11.霧島麗奈の理由⊕
霧島麗奈は実の母親に誘拐された時、父の悟史と母の眞美子の不仲はもう既に危うい所まで来ていた。
悟史は、麗奈の誘拐を仕組んだのは眞美子だと最初から疑っていた。だが、眞美子は悟史と離婚して麗奈と一緒になりたいがために、彼女を連れて逃げたのだ。
悟史はというと、眞美子から麗奈を救おうとしていた。
それは麗奈からしても間違いないとは思ってはいた。母は錯乱状態に近い状態ではあったし、父にとっても自分は愛すべき我が子だったからだ。
だが、彼が、父として取った行動のすべてが、麗奈の望んだものではなかったことも確かだった。
悟史と眞美子、この二人の夫婦仲が上手くいってなかったのは、後に離婚しているという事実からも明らかだった。きっかけは恐らく些細な感覚のズレだったのかもしれない。
ただ、その二人が離婚した事実は幼い麗奈の心に傷を作った。麗奈が父を憎むようになっていったのは、そのせいもあるだろう。
麗奈がオカルトに傾倒するようになったのもそれが原因だった。
彼女のオカルト趣味を、他人が理解してくれるとは思えない。だが、麗奈は父親譲りの理屈っぽさと頑固さで、自分の趣味はこの世界の真実に辿り着く物だと信じていた。
悟史と眞美子の夫婦仲が上手くいっていなかったから、麗奈は父を恨むようになった。だが、母と離婚してからはその父親と同居している。その心の中の歪みは西洋オカルトへの傾倒として形に現れた。
妄想じみた考えではあったが、それを追究する事で自らの幸福を掴めると麗奈は確信していた。
そしてその趣味であった筈のそれは麗奈が大学生の時に、突然変化を遂げた。出会ってしまったのだ。本物に。
それはディヴイッド・ノーマンが主催した闇オークションで精神干渉魔術を使う事ができる指輪を手に入れた事がきっかけだった。
それは精神干渉魔術の術式の刻印がされた指輪だった。オークションでディヴィッドに声を掛けられ、第三世代魔術の発動の仕方を教わった。そうして、麗奈の見ていた世界は色が変わった。
この世界の真実に辿り着いたと彼女は思った。
魔術を身に付けてからの麗奈は、それまでの鬱屈した思いを晴らすかのようにより一層オカルトにのめり込んでいった。
魔術は実在する。魔術を知ることは、世界の真実に触れる事だと麗奈は体感した。魔術は、これを極めれば世界の謎と秘密をより暴き立てることが出来るのだ、と。
魔術に不可能はない。それはこの現実世界の摂理を逸脱することができるという確信は更に麗奈を一般社会から逸脱させていく。それは彼女にとって自由を得たのと同義だった。
やがて、麗奈はディヴィッド・ノーマンという男を神格化するように彼を求めるようになった。彼には闇オークションで蓄えた莫大な富と、魔術を駆使する力があった。だから、魔術の力をより追い求める麗奈にとって彼は神にも等しかった。
そうして、麗奈は自らを捧げるようにディヴィッドの愛人になった。ディヴィッドは、麗奈の魔術への知識と、その身に宿した魔力の才能を評価していた。だから、彼は麗奈を自分の庇護下に置いたのだ。
ディヴィッドは魔術師としての自分を隠そうとはしていなかった。
彼は、彼女が手に入れた指輪の効果と同じ精神干渉魔術で人心を操作していた。彼の元には金や女を目的に欲望のままに人が群がった。麗奈もその中の一人だと思われたのかもしれない。
だが、麗奈はディヴィッドを愛した。それは彼が神にも等しかったからだ。そして魔術の力と知識を与えて貰った。
ディヴィッドは、麗奈を自分の庇護下に置くことで魔術の探求を援助した。
そして、麗奈は悟史の前から姿を消した。悟史が自分を連れ戻さないことを確信して。
ディヴィッドの元で、麗奈は魔術の力を更に探究した。そして、ある事件をきっかけに、ディヴィッドから独立し、独自に魔術の研究を行うようになった。
そのきっかけとは──ディヴイッドの死だった。
ある日突然、組織のリーダーであるディヴィッドが死んだという連絡があった時、麗奈は何かの間違いだと思った。だが、事実だとわかると彼女は半狂乱になった。
