14.骨肉魔術人形⊕
こうして陽子の魔術空間の中で骨肉魔術人形の造形を開始した。陽子の説明によれば、骨格は動物の骨を基とし、筋肉繊維も人間の構造に似せて作られているらしい。内臓器官に関しては臓器を模した魔道具を組み込んでいるらしく、血液の代わりに液体状の魔石が流れるようにしてあるようだ。
さらに魔石を核にして脳のような機能を持たせた中枢機関を心臓部に作り、そこに魂の意識を封入する構造であるという。
香月は腕を組みながら、少し困った顔をした。
「まずは骨格から作るって言ってもな。前にイヴを解析した事はあるけど、骨だけを作るなんてやった事がないぞ?」
「大丈夫さ。君の解析魔術の記憶補助術式を上手く使って造形魔術を行えば出来る筈だ。まぁ、君の場合は骨格だけでなく全てのパーツを複製しないといけないんだけどね」
陽子が軽い調子で言葉を返すのに、香月は肩を竦めながら小さく息をついた。
「んー。わかったよ。とりあえずやってみるか」
香月はそう言うと、目の前にある大量のフライドチキンの骨の山へ視線を向けた。
それは、陽子が経営するコンセプトカフェの全系列店のスタッフや客にフライドチキンのバーレルを大量に振る舞って用意させたものだという。陽子らしい派手なやり方だと、香月は心の中で思った。
「さてと……まずは骨格からだな」
香月が床に描いた造形魔術の魔術陣に魔力を流し込むと、静寂を破るように骨の山が微かに震え始めた。同時に、イヴの骨格構造の詳細情報が、香月の背中に彫られた記憶補助術式から腕へ、そして掌へと流れ込む感覚が広がっていく。集中力を研ぎ澄ませると、大量のフライドチキンの骨は徐々に形を変え、やがて人間の骨格の形を成していった。
「ほほ〜、伊深未来ちゃんってのはやっぱりかなりスタイルが良くて、それに結構な巨乳なんだねえ。肩の骨格がかなりしっかりしてるよ」
陽子は組み上がったばかりの人骨を目の前にし、感心したように声を漏らした。彼女はその細かな造形を見つめながら、どこか楽しそうに続ける。
「それに、骨格のラインも綺麗で良いね。これなら相当な美人な人形ができるんじゃないかい?」
「骨だけでよくもまあわかるな」
香月は陽子の観察眼に呆れつつも、苦笑いを浮かべて肩をすくめる。
「まぁ、確かに美人だよ。それにスタイルも良いし、性格も結構しっかりしているよ。現役でモデル活動してるしな」
「へえ……それは是非とも会ってみたいな。私は、肉体を乗っ取られた彼女にしか会った事がないからね。良い子だったら、ウチの系列店でゲストでも良いから働いて貰えないだろうかな。ほら、私ってメイドカフェのオーナーだしさ」
「ああ、そうだな。まだ売り出し中らしいが、SNSでの宣伝効果も期待できるんじゃないか?」
「そうだねえ……よし、前向きに検討しよう。何なら機会があればスカウトするのもやむなしだ。それじゃ、骨格の次は肉付けをしていこうか」
香月は陽子の熱のある勢いに押されながらも、次の工程に意識を切り替えた。
「わかった」
香月は短く答えると、既に準備してあった材料に視線を移した。目の前には、いくつかの魔石と魔石の粉。
それ以外にも大量の豚肉や牛肉の切れ端、そして鶏皮などが並べられている。それらは商店街の業務スーパーなどを駆け回って仕入れたもので、質素ながら十分に目的を果たせそうな素材だ。
「意外にも庶民的な感覚で買える物ばかりで助かったよ。正直、新鮮な人間の死体を手に入れて来いって言われるのかと思ってヒヤヒヤしてた。他の世界線で麗奈に教えて貰った時はプラスチックやシリコンやらを使ってたからさ」
そう香月が独り言のように呟くと、部屋の隅で様子を見ていた麗奈が口を開く。
「人間の死体を使っては流石に作った事は無いわ。それに、単純に気が引ける。ディヴィッドは人間の死体で屍鬼を作ったりする実験はしてたみたいだけど」
麗奈の淡々とした口調に香月は軽く肩をすくめ、苦笑を浮かべながら返す。
「だろうな。他の世界線のアンタもそんな感じの事を言ってたよ」
「そう」
彼女の短い返事の中に、どこか納得したような響きがあった。
「まあ、そのお陰で魔術人形を作る材料調達の為に人殺しをするとかそういう事にならなくて済んだ」
香月の言葉が終わると同時に、魔術陣の上に置かれた肉達が反応を示し始めた。肉の塊はまるで生き物のように動き、骨に吸い付くように絡み付きながら形を整えていく。
「上手いね」
陽子が感心したように声を漏らした。彼女は出来上がりつつある人形を眺め、そのプロポーションを測るかのように目を細めた。
「それにしても……良いスタイルだねぇ……モデルさんって言っても納得するよ。多分、グラビアとかもやってるんじゃない?」
「そうだな。この前、大須観音の近くのライブハウスで写真集のサイン会をやっていたよ」
「ほほう、そりゃ見てみたいな。少年、君は写真集は買ったのかい? もし買ったのなら、今度見せてくれないか」
「ああ、今度持ってくるよ」
香月は陽子の軽い調子に苦笑しながら答えると、手元の魔術陣に集中し直した。
魔力を注ぐたびに、人形の肉付けが少しずつ進んでいく。完成へ向かう過程には独特の達成感が感じられ、香月の目は自然と細かな仕上がりに引き込まれていく。
「しかし……こうしてみると凄いね」
