20.霧島麗奈の結末⊕
陽子の言った通りにその数分後、ジェイムズからの連絡が来た。連行されて行った二人の内、レナード・オルランド──ディヴィッド・ノーマンの残党狩り作戦の途中で行方を眩ました元幹部魔術師の方は満月亭で尋問を受けている最中だった。
霧島麗奈の方はというと肉体の限界を超えた魔術の行使で治癒魔術では回復し切れない程に身体の損傷が酷く、魔術協会傘下の病院に搬送されたとの事だった。
二人に連れ去られたイヴの方はというと特に身体には別状は無かったものの念の為の検査で病院に運ばれていた。
彼女は精密検査を受けている最中らしく香月が来院してもタイミングが悪く面会する事ができなかった。だが香月がこの翠麗学院大学付属病院にやって来たのは他の目的の為だ。
それは、霧島麗奈の尋問だった。勿論、魔術による尋問ではなく純粋な口頭によるもので、それは香月自身が行うこととなっていた。
彼は病室の前で立ち止まり、深呼吸をしてからゆっくりとドアを開いた。
「入るぞ」
部屋に入ると、そこにはベッドに横たわっている麗奈が居た。彼女は上半身を起こして窓の外を眺めていた。
「何しに来たの」
冷たい声でそう言うと彼女は視線を外に向けたまま黙ってしまった。その表情は読めず、香月はため息をついてから椅子に腰を下ろした。そして改めて彼女に向き直った。
「尋問だ。アンタについて教えて貰うぜ」
「答える事なんて何もないわ」
麗奈はそう言って再び口を噤んだ。その態度からは強い拒絶の意思が感じられる。
(まあ、予想通りの反応だな)
香月は小さくため息をつき、それから言葉を投げかけた。
「まずはありがとうと言っておくよ。アンタがレナード・オルランドを裏切ってイヴを安全な場所へ送ってくれたお陰で、あの後イヴは無事に協会の連中に保護された」
「別に貴方の為にやった訳じゃないわ」
彼女はあくまで香月に対して冷たく接しようとするが、香月は気にせず続けた。
「ああ。それはわかってるさ。でも、結果的に俺はイヴを守る事が出来たんだ」
その言葉に嘘はない。もし麗奈がいなければあの時、あのタイミングでイヴの身柄を保護する事は不可能だっただろう。彼女のお陰で助かったという事実は変わらないのだ。
「ねえ」
突然、麗奈が口を開いた。それは問いかけというよりは独り言のように小さな声だった。香月は聞き取ろうと耳を澄ませる。
「何故私を殺さなかったの?」
「どういう意味だ?」
麗奈は窓の外に目を向けたまま答える。
「私の賢者の石を破壊した時、貴方は私を殺そうと思えば殺せたはずよ」
香月は視線を落として考える素振りを見せてから口を開いた。
「そうだな。アンタを殺さなかった理由は三つある」
「聞かせて頂戴」
彼女は興味深げに香月を見た。その目は真剣そのもので、彼は少し気圧されながらも続けた。
「まず一つ目だが、アンタがイヴに危害を加えなかった事だ」
「じゃあ、二つ目の理由は?」
「単純に俺の気分が良くなかった。アンタがイヴを解放してくれた理由と同じさ」
香月はそう言って苦笑する。その笑みには自嘲と疲労の色が混ざっているように見えた。麗奈はその顔を見てふっと目を細める。そして再び窓の外へと視線を戻した。
「三つ目は……まあ、なんだ、これはただの個人的な感情だが……」
少し間を置いてから彼は続けた。
「俺も復讐の為に魔術師としての生を選んだからな、アンタの気持ちが少しはわかるような気がしたからだ。俺は復讐を遂げる日の為に生きている。だが、それは決して誰かに褒められるような事じゃない」
香月はそこで一度言葉を切った。麗奈は相変わらず窓の外を眺めたままで何も語らない。
「アンタはまるで、行き場を失った感情を復讐することに向ける事でそれに縋っているように見えた。だが、アンタはイヴを助けてくれた。とても殺すなんて気にはなれなかったよ」
香月はそこで言葉を切り、麗奈の反応を窺った。彼女は相変わらず無言だったが、その雰囲気からは先程までのような刺々しい空気は感じられなくなっていた。
「ねえ、一つ聞いてもいいかしら?」
不意に麗奈が口を開いた。その声には若干の戸惑いが含まれていたが、それでも冷静さを保っていた。香月は静かにその続きを促した。
「何だ? 答えられる範囲なら答えるぜ?」
