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雨がしとしとと降り続ける午後、香月は濡れた道を急いでいた。
傘を持ってくるのを忘れたことを後悔しながら、次の依頼先である老人の家へと向かう。道端の水たまりを避けることもできずにスニーカーはすっかり水浸しになっていた。
「なんで今日に限って雨なんだよ…」
香月はぼやきながらも、手際よく依頼を片付ける。今日は便利屋の方の仕事の、柱時計の修理だった。家主の思い出の品だったらしい。
工具は持ち合わせていた。家主の見てない所でこっそりと解析魔術を使って、破損箇所を特定して一時間だけ作業した。修理を終えて、老人の感謝の言葉を背に再び雨の中へ飛び出した。今日の依頼は全て終わりだ。
ふと見ると、裏門前公園の東屋の腰掛け──つまり屋根のあるベンチだ──に座っている人物が目に入る。
それはゴシックロリィタと呼ばれるジャンルの黒いドレスに身を包んだ少女だった。背格好や顔立ちからすると高校生くらいの子だ。香月と同じようにずぶ濡れで震えるように身を縮めていた。
「なあ、大丈夫か……?」
香月は声をかけると、その人物がゆっくりと顔を上げた。
驚いたことに、その瞳にはどこか見覚えがあった。いや、見覚えというよりも、彼の魔術師としての感覚が鋭く反応したのかもしれない。とにかく、感じた事がある気配や雰囲気と言うべきか。だが、記憶の片隅にもこのゴシックロリィタを着た日本人の少女の記憶なんて物はない。
少女はその容姿に反した落ち着いた口調で香月に話し出した。
「久しぶりだね、少年。それとも、はじめましてだったかな?」
少女がそう話しかけ、香月の反応を伺うように見つめてきた。しかし、彼の記憶の中に思い当たる所がない。
「俺? 俺は君みたいな子に出会ったら忘れないと思うんだが……」
香月が何故彼女を見た事がある錯覚に至ったか記憶をたどっていると、少女は苦笑いを浮かべた。
「私だよ、前に会っているでしょ? ……と言っても、君は覚えていないみたいだね。じゃあ、はじめましてだ」
スカートの裾を持ち上げ優雅に一礼する。
少女の言葉を聞いても、香月にやはり心当たりはない。
だがその口調や雰囲気は確かに記憶の片隅にあるような気がするのだが、それを確信して目の前の人物には結びつける事ができていない。
困惑している様子の香月を見、少女が肩をすくめて話を続ける。
「自己紹介をしとくよ。私の事は……そうだなあ、預言者とでも呼んでよ。それに私は……今後君にとっての預言者になると思うよ。覚えておいてね」
預言者と名乗った少女は意味深にそう言うと、ニッコリと微笑んだ。
「預言者って……予言をする人って意味で良いのか? 人類が滅亡する〜みたいな」
「言葉通りだよ。私には予言ができるんだ」
預言者と名乗った少女はニッコリと笑ったまま、香月に話を続けた。
「君にはこれから過酷な運命が待ち受けている。でも今のままじゃ到底乗り越える事なんて出来ない。けれど、私は君を手助けする事ができるよ」
香月は少女の言葉に思わず眉をひそめた。確かに彼は魔術師として未熟な部分があるし、まだ一人前とは言えない。だが、それでも自分の実力は人並み以上だとは思っていた。
しかし、目の前の少女は自分の事を知らないのに、まるで彼を知っているかのように話す。その口調や表情からは悪意は感じられないが……。
「君は一体誰なんだ?」
香月の問いに少女は少し考えるようなそぶりを見せた後、口を開いた。
「私は預言者だよ」
「それはさっき聞いたよ」
「そうだね、でも私はそれ以上答えるつもりはないよ」
少女の言葉に香月はため息をつくと、少女に背を向けた。
「……じゃあ、俺は行くから」
「待ってよ。まだ話は終わってない」
