れるのは、これまではゆっくりと進行していた認知症が急激に現れることが原因といわれている。認知症は一度発症すると、基本的には認知機能が戻らず進行していくのが特徴だ。

「いまは腰の痛みを治すことを最優先にして、少しゆっくりとしましょう。それくらいじゃあバチも当たらないし、むしろ無理に動いて状態が悪くなったときのほうが大変ですよ」

 いつでも、渋る誰かを説得するのは大変だ。年寄りになれば頑なに自分の考えを変えない、つまりは頑固な人が増えるから、俺たちの意見を通したいときは自然と口数も多くなる。相手の首を縦に振らせるために、手を替え品を替え、俺たちは奔走する。

「そうでぃすよ、ツヴァルザランさん。アナタが未来永劫動けなくなっちゃったら、誰がアマドキア氏の面倒をみるというんでぃすか? ぼ木は桶でぃすから、水を汲むことしかできませんでぃすよ」

「せ、拙者は、御婦人のために握り飯を作ることくらいならできますっ!」

 俺はずっこけそうになった。カクスケは至って真剣な表情だ。ツヴァルザランになにかをしてやりたいという気持ちの、彼なりの精一杯の表現だろうということはわかる。

「コタロー、なにをもたもたしている。さっさとオレたちになにをすべきか、指示を出せ」

 たぶん、他のやつなら、なんだその口の利き方はと不快に思うような物言いだが、ガークだから、なにも思わない。悪意は感じられない。これは彼なりのものの頼み方だ。

「わかったよガーク、そんなに焦るなって」

 ガークは俺になにかを言おうとして口を開いたが、サティーに脇腹を小突かれ、ぐっと言葉を呑み込んだようだった。

「ツヴァルザランさん、アマドキアさんの様子を見させていただいても?」

「ええ、ありがたいわ。彼なら奥の部屋にいますわよ」

 奥の部屋以外のところにいたらびっくりするぞと心の中でツッコミをいれながら、俺はツヴァルザランに会釈をして奥の部屋に歩いていった。

 ノックをすると、アマドキアの返事が聞こえてくる。扉を開けると、ベッドに仰向けになって寝ている、昼間と変わらない彼の姿が、視界に入ってきた。

「こんにちは、アマドキアさん。お加減はいかがですか」

 俺の声かけに、アマドキアは、ああとか、ううと唸った。

「コタローさん、すまないが、むつきを替えてくれないか」

「わかりました」

 むつきというのは、いわゆるおむつのことだ。『襁褓』と表記する、おむつの古風な呼び方だという。ちなみにおむつの語源は、むつきを丁寧にいった、おむつきという言葉が崩れて、おむつと呼ぶようになったそうだ。むつきとは元々、「包む布」という意味の言葉だったと、介護の勉強をしているときに講師が予備知識として話してくれたときに知った。元いた世界では、紙おむつが主流だったけど、それが出来る前は布おむつだったもんな。

 ベリュージオンにはもちろん、紙おむつなんていう代物なんてないから、アマドキアの股間に巻かれているのは、布おむつの類だろう。

 聞き慣れない言葉が登場したせいか、またガークが難しい顔をしている。

 「デリケートな介助だ。あまり大勢で見物していては、アマドキアさんに申し訳ない。誰かひとり……そうだな、ガーク、俺の横について、まずは手順を見ていてくれるか。あとは、そうだな……オケに手ぬぐいをお湯を濡らして持ってきてもらおうか」

 「承知した」

 「わかりましたでぃす」

 ガークとオケが頷く。他の面々は、俺の指示に従って、ぞろぞろと部屋を出ていった。オケもお湯と手ぬぐいを準備するために、サンスケに引き連れられていく。残されたガークは、俺の横に並ぶように立った。

