23.未来を蝕む者⊕
ロナルドはイヴを抱きかかえながら走る。その隣を香月が並走していた。彼は怪我を負っていたが、それでも必死に走っている。イヴはそれを心配そうに見つめていた。
(私が足を引っ張ってるんだ……)
イヴは自分の不甲斐なさに胸が苦しくなるのを感じた。自分が居なければきっと香月は怪我を負う事はなかったはずだと思う。しかし、今更嘆いたところで事態は変わらない。今は一刻も早くここから逃げ出す事が最善の選択だと思えた。
「妙だな……襲撃犯の姿が見えない……」
香月が眉をひそめながら辺りを見回す。彼の言う通り、あれだけ激しく追ってきた覆面の男達の気配が途絶えていた。まるで、わざと逃げ道を開けているかのように。
「罠かもしれない、急いで抜けるぞ」
ロナルドが警戒しながらも足を止めることなく、イヴを抱え直してさらに速度を上げた。
香月もその後を追うように走るが、怪我のせいで足取りがふらつく。それでも彼の目は真剣そのものだった。
「大丈夫だ。ここを抜ければ……」
香月が言いかけたその時、突然イヴが苦しげな声を上げた。
「痛い……」
ロナルドの腕の中でイヴが震え、額に冷や汗が滲む。
「未来、どうした⁉︎ 大丈夫か!?」
ロナルドが心配そうに覗き込むが、イヴは次第にうめき声を強めていく。
「頭が……割れるように痛い……!」
その言葉に香月が駆け寄ろうとするが、イヴの体が突然硬直し、ロナルドの腕の中から飛び出すようにして立ち上がった。
「イヴ!」
香月が叫ぶが、イヴの瞳は焦点が定まらず、何か異質な力が彼女の中で蠢いているのが感じられた。
「大神、何か様子が変だ! 離れていろ!」
ロナルドが警告するが、時すでに遅く、イヴの身体から圧倒的な魔力が放出された。
「フフフ……なるほど、これは……」
ロナルドは一瞬で距離を取り、香月も身構えた。
「イヴ……!?」
香月が驚いた様子で声を上げる。イヴがゆっくりと目を開き、その瞳は不気味な輝きを灯していた。
「フフ……。この身体、悪くないな……どれ……」
イヴが掌を前に突き出した。
「Transmute my life force into raw power, and become a torrent that devours all. Emerge, Energy Burst.(我が命の鼓動を力に変え、すべてを飲み込む力の奔流と化せ。顕現せよ、エナジー・バースト)」
「うわっ……!」
第一世代魔術の呪文の詠唱による、魔術の発動だ。魔力激発の発動としては基本の二節での呪文の詠唱。しかし、放たれる力は異常とも言えるほど強大だった。
香月は反射的に防御の姿勢を取ったが、イヴの掌から放たれた魔力の奔流は巨大な衝撃波となってそのまま彼の肩口を直撃した。香月は空中に吹き飛ばされ、遠くの壁に激突して倒れ込む。
「大神!」
ロナルドが駆け寄るが、香月は痛みに喘ぎながらも立ち上がろうとした。その顔は血に染まり、呼吸も荒い。
彼女の放った衝撃波は病院の壁を幾層も貫いて大穴を開けていた。
イヴは思わず声を張り上げていた。
「アハハハハ! ついに手に入れたぞ、これが魔術師の理想の肉体! 神と同等とされる始祖人類の力! 身体中に魔力が溢れるほど生命力が漲っているぞ! 成る程、これ素晴らしい! この力なら世界を手中に治めるのも夢じゃあない!」
イヴは両手を広げて高らかに笑った。その目は狂気に染まり、口元は妖艶に吊り上がっている。
(一体何が起こってるんだ……)
香月は呆然としながら立ち上がったが、体に力が入らないのかふらついてしまう。
イヴはゆっくりと彼に近づいていくと、顎に手を当てて視線を合わせる。
「お前には感謝せねばな。お前の肉体をいずれ頂くつもりでいたが思わぬ収穫をもたらしたのだから」
「お前は、誰だ……? イヴじゃない……」
「ああ、そうだったな。私の名はイヴだ。この肉体は紛れもなく私の物だとも」
イヴはそう言って満足げに微笑むと、香月の腹を蹴り飛ばした。香月は呻きながら再び地面に転がる。
「ぐっ……! なぜこんな事をするんだ!」
香月が苦しげに顔を上げると、イヴは冷たい笑みを向ける。その眼差しは冷徹で、まるで別人のようだった。
「お前が知る必要はない、もう用済みだ。さっさと死んでくれ」
「ふざけるな! イヴを返せ!」
「返す? 違うな、この肉体は私が乗っ取ったのだ。もう私のものなのだよ」イヴが掌を香月に向ける。「Emerge, Energy Burst!(顕現せよ、エナジー・バースト!)」
彼女がそう言った瞬間、彼女の掌から強烈な魔力が放たれた。香月は咄嗟に身を翻すが、圧倒的な力に為す術なく吹き飛ばされる。
(これは……)
香月は薄れゆく意識の中で思う。この力は間違いなくイヴのものだ。だが同時に何か別のものを感じる。それが何かは分からないが、このままではまずいという事だけは分かった。
(何としてでも、こいつを止めないと……)
香月は歯を食いしばりながら立ち上がったが、すでに満身創痍だった。それでも彼は諦めずにイヴに向かって駆け出す。
「無駄な足搔きを……」
イヴは嘲笑うと駆け寄ってくる香月を投げ飛ばした。香月の身体は放り出され、壁に叩きつけられる。
(くそっ……このままじゃ……)
薄れゆく意識の中、彼は必死に立ち上がろうとするが、体はもう動かなかった。
「トドメだ」
イヴの掌が香月に迫る。そして、そのままその細い指先で彼の胸を貫いた。
「うぐっ……!」
香月は苦悶の声を上げながらも必死に抵抗するが、イヴの腕から逃れる事は出来ない。彼女はニヤリと笑うと、さらに力を込めていく。
(このままじゃ……本当に死ぬ……)
香月の脳裏に死という文字がよぎる。それを感じ取ったかのようにイヴは目を細めた。その赤い瞳には狂気と殺意が入り交じった光が宿っていた。
「安心しろ、一瞬にして消し炭にしてやる。そしてお前の魂は我が野望の礎となるのだ」
イヴがそう言った瞬間、彼女の身体から膨大な魔力が溢れ出した。
「やめろ……!」
香月は必死に抵抗しようとするが、もはや体は動かない。
「やめるんだ、未来!」
「ええい! 邪魔だ!」
ロナルドが背後からイヴに組み付こうとしたが、彼女はそれを振り払うとそのまま片腕でロナルドの体を吹っ飛ばした。
「さらばだ、小僧」イヴが香月を貫いた指先に魔力を込める。「Converge, infinite power! Crush all and collapse into the core of the void! Emerge, Energy Implosion.(収束せよ、無限の魔力よ。全てを圧し潰し、虚無の中心へと収斂せよ。顕現せよ、エナジー・インプロージョン)」
その言葉と共にイヴの掌から放たれた爆発的な魔力のが、香月の身体を飲み込んでいく。そして彼の肉体は跡形もなく消滅した。