「貴方は……本当に復讐を果たしたいの?」
彼女は静かにそう尋ねた。その表情にはどこか迷いのようなものが感じられた。
「……ああ」香月は一瞬の間を置いてから答えた。「俺は絶対にこの手で人形師を殺すつもりだ」
その言葉には強い決意と覚悟が込められていた。彼は真っ直ぐに麗奈を見つめて続ける。
「その為だけに、俺は魔術師になったんだ」
香月の目には迷いはなかった。その眼差しからは強い意志が感じられる。
「……そう。そういえば貴方は、ディヴィッドが遠い昔に人形師に売った子供だったらしいわね」
麗奈は小さく呟いて再び窓の外へと視線を移す。その表情には複雑な感情が入り混じっているように見えた。彼女はそのまましばらくの間沈黙していたが、やがて意を決したように口を開いた。
「私、人形師を知っているわ。私の機巧魔術も、彼から与えられた物よ」
「何?」
予想外の告白に香月は驚きの声を上げた。麗奈は窓の外を見つめたまま続ける。
「彼は貴方が思っている以上にはぐれ魔術師としては偉大な存在よ。あのディヴィッドですら一目置くくらいにはね。でも彼を追おうなんて思わない方が良いわ」
「どういう事だ?」
「彼は魔術協会で定める封印指定に匹敵する程の魔術犯罪者よ。あの人の魔術の知識は、人の一生では得られない程に先を行っている。それどころか、あの人は人間ですらないかもしれない」
「どういう意味だ?」
香月は眉を顰める。
「わからない。でも、そう感じさせる程の異様な雰囲気の持ち主だったわ。次元の違う何かに見えた。だから、深追いしない方が身の為よ」
「……忠告どうも」
彼女の言葉には一抹の真実味があった。それは香月も薄々感じ取っていた事でもある。だが、今はそれよりも気になる事がある。
「アンタは何でそんな事を教えてくれるんだ?」
「さあね。ただの気まぐれよ」
麗奈は素っ気なく答える。だが、その表情には先程までの険しさはなく、どこか諦めにも似た表情だった。
香月はその姿を見て少し戸惑ったが、すぐに気を取り直して話題を変えた。
「まあいいさ。とにかくアンタの尋問をさせて貰うぜ」
「……好きにして頂戴」
そう言って彼女は視線を窓の外に向けたまま黙り込む。その瞳は依然として空虚な色を浮かべていた。彼女の言葉は嘘ではないだろうが、その真意は読み取れなかった。
香月は軽くため息をついてから尋問を開始した。彼は淡々と質問を投げかけ、彼女はそれに淡々と答えた。
「レナード・オルランドはイヴを誘拐して何をするつもりだった?アンタは何か知っているか?」
「知らないわ。私は何も知らされていない。でも、復讐の支援を受ける代わりに協力する事になっていた」
「レナード・オルランドの裏には誰が居る? アンタは知っているのか?」
「詳しくは知らない。彼が言うには偉大な人物らしいわ。どこの組織の人間かはわからない」
彼女は淡々と答えるが、その態度からはどこか余裕すら感じられた。香月は質問を続けるが、結局それ以上の情報は得られなかった。
「ねえ」
唐突に麗奈が口を開いた。視線は相変わらず窓の外に向けられたままだったが、その声は先程までとは違いどこか不安げな響きがあった。彼女は一瞬言い淀んでから続けた。
「私はこれからどうなるの?」
「どう、とは?」
香月は聞き返す。
「……処刑されるの? 魔術犯罪者として」
彼女は視線を落とし、不安げに呟く。その声色には怯えの色が混じっていた。香月はそんな彼女の様子を見て小さくため息をついた。そしてそのまま言葉を続ける。
「アンタが魔術犯罪者だってのは認めるんだな?」
「……ええ」
彼女は少し躊躇してから答えた。
「私が仕出かした事は事実だもの。当然でしょ」
彼女の言葉からは強い決意と覚悟が感じられた。だが、その声音からはどこか迷いのようなものが感じられるのも事実だった。
「アンタが父親を殺した件に関しては、魔術協会で裁く事は多分無いだろう。それに変身魔術でディヴイッドの姿になって犯行に及んだ以上、表の世界の法律じゃアンタは裁けないだろうな。だが」
「だが?」
麗奈は不安げに香月の次の言葉を待っている。彼は真剣な表情で続けた。
