10.全滅
「……随分と厳戒な警護体制なんですね。まるで私がディヴィッド・ノーマンに誘拐された後の時みたい。本当、何かあったんですか?」
清香の運転する車の中でイヴがそう言った。車は名古屋市の郊外の方へ向かっていた。
後部座席には戦闘班の二階堂と三浦が座っており、イヴ達が乗る車の周囲にも何台かの車が走っている。
「まあね〜」
イヴの質問に対し、清香は答えた。
「……もしかして、ディヴィッド・ノーマン絡み?」
「……」
清香が一瞬言葉に詰まった。しかし、すぐに取り繕ってこう言った。
「まあ、そんなところ……と言いたいんだけど、これがちょっと訳がわかんない話なんだよね」
清香はそう言うと、大須商店街でのレナードの分教会襲撃についてイヴに話して聞かせた。そのレナードはディヴィッド・ノーマンの絡む何かしらのルートで始祖人類の先祖返りの存在を知って、計画を企てていたがそれを事前に察知していた香月がそれを利用して罠に嵌めた。そして、その一連の事件には黒幕として『教授』なる魔術師が関わっていた事やその彼が既に殺されていた事などを話した。
「着いたわよ〜」
そこは大きな屋敷だった。
「ここは……?」
イヴが尋ねると清香が答えた。
「一応、私達の隠れ拠点ってとこかな」
「隠れ拠点……ですか」
「うん。まあ、正確に言うと違うんだけどね」
そう清香は付け加える。
清香の運転する車が屋敷の前に差し掛かると、自動的に門扉が開いて車を敷地内に入れる。門扉に仕掛けられた防犯カメラで車両を認識している仕組みらしい。
「セキュリティ、結構しっかりしてるんですね」
「そうでもないよ。一般人相手ならこのくらいで十分でも相手が魔術師だと何の役にも立たないんじゃないかな」
「そんなものなんですか?」
「一応、侵入防止に人祓いの結界と防護結界を張ってると言っても、強力な魔術師相手だとどうしても時間稼ぎ程度の効果にはなっちゃうからね……。だから戦闘班の二階堂さんと三浦さんに警護に着いて貰ってる形なんだよ」
そんな事を言いながら、清香ほ敷地の奥へ車を進めていく。
すると、屋敷の玄関前に立っていた黒服の男がこちらに駆け寄ってきた。
「よくお越し下さいました。さあさ、早く中へお入りください」
男はそう言って頭を下げた。そして、車のドアを開ける。
車から降りたイヴは屋敷を見上げた。その屋敷の外観は中世ヨーロッパの城のように荘厳な雰囲気があった。
「どうぞこちらへ」
男はそう言うと、イヴ達を屋敷の中へ招き入れた。そして、大きなホールを抜けると、そこには大きな階段があった。その階段を上っていくと広い部屋に出た。そこはまるで映画に出てくる貴族の部屋のようだった。
「こちらにお掛けになってお待ちください」
男はそう言って部屋を出て行った。部屋には革張りのソファが置いてあり、そこに座って待つように言われたのだ。
しばらくするとドアが開き、1人の少女が部屋に入ってきた。クレア・フォードだった。
『お待たせ……』
クレアはどこか覇気の無い口調でそう言葉を発すると、イヴ達の向かい側のソファに座った。緊張しているのだろうか、そもそも乏しい表情が前に会った時よりも翳りがあるようにイヴには感じられた。
「お久しぶりだね、クレアちゃん。何か元気ないけど……どうかしたの?」とイヴが挨拶をした。
『別に……。何でもないよ……』
クレアは伝声魔術でそう答えた。どこか無愛想な口調だった。様子がおかしいような、何かを思い詰めているような雰囲気を感じた。
車内で聞いた清香からの話からすると、魔術協会の中でも指折りの序列の幹部魔術師を殺害できてしまうほどの実力の魔術師が襲撃に来る可能性があるとの事だ。
そうはならない事を祈りつつではあるが、もしも本当にそんな事になるならばクレアがこんな緊張をしていてもおかしい話ではないとイヴは思った。
「……大丈夫だよ、クレアちゃん。もし、私を狙って……その、すっごい強い魔術師の人? が来ても皆が居るから、きっと大丈夫だよ」
『……』
イヴの言葉にクレアは表情を変えない。元々表情の乏しい彼女ではあるが視線を合わせてこようとしない事と一瞬目を細める仕草をした事から、彼女が何か不安のような物を感じているのがイヴには感じ取れた。
