10.ロナルドからの情報⊕
(……ここまで来れば大丈夫だろう)
さっきまでいた場所から複数回に渡り移動した箇所を撹乱しながら空間跳躍魔術を使い、北へ1キロメートル離れた大通りにまで来た。
立ち並ぶビルの中まで走ってきたところで、香月はイヴから手を離した。そして、その場に脱力したように膝をついた。
「ハァ……ハァ……」
魔術剽窃は魔力の消費が激しいらしい、息を切らしながらも呼吸を整えるように深呼吸をする。そんな香月にイヴが心配そうに話しかけてくる。
「ねえ、大丈夫?」
そんなイヴの言葉に、香月は立ち上がるとかぶりを振る。
「ああ、ちょっと疲れただけだ……。それにしてもクレアの音魔術をコピーしておいて正解だった。上手く撹乱できたみたいだな……」
そんな香月にイヴが申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「ごめんね。私が足手まといになっちゃったから……」
「そんな事はないさ。どのみち、あの状況じゃイヴを守るくらいしかできなかった」
そんな香月の言葉にイヴは首を横に振る。
「らしくないな、大神」
突然、声をかけられて二人は同時に振り返る。そこにいたのは、一人の男だった。長身細身の体格に切れ長の赤い目に鋭い眼光を放っている。男の名はロナルド・ディオ。教皇庁検邪正省の祓術師である。
「なんだよ、お前かよ」
香月は露骨に嫌な顔する。それは以前の事件で共同作戦で組んだ顔見知りだからといった理由ではない。
単純に仲が悪いからだ。顔を合わせるたびに口喧嘩のような小競り合いが絶えないのである。
「ロニお兄ちゃん……!」
イヴはロナルドの姿を見ると、嬉しそうに駆け寄る。
「未来、無事だったか。よかった」
そんなイヴに優しく微笑みかけるロナルド。そんな二人の様子に香月は苛立ったように舌打ちをする。
「おい、吸血鬼。見てたんなら何故早く駆けつけなかった」
「黙れ、人狼」
睨み合う二人。そんな二人に割って入るようにイヴが声をかける。
「あの……ロニお兄ちゃんも私を助けにきたの?」
すると、ロナルドは少し困ったように頭を掻くと口を開く。
「すまない、未来。本当はもっと早く駆けつけたかったんだが……」
「あの女の魔術の前に尻込みでもしたか?」
「……それは貴様の方だろう? 人狼」
「あん?」
「なんだ?」
再び、睨み合う二人。そんな二人にイヴは困ったようにオロオロとしている。そして、ロナルドが口を開く。
「まあいい……。今は貴様と下らん口喧嘩をしてる場合ではない」
そんなロナルドに香月は鼻を鳴らすと、イヴに視線を向ける。彼女と視線が合うと香月は口を開いた。
「イヴ、君は教皇庁の施設に保護されるようにするんだ」
「え……?」
そんな香月の言葉にイヴは驚いたように目を見開く。そして、そんなイヴの反応に香月は首を傾げた。
「どうした? 何か問題でもあるのか?」
「あ……ううん。ただ、てっきり一緒に居てくれるんだと思ったから……」
寂しそうに眉根を下げるイヴ。その様子にロナルドが口を挟んでくる。
「たまにはまともな事を言うのだな、人狼。だが、私は貴様と馴れ合うつもりはないがな」
「俺だってねえさ。だが、魔術協会がイヴを保護するよりかは……その方が教皇庁的にも都合が良いだろ?」
そんな二人の様子にイヴが口を開く。
「ねえ、二人とも……喧嘩しないで」
イヴの懇願するような声に二人は同時に口を閉ざす。そして、ロナルドはため息をつくと踵を返す。
「未来、行くぞ。教皇庁傘下の施設で保護する」
「う……うん」
そんなロナルドにイヴは頷くと彼の後に続いて歩き出す。そんな二人の背中を見送ると香月もその場を後にしようと歩き出す。
