17.決意の交錯
香月は、麗奈の後を追って夜の街を駆け抜けた。魔術剽窃で清香から拝借した魔力感知の魔術を発現させると、麗奈の気配や魔力の残滓を感じ取るたびにすぐにその方向へ向かう。
しかし、まるで追い風に乗ったかのように、彼女の存在は次第に遠ざかっていく。
「……クソッ、必ず追いつくからな!」
香月の言葉には決意が揺るぎなく宿っていた。それは、イヴを救い出す事、そして彼女の日常を守る事だった。
彼は、一度大きく息を吸い込み、魔力を身体中に巡らせて自身の感覚を研ぎ澄ませる。麗奈の残り香、魔力の微細な揺らぎ、それらすべてを捉え、空間跳躍魔術も使いながら彼女の行き先を追跡する。
やがて、暗い路地に差し掛かったところで、麗奈の姿が目に入った。彼女はそこで立ち止まり、ゆっくりとこちらを振り返る。
「……やはり、追ってきたのね」
「当たり前だ。イヴは渡さねえ」
香月の言葉に、麗奈に抱えられたイヴが声を漏らす。
「香月君……」
香月がゆっくりと麗奈に近づいていく。彼女は小さくクスリと笑うと、静かに口を開いた。
「ふふっ……思った通りね。でも、安心なさい。私がここまでこの子を連れてきたのは、貴方だけを誘き出す為だけよ」
そう言うと、彼女は抱えたイヴに対して魔術を使う。
「Leaping《空間跳躍》」
すると、麗奈の指輪の一つが青白い光を放ち始める。
たちまち麗奈に抱えられたイヴの姿が消えた。空間跳躍魔術で何処かに移動させられたのだ。
重い荷物がなくなったとばかりに、麗奈が一つ伸びをすると、言葉を続ける。
「彼女には、商店街の表通りあたりに移動して貰ったわ。魔術協会の誰かが見つけてくれるようにね」
「どういう事だ……?」
麗奈が肩をすくめる。
「趣味じゃないのよ。貴方の傍に居た二人の女の子、それにこのイヴって子もね。危害を加えるつもりは元より私には無かったわ。レナードから魔術人形を街に放つ作戦を持ち掛けられたのも不本意ではあった。そんな事をしたら私の気分が良くないのよ」
彼女の言葉は、意外なものだった。しかし、それ故にかえって警戒が強まる。香月は慎重に麗奈の動きを注視しながら口を開いた。
「へえ、随分と優しいんだな。じゃあ、わざわざ俺を誘き寄せたのは──」
「何度も言っているじゃない」麗奈は、香月の目を真っ直ぐに見つめて言った。「ディヴイッドの復讐を果たす為よ。純粋にね。だから標的にしか手出しはしない」
その言葉には、彼女の決意がはっきりと表れていた。彼女は本気だ。本気で自分と戦おうとしているらしい。こちらも覚悟を決めなくてはいけない。
「……ああ、そうかよ」
香月は静かに答えると、ゆっくりと拳を構えた。そして、全身に魔力を循環させ始める。
「あら、やる気になってくれるのね」
「当たり前だ。例えアンタがイヴを傷つけるつもりが無くても、もうこれ以上彼女をこちらの世界に巻き込ませる訳にはいかねえ。アンタが俺への挑戦にイヴを利用するってんなら、それも許すつもりもねえさ。それに──」
そう言って、口の中で発動の言葉を呟き肉体強化魔術を発動させる。
「アンタ、本当は人を傷つけたいなんて思っちゃ居ないんだろ。憎しみに突き動かされただけの人間がわざわざ人質に配慮なんてしねえさ。だから、アンタを止める事に決めた」
麗奈は一瞬驚いた表情を浮かべた。だが、その表情はすぐに消え去り、代わりに嘲るような笑みが口元に浮かぶ。
「……できるのかしら?」
麗奈は薄く笑いながら、挑発するように言い放つ。
「まさか貴方の優しさなどで私を止められると思っているの? 甘いわね、大神香月。貴方は何もわかっていない。ディヴィッドが私に遺してくれたものは、そんな生ぬるい感情で済む物ではないの」
そう呟くと、麗奈の胸の赤いペンダントの魔石が妖しく光り出した。彼女の持つ賢者の石だ。彼女の周囲に強大な魔力が漏れ出ているのが分かる。ビリビリとした感覚が肌を走っていくのを感じ、香月が警戒を強める。
「……行くぞ」
香月が地面を蹴ると、一瞬にして彼の姿が搔き消えた。次の瞬間、麗奈の前に現れた香月は拳を振りかぶり、全力で攻撃を繰り出そうとする。
しかし、麗奈はその攻撃を容易くかわし、静かに微笑んだ。
「戦ってくれるのね。ありがとう、これで私の気も晴れる。本当にあの子たちを傷つけるつもりはなかったから、貴方が私の誘いに思惑通り乗ってくれて良かった」
その囁きに香月は一瞬、動きを止めた。麗奈の声には、その裏に何やら深い哀しみがあるように感じられた。
「……何故だ?」
「だって、彼女たちを見ていると、昔の自分を思い出すの」麗奈は淡々と続ける。「両親の離婚で居場所を失い、オカルトに逃げ込んで……そしてディヴイッドに出会ったあの日。私は救いを求めるように魔術の世界へ踏み込んで行った。色々と普通ではもう無くなってしまったわ。でも、あの子達は多分私とは違う。それだけよ」
香月は麗奈の言葉に動揺を隠せなかった。彼女がこれまでに魔術を使って犯してきた数々の罪が、今この瞬間にも重くのしかかっているようにも見えた。
