6.試運転⊕
「……う〜ん……」
香月は目を覚ますとベッドの上で伸びをした。そして自分が下着一枚の姿である事に気づくと、昨夜の事を思い出して思わず顔を赤くした。
「寝ちまったんだな……」
「あ、やっと起きたんだね? おはよう。生まれ変わった目覚めの気分はどうかな?」
するとそこに陽子がやって来た。
彼女は他のドレスに既に着替えを済ませており、手にはティーカップを持っていた。
「……まあ、実感は無いが。よく寝たな」
香月はそう言葉を返すと起き上がり、欠伸をしながらも服を着始めた。そしてふと疑問に思った事を尋ねる。
「……そういえばマシロさんは?」
「ああ、マシロ君ならもう帰って貰ったよ。君は六時間くらい寝てたから……、そろそろ外は夜の十時くらいだろうかな。今はお店の閉店作業をしてるんじゃないかな。この魔術空間だと、外での時間は五分の一しか進まないんだ」
陽子はそう言うとと香月にカップを差し出して言った。
「はい、紅茶淹れたから飲んで。私の趣味の茶葉で悪いけど、アールグレイだよ。濃いめにしてあるから、ミルクをたっぷりにして飲むと良い」
「ああ……ありがとう」
香月はそれを受け取ると言われた通りにミルクを入れてから口をつける。
鼻腔にベルガモットの甘やかな香りが広がりホッと一息ついたところで、香月は気になっていた事を尋ねた。
「……なあ、なんでこんな事をしてくれるんだ? 正直、彫り師に正規の値段で依頼したら円換算でも百万は軽くするだろ……」
「ん〜? まあ、簡単に言えば君への投資さ。今回したのは主に君の魔術刻印の機能拡張だよ。今のままだとちょっと心許なくてね」
陽子の言葉に香月が首を傾げる。
「どういう意味だ?」
「最初に会った時に言ったよね。アルビノの子を絶対守ってって。君にはそれをして貰わなくちゃいけないからね」
陽子がそう言うのに身を乗り出すようにしてして香月が尋ねる。
「それは……一体どういう事なんだ? イヴが何か関係してるのか?」
すると陽子は一瞬ニッコリ笑い、そうして真剣な眼差しを香月に向けて言った。
「これは予言だよ──」とそこで一旦言葉を切ると、少し間を置いてから続けた。
「──あのイヴって子を守り切らないと、この世界が崩壊しちゃうんだ」
(え……?)
香月は陽子の言葉に耳を疑った。
世界が崩壊するとは一体どういう事なのか。
そして思わず聞き返す。
「今なんて……?」
そんな香月の反応を見て陽子はゆっくりと頷くと言った。
「だから、あの子を守れないと魔術協会は機能を失って、世界人類は滅亡の道を辿るんだ。最初にはぐれ魔術師に見つけられてしまった時から、彼女は色んな魔術師に狙われていく。最終的にはその肉体を奪われる。魔術協会は彼女の肉体が持つ無限とも言える莫大な魔力の前に敗北する」
陽子は淡々と言った。その目は真剣そのもので、とても冗談を言っているようには見えない。
「そんな……」
「これはまだ確定していない未来だ。だけど君が彼女を守る事ができなかった時には世界はそうなると思って欲しい。それができる可能性があるのが君だから。だから君を私の結社に引き入れたんだ」
陽子がそう言うと、香月は頭を抱えて考え込んだ。
(何だそりゃ、俺は一体どうすればいいんだ……?)
