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【第五章完結】現代魔術は隠されている  作者: 隠埼一三
Episode Ⅲ 『時の回廊編』
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1.リスタート⊕

 名古屋の夏がようやく本格化し始めた頃合だ。

 梅雨が明けたばかりの大須商店街には、湿気を含んだ空気が残りつつも、青空が広がり、日差しが強く照りつけている。食べ歩きの店には列ができていて、軒先からのれんが風に揺れている。アーケードにはメイドカフェやゲームセンターの店員が呼び込みをしている声が聞こえていた。


 香月はアーケードの下を歩きながら、雨上がりで一層鮮やかになった看板や人々の賑わいに目を細めた。


 汗が額を流れ、Tシャツの背中にじっとりと張りつくのを感じる。雨上がりの湿気と日常の雑多な音、人々の活気に溢れるこの場所は、香月にとって去年も体験した変わらない夏の一部だった。名古屋の夏は湿気が強くとにかく(うだ)る程に蒸し暑い。

 だが、彼の胸中には、あの白い空間での出来事と未来の翠星大学附属病院での出来事が、まだ鮮明に残っていた。


(……本当に、戻ってきたんだよな)


 ふと立ち止まり、香月は自らの手を見つめる。胸元をその掌で感触を確かめる。風穴など空いていない、健常な状態だ。確かに今、彼は過去に戻ってきている。

 

 それは陽子の魔術空間で目覚めた翌日、マシロに彫ってもらった魔術刻印の試運転をする事になったが、そこでの出来事もまるで繰り返しのように全く同じだった。

 ちょことの発展させた解析魔術の実践と魔術剽窃(まじゅつひょうせつ)したちょこの萌え萌えビームの練習の流れに至るまで同じ。そうして陽子に霧島麗奈の襲撃のタイミングの予言を受けたのもまた一緒だった。

 

 そうしてそれから数日後が経ったのが今だ。以前経験したのと同じように裏門前公園のベンチで香月は座っていた。恐らく今日はこの日このタイミングでイヴに会う。

 天気までもが同じだ。周囲の景色は全く同じであっても、彼の心だけはもう以前と同じではなかった。

 

 翠星大学(すいせいだいがく)附属病院での出来事──あの時、覆面の男達に襲撃された。男達の狙いはイヴだった。ロナルドと襲撃犯達を退(しりぞ)けたが、何かしらの方法によってイヴが肉体を奪われた。

 

 イヴが肉体を奪われた理由が、まだ分かっていない。あの病院の人間達に何らかの原因があるのか、それとも全く別の誰かによるものなのか── 香月はかぶりを振る。分からないものをいつまでも考えても仕方がない。今はとにかく、イヴを救わねばならない。彼女は今どこにいるのかも分からないのだから。

 

 だが、そのためにはどう動くべきか──イヴが狙いで襲撃を受けたのは明確だ。しかし、どこの誰がどんな方法でというもわからない。誰かが彼女の肉体に宿っていたという推測が正しいのかすら確かではない。

 しかし、彼女の肉体を奪った何者かは、確実に存在している。

 

 それに気になった事がもう一つある。イヴの肉体を奪った何者かは、元々は香月の肉体を奪うつもりだったという点だ。つまり、前から目星を付けられていたと考える事ができる。

 もし、何者かが以前から自分を狙っていたのだとすれば、それは誰なのか。そして、どのようにして肉体を奪うのか。香月は考えを巡らせるが、答えは出ない。

 

「見ぃつけた!」

 

 突然背後から声をかけられる。振り返るとそこには一人の女性が立っていた。イヴだ。

 

「……イヴ」

 

 香月は彼女を見つめる。その姿を見るだけで、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

 彼女は微笑みを浮かべたままゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。


「久しぶりだね、香月君。これでアレから五回目くらいだよね?」


 イヴはそう言うと、彼の隣に腰掛ける。ふわりと甘い香りが漂ってきた。

 

「ああ……久しぶりだな」

 

 イヴの言葉に香月は小さく頷いた。やはり前と同じ言葉だ。同じ出来事を繰り返している。

 香月の緩やかに受け入れるような反応に、イヴが首を傾げた。


「あれ? いつもみたいに俺なんかには関わらない方が良いだとか懲りないなとか言わないの? もしかして、もうそういうの飽きちゃった?」

「いや……そういうわけじゃないが」

「じゃあ、私の粘り勝ちかな?」

「ああ……まあ、そういう事にしとくよ」

「……ふーむ? 何か今日の香月君は反応が変だね。まあ、いいや」

 

 イヴは首を傾げると、それ以上追及してくる事はなかった。

 

「……」

「……」



挿絵(By みてみん)



 会話が途切れる。イヴはじっとこちらを見たまま動かない。香月もまた、彼女から目が離せなかった。まるで見つめ合うような状態だ。

 以前とは同じシチュエーションとは言えど、香月の反応が違えば勿論イヴの反応も変わる。それは当たり前な事なのだが、以前はこんな風にはならなかったと香月は思った。

 沈黙が流れる。だが、それは気まずいものではなく心地の良いものだった。

 

「ねえ、香月君」

 