 「ガーク、たとえばおまえが着ているものを着替えるとき、そばに誰かがいたら、そいつのことが気になるだろう」

 ガークはぽかんとした。いや、これは俺が悪かった。たしかにガークは隣にサティーがいても気にしなさそうだ。

 「じゃ、じゃあ、これならどうだ? サティーはガークの見ているところでは、着替えはしないだろう?」

 「……言われてみればたしかにそうかもしれない」

 あまりピンときてないな、こいつ……と思ったが、押し問答を続けていても先には進めないので、話を進めることにする。

 「ガークはフルチンで歩いていても気にしなさそうだけどな、なかには自分の裸をみられることを恥ずかしいと思う人もいるんだ」

 「ふるちん? おいコタロー、オマエはさっきからなにを言っているんだ!」

 「お前は、自分がその腰蓑を着けずにダインズヴェルシュの街中を歩いていても気にしないだろうけど、他の人は気にするかもしれねえってことだよ!」

 「よくわからん。訳の分からんたとえ話をしていないで、さっさと要件を言え」

 「……わかったよ」

 俺はため息をついて、部屋の扉を閉めた。

 「いいか、ガーク。いまからアマドキアさんの排泄介助をおこなう。まずはじめに、こうして扉を閉めて、外からこっちの様子が見えないようにするんだ」

 「なぜだ」

 「アマドキアさんの尊厳を守るためだ」

 「尊厳?」

 「ガーク、お前にも、無駄に高いプライドがあるから、たとえば俺がお前のことを罵倒したとき、屈辱的な気分になって怒り出すだろ?」

 「そりゃあそうだろう。お前如きに、オレのことをとやかく言われる筋合いはないからな」

 「それと似たようなもんさ。アマドキアさんがあられもない姿になっているときに、俺たち以外の誰かがこの部屋に入ってきたり、覗いてきたりしたら、屈辱を味わうことに繋がりうるかもしれない」

 「わかった」

 「アマドキアさん、すまない。こんな感じで、こいつに色々教えながらの介助でもいいかな」

 「わたしは構いませんよ。それにしてもコタローくん、君は立派ですね。君のような若者は、普通こんなこと、嫌がるでしょうに」

 アマドキアは、穏やかに目を細めて俺たちのことを見た。

 「俺は自分のできることをやっているだけですよ。……ガーク、見ててくれよ」

 「ああ」

 「じゃあ、アマドキアさん、ズボンを脱ぎますよ」

 「ええ」

 アマドキアは返事をして、ゆっくりと腰を上げた。協力動作があるからやりやすいじゃないかと感心する。

 「いいか、ガーク。アマドキアさんはこうして、自分のできる範囲で、俺たちの介助がやりやすいように動いてくれる。これを、俺たちは『協力動作』と呼んでいる。自分でできる範囲のことはやってもらうのが一番なんだけど、なかには難しい人もいる。そんなときは、俺たちの力だけでやってあげないといけないからな」

 ガークが頷いたのを確認して、俺は先に進むことにした。

 アマドキアが履いていた布おむつは、俺が想像していたような、手ぬぐいや褌のような布を巻き付けているものではなく、馴染みのある紙おむつと同じかたちをしていた。正直助かった。俺は昔のおむつなんか見たことないからな。

 紙おむつでいうテープの部分は、釦でとめられている。俺はそれを外したところで「そういえば、替えのむつきはどこにあるんですか」とアマドキアに尋ねた。

 「箪笥の一番上の抽斗に入っていますよ」

 俺が目で合図をすると、ガークが取りにいってくれた。

 「おお、ありがとう」

 ガークから替えのおむつを受け取り、俺はアマドキアの体を横向きにした。

 「アマドキアさん、おしっこがちゃんと出ていますよ。具合は悪くないですか?」

 「ああ、大丈夫」

 扉をノックする音がした。ガークがそろそろと扉に近づき、少しだけ扉を開くと、オケが浮かんでいた。

 「お湯と手ぬぐいの用意ができましたでぃすよ」

 オケがふわふわと浮かんでいるので、(といえばいいのだろうか)のなかに入っているお湯もゆらゆらと波打っている。

 「ありがとう」

 オケを部屋に招き入れて、再び扉を閉める。

 「お邪魔しますでぃす」

 オケはふわふわと部屋を横切り、アマドキアの寝ているベッドに近づいていった。俺はオケの中に浮かんでいた手ぬぐいを絞って、再びアマドキアの横に立った。

 「ガーク、おむつ交換をするときは、陰部の清潔保持といってな、ここを綺麗に拭いてあげることが重要だ。見た目では分からなくとも、菌が繁殖しているかもしれねえから、できるだけ清潔な状態を保ってあげる必要がある」

