8.イヴの保護と姫咲かりん⊕
喫茶店から出た後、香月達は満月亭に向かった。
突拍子もないお願いに、イヴは戸惑いながらも快諾してくれた。ジェイムズに連絡すると彼女を連れてくるように言われたが、支部の集会所に行くと伝えるとイヴは少し不安げな様子ではあった。
クレアはというと、イヴの保護には懐疑的だった。
『ねえ、本当に大丈夫なのかな。保護だなんて』
イヴには聞こえないようにだろう、伝声で香月に直接話しかけてくる。香月はそれに平然とした様子で言葉を返した。
「イヴに記憶操作魔術が効かないのはわかっているだろ。得意体質なんだ」
急にクレアに向かって独り言を言い始めたように見えたのか、イヴが不思議そうに二人を見る。香月は気にせず続けた。
「俺の時もそうだったんだ。俺が義理の親父に拾って貰ったのは魔術師としての適正を見抜かれてだ。イヴには魔術が効かないっていうとんでもない素質がある。だから保護する」
『ジェイムズのおじ様の許可なしに?』
「きっと、わかってくれるさ」
クレアは不満げな様子だったが、香月は気にする様子はなかった。
三人が満月亭の前に到着する。
「予約で三名の大神でーす。マスター、開いてる?」
合言葉とノック4回。
「開いてるよ」
中からジェイムズの声が聞こえ、促されるように中へ入った。
店内はがらんとしていて、ボックス席にもカウンター席にも誰も来ていなかった。ジェイムズはカウンターから迎えてくれた。香月達はカウンターに座った。
「話は聞いたぞ。記憶が残ってたそうだな……。清香が使った忘却の魔石の方も調べてもらったが、特に問題がなかったそうだ」
清香というのはイヴの聞き取りを担当した、女刑事に扮した処理班の構成員の事だ。
「ジェイムズ──」
「まあ待て」
香月が言いかけるのをジェイムズが止める。
「まず結論から言うぞ。魔術協会は彼女を保護する方向に決定した」
「ん? 魔術協会はだって? 総本部の採決がもう降りたのか? 話が早くて助かるが、連絡してここまでに来る十分間でか?」
ジェイムズの発言に香月は怪訝な顔をする。ジェイムズは首を振った。
「いや、総本部の採決はまだだ。だが、日本本部議会からの勅命が下ったんだ。とある外部組織からの依頼があってな。これは魔術協会始まって以来の出来事だ」
「え──」
ジェイムズの言っている意味がすぐに呑み込めず、香月とクレアが戸惑った表情を浮かべる。ジェイムズが続ける。
「お前達が彼女をつれてきてちょうど良かったのさ。教皇庁からの依頼だ。それで東京の日本本部が彼女の保護に動いた」
「総本部の採決を待たずにか。しかも教皇庁って」
「そうだ。さっきも言ったが異例の事だ。今夜、教皇庁の使者がここに来る。詳しい話はその時にするが──」
ジェイムズがイヴに深々と頭を下げる。
「不躾で申し訳ない。魔術協会日本中部支部の支部長をしています、ジェイムズ・ウィルソンと言います。初めまして」
「ど、どうも……」
イヴは突然かしこまったジェイムズに戸惑いながらも挨拶を返す。ジェイムズが言葉を続けた。
「イヴさん、まだ理由はお伝えする事はできないのですが……。貴方が二人から聞いた通り、貴方には非常に強力な魔術への耐性があるそうです。それ以外にも、恐らく色々な強力な力をお持ちである可能性があります」
「は、はあ……」
イヴは呆けた返事を返した。
「魔術協会が貴方を保護をするのに、もちろん理由があります。貴方のその力は……おそらく、世界中の全ての魔術師が欲した物なのです」
ジェイムズの言葉にイヴがはっと息を吞む。ジェイムズの表情は曇っていた。
「貴方に害をなす者が現れるかもしれません。貴方がそれを退ける事ができるならまだ良いのですが……その可能性は低いでしょう。その力を狙うものがいるかもしれないのです」
「……」
イヴの顔に不安の色が滲む。
「貴方が我々の事を信用できない、というようでしたらそれで構いません。どうか、誤解しないでいただきたいのですが……。何か困った事がありましたら、我々に相談して下さっても構いません」
ジェイムズはそこで一息ついた。
「……ですが、魔術協会も一枚岩ではありません。中には貴方を利用しようと考える者も出てくるでしょう」
イヴの顔色が青くなるのを香月とクレアは見逃さなかった。
「そういった者達からも貴方を守る為、我々は貴方を保護する事にしたのです。もちろん、貴方のその力を利用しようとするものがいたら、全力で阻止します。ただ、それだけはご理解いただきたい」