「何か困った事があったら相談してよ。力にはなれないかもだけど、クレアちゃんがほんの少し気を紛らわす事くらいはできると思うからさ」
イヴは少し心配そうに言いながらも、それ以上は追及しなかった。
『うん……。ありがとう、イヴさん』
クレアはそう言うと、少し表情が柔らかくなった気がした。しかし、すぐにまた不安げな表情に戻る。
(やっぱり様子がおかしい……)
イヴはそう思ったが、何も言えなかった。そもそも協会の魔術師でもなければ彼らに守られている立場の自分が何を言っても気休めにもならないかもしれないと思えてきて、口を噤む事しかできなかった。
ソファに深く腰を落ち着け、室内を見回す。豪華な装飾が施された部屋の中、重厚な空気が漂っている。
「この場所、本当に隠れ拠点……なんですか? 何かすごく内装が豪華なような……」
少しでも空気の重たさを和らげようと、イヴが清香に尋ねてみる。
「まあね〜。この屋敷は名古屋で協会の大きな会合がある時に使われる場所のひとつなんだよ。強力な結界を展開してるから、一応安全な場所ってことになってるけど……まあ油断は禁物だよね」
清香が肩をすくめて答える。清香の表情や口調は明るい。それでも、それがイヴを緊張させないように配慮している演技である事はわかる。
確か、彼女の表の職業は舞台役者だ。彼女の明るい性格とさり気ない気遣いのできる所は彼女が協会でのムードメーカーになっている事はよくわかる。
『……』
クレアは伝声魔術を使うこともせず、黙ったまま俯いている。その視線は床の一点を見つめたままだ。
「ねえ、クレアちゃん、本当に大丈夫?」
イヴがもう一度声をかけると、クレアは少しだけ顔を上げた。
『……ボクは大丈夫』
淡々とした口調だ。それはまるで感情を押し殺しているかのようだった。
清香が時計をちらりと見て立ち上がった。
「そろそろ合流予定の人が来る頃だね。私はちょっと外で迎えに行ってくるよ。二階堂さん、三浦さん、イヴちゃんとクレアちゃんを頼むね」
二階堂と三浦は無言で頷き、部屋の外へ向けて警戒を強めるような立ち位置をとる。
清香が部屋を出て行くと、室内には一層の静けさが訪れた。イヴはしばらくクレアの表情を伺い続けたが、やがて小さく息をついた。
「……クレアちゃん、ここに来るの嫌だった?」
イヴの問いかけに、クレアは一瞬だけ目を見開いた。
『そんなことない。ただ、少し疲れてるだけ』
短い返答。だが、その言葉の裏には何か隠されているような気配があった。
「そっか。でも、無理しないでね」
イヴは微笑みながら言い、ソファに背を預けた。その瞬間、外から微かな物音が聞こえた。二階堂が即座に反応し、三浦と視線を交わす。
「……何かあるかもしれん。念のため周囲を確認する」
三浦がそう言い残し、扉の外へと向かった。
部屋の中に残ったイヴは、不安げに二階堂の動きを追った。クレアはその様子をじっと見つめながらも、口を開こうとはしない。その視線には、どこか揺れる感情が滲んでいた。
『……ここ、あんまり安全じゃないかも。気を付けて』
突然、クレアが静かに伝声魔術を使って耳打ちしてきた。
「え?」
イヴが聞き返すと、クレアは何も答えず俯いてしまう。その両手は硬く拳を握っていた。
その刹那、遠くで何かが爆発した音が轟く。
「敵襲だ!」
二階堂が鋭い声で叫び、拳を構える。視線は音の発生した先だ。
クレアは覚悟を決めたように上を向き立ち上がると、状況を把握しようと部屋を見渡した。しかし、その瞬間、クレアの瞳にほんの一瞬映った躊躇いと苦しげな表情をイヴは見逃すことはできなかった。
「……クレアちゃん、ど──」
何かを呟きかけたイヴの言葉は、すぐに迫る銃撃と爆発の音でかき消された。
◆
霧島麗奈とレナードにはイヴの情報は一切渡さなかった。そしてループする前よりも協会の構成員による強固な警護が付いている。だから、翠星大学付属病院の時のような襲撃など起こらずイヴが肉体を奪われるという未来は回避できた筈だ。
その考えが甘かったと香月が思い知らされたのは、香月が屋敷に辿り着いた時だった。
その時にはイヴを匿った屋敷は既に襲撃されてしまっていたのだ。
