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第三話⑦

「おはようございます、アヴァリュートさん」と、事務所の扉を開けて、筒原さんはアヴァリュートに声をかけた。


『うむ』


「夜はよく眠れましたか」


『ああ、目覚めは良い。だが、なぜ儂はここにいるのだろうか』


「久しぶりに月明かりの下で眠りたいって言ってたじゃないっすか」


 俺はすかさず口を挟む。ううむとアヴァリュートが唸って、『そうだったか』と呟いた。


 アヴァリュートは、昨晩の記憶がすっぽりと抜けているのだ。


「筒原さん、俺の見立てですけど……」


 そう言って、小声で話す。「アヴァリュートは、昼間はまだしっかりしているけれど、夜になると症状があらわれやすいんじゃないかって……」


「そうね、まだ閉じ込められていた洞穴から出てきてすぐだから、結論を急ぐのは早いけど、充分に考えられる可能性ね」


 そうだ。介護は、ひとつのことに固執して決めつけてはいけない。


「じゃあ、今日も、アヴァリュートさんのそばについて、彼のことについていろいろ知っていきましょう」


 おお。筒原さんはやる気満々だ。やっぱり介護という仕事が好きなんだな。




 朝の日差しが高くなってきた頃、ガークはこもれびの杜にやって来た。一緒にサティーもいる。


「おはよう!」


 俺の挨拶に、ふたりはぺこりと頭を下げてみせた。


「……じいちゃんは、大丈夫だったか?」


「ああ、心配すんな」


 大丈夫じゃなかったけどな。「夜はだいたい、静かに寝ていたよ」


 それだけ言えば、ガークは安心してくれるだろう。


「じいちゃんおはよう。よく眠れたか?」


『ガーク、貴様、儂を年寄り扱いしおって』


「扱いじゃなくて、年寄りなんだから仕方ねえだろ」


 軽口を叩くガーク。それを微笑ましげにみているサティー。俺……どころか、筒原さんやばあちゃんが生きてきた以上に長い時間を幼馴染みとして過ごしてきた彼らの親密な関係性が垣間見える。


「コタロー、なんだか眠そうだが、寝ていないのか?」


 俺が朝陽に目を瞬かせているのを、ガークは目ざとく見ていたらしい。俺のほうへ近づいてきた。


「ああ、でも、気にすんな」


「もしかして、じいちゃんのせいか?」


「俺が好きでやったことさ」


「そうか、すまなかった」


 ガークは察しがいいから、俺が誤魔化してもすぐに真実を見抜くだろう。だったら、最初から正直に言っておいたほうがよさそうだ。


「コタロー、オレからも報告がある」


 ガークがそう言ったときだった。


「あんれえ!?」


 俺の背後、つまり、こもれびの杜の事務所の中から、ばあちゃんの素っ頓狂な声が聞こえてきた。


「ばあちゃんっ!」


 急いで中に入って様子を確認する。ばあちゃんは、自分が夜に寝ていた布団の上に立ち、きょとんとした表情で俺の方を振り返った。


「ああ、コタロウくん、よかったよかった。良かったですよお」


「突然大きな声を出してどうしたんだよ。外にまで聞こえてきたぞ」


「ごめんねえ、ばあちゃん、頭が耄碌していますからね、まーた夜にほっつき歩いて、一人で、全然知らないところまで来ちゃったのかと思ったんですよ。コタロウくんがいるなら、大丈夫ね」


「ああ、ばあちゃん、なにも心配しなくていいよ」


 ガークやアヴァリュートに関する記憶もなくなっていたとしたら、また騒いだりしないかと心配になる。


「だけど、ここはいったいどこなんだい?」


「家じゃないことだけは確かだな」


 俺の返事に、ばあちゃんはそうだねえと呟いた。




 俺はばあちゃんと一緒に、再び外に出た。ガークやアヴァリュートの姿を見た途端、案の定ばあちゃんは「ひょおおお」と奇声をあげて驚いた。なんて声を出してんだと、心の中で盛大にツッコミを入れる。


