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第三話⑥

 異変が起きたのは、その日の夜のことだった。寝床についていた(といっても、こもれびの杜の事務所の床に布団を敷いただけだ)俺は、物音がしたような気がして、目が覚めた。むくりと上半身を起こして確認すると、やっぱり外でごとごととなにかを揺らすような音がしている。立ち上がり、戸口に手をかける。


——夜襲か? と、元いた世界で平凡に暮らしていたら、到底思い浮かばない展開を想像する。


 こもれびの杜に、危険が及ぶかもしれないという予感など、頭からすっぽり抜けていて、飛び出すようにして外の様子を確認しにいく。


「おい! なにやってんだよ!」


 目の前に飛び込んできた光景に、俺は思わず大きく叫んでいた。


『誰だ貴様は! なんだこの建造物は! 我々竜族の領地に無断でこのような建物を建てるなど……』


 アヴァリュートの巨体がこもれびの杜に覆い被さり、建物を根こそぎ破壊しようとしていた。


「やめろっ! おい!」


 俺はアヴァリュートの尾の先にしがみついて、制止しようとした。もしもこのまま建物が崩れるなんてことになれば、筒原さんとばあちゃんにも危険が及んでしまう。最悪の事態になる前に、なんとかしないと。


 アヴァリュートは俺を見るなり、『誰だ貴様は』と言った。つまり、いま彼の記憶の中では俺の存在を忘れてしまっているということだ。


 俺がアヴァリュートの尾に密着したところで、彼の暴走を止められるわけはない。ガークは「オレも今宵はここにとどまるぞ」と言ってくれてはいたが、そんな必要はないといって、集落に帰してしまった。数時間前の自分に、心の中で恨み節を唱えながら、どうしたものかと思案する。


 人間が暴れているだけだったら、最悪、羽交い締めにして制止すればなんとかなるかもしれないが、相手は竜だ。いままで架空のいきものだと思っていた存在が実体となって目の前にいるのだ。初めての経験に、心がすくむ。介護の知識はあっても、実際の現場でそれを活かせるかどうかは別だ。予想もしていなかったことが起こるのは茶飯事だけれど、そのことにいちいち狼狽えるのもまた、おなじだった。


——どうする、俺……。


 真夜中。ベリュージオンの上空は、地球のそれと同じくらいに星が瞬いている。青色の月が——ここでは月と呼ぶのかはわからないが、色は違っていても形はよく似ている——、雲の隙間から少しだけ顔を覗かせている。時折そよぐ風は、昼間とはちがってひんやりと涼しい。


「アヴァリュートさん、あぶないっすよ!」


 俺は尻尾から離れて、アヴァリュートに呼びかけた。「そんなことをしたら、ガークくんに怒られますよ!」


『貴様、ガークを知っているのか?』


 アヴァリュートの動きが止まる。俺を見る。『ガーク』という、アヴァリュートにとって聞き覚えのある名前に、脳が反応したのだろう。


『それに儂の名も……ロイメン、貴様は我々の顔見知りであったか?』


「やだなあ、アヴァリュートさん、俺ですよ、お・れ!」


『ふむ』


 アヴァリュートは思案する。おれおれと連呼してしまっては、高齢者を狙って頻発した詐欺の常套句みたいだと、心の中で苦笑した。


「ガークの友人か」


 ほんとうにガークに、そういう存在がいるのかはわからない。アヴァリュートの頭の中で、脳が勝手に判断して作り話をしているだけかもしれない。現実にありもしないことを本人がそうだと思い込んでいる可能性がある。


 ガークの口からは、一度も「ロイメンの友人がいる」という話が出たことはないからだ。認知症の人が作話をするときは大体、「今さっきわたしの娘がもってきた百万円を知らない? あなた、持って帰ろうとしてるんじゃないでしょうね」などといった突拍子もないことをいわれて困るのだけれど、今回ばかりは俺の都合のいいように解釈してくれたみたいだ。助かった。


「そうです、俺はガークくんの友達の虎太朗といいます。実は、ここからずっと遠い場所で暮らしていたんですけど、住む場所を追いやられてしまって、ガークくんに相談したら、ちょっとくらいならこの森に住んでいいっていわれたので、場所を借りています」


 まるで値踏みするかのような視線を浴びて、俺の体は硬直する。あまりにも下手な作り話だったかと冷や汗をかいたが、アヴァリュートはやがて『そうか』と頷いてみせた。


 友達のことはさておき、じゃあこの建物はどこから湧いてきたんだとか、そういう返答に困るようなことを継ぎ足しで問われたらどうしようかとひやりとしたけれど、今のところ大丈夫そうだ。