(まあ、ロナルドならイヴを悪いようにはしないだろ)
そんな香月の背中を、振り返ったロナルドが呼び止める。
「大神、貴様は何処へ行くつもりだ?」
「どこって……帰るに決まってるだろ」
不思議そうに首を傾げる香月にロナルドは頭を掻く。そして、口を開くと自身の目的を告げる。
「未来を送っていった後で貴様の事務所の行く。待っていろ」
その言葉に香月は露骨に嫌そうな表情を浮かべる。そして、視線を逸らすようにそっぽを向く。そんな香月にロナルドが言葉をかける。
「ディヴィッドに苦戦した負い目もあるだろう? あのディヴィッド・ノーマンの残党の女魔術使いは手強い。お前が前に言ってた通りに協力するに越した事は無い」
「わかった、わかったよ。不本意だが……お前の言う通りだろうな」
香月は観念したように手を上げるとロナルドの提案を受け入れる。そして、今度こそその場を後にするのだった。
◆
香月が自宅兼事務所に帰ってくると、ロナルドは一時間後にやってきた。しかも、何故かベランダの方からだ。
「……おい、ちゃんと玄関から来いよ」
香月は窓を開けると、ベランダから侵入してきたロナルドを睨みつける。だが、彼は動じることなく口を開いた。
「ベランダから来る方が早い」
そんな彼に香月は呆れたようにため息を漏らすと部屋に彼を招き入れ窓を閉めた。そして、改めてロナルドに視線を向ける。
「で……わざわざここに来るとはな、何の用だ?」
その香月の問いにロナルドは真顔で答える。
「霧島麗奈に関して情報共有をしようと思ってな」
その言葉に香月が眉をひそめる。そして、何かを察したように口を開く。
「ディヴィッド・ノーマンの残党……必然的に検邪聖省の魔女狩りの対象になるって訳か」
「ああ。各国の魔術教会の支部と教皇庁が共同作戦で、世界各地に散らばっていたディヴィッド・ノーマンの影武者達の残党狩りをしていたのは……大神、貴様も知っているだろう」
「ああ、知っている。作戦は成功、影武者は全滅。ディヴィッドの組織は解体されたと聞いたが」
「だが……ディヴィッド・ノーマンという組織を構成していた人物達、その生き残りの存在が浮上した。それがあの霧島麗奈という女だ。あの女は……ディヴィッド本人、そして影武者達も含めたメンバーリストには入っていなかった。それもそのはず、ディヴィッド・ノーマンの正式な影武者ではなかったからだ」
ロナルドの言葉に香月は僅かに目を細める。そして、その言葉の意味を理解すると口を開く。
「あの野郎の事だ、恋人だったとかそういった類の話なんだろ」
「ああ。ディヴィッドは霧島麗奈を愛人として囲っていた」
そのロナルドの言葉に香月が鼻を鳴らす。そして、彼は頭を掻くと口を開く。
「愛人……な。だが、ただの愛人を魔術を扱えるように力や知識を与えるとは考えにくいんだがな……」
「霧島麗奈はディヴィッド・ノーマンの狂信的な信奉者、そしてディヴィッドの影武者候補だったようだ。彼女自身が望んでディヴィッドの影武者になろうとしていたらしい。独自に魔術を修練し、世界を渡り歩き知識を得た。そして、組織が解体された現在ではディヴィッド・ノーマンの意志を継ぐ者として名乗り出たようだ」
「なるほどな……」
香月は納得したように頷くと、再び口を開く。
「で……、教皇庁的にはどう考えてるんだ?」
「魔術犯罪組織としてのディヴィッド・ノーマンが機能しなくなった今、その復活を目論む残党という事であればそれを討伐するのは必然だ」
その言葉に香月は小さくため息をつくと口を開く。
「あの霧島麗奈という女……感情的に魔術協会日本中部支部や教皇庁への復讐をしようとしているようにしか見えないんだがな」