 本当は俺も手袋をするのだけれど、生憎ここにはそういうものがないみたいだ。やむなく素手で介助を行うことにするが、本当はあまりほめられた行為ではない。

 「オマエは平気で他人の股間を触るのか!!」

 ガークが素っ頓狂な声をあげた。苦笑する。

 「仕事だと割り切ってるからな」

 「すまないねえ、コタローくん」

 横をむいたままのアマドキアが、背中を俺に向けたまま謝ってくる。謝る必要はないですよと、声をかける。

 ガークに乾いた手ぬぐいを抽斗から出すようにいうと、彼は弾かれたように箪笥に駆け寄って、すぐに持ってきてくれた。

 「おおかた拭き終わったあとは、清潔な乾いた布で水気をとるんだ。ちなみに拭き方にはコツがあって、アマドキアさんは男性だから、ちゃんと陰嚢の裏も拭いてやるのがベストだ。あと、高齢者の皮膚は俺たちに比べると繊細だから、優しく扱わなければならない。まあ、慣れればなんてことはないから、ガークもたまに自分のもので練習してみるといいぞ」

 俺はにやりと笑って冗談をいうと、ガークは真剣な顔をして自分の股間のあたりを見つめていた。イメージトレーニングでもしているのだろうか。

 「拭き終わって皮膚の水気もとれたら、つぎはおむつの交換だ。アマドキアさんには横になってもらっているから、このまま古いぶんを抜き取る」

 アマドキアは痩せ型でそんなに体も大きくないから、介助をする俺たちからすればとても助かる。するんと抜けた汚れたおむつを、くるくると丸めた。

 「汚れものは、ぼ木が預かりますでぃすよ!」

 オケはそう言って、浮かんでいる高度を下げ、俺が手ぬぐいやおむつを彼の頭の中に放り込みやすいように移動してくれた。アマドキア本人の前で「汚れ」という表現はあまり使いたくなかったが仕方ない。俺たち介護職は、相手の尊厳を守るために、言葉遣いのひとつとっても慎重にならなければいけないと教えられたが、その理屈はベリュージオンでも通じるのだろうか。

 「じゃあ、ガーク、よく見ておけよ」

 「ぼ木のことをお呼びでぃすか?」

『おけ』という響きに反応したオケが目を合わせてきた。

 「大丈夫、呼んでない」

 ガークは腕を組みながら、俺の手元をよく見ようと覗き込んできた。

 「いまから新しいおむつを、アマドキアさんの体に装着するんだが、まずは彼の背骨に体の中心線を合わせるんだ。そのときに、おむつの端の腰に当たるラインと、お腹に当たるほうを平行になるように合わせてまっすぐにするといいぞ」

 ガークは無言のまま、俺の手つきをみている。

 「背中側にうまくおむつをあてがったら、アマドキアさんに仰向けに戻ってもらう。そして鼠蹊部に合わせて、前のほうも装着させよう」

 「なるほど、あとは釦をはめればいいわけだな」

 ちゃんと理解できているのか不安だったが、要領は得ているようだ。アマドキアがもう一度腰を浮かせてくれたので、ズボンを元のかたちに履かせてから、「遅くなってすみませんね」と詫びを入れる。