そんな彼の様子を見た陽子は少し困ったような顔をした後、ゆっくりと口を開いた。
「……いきなりこんな事言われても困るよね? とりあえず今日はここまでにしとくよ。また今度ゆっくり話そう。さっきも言ったけど、君が霧島麗奈と対峙するまでには少し時間が空く。今はそれまでに君が彼女に勝てるようにしたい」
そう言って彼女は微笑んだ。
「明日、L'ami de roseが開店する前の午後四時くらいに来てくれるかな? 君の新しい魔術刻印の試運転をしよう」
◆
翌日、香月はL'ami de roseの開店前、午後四時に店を訪れた。
するとそこには既に陽子が待っていた。彼女は香月に気がつくと手を振って言った。
「やあ、時間通りだね」とそこで彼女は少し悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「君ならてっきり忘れて来ないかと思ったよ」
「馬鹿言え、あんな事言われて忘れるわけないだろ」
香月はそう返すと、陽子はフッと微笑んだ。
「ふぅん、少年はそんなにイヴって子の事が気になるのかな」
「……そんなんじゃない。ただ、あんな話を聞かされて放っておくなんて俺にはできないっての」
香月はそっぽを向くと頰を赤らめた。陽子はそれを見て楽しそうに笑うと言った。
「それじゃ始めるよ、まずは奥の部屋に行こうか」
陽子の案内に従って店の奥の部屋からへ向かい、彼女の魔術空間の中へ入った。そしてそこで昨日と同じ様に裸になるよう指示される。
「上半身だけで良いよな?」
香月が尋ねると陽子は頷く。
「うん、構わないよ。下半身まで脱いで貰ったのはマシロ君に魔術刻印を彫るスペースを確認して貰う面もあったけど……。まあ、私は上半身だけで収まるとわかっていたからね。下半身まで脱いで貰ったのは単に私が見たかっただけだし」
しれっとそんな事を言う陽子。香月は呆れた様に溜息をつくと、彼女に背を向けて羽織ったスタジャンに手をかけた。
香月が服を脱いでいると陽子が口を開いた。
「ああ、そうそう。言い忘れてたけど、君の魔術刻印に追加した機能について説明しておくね」
そう言って彼女はジャケットの下のパーカーも脱いで上半身裸になった香月の背後に回る。全身鏡と卓上鏡で香月の背中を写しながら説明を始めた。
曰く、左肩甲骨にある肉体強化の魔術刻印は術式の追加・修正により今までより魔力効率がアップし、更にリミッターを解除する事により今までよりも強大な出力を出せるようにしたようだ。
そして右腕の解析、そしてそれに繋がった右肩甲骨の変身とその記録用の補助術式の魔術刻印は追記・修正・新たな術式の追加によって新たな機能が加わったという。
「魔術刻印に様々な要素を組み合わせて作ったんだけど、今回君に追加したのはまず解析魔術を発展させた魔術剽窃。解析魔術を使って相手から魔術を盗む物だよ。剽窃という言葉の通り、他人の魔術の文法を借りる事ができる。それと変身魔術を発展させた。今までは相手の肉体と衣服をコピーして変身してたと思うけど、合わせて身体に刻まれた魔術刻印もコピーして変身する事ができる」
陽子がそう言ったところで鏡越しに見えた香月の右肩甲骨より下の背中の部分に目が留まる。その魔術刻印はまるで生き物の様に脈動してその形を変えていた。
「……これは?」
「ああ、言ったと思うけどちょっと特殊なものを入れてみたんだ」と彼女は微笑むと言った。「君の体に適応するように調整してる最中なんだけどね、上手く馴染んで使いこなしていけば君は教授という通り名がつくかもしれない。まあ、現在の魔術協会にもうその異名を持つ魔術師は居るけれど」
「まさかとは思うが……あの最先端の顔料で彫った奴か。術式を自由自在に変えられるっていう」
香月は背中に刻まれた魔術刻印を触りながらそう言った。すると陽子が首を横に振ると言った。
「それはまだできないかな。いや、でもちょっと違うか。まぁ、おいおい教えるよ」
陽子はそう言うと再び鏡越しに背中の魔術刻印を見せながら言った。
「これは君の肉体と既にあった魔術刻印に合うように作った物だよ。だから同じ模様で魔術刻印を施しても他の人間では上手く使うことができないし、仮に使えたとしても体が拒絶反応を起こすと思う。そのくらい繊細な術式なんだ」
そこで彼女は少し考える素振りを見せると続けた。
「ああそうだ。仮に君が魔術剽窃に似た魔術を使われてしまった場合でも、その術式は君専用みたいな物なんだ。だから使えるのは君だけだよ。……そう、君の為だけの術式なんだ」
陽子はそう言って少し悪戯っぽく笑う。
「さあ、そろそろ生まれ変わった君の試運転と行こう」