その香月の言葉にロナルドは首を横に振る。
「恐らく霧島麗奈単独の犯行という単純な話では無さそうなんだ」
「……というと?」
「どうやら、彼女の復讐を手引きしている勢力があるようだ。あの女が持っていたペンダントを見たか?」
「ああ……あの女が魔術を発動させた時に魔力を莫大に増幅させていたな」
「そうだ。あれは始祖人類の血液を使って作られた魔力媒介、賢者の石と呼ばれる魔石のようだ。恐らくディヴィッドの残した未来の血液を使った物だろう。どんな経路で彼女がそれを手に入れたのかはわからん」
そんなロナルドの言葉に香月は顎に手を当てる。
「ただの魔術の使い方を覚えただけの一般人だった霧島麗奈が、始祖人類の血液を加工した強力な魔道具を手に入れたって事か……。まさかとは思うが、それ渡した奴がいるって事なのか?」
香月の言葉にロナルドは頷く。
「ああ。まだ推測の段階の話だが、ディヴィッドが残す事ができたのは素材としての血液だけのはずだ。少なくとも、賢者の石の製法は魔術協会では禁書目録入りするほどの物だと聞く。霧島麗奈本人がおいそれと加工できるレベルの物では無いらしい。それを手に入れて魔道具に加工した魔術師が別に居ると推測できる。しかも、その人物は禁忌魔術の知識と魔道具の加工技術を持っている」
「つまり……どういう事だ?」
「ディヴィッド・ノーマンの意志を継ぐ者である霧島麗奈を手引きしている黒幕がいるという事だ。しかもその人物は魔術協会に属する魔術師であれば序列高位に匹敵する魔術の知識と経験、技量を持っている。そんな人物が未来の血液を何かしらの方法で魔道具に加工して、霧島麗奈に与えたのだろうと推測できる」
「なるほどな。って事は、あの霧島麗奈とかいう女自体はイヴに興味はあまり無さそうだったが、そのバックにいる誰かがイヴを狙っている可能性がある……って事か。だから、お前にしては珍しく協力を持ちかけてくる訳だ」
そんなロナルドの言葉に香月は考え込むように腕を組む。
「で……その黒幕ってのは誰なんだ? まさかとは思うが、魔術協会総本部の序列高位の魔術師が絡んでるとでも?」
「教皇庁はその可能性も考えている。だが、魔術協会総本部の高位魔術師がこのような魔術犯罪に加担するとは考えにくい」
「だが、お前ならその可能性を否定する訳でもないだろ?」
そう問いかけてくる香月にロナルドは小さくため息をつくと口を開いた。
「……あのディヴィッド・ノーマンであれば、魔術協会に席を置いていた時期があるからな」
「つまり、教皇庁内ではディヴィッドと繋がりのある協会の魔術師が黒幕という可能性も想定していると?」
「そうなるな……」
そんな会話の後、二人は黙り込む。そして、しばらくしてからロナルドが口を開く。
「結局……その黒幕が誰かというのは我々にはわからないままだ。今はあの霧島麗奈を見つけ出し、打倒する。霧島麗奈の裏にいる可能性がある人物から未来の身を守る。それしかないだろう」
「ああ……」そう返事をし香月が頷く。そして、言葉を続ける。「で……これからどうするんだ? あの女の事は」
「我々が手をこまねいている訳ではない。検邪聖省の祓魔師が霧島麗奈の潜伏場所を捜索している」
そんなロナルドの言葉に香月は頭を掻くと口を開く。
「そうか、だが……あの魔石のペンダント。扱う魔術自体は普遍的な物だが、かなり強力に魔力を増幅されている。しかも、ディヴィッドのように暴走する訳でもなく、安定していた。あの力は脅威だ」
「だからこそ貴様に協力しろと言っている」
そんなロナルドに香月は大きくため息をつくと口を開いた。
「……わかった。協力しよう。それに……俺もとある人にあの女を倒せって言われてるもんでね」




