7.レナード・オルランドとの接触
麗奈のアジトは名古屋市中区の丸の内にある。名古屋駅から北東方向で、市役所や名古屋城のすぐ近くと言って良い位置だ。
「……レナードは予告もなく来るから、私の姿に変身したら油断はしないで」
麗奈がそう言っていた通り、彼女のアジトであるマンションの一室まで彼女の姿でやって来た香月はリビングのソファに座ってレナードがやって来るのをジッと待ち構えていた。無論、麗奈の姿に変身してだ。
夏の湿気を感じさせないように部屋のエアコンを適度に効かせていた。麗奈の部屋を見渡すとそこは彼女の趣味嗜好が見て取れる物だった。
香月が腰掛けているリビングのソファは、深い紫色のベルベット生地で覆われている。部屋全体はオカルト趣味の影響を受けた独特の雰囲気が漂い、壁にはアンティーク調の額縁に収められた異国の古い地図や、謎めいた記号が描かれた絵画が飾られている。魔術的な品物ではないらしい。香月にも読み取れない記号だった。
窓際には、薄いカーテンが風に揺れながら陽の光を取り込んでいるが、室内には暗めの照明が灯されており、昼間にもかかわらずどこか薄暗い印象を与えていた。
部屋の隅には、木製の本棚があり、そこには魔術やオカルトに関する本がぎっしりと並べられている。その上には手作りらしい人形がいくつか置かれており、その中には麗奈の繊細な技術を示すものもあれば、どこか不気味な印象を与えるものも混じっている。
例えば、アンティーク風のドレスを纏った陶器の人形や、黒い糸で縫われた布製の小さな人形などだ。
香月はその独特な空間に包まれながら、いつ現れるかわからないレナード・オルランドに対する警戒心を再確認していた。
(さて、方々に声は掛けてきた。後は上手くやるだけだ)
香月は心の中でそう呟く。
実は麗奈に変身してレナードに魔術人形を街に放つ計画を実行させる手筈を整える前に、彼は魔術協会の面々と大須商店街にある教皇庁の分教会に連絡をして計画を伝えていた。そうして事前に対策を練っていた。香月が連絡したのは、大須支部の分教会に勤める司祭とロナルド、そして魔術協会日本中部支部の支部長であるジェイムズだ。
そうして情報交換をした上で、麗奈に変身する事にしたのだ。あくまで、現段階のレナードは死亡を偽って魔術協会を抜けただけだ。彼らの目的を阻止する大義名分を得るためには、レナードにイヴの誘拐を未遂の範囲まで実行させる必要がある。
恐らく、レナードが死亡を偽装したのは協会所属のままでは魔術協会規定に違反する行動を表立って取る事が難しかったからだろう。しかし、それを偽った今ならば彼は魔術協会の規定には縛られない。
(まだ、霧島麗奈にもレナード・オルランドにもイヴの存在はバレてはいない。レナードを罠に嵌めるなら、あっちが求めている始祖人類の先祖返りの存在を仄めかす必要がある。そうなれば、確実に奴はこちらの思惑に嵌ってくれる)
香月はソファで仰向けに寝っ転がったまま、そう考えた。
計画は至ってシンプルだ。麗奈に変身した香月が始祖人類の先祖返りの存在を仄めかし、誘拐を唆してレナードを罠に嵌めて捕縛する。
問題はその始祖人類の先祖返りの情報だが、出鱈目な物をレナードに吹き込んでおけば良い。
麗奈とレナードによって大須の教会を襲撃されてイヴを攫われたのは、麗奈が香月と接触した時のイヴの反応のせいだろう。だが今回は、麗奈本人を押さえている。レナードにはイヴの事はまだ伝わっていない事は確認済みだ。
病院での襲撃でイヴの肉体を奪ったのはレナードの裏にいる誰かであるなら、このままイヴの正確な情報を与えずにレナードを無力化すればイヴが肉体を奪われる未来を回避できる筈だ。
全ては推測に過ぎないが、前回と今回では状況が違う。病院を襲撃した何者かの正体は分かってはいない。だが、少なくとも今回はイヴの情報をそもそも与えない方向で予め動く事が出来る。それが香月の考えだった。
ソファの上で香月がそんな考えに耽っていると部屋のチャイムが鳴った。
「来たわね……」
麗奈の姿をした香月は言った。そして玄関へと向かい、ドアを開けた。するとそこにはレナード・オルランドの姿があった。
「お久しぶりですね、麗奈さん」
レナードの言うその口調には戸惑いや動揺は見受けられない。香月が化けている事にはまだ気が付いていないようだ。
(……見抜かれてないようだな)
内心で思いながらも、彼は微笑みを湛えて口を開く。
「いらっしゃい、待っていたわ。どうぞ上がって」
そう言って香月はレナードを部屋へと招き入れた。そして彼をリビングのソファに座らせると、キッチンに入ってお茶を入れ始めた。その間レナードはずっと黙っていたが、その表情には幾ばくか困惑が滲んでいた。