「キョウコさん、おはよう。今日も世話になるぞ」


 ガークがトコトコとこちらに近寄ってきて、ばあちゃんに向かって微笑んだ。


「あれあれまあまあ、色男さん、そんな格好でこんな老いぼれを誘惑しても、出涸らししか出ませんよお」


「ガーク、ばあちゃんのことは気にしなくていいから。アヴァリュートさんと一緒なんだ」


 それだけ言うと、ガークは理解してくれたようだ。いくらなんでも、本人の前で「ばあちゃんは認知症だから、ガークのことを忘れてる」とは言えない。


「これがオレの衣装なんだ」


「どこかの民族さんですかねえ。大きなトカゲさんをペットに遊牧でもしているんですか? それにしても、本当に大きなトカゲさん。いったい、コタロウくんの何倍あるんでしょうねえ」


「ガーク、さっきなにを言いかけたんだ」


 ばあちゃんの会話に付き合っていたら、今日一日が終わってしまいそうだったので、俺は話題を変えた。


ああ、とガークは頷く。


「昨夜、サティーにも協力してもらって、集落のみんなにじいちゃんのことを受け入れてもらおうと思って、改めて説得を試みたんだ」


 ガークの表情は晴れない。やはり、彼らの考えを変えることは無理だったか。


「あたし、ガークにちょっとだけ入れ知恵をしたの」


 サティーがガークの隣に立つ。手入れの行き届いた艶やかな髪がふわりと揺れる。何か、いたずらが成功したときに子供がするような、得意げな笑みをみせてきた。


「そうだ。サティーからの助言を受け、オレは新たな提案を行なった。そもそも、今回の件は集落に危険が及ぶかもしれないからといって決まったことだ。だったら、じいちゃんを集落に入れなければいい。たとえばここで、環境を整えて、じいちゃんの家を作るのはどうかと」


「あたしはそこまで言ってないけどね。長老の家を作るっていうのは、ガークのアイデアだよ」


「オレたちに同情してくれている民たちは、賛成してくれた。オレのことをあまりよく思っていない者たちは、肯定も否定もしなかった。だからオレは、それを逆手にとって、好きにやることにした。……コタロー、責任はオレが持つ。だから、手伝ってもらえないだろうか」


 ガークはそう言って、静かに頭を下げた。こいつはもともと姿勢がいいから、なにをやってもさまになるなと思う。


「そんなにかしこまらなくてもいいよ。わかった。俺にも手伝わせてくれよ。どうせやることもないし、ちょっと困ってたんだ」


「なんだか、楽しくなってきたわね」と、筒原さん。好奇心は、いくつになっても持ち合わせておくものだ。そうすれば、いつまでも元気でいられるかもしれないからな。


 ガークの提案のおかげで、この世界に送られてきて、なにをして生きていけばいいかわからずに途方に暮れていた俺たちの、とりあえずの指針が見つかったような気がした。


「アヴァリュートさんが入れるような家を造るとなると、結構な材料が必要になるんじゃないか?」


 俺には建築の知識がないから、そんな大雑把なことしか言えない。


「木なら、この森にいくらでもある」


「村おこしでもするんですか?」


 ばあちゃんがよたよたと近寄ってきて、ガークに聞いた。


「ご婦人、なにかこうして欲しいという希望はあるか?」


「うーん、そうだねえ。ばあちゃん、コタロウくんに言われて、こんな山奥に引っ越してきてしまったみたいだからねえ。畑でもあったほうが助かるねえ。この老いぼればあさんが小さい頃は、家族総出で畑仕事をしたもんですからね」


「畑かあ」


 自分たちで食料を調達しなければ、この世界では食っていけない。ホライゾンを使えばなんとかなりそうだけど、それもいつまで使えるかは分からないし、ばあちゃんの認知症の進行を抑えるためにも、そして俺たちのこの世界における役割を見い出すためにも、畑はあったほうがいい。


「そうね、田舎生活だと考えればいいのね」


 筒原さんも賛成のようだ。


「ガーク、この土地に俺たちが住む環境を整えてもいいか?」


「ああ構わない。オレたちも協力する」


 決まりだな。俺たちは利害が一致した同士のように、互いに拳を突き合わせた。

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