彼女はディヴィッドに全てを捧げていた。そして、彼の庇護下で魔術の探究に力を注いでいたのに。
麗奈にとってディヴィッドは神にも等しい存在だった。その神が死んだという事実は、麗奈を絶望させるのに充分だった。彼女は生きる意味を見失った。
そうして、彼女が彼を殺した魔術協会日本中部支部に復讐を企てるようになったのは自然な流れだったと言える。
その初めの段階として、変身魔術を使いディヴィッドの姿に扮して銀行強盗を行ったのは日本中部支部の魔術協会に対するアピールと、復讐を成功させる為の資金源の確保にあった。
そして二件目の銀行を襲撃した際に悟史の姿を見つけ、彼女は悟史を持っていた拳銃で撃った。
それは麗奈にとって、かつて自分がいた『魔術は存在しないと思われている世界』への決別の意思表示だった。
そして彼女にとっての神のような存在が死んだこの世界で、もはや自分ができる事は彼の意志を継ぐ事だと麗奈はそう確信していた。
◆
「んん……ディヴィッド……」
霧島麗奈はベッドの上で目を覚ます。あれから何時間経ったのだろうか、ぼんやりとそんな事を考えた彼女は深くため息をつく。すると、部屋の外から男の声が聞こえてきた。
「おや、目を覚まされましたか?」
そんな声に彼女は小さく舌打ちをする。
レナード・オルランド。それが声の主の名前だ。
この男は、とある小国の魔術協会総本部奇跡管理部の幹部魔術師だった。確か、ナウルという太平洋の島国だったか。世界で最小規模の共和国での魔術の隠匿活動はまるで無意味と言っても良いと考えると、彼は左遷された閑職の幹部魔術師だった。そう、つい先日までは。
「……何の用?」
「いいえ、特に用はありませんよ……。そうですねえ、貴女の様子を見に来ただけとでも言っておきましょう。貴方にお願いしていた作戦の決行の時も近いですしね」
「……そう」
そんな会話の後、レナードは黙り込む。そして、部屋に再び静寂が訪れる。だが、その沈黙は長くは続かない。すぐに麗奈が口を開く。
「ねぇ、一つ聞いても良いかしら?」
「ええ、何でしょう?」
そんなレナードの言葉に彼女は小さく笑う。
「貴方が魔術協会を裏切る形で行動してまで貴方が私に手を貸すのは何故? 影武者達の掃討作戦の最中、死亡を装ってまで私に加担するなんて。バレたら貴方は協会から追われるかもしれないのに」
「……そんな事ですか。簡単な事ですよ」
「どういう事?」
「貴女に利用価値があったからです。ただそれだけの理由で、貴女に投資して手を貸しているのですよ」
「なるほど、気に入らないわね。貴方、まだ何か隠してるでしょう」
そう言って彼女は小さく笑う。それらしく理由を答えているように見えるが、論点をはぐらかされている。あくまで魔術協会を抜ける事にした理由を彼は語ってはいない。
レナードが笑みを浮かべて返す。
「だからですねぇ、貴女は安心して貴方の思う通りに動いてください。そう、ディヴィッド・ノーマンの仇を取る事をね。その代わり、交換条件に私に手を貸してください」
「……分かったわ。貴方の目的としてる人物は……見つけたわ。それで、貴方の言う作戦を終えてディヴィッドの仇を取った後は何をすればいいのかしら? まさかとは思うけれど、貴方の下に着けと?」
「それは、貴女がお決めになって結構ですよ。私としては、とあるお方の傘下に貴女を就けたいと考えてはおりますが、それは貴女の望むままに任せますよ」
「そう。なら、少し時間をくれないかしら? 貴方って何か良からぬ事を色々企んでいそうだから」
「えぇ、構いませんよ。くれぐれもよろしくお願いしますね、霧島麗奈さん」
そう言って男は去っていく。そんな男を見送りながら、彼女は内心でほくそ笑んでいた。
(利用価値があったから私に手を貸す……か。やはり気に入らないわね)
そんな会話の中で男が何気なく漏らした言葉だが、それが真実でない事位は麗奈にもわかっていた。
恐らく、あのレナードが自分を利用する事はあってもその逆はない。それに、あの男の目的は自分の事を利用したその先にあるだろう。
(まぁいいわ。私は私のやりたいようにやる)
彼女はそう心に決めたのだった。