「アンタが魔術を使って一般社会に危害を加えた件、それは別だ。アンタを魔術師と見なして裁かれる事になるだろうな。記憶処理して魔術の知識を奪うか、死をもって償いとするかというのは魔術審問会が裁定する事になるな」
「……そう」
彼女は小さくため息をつく。そしてそのまま黙り込んだ。その表情からは感情を読み取る事はできない。
「恐らくは、魔術の世界に触れた全ての記憶を消される事になるだろうな」
香月は淡々と事実を告げる。その言葉には同情や哀れみといった感情は一切含まれていない。
「そう……」
彼女はそれだけ言うと再び黙り込んだ。その瞳には深い絶望の色が浮かんでいた。彼女はベッドから立ち上がり、そして窓際へと移動する。
「もし記憶処理をされるとしたら、魔術の世界に触れてからの記憶は全てなくなるのね?」
彼女は静かに言った。その瞳からは感情を読み取る事はできない。香月は静かに答える。
「ああ」
「……そう」
麗奈は窓の外に目を向ける。そこには一面の海原が広がっていた。太陽の光を反射してキラキラと輝いているその様子はとても美しく見えたが、今の彼女にとっては何の価値もないただの景色に過ぎないだろう。
「じゃあ最後に一つ聞かせてくれるかしら?」
「何だ?」
「貴方は本当に人形師を殺すつもりなの?」
香月は窓の外を眺めている彼女を真っ直ぐ見つめて答えた。彼女の表情はガラスに反射して見えないが、その口調にはどこか真剣さが感じられた。
「復讐を果たす為ならば、何を犠牲にしても構わないと思う程に?」
その問いに香月は即答する。
「ああ」
「……そう」
麗奈はそれだけ言って口を閉ざした。その顔は相変わらず無表情だったが、その瞳には悲しみの色が浮かんでいたように思えた。
彼女が窓をガラリと開ける。そのまましばらく沈黙していたが、やがて再び口を開いた。その声は心なしか震えているように感じられたが、それでもはっきりとした口調で続けた。
「貴方を止めてくれる人が現れると良いわね。貴方は私よりも根が深いみたいだから」
「どういう事だ?」
香月は思わず聞き返したが、彼女はそれ以上何も答えなかった。ただ黙って窓の外を眺めていただけだった。
香月はその態度に違和感を覚えながらも彼女の言葉について考えていた。
(俺を止める人? 根が深い?)
彼は自分の目的の為に多くのものを犠牲にしてきた。復讐の為に生きていると言っても過言ではない。それは彼自身の意志で決めた事であり後悔はない。だが、もし本当にそんな人物が現れたとしたら……。香月はそこまで考えて小さく首を振った。そんな事あるはずがない、いや誰にも止めさせない。今更復讐の意志を覆すなど出来る筈もないのだから……。
「もう尋問は終わりでしょ。行っても良いわよ」
麗奈が静かに言ったので香月は小さく頷いて立ち上がった。
「ああ、そうだな」
彼はそう言って病室の出口へと歩いて行く。
「さようなら、もう……会う事は無いでしょうね」
背後から聞こえてきた声に香月は思わず振り返ったが、そこにはもう彼女の姿はなかった。開かれた窓から霧島麗奈は飛び降りたのだった。
香月は呆然としてその場に立ち尽くしていたが、すぐに我に返って慌てて窓の方へと駆け寄った。そして窓の外、眼下の景色を覗き込んだ。
そこは病院の裏庭であり、花壇や植木などが綺麗に整備されていた。麗奈はその中心で倒れ伏していた。香月は慌てて窓から飛び降りて彼女の方へと駆け寄る。
「おい!大丈夫か!?」
香月は彼女の身体を抱き起こしながら叫ぶ。
彼女は小さく呻き声を上げてからゆっくりと目を開いた。その瞳からは生気が感じられないが、それでも意識ははっきりとしているようだ。
「私は……ディヴィッドとの思い出を忘れたく無い……。だから……私は……私のままで死ぬわ……」
「何を言って……」
香月は困惑した表情を浮かべる。だが彼女は構わず続けた。
「父を殺した記憶すら……忘れて、のうのうと生きるなんて……絶対に出来ない……」
彼女の呼吸は次第に弱くなっていき、瞳からは一筋の涙が溢れ落ちた。香月はその涙を拭いながら彼女の手を握りしめた。その手から伝わる体温は徐々に冷たくなっていく。
「おい!しっかりしろ!」
香月は叫ぶが返事はない。彼女はただ虚空を見つめているだけだった。やがてその瞳からは光が消え、そして完全に動かなくなった。