「それよりアヴァリュートさんこそ、こんな夜にどうしたんですか?」


 話題を変える。目下の脅威を取り除くために、アヴァリュートが今やろうとしたことを「忘れさせる」必要がある。


『うーむ』


 アヴァリュートが短く唸った。ぐわりと巨軀を動かして、地面に降り立つ。地面から上空に向けて風が舞い上がり、俺のシャツがふわりとはためいた。


『儂は……儂はなにを……』


 てめえはこもれびの杜の建物に覆い被さって、破壊しようとしてたんだろうが……とは言えなかった。


「アヴァリュートさんは、ガークくんに頼まれて、俺たちの寝床の警護をしてくれていたんですよねっ! でも、俺が邪魔しちゃったみたいで、すみません」


『ああ……かまわぬ。案ずるな』


 アヴァリュートはなにかまだ腑に落ちていないような声色のまま、穏やかにそう言った。急に変な回路にスイッチが入らない限りは、また暴れ出すこともなさそうだ。


『朝までここで、見張りをしていればいいんだったな』


「そうっすね。お願いしますよ、長老さん!」


 認知症の人は、自分がもの忘れをすることを誤魔化すことがうまい。虚勢を張るためなのか、自分の記憶がないことを認めたくないからなのか、とにかくその場しのぎのように周りの人の言うことを鵜呑みにして、話を合わせようとすることがあるのだ。……たまに「そんなはずはない!」といって逆上する人もいるけれど、アヴァリュートはそういうタイプではなさそうだ。


 かつては竜族の戦士として一族を守るために、自身も集落の警護についたことがあるかもしれない。『長老』という立場にある者が、一族のなかでどういう役割を担っているのかはわからない。ただ、病気を患った年寄りは、過去の自分の立場に固執している場合が多い。自分が一番活躍していた時代。それは人生の中で、最も充実していたときであっただろう。


『あいわかった。この場所の警護は、儂に任せろ』


 アヴァリュートは、心なしか得意げにそう言ったように聞こえた。自分がいま何をすればいいのか不安なとき、誰かに役割を与えられたら、自分の存在意義が認められたようで嬉しくなる。それは年齢に関係なく、みんなそうだよな。




 じゃあよろしくと言って、俺は事務所の中に戻った。扉を閉めて、窓の隙間から外の様子を観察する。アヴァリュートはおとなしくなって、事務所の入口の近くで丸くなっていた。


——今夜は夜通し観察だな……。


 これは夜勤とおなじだ。一人の要介護者を夜通し見守ること。


 ばあちゃんのいびきが微かに聞こえてくる。今夜もちゃんと寝てくれているようだ。最近のばあちゃんは夜中に起きて、動き出してしまうということはあんまりないけれど、昼夜逆転といって、昼間に眠りこけて、夜になると目が冴えて活動的になってしまう人もいる。そうすると、周りの介護者はたまったもんじゃない。基本的に社会生活において、人間は、昼に活動して夜は寝るというサイクルが定着しているからな。


 これ以上なにもおこしてくれるなよ……という俺の願いが、ベリュージオンを統率する神様(そんなもん、いるのかどうかはしらないけど)に届いたのだろうか、アヴァリュートは朝まで落ち着いていた。ちなみに、俺が頼んだことはやがて忘れていったのか、彼はしばらくすると気持ちよさそうに眠っていた。




「あれ? 空野くん、寝てないの」


 日が昇ると、一番に起きてきたのは筒原さんだった。さすがに連日俺やばあちゃんと一緒の空間に眠るのは気が引けたのか、更衣室に布団を敷いて寝るようにしたのだ。


「ええ、ちょっと……」


 俺はそう言って、真夜中にこの事務所が崩壊の危機を迎えたことの始終を話して聞かせた。


「まあ、そんなわけで、俺が夜通しアヴァリュートを見張っていたわけです」


「空野くん、そこは見張るじゃなくて、『見守っていた』でしょ」


「……そうっすね」


 そうだ、これも介護の仕事をしているようなもんだ。


「一度落ち着いたあとはずっと寝てくれていたから、助かりました」


「うーん、あんなに大きなドラゴンが暴れ回って、手がつけられなくなっちゃったら、私たちどうしたらいいのかしら。空野くんが勇み足で事を進めちゃったもんだから、竜族のみなさんにはいまの状況を受け入れてもらってないんでしょう?」


「ええ、まあ……」


「幸いなことに、ガークくんからは受け入れてもらったようだけど。まあ、アヴァリュートさんの唯一の家族が貴方の行動を支持してくれてるんなら、よかったじゃない」


「筒原さん」


「なあに?」


「筒原さんはどうして、今の状況を冷静に受け止めているんですか?」


 俺は話題を変えた。自分の勇み足に関しては、あまり突っ込まれたくない。


「私はね、貴方のこれまでの人生よりも長い時間を、この仕事につぎ込んできたの。数えきれないほどの訳のわからないこともたくさん経験してきたわ。そうすると、段々と、突拍子のないことに直面しても、『ああ、そんなことか』って思ってしまうようになったの。今回の件も、こうなっちゃったもんはしょうがないじゃない。目の前で起きていることは、どんなものであっても、受け入れるしかないのよ」


 赤いちゃんちゃんこを贈られるような年齢に達すると、人生を達観できるようになるのだろうか。俺にはまだわからない。


「じゃあ、この世界で最初の利用者さんの様子を見にいってみましょうか」


 俺はやはり、いい上司をもったようだ。介護の世界はどういうわけか、職場の人間関係が原因で職を転々としている人も多いらしい。その点では俺の社会人としてのデビューは恵まれていたといえるだろう。……今となってはもう、元の世界のどこにも転職をする手立てはないんだろうけど。

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