「けど、ディヴイッドを失った今、私には復讐しか残っていない……それが今の私の生きる理由だから」
麗奈は最後にそう告げると、再び戦闘態勢に入る。
「アンタは多分、色々と選択肢を間違えちまったんだろうな。縋る物をきっと間違えた」
香月はそう呟きつつ、再び拳を構える。しかし、麗奈の魔術がどのようなものかをまだ把握できていない。慎重に行動する必要があるだろう。
「そうね……そうかもしれない。でも、今更引き返すつもりもない」
彼女はそう言うと、ゆっくりと左手を上げた。指には魔石付きの指輪が三つ。各々が精神干渉、空間跳躍、最後にあの炎が蛇のように襲いかかってくる火炎魔術を放てる魔道具だ。
恐らく使ってくるのは火炎魔術の可能性が高いが、この復讐を遂げる為に全身にまで彫った魔術刻印を使われる可能性だってある。
「行くわよ」
麗奈がそう呟いた瞬間、彼女の周囲に魔力が迸る。そして、その次の瞬間には香月の目の前に現れた。
「クッ、はやっ……」
思わず声が漏れた。
「貴方もね」彼女はそう言って笑う。「それにこの魔術は、貴方の使う身体強化とは少し違う」
そう言うと、彼女は再び姿を消す。しかし、今回はしっかりとその姿を捉えていた。香月は咄嗟に背後に飛び退くと、そのまま麗奈の攻撃をかわそうとする。
「あら、よく分かったわね」
しかし、香月は背後から彼女の声が聞こえた事に驚きつつも、素早く身を翻して反撃に転じる。
だが、その攻撃も虚しく空を切る結果となった。彼女は既に別の場所へと移動していたからだ。
(何だ? まるでノーモーションで空間跳躍魔術でもしてるみたいだ……いや、でも指輪は光っていなかった。これは違うな)
香月はすぐに気づく。これはただの高速移動だ。恐らく、彼女の肉体強化魔術は肉体を強化するだけではなく、動体視力や反射神経までも向上させるのだろう。
「くそ、厄介だな」
麗奈は薄く笑う。
「どう? 貴方も私の魔術で苦しめてあげる。あの子達に危害を加えた事を後悔するくらいにね」
彼女はそう言って笑うと、再び姿を消してしまう。今度は何処に現れるのだろうと警戒を強めるが、彼女の姿は見えないままだ。気配すら感じられない。香月の額に冷や汗が流れる。
(これは、新しく彫ったっていう魔術刻印が何かを知る必要があるな……。手が打てない)
そう考えつつも周囲に意識を向けていると、突然背後から気配を感じた。慌てて振り返るとそこには麗奈の姿がある。
「チッ!」
舌打ちをするがもう遅い。麗奈の蹴りが腹部に命中すると、そのまま吹き飛ばされてしまう。
「ぐっ……!」
苦しそうな声を上げると、彼女は更に追い討ちをかけるように距離を詰めてきた。
「ほら、どうしたの?かかってきなさいよ!」彼女は笑みを浮かべて言う。「それとも、もう終わりかしら?」
香月はすぐに立ち上がり構えを取る。そして再び拳を放ったが、その攻撃は再び空を切った。しかし今度は麗奈の姿が消える事はない。恐らく次の機会を狙っているのだろう。彼女の動きに警戒しつつ、更に肉薄する。
「逃がさねえぞ!」
香月の拳が麗奈に命中する直前、彼女は姿を消してしまう。だが今度は意識を集中させしっかりとその姿を捉えていた。
「ここだ!」
香月は素早く身を翻すと、彼女の姿が現れると同時に掴みかかった。麗奈の腕を掴み、間髪入れずに魔術を発動させる。
「Analysis《解析》!」
彼女に関する肉体の情報と彼女がその身に彫り込んだ魔術刻印の情報が右手から脳裏に濁流のように流入してくる。
「くっ……何のつもり……」
「アンタの使う魔術が何なのか把握させて貰った。そして、一部を封じさせてもらう!」
そう言って、麗奈の腕を掴んでいた右手を滑らせて彼女の指にはめられている指輪に触れる。
「Leaping《空間跳躍》」
空間跳躍魔術を発動させ、麗奈の指輪三つを空間の向こうへ転移させる。
「なっ……」
麗奈が驚愕に目を見開く。
「へへ……第三世代魔術の弱点はな、魔道具を使った発動である以上、魔道具そのものを奪われたらその効果を発動できないってことだ。アンタの空間跳躍魔術、火炎魔術、精神干渉魔術はこれで封じられた。それと……アンタの肉体強化魔術を借りさせて貰うぜ」
そう言って、麗奈の肉体強化魔術を発動させる。
「Synergy Enhance《筋力・神経反応融合強化》」
自在術式が全身に行き渡り、魔術刻印が伸びていく。発動した魔術は香月自身の肉体能力が向上させていく。
「貴方、まさか私の魔術を盗んだの?」
彼女の声には困惑が滲んでいた。
「ああ、その通りだ。アンタの魔術刻印は全部解析させてもらった。これでもうアンタの手の内は丸わかりだ。それにアンタの使う魔術は全部俺も使える」
「嘘……」
彼女は信じられないと言った表情を浮かべる。
「本当さ。これでもう同じ土俵だ」
そう言って、香月は拳を構えた。
「さあ、反撃開始だぜ」




