3.もう一度、運命を織り直す⊕
日本から魔術学院へ向かうには、魔術を使わずに移動する必要がある。
というより、魔術学院への入学が許可された者は、魔術協会が用意した特別な旅券を使い、正式な手続きを経て英国へと渡ることになっている。
だが、その実態は決して華々しいものではなかった。転移魔術を用いるわけではなく、まず新幹線で成田空港へ向かい、そこから魔術協会の影響下にある空港関係者が手配した特別機に搭乗する。
特別機とはいえ、それほど豪華なものではなく、座席数は二十席ほど。最低限の設備しか整っておらず、一般の国際線よりも質素な機内だった。
狭い機内には、これから魔術学院に入学する魔術師の卵たちが座っている。興奮を隠せない者、不安そうに窓の外を見つめる者、静かに本を読んでいる者──その顔ぶれは実に様々だった。
(……こうして見てみると、見たことがある顔ばかりだなあ)
陽子は、何気なく視線を巡らせる中で、一人の少年に目を留めた。
二十年後の未来では東北支部の支部長を務めることになる魔術師。
髪は短く整えられ、知性を感じさせる鋭い目つきをしている。未来の彼を知っているからこそ、今の未熟な雰囲気が妙に新鮮だった。
(名前までは思い出せないけど……間違いなく、彼は大成する)
陽子はふと、自分の隣の席に座っている少女に目を向けた。
鮮やかな金髪をポニーテールに結び、快活な雰囲気を漂わせる少女。
未来では関東支部のベテランエージェントになると、ジェイムズから聞いていた。
「へー! すげえな! 協会はこんな特別機をいつも用意してんのか?」
「そんなわけないでしょ。私が聞く限り、奇跡管理部の構成員なんかは普通にエコノミークラスで移動してるわよ。ただ、私たちは魔術学院の特待生だから、この特別機が用意されてるの。それだけ未来を期待されてるってこと」
「ふーん。でもさ、この飛行機、エコノミークラスより狭くね?」
「……それは、まあ。魔術の秘匿のため? じゃないかしら」
他愛のない会話が続く。
(……ああ、そうだった)
彼らもまた、この学院生活の中で数々の試練を乗り越え、一流の魔術師へと成長していくのだ。
しかし、全員が生き残るわけではない。陽子の記憶にない顔の者たちは、おそらく……。
考えたくもない未来が脳裏をよぎり、陽子は小さく息を吐いた。そうだ。運命という物はなかなかに変え難い物なのだ。それは、身に染みてわかっている。
そんな中、機内アナウンスが響いた。
『間もなく、ロンドン・ヒースロー空港に到着します。シートベルトをお締めください』
その声を合図に、乗客たちは各々シートベルトを締める。そして、十数分後──飛行機は無事、ヒースロー空港に到着した。
◆
空港からタクシーで移動すること約一時間。陽子たちは、魔術協会の総本部がある時計塔へと到着した。
総本部は、時計塔のとある部屋の扉を境に異界化しており、その内部は広大な島のような空間になっている。
この島にはいくつもの大きな屋敷が建っており、そのうちの一つが、陽子たちが生活する拠点となる場所だ。
魔術学院は、総本部のあるエリアとは対角線上──島の反対側に位置している。
陽子たちはまず寮に荷物を運び、その後、魔術学院の校舎へ挨拶に向かうことになった。
他の魔術師の卵たちは、新鮮な景色に目を輝かせながら辺りを見回している。しかし、陽子にとっては見慣れた風景だった。
手続きを一通り終えた後、陽子は魔術学院の教授たちの研究室のひとつを訪れた。
「お久しぶりです、師匠」
室内には、書物と魔術器具が乱雑に並び、窓の外には幻想的な夜景が広がっていた。
陽子の挨拶に、机に向かっていた男が顔を上げる。
「やあ、久しぶり。……いや、今回ではここが初対面だから、初めましてと言うべきかな?」
軽く挨拶を返したのは、この研究室の主であり、陽子の魔術の師匠でもあるエリオット・ペンデュラムだった。彼も陽子と同じく時を周回している者の一人だ。だから本来なら初対面のタイミングだが、もう見知った挨拶からになる。これも恒例行事みたいな物だった。
相変わらずの落ち着いた雰囲気と、人好きのする笑み。その表情の裏に滲む微かな疲労の色に、陽子の胸が痛む。
「それで? 今回は入学前に意識が戻ってきたのか?」
「ええ、そんな感じです。……お師匠も、相変わらず六年間を周回し続けているんですね」
「ああ。もう五百回目くらいだったかな。数えるのも面倒になってきたよ」
エリオットの口調は軽いが、その言葉の重みは計り知れない。何度繰り返しても、彼の運命は変わらない。
「……貴方は四年半後に何者かに殺される。そして、私に輪廻遡行の魔術を施しながら、自分の死の運命を変えようとはしない。なぜです?」
陽子が問いかけると、エリオットは苦笑する。
「前にも言ったろう? 君が負う未来の運命を捻じ曲げないためさ。もし私が死ななければ、君が体験してきた未来の出来事が変わってしまう可能性がある。私が君に背負わせたものは、私の命よりも重いんだ」
「それは……分かります。でも……」
陽子はため息をつく。理屈としては理解できる。ただ、どうしても納得はできなかった。
「……まあ、そうだな。私はまた君を遺して死ぬことになる。それでも、私の死によって守られる未来があるのなら、喜んで命を差し出そう」
「……納得しかねます」
「まあ、そう言うと思ったよ。でも、私は君の師として約束しただろう?」
それは、エリオットが最初に死ぬ直前に交わした約束だった。
「……貴方の死の運命を回避させるために、輪廻遡行を使わないこと。それが約束でした」
「ああ、その通りだ。だから私はこの運命を受け入れる。私は自分の運命を変えられなかったんだ。それに、私が死ぬことで君の未来が守られるなら、それでいいじゃないか」
「……分かりましたよ」
陽子は渋々と頷く。エリオットは、そんな彼女の様子を見て微笑んだ。
「そんなに気にするなよ。私が死ぬのは必然なんだから」
「……そうですね」
「ああ、それよりも、未来の進捗はどうだ?」
「ええ。何度も失敗した輪廻遡行を、ようやく私の見込んだ少年に仕込むことができました」
「ほう、それはすごいな。さすがは『黒の姫君』と恐れられるようになるだけのことはある」
「……その二つ名、もう聞き飽きましたよ」
陽子が溜息をつくと、エリオットは楽しそうに笑った。
「まあまあ、いいじゃないか。……それより、来年ジェイムズ君が入学してくるだろう? いつものアレ、今回は受け入れてあげたらどうだい?」
「私はお兄ちゃん以外に興味はありません。それに、彼の運命の人は私じゃありませんから」
「やっぱりそう言うと思ったよ」
エリオットが呆れたように笑う。陽子は扉へと向かいながら、最後に振り返った。
「……じゃあ、また。遊びに来ます」
「ああ、また。学院生活を少しでも楽しむと良い」
そうして、陽子は研究室を後にした。