客として丁重に迎えられている事に困惑しているのだろう。行動の選択をミスしたかと思いはしたが、、香月は気にせずに紅茶を淹れたポットをレナードの前に置いた。
「お茶が入ったわ」
香月はティーカップをレナードの前に並べ始めた。
「それで、始祖人類の先祖返りの少女は見つける事ができましたか?」
レナードが言うのに香月が頷く。
「ええ、それなら安心して。ちゃんと発見してるわ」
香月はそう言うと、彼は一枚の写真を差し出した。それは麗奈と作ったクレアの姿をした魔術人形を白い髪、赤い瞳に変えた物だ。
「この子よ。ディヴィッドの仇を探してる時に偶然見つけたの。名前は確か……ルシア・プーパと言ったかしら。大須の教会に保護されているわ。この子が始祖人類の先祖返りの特徴をしていたわ」
そう香月は言った。なるべくイヴのイメージから離れるように名前は出鱈目に考えた物だ。
「……っ! これは……」
レナードは驚いた表情をしていた。その反応を見て、香月は内心で笑みを浮かべる。
香月はそのまま写真の背景について説明を始めた。
「この写真は大須商店街で撮った物よ。白い髪と赤い瞳は始祖人類の先祖返りの特徴の一つ。それに彼女からは強力な魔力を感じたから……」
「でかしましたよ麗奈さん! いや、これは間違いない!」
レナードは興奮気味に香月の言葉を遮った。そして彼は続けて口を開く。
「これこそが始祖人類の先祖返り! 早く彼女を確保せねば……!」
レナードはそう言ってソファから立ち上がろうとした。しかし、その前に香月がレナードの肩を摑んだ。
「待って、落ち着いて」
「あ……ああ……」
レナードの表情には動揺の色が見えるが香月はそのまま言葉を続ける。
「彼女は今、大須の教会の保護を受けているわ。恐らく、教皇庁の傘下の分教会よ。そこに忍び込んで彼女を連れ去るのは至難ではあるわね」
「教皇庁……まさか検邪聖省が……? だが、それでは……」
レナードは言った。彼の表情は曇っている。焦りのような感情を抱いているらしい。
香月は内心ほくそ笑んだ。
(よし、食いついているな)
ここまでのレナードの反応は上々だ。イヴ──もとい、始祖人類の先祖返りの誘拐にかける意気込みが強い事が見て取れる。
ここからはこちらの思惑に乗ってもらう必要がある。そうして、レナードを罠に嵌めるのだ。
そう思った香月はさらに畳みかけるように言った。
「貴方が前に言っていた通り、魔術協会の目を惹く為に魔術人形を街に放って騒動を起こすわ。恐らくそれで検邪聖省の祓術師も動き出す」
「それを陽動にして我々はその分教会を襲撃すると、そういう事ですか?」
レナードは納得したように言った。香月は頷く。
「ええ。でも、それだけじゃ足りないわ」香月は言い、続ける。「街へ魔術人形を放って陽動したとしても魔術教会の構成員は私達が襲撃する教会に駆け付けてくると思って良い。だから、魔術人形での陽動はより目立つようにしなければならないわ」
「具体的には何をするつもりですか?」
「私に考えがある。魔術人形に爆発魔術を仕込んで自爆させるのよ。派手にね」
香月はそう言って笑みを浮かべた。
◆
大須にある小さな教会の礼拝堂で一人の少女が跪き、祈りを捧げていた。彼女は白い髪と赤い瞳を持ち、修道服に身を包んでいる。
「……これが例の魔術人形か。ところどころ動きは猫みたい動きをするが、ただの人形には見えないものだな」
そう言いながら白い髪と赤い瞳の少女の魔術人形に歩み寄ったのはロナルドだ。その傍らには香月の姿もある。
「ああ、お目当ての人物はこの人形の写真に食い付いてくれた。後は、こいつを囮に罠に嵌めるだけだ」
「その囮は上手くいくのか?」
ロナルドが訊くと香月は自信に満ちた表情で答える。
「ああ、きっと上手くいくさ」
「なら良いんだが……」
そう言うロナルドはどこか不安げな表情を浮かべている。
「決行の日は数日後、大須商店街に自律させた大量の魔術人形を解き放つ。協会からは処理班を密かに派遣して貰って事前に人祓いの結界を使って一般人への巻き込み被害はほぼゼロにする。その中で音魔術で大きな爆発音を派手に鳴らす。それが合図だ」
香月は言うのにロナルドは頷いた。
「突入してきたレナードという魔術師を我々で確保するという算段か。貴様にしてはよく考えられているな」
「ああ、そうだろ?」
「そのやけに自信満々な所が気に食わんが」
「まあ、見ていろって」
ロナルドが不満げに言うのに、香月はニヤリと口の端を上げた。