陽子がそう言った瞬間、ボンッと大きな音を立てて香月の真横から煙が立ち込めた。
そしてそれが晴れた後、そこに立っていたのは──
「お呼びとあらば即参上! 我こそは夜神ちょこ様、誰が呼んだか魔界のプリンセス! 新世界の神にちょこ様はなる☆」
キュピンとピースサインを決めながら、Tシャツの上にジップアップパーカーというラフな格好に身を包んだ少女がそこに立っていた。私服姿のちょこだ。
ゴシックロリィタ風の店の制服を着ていた時とは少しだけ見た目の印象は違うが、メイドカフェのキャストとして働いていない時でも中身は割とこんな感じのノリなのだろう。あまり印象が変わらない。
パーカーの下に覗くTシャツに書かれているのは『酒雑魚』という文字だ。服装のセンス的にもそこはかとなくイヴと似たようなベクトルを感じる。私服のセンスが何か変だ。
香月は呆然とした様子で彼女の事を見ていたが、やがて溜息をつくと言った。
「……何の冗談だ?」
すると彼女は不機嫌そうに頰を膨らませた。
「ちょっとぉ! なんであたいの渾身の登場シーンを無視するんだよ、ちょこ様悲しいゾ! おおん⁉︎」
そこで陽子が横から入ってくる。
「まあまあ……落ち着きなよ、ちょこちゃん」
そうして陽子が宥めると渋々といった感じでちょこは落ち着いたようだった。それから気を取り直した様子で香月に向き直ると、彼女は言った。
「さて……。今日ヨーコさんに呼び出されたのは君の新しい魔術刻印の試運転のお手伝いって事だったんだけど……、その魔術刻印ってコレ?」
そう言って背中の魔術刻印を指差して、まじまじと覗き込む。
「うん、そうだよ」と陽子。
ちょこは少し驚いた顔をしたがすぐにまた笑顔になって言った。
「へぇ〜? そうなんだぁ……なんかすごいですね! これ!」
そう言いながら香月の背中の魔術刻印をつんつんと指先でつつく。彼女の指先の感触に反応してか、背中で何か動いているようだった。その感触に香月はくすぐったさを感じているようだったが、そのままされるがままになっていた。
そんな彼の反応を気にせず、ちょこは続ける。
「えっと、確か相手の魔術を盗む解析魔術でしたっけ。それじゃ早速!」
そう言って、ちょこは香月に手を差し伸べてきた。
「ん? ああ……」香月は戸惑いながらもその手を取り、握手を交わす。「Analysis《解析》」
解析魔術の発動の言葉を発する。右腕の魔術刻印が青白い光を発し、熱を帯びる。今までの解析魔術よりも脳裏に流れ込んでくる情報量が多く、それに比例して疲労も激しい。
流れ込んでくる情報は今までは身体的な特徴だけだったが、今の解析魔術はそれだけではなく相手の持つ魔術の情報、記憶なども流れ込んでくる。
「なるほどな。これで相手の魔術を知る事ができるのか。だが──」
額に汗を浮かべ、香月はそれを拭うとちょこの方を見た。
「何なんだ、この……萌え萌えビームっていう魔術は……」
香月は困惑した様子でそう言った。
脳裏に流れ込んできたちょこの魔術の情報は一つだけだった。しかし、それは彼女が研究と修練を重ねた魔術である事だけは流れ込んできた彼女の記憶でわかっていた。
香月の質問にちょこが答える。
「あ、それね! それはあたしが編み出したオリジナルの魔術なんだ」
彼女はそう言うと得意げに胸を張った。そしてそのまま続ける。
「この魔術はね、たっぷりの愛情を込めてオムライスを美味しくするメイドさんらしい魔術なんだ。見てて」
そう言って彼女は両手をハートの形にして左右に振った。
「おいしくなぁれ☆ 萌え萌えビィーンムッッ!!」
その気合いのこもった言葉と共に、ちょこのハートの形にした突き出された両手からピンク色の光線が放たれた。
それは香月に向かって真っ直ぐに進み──直撃した。
「ぐあああっ!?」
香月は悲鳴を上げた。
光線に直撃した彼の体はビクビクと痙攣している。その尋常ではない様子に陽子は言った。
「ちょこちゃん、ストップ! ストップ!」
陽子の声に反応し、ちょこは光線を放つのを止める。そしてその場にへなへなと倒れ込む香月の顔を覗き込みながら言う。
「あれー? 出力弱めにしたつもりなんだけど、結構効いちゃったかな? てへっ、やっちゃったぜ☆」
「おいおい……こんなのじゃ、オムライスを美味しくするどころかオムライスを粉砕するレベルだろ……」
香月は胸に手を当てて呼吸を整えながら言った。
そんな彼に陽子が言う。
「もう、ちょこちゃんもいきなりだからね。でも、これで解析で盗んだ魔術の使い方はわかったよね? 今度は香月少年もやってみて。まずは変身魔術で魔術を盗んだ相手に変身する方法から」
「え、俺が? この魔術を? マジかよ……」