「わかりました……」
ジェイムズの説明にイヴがこくりと頷く。ジェイムズは続けた。
「この事は魔術師の世界にまだ知られていません……。しかし、今回の事件の主犯であるデヴィッド・ノーマンのように貴方の力に気付いて手に入れようとする者達が他にも現れる可能性があります。もし、貴方さえよろしければなのですが……」
そこでジェイムズは少し言い淀んだ。
「何か……?」
イヴの不安げな表情を見てとって、ジェイムズは言葉を継いだ。
「貴方の安全が確保されるまで、我々と行動を共にしては貰えませんか?」
ジェイムズが告げた後、イヴは黙り込んでしまった。
「もちろん強制ではありません」
ジェイムズが言い添える。香月とクレアも口を挟む事はしなかった。四人の間に沈黙が流れる。店内にはジャズのBGMだけが静かに流れ、客のいない満月亭は静寂に包まれていた。
どれだけ時間が経っただろうか、ようやくイヴが口を開いた。
「私は……どうしたらいいんですか?」
今にも消え入りそうな、小さな声だ。
「それは貴女が決める事です」
ジェイムズが答えた。
「……私が決めていいんですか?」
イヴはジェイムズの目をしっかりと見つめ、そう言った。
「もちろんですとも」
ジェイムズは答えると、カウンターの表の方まで回るとイヴへと歩み寄りその細い肩に優しく手を乗せた。そして再び香月の方を向き直る。
「すまない、カヅキ。この話はもうしばらく彼女にゆっくりと考えて貰う時間が必要だ。お使いを頼まれてくれないか」
「お使い?」
「呼んできて欲しい奴がいる。彼女の力をより詳細に知る為だ」
イヴの説得には時間が掛かりそうだった。その間に彼女の特異体質をより正確に知る為の人員を用意しろとそういう事だ。
「わかった。それで、誰を連れてこれば良い?」
香月が答えると、ジェイムズは少々のため息混じらせて言った。
「今頃眠りこけているウチの調査班のエースだ」
◆
ジェイムズとイヴを残し、香月はクレアと共に満月亭を出た。外はいつの間にか雨が降り始めていた。傘を持っていなかった香月達は、近くのコンビニでビニール傘を買ってから目的地へと向かった。
指定された住所は栄四丁目から徒歩五分の場所にあるマンションだ。隣がコンビニになっているので迷う事はないだろう。雨に濡れないように小走りで向かう。五分後、マンションに着いた。そこの403号室に目的地の住所はあった。
教えられていた暗証番号を入力すると開錠音が聞こえ、オートロックが解除された。二人は中に入りエレベーターで目的の部屋を目指す。目的の部屋の前まで来ると香月は渡されていた合鍵を使って玄関を開けた。
「何でジェイムズが合鍵持ってるんだろうな……」
『召集かかっててもよく寝坊するから、起こしに行ってるって話らしいよ。おじ様が合鍵を無理矢理作らせて』
「まあ、あいつならそうだろうな……」
室内はワンルームだったが一人暮らしには十分すぎるほどの広さだった。家具も一通り揃っており、生活に不自由はしなさそうだ。
それにしても、床に散らかっているいくつもの酒の空瓶が気になるところではある。これが本当に女の一人暮らしの部屋なのかと思ってしまうほどだ。
「おーい、起きろー」
香月は部屋の奥に行き、ベッドで寝ている人物を揺すった。その人物は布団にくるまり、「うーん……」と唸る。
「おいこら、かりん起きろー」
香月が布団をひっぺがそうとするとようやく目を覚ましたのか、その人物は目をこすりながら上体を起こした。赤いドレス姿でそのまま寝ていたらしい、布面積が少ない衣装だっただけに露わになった肩やら胸元の部分が目に刺激が強い。そして寝ぼけた声で言う。
「ふわ……もう朝なの〜?」
「もう夕方だよ」
「ん……なんだあ。カヅキ君かあ……ジェイムズじゃないのね……」
ホワホワとした口調でそう言うとかりんは再びベッドに倒れてしまった。
「おい、起きろって」
「んー……だってぇ……昨日は朝までアフターだったんだもーん。お酒も沢山飲んだんだよ〜。もうちょっと寝させてよぉ……」
香月が布団を引っ張って起こそうとするが起きようとしないので、クレアに視線で合図を送る。クレアはこくりと頷くとかりんを掴んでベッドから引きずり下ろした。
「ちょ、ちょっとぉ……何なのぉ〜?」
かりんが慌てて立ち上がるとドレスのスカート部分がずり落ちそうになり、それを手で押さえた。
