24.奪われた肉体、燃える街⊕
「ハァ……ハァ……ううっ……」
陽子は肩で息をしながら、その場に崩れ落ちた。その体は汗に濡れており、呼吸も荒い。彼女の着る黒いドレスは真っ赤に染まってしまっていた。
「陽子さん……酷くやられましたな……」
陽子の側で同じく荒い息をついている、ジェイムズは陽子の姿を哀れむように見つめ、いたわるようにそっと肩に触れた。
「こういう時、半人半魔の身体で良かったって本当に思うよ。吸血鬼の身体だったら色々都合が悪いからね……」
陽子は弱々しい声でそう言った。彼女は既に満身創痍であった。全身を苛む激痛が彼女から自由を奪っていたのだ。そんな彼女の様子にジェイムズは小さくため息をつきながら肩を落とした。
「貴女の言っていた襲撃、やはり起こってしまいましたか……。しかも、よりによって貴女がその様な状態になって……」
「気にしなくて良いよ。こんなの慣れっ子だし、ジェイムズさんのせいじゃないから……」
陽子の言葉に対し、ジェイムズは僅かに眉間に皺を寄せる。そして彼はゆっくりと首を左右に振った。
「いや、気にするのは当然でしょう。それにこのような状況で貴女を一人にしてしまった私の落ち度でもあります」
「でも……私が『一人で大丈夫』って言っちゃったんだし……。だからジェイムズさんは気にしないで」
陽子はそう言ってなんとかして身体を起こそうとする。だが、上手く行かない。彼女はジェイムズに肩を借りながらようやく上半身を起こした。そして不安そうに彼を見つめる。
「それよりも……、イヴちゃん……始祖人類の身体を奪った人物は?」
「ええ……今、先程この街のあちこちで破壊の限りを尽くしております」
「……やっぱりそうなんだ」
陽子は天を仰いだ。その視線には不安の色が滲んでいた。ジェイムズはそんな彼女を励ますようにそっと彼女の肩を叩く。
「ご心配なく、後の事は我々が何とかします。貴女はどうか気にせず、先の事をお考え下さい」
「いつもすまないね、ジェイムズさん」
陽子はそう言って力なく微笑む。そして彼女は街の方に目を向けた。その視線の先にはあちこちで立ち上る火の手が見えている。そしてその街の中心部では一人の人物が破壊の限りを尽くしていた。
それは白い髪、雪花石膏のような白く透き通った肌、赤い瞳をした少女の姿をした存在であった。
「この世界も終わりだね。人類はあの強大な力を前に完全な敗北を喫す。アレを止める事が出来る可能性があるのは、私ともう一人だけ……いや、二人だけだったんだけど……今回も結局みんなやられちゃったか……」
陽子はそう呟くと自嘲気味に笑ってみせる。そして彼女は重い身体を引きずるように立ち上がった。
「せめて、私だけでもどうにか悪足掻きしないとね」
ジェイムズはそんな陽子の手を掴んだ。だが彼女の身体はフラつき、すぐに倒れ込んでしまう。それでも彼は必死に彼女を抱き止めた。その身体から伝わる熱に、ジェイムズは彼女の限界が近い事を感じ取っていた。
「陽子さん、その身体で動くのは無理があります。ここはもう……」
「そう言って、私が諦めると思うかな」
陽子はジェイムズの腕の袖を掴むと、精一杯の不敵な笑みを作って見せた。その瞳には強い意志の光が宿っている。
「それは存じておりますが……」
「それはジェイムズさんの気分が悪いって言うんでしょ。だって、貴方に私のトドメを刺せとお願いするとすごく嫌がる事はもうわかってるから」
「……お見通しですか」
「まあ、ね。……じゃあ、行ってくるよ。だから……」
陽子はジェイムズから手を離すと、一人で立ち上がり、街に向かって歩き出そうとした。しかしその瞬間に彼女の身体はまたもよろけてしまう。それを慌てて支えようとするジェイムズだったが、彼は彼女と共にそのまま地面に倒れ込んでしまった。
そんな二人にゆっくりと近づく人影があった。それは白い髪に白い肌の少女であった。少女は紅い瞳を妖しく輝かせながら二人を見下ろしている。陽子とジェイムズはその視線に射すくめられたかのように動けなくなってしまった。