香月は炎上して崩壊してしまいそうな屋敷内を、煙に咽せながら駆ける。屋敷の玄関ホールには、既に何人もの魔術師達が倒れていた。全員、この警護作戦に動員された日本中部支部の構成員達だった。
「これは……」
遅かったかと香月が歯噛みしたその時、上階から爆発音が轟いた。
「……っ!」
香月は階段を駆け上がる。そして2階に辿り着いたところで、その部屋の惨状を目の当たりにした。
壁一面に血飛沫が飛び散り、床の上には臓物や骨片が散乱している。入り乱れて、もうそれが誰であったのかすらわからない程に破壊された死体が幾つも転がっていた。
思わず香月は絶句する。
この中のメンバーには清香や二階堂、三浦、そしてクレアも居たはずだ。その全員が殺されて、その遺体達は跡形も無くなってしまっている。全滅だ。
しかし、そんな地獄絵図の光景の中で一人だけ立っている人影があった。
「これは……」
香月は呆然と立ち尽くした。そして、その視線の先にはその部屋の中央で佇む白い髪の少女の姿があった。
「……イヴ」
思わず呟いた名前に、少女は反応して振り返った。香月の姿を認めると、彼女はフッと嘲るように笑った。
「そうか、お前が居たのだったな」
明らかに普段のイヴとは違う口調、そして所作。それだけで彼女の中に別人が居ることを悟るには十分だった。
既にイヴは肉体を奪われていたのだ。
「クソッ、またかよ……!」
香月が悪態をつく。
「また……イヴを守れないのかよ……ッ!また俺は何もできないのかよッ!!」
香月は拳を握り締め、奥歯を噛み締める。
「何を言っている?」
少女は香月を見下ろしながら、冷たい声で言い放った。その瞳には何の感情も映っていない。まるで人形のような目をしていた。
「黙れッ! お前はイヴじゃねえだろ! イヴにその身体を返せよ!」
怒りに満ちた声で叫ぶ香月に、少女はクスリと笑った。
「フフッ、そうだな……そうだ。私はイヴだ。私はこの肉体を奪い取った。この肉体は紛れもなく私の物だ。お前には感謝せねばな。お前の肉体をいずれ頂くつもりでいたが思わぬ収穫をもたらしたのだから」
繰り返されるように以前と同じような言葉を並べるその人物に、香月は怒りで拳を震わせる。レナードの口から聞いた『教授』という言葉と、目の前の人物が語る言葉のニュアンスに確信めいたものを感じてその言葉を口にする。
「義父、まさか奇跡管理部の総本部長が魔術協会で禁忌とされる他者の肉体の乗っ取りなんて事に手を出すなんてな……」
そう言い、香月が睨みつける。ハッキリ言って鎌をかけているようなものだった。だが、相手は一瞬眉をピクリと動かすだけで動揺した様子は見せなかった。
「フン……何を言っている? 何の事かわからんな。奇跡管理部の総本部長やら魔術協会における禁忌がどうだの、お前の様な末端の人間に何がわかっていると言うんだ」
そう答えた言葉からは動揺している気配は感じられないが、逆にその言葉から確信を得た香月は思わずフッと笑ってしまった。
「まあ、そうだな……。ああ、確かに。そうだ、俺は末端だ。だが、こっちだって伊達に魔術協会の魔術師をやってるわけじゃないんだよ。アンタがどうして俺の肉体を奪う予定だったのかも何となくわかったよ。なあ、義父」
そう言って香月は懐から取り出したナイフを逆手に持ち替えると、その切っ先を自分の胸へと向けた。
「だが、仲間は逝っちまった。イヴは肉体を奪われた。……もうこんな世界に用は無え。蹴りを付ける。今回は俺の負けだ。次の機会に賭けるぜ」
「……次? 次などお前には無い。一体何をするつもりだ」
その問いかけに、香月はニヤリと笑って答える。
「この世界での俺をここで終わりにするんだよ。だが、お前に殺されるのなんて真っ平御免だ」
香月はそう言うとナイフの刃先を自分の心臓に向け、一気に突き立てた。瞬間的に訪れる激痛と血の溢れ出る感覚に一瞬顔を顰めた香月だったが、すぐに不敵な笑みを浮かべて見せた。
「俺が必ずお前の野望を食い止めてやるからな、エドワード・クロウリー」
そう言って崩れ落ちるように倒れた。意識を手放すその間際に見た彼女──いやエドワードの顔には理解しかねると言った具合に驚愕の色が滲んでいたような気がしたが、もはや確かめる術はなかった。