「カヅキ君、デートのお誘いにしては積極的過ぎないかなぁ〜」
不満げに唇をぶりぶりと尖らせて文句を言ってくる。
彼女は姫咲かりん。表の職業は名古屋の大繁華街である錦三丁目の高級店で働くキャバ嬢だ。そして、その裏で魔術協会日本中部支部の調査班で精神干渉魔術と鑑定魔術の専門家として働いている。こんなでも日本では名の知れた魔術師の家系の出だ。
綺麗な顔立ちに、スタイルの良い身体。ピンク色に染めたウェーブのかかった髪は背中まで伸びており、ぱっちりと開いた大きな青い瞳はアクアマリンのようだ。幼さを感じるどちらかといえば童顔なタイプだが、彼女は美女と呼ぶに相応しい。
「昨夜はお客さんが昂っちゃって、い〜っぱいお酒飲んだんだよぉ〜。頭ぜぇ〜んぜん、動いてないからお出かけは無理だよぉ〜……」
だが、基本的に酒に酔っている姿しか見た事がない為に香月からは単なる酒好きの酔っ払いとして認識されていた。
かりんは床に座り込むとベッドを背もたれにして足を投げ出し、再び寝ようとし始めたので香月がそれを肩を揺すって制止する。眠そうに目を擦りながらかりんは顔を上げた。
「かりん……、ジェイムズからの直々の依頼だ。招集がかかってる」
香月が言うと、かりんの瞳に光が宿った。
「えっ……本当に?」
先程までとは打って変わった真面目な口調だった。彼女は身を起こして、床の上であぐらをかくように座りなおした。香月は苦笑しながら頷いた。
「ああ、本当だ」
すると突然かりんは立ち上がり両手をあげて小躍りし始めた。彼女の動きに合わせてドレスがひらひらと舞う。
「やったぁ〜! 久しぶりにジェイムズに会える!」
嬉しそうに笑う。かりんはジェイムズに首ったけなのだ。
それもそのはず、彼女はジェイムズと『最初に会った時に』彼に一目惚れしてしまったというのだから筋金入りだ。
「わかったら早く着替えてくれ」
香月が言うと、かりんはくるりと踵を返してクローゼットの扉を開けた。中に掛かっていた服を見て一瞬動きを止める。それは私服ではなく仕事用の衣装だった。
「あちゃあ……仕事着しかないやあ」
「え? いや、お前いつも仕事用の服じゃないのか?」
香月が驚いたような顔をするとかりんは頰を膨らませた。
「あのねぇ……、いくら私が売れっ子のキャバ嬢しててもね〜、仕事着しか着てないって訳じゃないんだよぉ。あんな肌の露出の多い格好してたら変な目で見られるし酷いと警察に通報されるわよぉ〜」
「そうなのか……?」
「当たり前でしょぉ〜。キャバ嬢だってきちんとした職業なの。ちゃんとTPOを弁えてるの」
「へえ……」
香月は素直に感心したがかりんに「カヅキ君、今馬鹿にしたでしょぉ〜」とジト目で睨まれた。
「とにかく着替えるから向こう向いてて!」
かりんはそう言うと、香月とクレアを部屋の外へと追い出した。二人は大人しくそれに従って廊下に出る。
『……ねえ、カヅキ』
「どうした?」
『かりんさんの事、よく知らないんだけど本当に大丈夫な人なの?』
「問題ない。普段からあんな感じだけど、魔術の知識と腕は確かだよ」
『ふうん……あと、かりんさんってジェイムズおじ様の事かなり好きだよね』
「あいつの好みは年上好きって範疇はちょっと超えてるよな。歳の差15くらいは軽く超えてるから」
しばらく待っているとかりんが扉を開けた。
「もういいよ〜」
「お、おう……」
かりんの服装は先程までとはガラリと変わっており、白いブラウスに赤いカーディガンを羽織っていた。スカートもピンクのボリュームスカートで華やかながらシックな印象だ。化粧も落としており、いつもの彼女よりも幾分か幼く見える。
「ジェイムズに会うならちゃんとした格好しないとねぇ」
そう言って満足そうに笑うかりんを見て、香月は苦笑した。
Tips:『教皇庁』
教皇庁は、宗教的な権威機関である。現在の所在地はローマのバチカンにある。
教皇庁は魔術に対して一貫して警戒心を抱いており、歴史的には魔術師たちとの対立を繰り返してきた。しかし、表向きは魔術を「異端」として断罪しつつも、裏では独自の魔術的な技術や知識を持っているとも言われている。そのため、教皇庁の上層部は特定の魔術師たちと密かに協力関係を築き、特定の利益を共有しているという噂が絶えない。
教皇庁の中には反魔術の守旧派と、魔術を利用する現実主義派の二つの勢力が存在しているらしい。
【更新について】
誤字と一部の専門用語の修正をしました。