「まだ生きてたのか、しぶといのだな」
少女はそう言って口元を歪めた。
「ええ、いつも私は決死の覚悟だよ」
ジェイムズが抱える横で陽子はそんな彼女を睨み付けた。
しかし少女は全く気にした様子もなく、ゆっくりと近づいてくる。そして陽子の顔に自分の顔を寄せると、そっと囁きかけるように言った。
「しかし、残念な事に、もう終わりだ」
少女は陽子の頰をそっと撫でる。
「本当、見る度に憎たらしいくらい綺麗な顔だって思うよ。元の肉体の持ち主はもっと可愛らしい性格の子だけどね。雪の妖精なんて呼ばれるくらいの綺麗な子だ」
「何が言いたい」
「貴方には相応しくないって事だよ」
そう言って陽子が、自分の身体を支えるジェイムズに目配せをする。ジェイムズは小さく頷いてその場を離れていく。
それを確認すると、陽子は痛む身体を懸命に引き摺って少女に向かってそのまま、一歩を踏み出した。
「死に損ないめ、まだ動けるか」
少女の声には僅かにだが驚きの色が滲んでいた。
「当たり前だよ。……貴方に勝てるかどうかはわからないけど、私がここでやらなきゃいけないからね」
陽子はそう答えながら更に一歩前に進む。そして胸元から植物の種子を取り出すと、それに魔力を込め大槌を具現させる。
「……その身体、返して貰うよ」
陽子は大槌を握り締めると、そのまま少女に向かって飛びかかった。少女はそれを軽く避けると、手刀で陽子の腹部を貫いた。
「がっ……」
「この身体は既に私の物だ」
少女はそう言って微笑むと、陽子の身体から腕を引き抜いた。そしてそのまま崩れ落ちそうになる彼女の身体を抱き留める。
「これでお終いだ」
少女はそう言うと、陽子の首をへし折った。
「クッ……」
ジェイムズはそんな光景を目の当たりにし、歯噛みする。彼の視線の先には、既に事切れた陽子の身体を抱き留める少女の姿があった。少女はそのままゆっくりと立ち上がると、自分の胸に手を当てて目を閉じた。
「すみません、わかってはいながら……貴方を救う事ができなかった。……陽子さん」
ジェイムズはそう呟きながら拳を強く握っている。そんな様子を陽子は地面に横たわったまま、黙って見上げていた。
「味気無いな」
少女はそう言うと地面に横たわる陽子の身体を無造作に蹴り上げた。地面を転がる陽子の身体。しかし、もう動かない。
「彼女は……」
ジェイムズはそう言いながら拳を握る力を強める。そんな彼の様子を横目で確認しながら少女は言葉を続けた。
「ジェイムズ・ウィルソン。お前は、お前の選択が間違っているとは思わないのか?」
少女はそう言うと、陽子の死体を踏みつける。彼女の身体は既に人間の遺体というよりもゴミに近い状態になっていた。
「しかし……」
「私にはわからないな」
ジェイムズの言葉に被せるようにして少女は言う。そして陽子は彼女によって更に強く踏み付けられた。少女の足元で嫌な音が響く。その音を聞きながらも、少女の顔に怒りの表情は浮かんでいなかった。むしろその表情にはどこか哀愁のようなものが漂っているようにすら見えた。
「私は──」
「お前は本当にそれで良いのか? このまま、何もせずに」
少女はそう言うとゆっくりと足をどける。そして今度はジェイムズに向かって歩み始めた。彼はその足音に反応して思わず身構えてしまう。しかし彼女はそんな彼を素通りし、そのまま彼の横を通りすぎて行った。
「私は……、私の選択は間違っていないと信じている。貴様の支配を受け入れるよりかはな」
「そうか……ならば死ね」
少女はそう言ってジェイムズの首に手刀を叩き込んだ。それは一瞬の出来事が如き、鮮やかで無駄のない一撃であった。ジェイムズの身体はそのまま崩れ落ちるように倒れ込んでしまう。
「残念だ、ジェイムズ・ウィルソン。貴様は新たな時代には生きられぬ」
そんな少女の呟きを掻き消すかのように、街に轟く爆音。しかしそんな光景の中にあっても、少女はどこか浮世離れした雰囲気を身に纏い続けていた。そして彼女はゆっくりと空を見上げた。