香月は困惑した様子だったが、やがて覚悟を決めたように頷くと今度は左肩甲骨の魔術刻印を意識して魔力を込めた。
「Trance《変身》……」
呟き、意識を集中させる。みるみると香月の体つきがが変わり、細身で小柄な体つきに変わっていった。
そして首の後ろまでしかなかった髪が腰までの長さに伸びていき、顔も女性的な顔立ちへと変化する。
その姿はちょこと同じだった。
変身を終えた香月に、陽子が言う。
「さ、やってみようか」
「気が進まないな……」
陽子が部屋の外のテラスの方へ来るように手招きをしてくる。それに従って部屋の外に出ると、ちょこの姿をした香月は魔術空間内に広がった夜空に見上げるとおずおずと両手をハートの形にした。
「お、おいしくなあれ。も、萌え萌えビーム……」
恥ずかしさに耐えながらちょこの真似をしてハートの形にした両手を突き出すと、ピンクの光線が放たれた。
しかしそれは先程ちょこがしたように真っ直ぐには進まず、放物線を描いて地面へとデロンと落ちていき床に敷きつめられた石のタイルを焦がすだけだった。
その様子を見ていたちょこが声を上げた。
「気持ちがこもってなーい! アタイがお手本を見せるから、カヅキも一緒に発声練習! わかった?」
「お、おう……」
「アタイの事はちょこ師匠と呼べ!」
「……お、おう。ちょこ師匠」
「行くゾ〜! 萌え萌えビィーンムッッ!」
「も、萌え萌えビーム……」
「違う! ビームの所をもっと気合い入れて! 気持ちを入れないと威力が出ないよ!」
「も、萌え萌えビィーム!」
「ダメ! そんなんじゃ、可愛いメイドさんにはなれないゾ! もっと声出して、フリは可愛く!」
「も……萌え萌えビィーンムッッ!!」
「よーし、いいゾ〜。更にもっと大きく! お腹から声を出すんだ、おおん⁉︎ ビームのところはアクセントをつけてアゲていこうっ!」
「もっ!!?!?!」
一体何の練習をさせられているのか。あまりの恥ずかしさに思わず赤面してしまう。
しかしちょこはそんな事お構いなしといった様子で続ける。
そうして、何度か発声練習をした後──
「おいしくなあれ! 萌え萌えビイィーーンムッッ‼︎」
と、半ばヤケクソな掛け声と共に放たれた極太のピンクの光線は狙い通りに魔術空間の夜空へと一直線に解き放たれた。魔力の込められたそれは相当な威力を出せそうな、エネルギー化した魔力の塊を放つ魔術だった。
それを見てちょこは満足そうに頷くと言った。
「うんうん、やればできるね。さすがだゾ! その調子で練習すればきっと売れっ子のメイドさんになれる!」
そんなちょこの言葉に香月は困り顔で頭を掻いた。
「いや、俺……男なんだが……勘弁してくれ……」
すると陽子はそんな二人の様子を微笑ましく見ていたがやがて言った。
「よし、これで変身魔術で盗んだ魔術を使う方法はわかったね。次は変身を解いて、自在術式の方で試してみて」
「わかった。やってみるが……」
香月は自信無さげに答える。そして変身魔術を解くと、今度は自在術式のある右肩甲骨の下辺りの方へ意識を移す。
「発動の言葉は何にした?」
香月が陽子に尋ねると彼女は答える。
「自在術式はそれ自体は術を発動させる物じゃないからね。魔術刻印に意識を向けて、頭に使いたい描きたい術式を思い浮かべるんだ。発動の言葉は、君が思い浮かべた術式に沿った発動の言葉を言えば良いよ」
「そうか。よし……」
言われた通りに、香月は頭の中で術式を思い描きながら厳かに言う。
「萌え萌えビーム」
両手でハートの形を作ると、ピンク色のへなちょこな光線が放たれ、デロリと放物線を描いてまた石タイルを焦がした。
明らかな失敗だが、これはわざとだ。そもそも発動させるのが目的だった。魔術の剽窃自体は成功している。香月は満足気に頷いた。
「なるほど、発動させれるな」
「今後、君が沢山の魔術師を相手に解析魔術を使って魔術を盗み続ければその自在術式で多彩な魔術を操れるようになるだろう。それに、君がちゃんと勉強してる魔術師なら術式を頭に思い浮かべるだけで発動させる事もできるだろう。ただし、気をつけないといけないのはこの術式が一度に発動できる魔術は一つだけだよ」
「ああ、わかっているよ。……しかし便利な魔術刻印だな。今の解析と組み合わせたら相当色々な魔術が使えそうだ……」
「そうだね。君の魔術刻印は使いようだ」
陽子が答えると、付け足すように続ける。
「前にも言ったけど、霧島麗奈と対峙するまでには多少期間が空く。警戒は続けては居てよ。でも、その間にでも色々試してみると良いよ。君の可能性を広げる為にね」
そうして、香月の魔術発動の試運転は終わったのだった。