陽子は骨が肉付けされていく様子を眺めながら、何かを思案するように呟いた。その一言に香月が疑問を抱きつつ、陽子に視線を向ける。
「何がだ?」
「ほら、そこの部分だよ。少年も男の子ならやっぱり見たくなるだろ? あれ、それとももうよく知っているとかかな?」
陽子はいたずらっぽい笑みを浮かべながら、人形の胸のあたりを指差した。まだ皮膚が形成される前の状態だったが、骨と筋肉で構成された赤身のある肌──まるで人体模型のような見た目だが、ボリュームがある感じに膨らんだそれはその存在感を示している。イヴ本人と全く同じサイズの双子の丘が確かにそこにあった。
「いや、別に」
香月は淡々と答えたが、その視線が一瞬だけ揺れたのを陽子は見逃さなかった。
「本当に? 見たくならないのかい? 君ってそういうの好きそうじゃないか。しかも結構大きい方が好きだとみた」
「なあ、人を勝手に『おっぱい星人』呼ばわりするの本当に辞めてくれよ。そういうの時代に則さないと思うぜ。もう何度も言われ続けてるが、俺は別にそんなんじゃない。それに……イヴの事も……そんなんじゃない」
「ふーん……。まあ、そういう事にしておこうかなあ」
香月が眉間に皺を寄せるのに陽子は薄く笑いながらそう言うと、再び製作途中の骨肉魔術人形に視線を戻す。その視線には何か含む物があった。
「ふーむ? しかし、何度も言われてるという事は私の読みもあながち間違ってないという事かなあ。これは麗奈ちゃんも気をつけた方がいいねえ」
陽子の一言に、香月の脳裏にとある情景が思い浮かんだ。別の世界線で麗奈を打ち負かす際に起きた出来事──うっかり彼女の胸に触れてしまった記憶を呼び起こしてしまったからだ。その出来事を思い出し、彼の顔はじんわりと赤くなっていく。
「おや、少年。何だか顔が赤いぞ? 何を考えているのかなあ。ちゃんと造形魔術に集中しないと」
「べ、別に……勘弁してくれ」
陽子の言葉に動揺して香月は短くそう言うと、思わず目を逸らした。
◆
そうして、十時間後。
「よし、出来たぞ!」
香月は伸びをしながらそう言うと、出来上がった骨肉魔術人形を見て満足げに言った。足元の床には造形する過程で書き取ったメモや余った素材などが散乱している。
何回か試行錯誤を繰り返し細部まで詰める事でようやく完成した骨肉魔術人形の外見は、イヴ本人と瓜二つだ。
陽子は人形の近くまで歩み寄り、じっとそれを観察した。その目は研究者のそれだ。
「素晴らしいな」陽子は関心したように静かに言った。「骨格は勿論、筋肉繊維の一本まで再現しているんじゃないかな。それにこの肌の色や質感も素晴らしい。まるで本物のようだ」
「ああ、苦労した甲斐があったよ。それで、この人形を使っていったい何をするつもりなんだ?」
「それはね」
陽子はそう言うと、骨肉魔術人形の頭部を優しく撫でる。返答をする彼女の顔には微笑みが浮かぶ。
「この子を本人の身代わりにするんだ。彼女が肉体を乗っ取られる未来はどうしても確定して変えようがないからね。君もアニメが好きなら見た事あるだろう?」
香月は陽子の言葉に一瞬眉をひそめたが、すぐにその意図に気づいた。
「ああ……もしかして、あの作品の事か。俺は見た事があるよ。でも、まさか……」
「そう。事象を変えずに結果だけを変えるのさ。私が繰り返してきた周回の中で、この世界では彼女を狙って魔術師が襲撃をしてきて、その肉体を乗っ取られるという事象は確定してしまっている。だから、彼女自体をすり替えるのさ。この人形にね」
「なるほど……なあ。でも、そんな事は可能なのか? いくら外見や質感を再現できたとしても中身は違うだろ? イヴに似ててもイヴじゃない」
その問いに、陽子はわずかに苦笑した。
「ハッキリ言ってこれは賭けだ。だが、彼女本人とこの人形の外見が一致していれば中身が全く同じかどうかは問題にならないかもしれない。魔術師が何らかの方法で始祖人類の先祖返りの肉体を奪いに来て、それが成功する。その事象の結果だけを変える……なんて発想なんだが、上手くいくかは実際やってみないとわからない」
「そう……なのか?」
香月が怪訝そうな顔をして首を傾げる。そんな様子に、陽子は穏やかに頷いた。
「ああ、そうだよ。だから君にも手伝って欲しいんだ。分魂の方法でこの人形の中に入り彼女に成りすまして、魔術師の襲撃を乗り切って欲しい。そして、その襲撃を乗り切れば彼女は肉体を乗っ取られてこの世界が崩壊していく未来から解放される……と思う」
「『と思う』って……」
香月の呆れた声を上げるが、陽子はその反応に小さく苦笑いを浮かべた。
「まあ、期待はし過ぎない方がいいって事さ。ひょっとしたら彼女に乗り移った魔術師に返り討ちに遭うかも知れないしね。ただ、神と同等の肉体を手に入れた魔術師を相手にするのとただの骨肉魔術人形相手では話が違う。やってみる価値はあるだろう?」
「ああ……わかった」
その言葉には確信と迷いが入り混じっていたが、香月は大きく息を吐いて肩の力を抜いた。
「それで? 具体的に俺は何をすればいいんだ? 襲撃してきたその魔術師をぶっ飛ばすのか?」
香月の軽い言葉に、陽子は少し慌てたように首を振った。
「いやいや。君はただ彼女のフリをしてくれればいい。そこに罠を仕掛けるつもりだよ」