 「アマドキアさん、助かりました」

 「コタローくんは、人に教えながらでも手際がいいですね。さぞ頭がいいんでしょうなあ」

 アマドキアが穏やかな口調で手放しに褒めてくるので、俺は途端に照れくさくなった。

 「君のような若者が、すすんで我々老人の世話を焼いてくれる。これほどありがたいことはありません。老い先短い我々が、若者の貴重な時間を奪うわけにはいかないと思っていても、自分ではどうもなりませんし、やはり助けていただくほかありませんからね」

 「アマドキアさん、俺は、こういうのは生きている以上、平等に、順番にやってくるものだと思っています。俺も何十年後かには、誰かの手を借りて生活しているかもしれない。そのときに抱く感情も、いまの俺にはまだ分からないし、心の底から相手に対して申し訳ないと引け目を感じるのかもしれない。だけど、人生の終わりにそうなったとしても、自分が嫌になってしまわないように、俺はそれまでを懸命に過ごそうと思っています」

 ばあちゃんが認知症になって、俺が介護を一手に引き受けなければならなくなったとき、正直にいえば、なんで俺がこんなことをしなきゃいけないんだと思った。自分のやりたいことも好きなことも後回しにせざるを得なかったから、ばあちゃんのために生きるだけの日々が続くように感じられて心が折れかけたけれど、俺がここでやさぐれてしまえば、ばあちゃんが死んだあとに、絶対に後悔をすると思った。

 俺たちは、そのときにどんなにベストな選択をとったと思っても、あれやこれやと後になって悔やんだり反省したりするいきものだ。ならばその後悔が最小限で済むように生きていかなければならない。

 「最初はばあちゃんのため……、というか、介護について色々知っていけば、自分の気持ちが少しでも楽になるかもしれねえっていうほとんど自己満足に近いきっかけではじめた仕事だけど、いまは自分の身につけた知識や技術で誰かの役に立てるのが嬉しいんです」

 それは俺の素直な気持ちだった。ガキの頃は、サッカー選手になりたいなどと、身の丈に合っていない幻想を抱いていたけれど、大人に近づいていくにつれて現実を知っていった俺は、やがて自分の夢を見失っていった。将来に対する漠然とした不安を抱きつつも、ばあちゃんの世話に追われていた日々。あのとき、どこかに置いてきてしまった大袈裟な夢の代わりに拾い上げた目標を頼りに、考えてもいなかった新しい道のりを歩いてきた。

 「コタローくん、君はわたしが出会ってきた若者のなかでも、特に立派な方だ。これからも君と、君の仲間たちにわたしのことをみてもらえないだろうか」

 「もちろんっす! ここにいるガークにも、部屋の外で待ってくれているみんなにも、介護のことをいろいろと覚えてもらって、アマドキアさんの生活を支えられるよう、尽力しますね!」

 そして俺も。ベリュージオンのことを覚えて、一刻も早く世界に馴染まないといけない。

 嬉しそうに顔を綻ばせてくれているアマドキアの表情をみて、俺の鼻の奥がツンと痛んだのは内緒だ。俺がしたことによって、誰かが笑顔になれるって、これほど嬉しいことはないよな。

 「飯、まだですよね。夕飯は俺が作りますよ。台所を借りてもいいですか」

 「ああ、好きに使ってくれ。ツヴァルザランが買い置いておいた食材もあるだろう」

 「じゃあ、出来るまで、ちょっと待っててくださいね」

 俺はぺこりと頭を下げて、ガークとオケを引き連れて部屋を出た。

 「ぼ木はこのお召し物と手ぬぐいを、坊ちゃんとともに洗ってきますでぃすよ」

 「ああ頼んだ」

 まずは手を洗わないといけないな。見たところ、台所に二人分の歯ブラシがささったコップが置かれているから、流しを洗面所の代わりに使っているのだろう。

 「ツヴァルザランさん、手はここで洗えばいいか?」

 「ええ、どうぞ」

 ちょっと原始的な竜族の集落とは違い、ダインズヴェルシュの住民たちの家は、俺にも馴染みの深い設備が整っている。おかげで仕事もやりやすそうじゃないか。


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