 やがてイヴが口を開いた。彼女は香月の目を覗き込んだまま、首を傾げた。

 

「どうしたの? 何か様子が本当に変だよ? 何かあった?」

「いや、別に何も……」

「本当に? 嘘ついたら怒るよ」

 

 イヴが顔を近づけてくる。その瞳には心配の色が滲んでいた。香月は思わず視線を逸らしてしまう。

 言える訳が無い。『そう遠くない未来に何者かに君の肉体が奪われ、自分は君の姿をした何者かに殺される』なんて事を。

 

「……大丈夫?」

 

 イヴが不安そうに問いかけてくる。香月は罪悪感を覚えた。こんな事を言われても困らせるだけだと分かっているのに、つい言葉が口から漏れ出てしまう。

 

「なあ、仮に……仮にだ。君がだ……誰かに無理矢理肉体を奪われたらどうする?」

「……え?」

 

 イヴがきょとんとした顔でこちらを見つめてくる。香月は慌てて首を横に振った。

 

「いや! 違うんだ今のは忘れてくれ!」

 

 思わず出た言葉とはいえ、あまりにも無神経すぎる発言だったと香月は思った。慌ててすぐに謝罪をしようとしたが、それよりも先にイヴが口を開いた。彼女は少し考え込むような仕草を見せながら答えた。

 

「うーん……そうだね。その時は……私には魔術師と戦う方法が無いから、きっと何もできないと思う。でも……それでも、私は諦めたくはないかな」

 

 イヴはそこで一度言葉を切ると、再び香月の目を見つめた。

 

「私一人じゃ無理かもしれないけど、香月君と一緒なら何かできるかもしれない。だから、もしそんな時が来たら二人で一緒に考えよう? それに私が私じゃなくなった時がもしあっても、香月君が守ってくれるなら嬉しいよ。私、そう信じてるから」

 

 その言葉に、思わず目頭が熱くなった。彼女はこんなにも自分を信頼してくれているのに、自分は一体何を考えていたのだろう。

 

(そうだ……俺は何を迷っていたんだろう)

 

 香月は自分の愚かさを恥じた。イヴの手の温もりを感じながら、彼女の言葉をかみしめた。

 彼女が自分を信頼してくれている。だからこそ、自分には迷う余地はない。これから何があろうとも、彼女を守り抜くために全力を尽くそう。幸いにもやり直しをできる機会を得たのだからと心に誓った。

 

「……ありがとう、イヴ。君の言葉で迷いが吹っ切れた気がする。俺は、絶対に君を守るよ」

 

 香月の言葉にイヴは驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑みを浮かべた。その笑顔は、彼にとって何よりも心強いものだった。

 

「ふふ、元気出たみたいだね。何かはわからないけど、それじゃあ一緒に頑張ろっか。香月君がいるなら、きっと大丈夫だからさ。私も香月君を応援してるよ」

「……ああ、そうだな。ありがとう」

 

 二人は互いに見つめ合い、笑い合った。

 香月は改めて決意を固めた。必ずイヴを守り抜くと。そして、彼女の肉体を奪った何者かを突き止める為にも行動を起こす必要があるだろう。

 

 まずは情報が必要だ。まずは敵の情報を知る必要がある。香月はそう考えた。

 だが過去に戻って来れたのは偶然なのか必然なのか。仮に失敗してまた殺される結果になったとして、再び過去に戻れるのか、それとも二度と戻れないのか。

 香月には分からなかったが、それでもやるしかないと心に決めた。万が一、死んで過去に戻れるのがこの一回きりだったとしたら、手を抜く訳にはいかない。

 

(何としてでもやってやるしかないな……足掻(あが)いてみるか)

 

 香月はイヴの言葉に決意を新たにした直後、ふと後ろから聞こえてくる足音に気付いた。

 無論、それが誰であるかはすでに予想していた。未来から戻ってきた彼にとって、今このタイミングで声をかけてくる人物は一人しかいない。


「見ぃつけた」


 案の定、背後から声が響く。その声を聞いた瞬間、香月は一瞬だけ息を整え、緊張感を胸にしまいこむ。彼の目が冷静に細まり、ほんのわずかに肩の力が入る。

 だが、その様子を気取られまいと、自然な表情を保ち続けた。

 

「……霧島麗奈(きりしまれいな)か。」

 

 香月は振り返りながら、余裕を持って声をかける。そこには、霧島麗奈が立っていた。その目は鋭く彼を見つめている。

 その姿を見たイヴは少しだけ驚いた表情を見せたが、香月は彼女の手をそっと握り、安心させるように微笑んだ。

 

「心配するな、イヴ。彼女は俺が知ってる。ディヴィッド・ノーマンの最後の残党だ」

 

 麗奈は香月の言葉を聞いて、少しだけ眉を潜めた。彼女にとって、彼のその自信ありげな態度は奇妙であり、不気味でもあった。

 

「私を知っているのね?」

「ああ」香月が麗奈を見据える。「アンタの使える魔術も知ってる。それに恐らくアンタをここで降伏させる方法も」

 

 そう言って、イヴに下がるように目配せをすると、香月は(おもむろ)に地を蹴り麗奈に向かって駆け出した。

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