立ち去ろうとする香月に少女は呼び止めると、ゆっくりと立ち上がった。
「信じていないみたいだね? なら少しだけ軽い予言をしようかな。今すぐ当たる物だよ」
預言者と名乗った少女はそう言うと、香月に向かって笑いかけた。
「そうだなあ、今から十秒後くらいに君にメッセンジャーアプリでメッセージが送られてくる。それは君の幼馴染みたいな存在からだよ。内容は確か……帰りにカレーの材料を買ってきて、だったかな?」
預言者を名乗る少女がなぜか自信ありげに予言する。香月は半信半疑ながらも、その少女の言葉に従って携帯の画面を確認した。すると、本当にメッセージの通知が出る瞬間だった。
表示されたメッセージの内容はクレアからの物で「事務所に戻ってくる前にカレールーとお肉買ってきて!」だった。
「ほらね」
預言者を名乗る少女は得意げに微笑むと、香月に手を振った。
「じゃあまたね、少年。私はもう行くから」
そう言うと少女は立ち上がり、公園の出口に向かって歩き出した。雨は既に上がっていて雲の隙間から晴れ間が見えていた。
しかしすぐに足を止めると、香月に振り返った。
「ああそうだ……一つ言い忘れてたよ……」
少女が真剣な眼差しで香月を見据える。
「君は将来とても辛い目に遭う事になる。でもそれは君にとって必要な事なんだ。だから……何を失ったとしても生き抜く事を諦めないで欲しい」
少女の言葉を聞いて、香月は訝しむ顔をした。その表情には困惑の色が伺えた。
「その予言が本当だっていう証拠でもあるのか?」
「……無いよ。でも君の未来をだいたい私は知っているんだ」
預言者と名乗る少女はそう言うとニッコリと笑ったまま続ける。
「だからこその助言だよ。もし、困った事やもっと聞きたい事があればここを訪ねに来て」
そう言って、肩にかけたバッグから一枚の紙を取り出すと少女はそれを渡してきた。
「ああ、それと。先日、君達が助けたアルビノの子ね。会見で色々と小細工をしたみたいだけど、あれだけでは彼女の存在を隠し切れてない……とだけ伝えておくね。いずれ君は彼女とまた関わる事になるよ。あの子だけは絶対に守って。約束だよ」預言者と名乗った少女はそう言い残し、再び歩き出した。「それじゃあね、少年」
「待ってくれ! 君は一体誰なんだ?」
その問いには答えず、少女はそのまま公園を出ていった。その後を追いかけようとしたが、既に彼女はまるで掻き消えたようにその姿を消していた。
そして残されたのは呆然とした表情のまま立ちつくす香月と、彼の手元にある一枚の紙だけだった。
香月は渡された紙を見てみると、それは一枚のチラシだった。
「L'ami de Rose」という店の名前が印刷されたそれには、赤と黒を基調にしたメイド服を纏った何人かの女の子の写真が載っていた。
前に清香と奇譚調査をした時に来た事があるお店だった。
「何で吸血鬼コンセプトのメイドカフェのチラシなんだ……?」
香月は困惑しながらも、チラシの一番下にあった手書きのメッセージに目を走らせる。恐らく彼女が書いた物だろう、そこには「ここが君のスタート地点になる。よーくおぼえておいて!」とあった。
「スタート地点……?」
香月はさらに困惑しながら呟いた。預言者を名乗る少女の言っている事は半分くらいしか理解できていなかったが、少なくとも彼女がただ者ではないのは確かなようだ。
彼はしばらく考えた後、チラシを折り畳んでポケットにねじ込んだ。
(今は考えてもしょうがないのか……)
彼女は一体何者なのか? なぜ自分の事を知っていたのか? そして彼女の言う辛い事というのは一体……? そんな疑問を思い浮かべながらも、彼は家へと歩きだした。いつの間にか雨はすっかり止んでいた。
この出会いが、香月にとって大きな変化のきっかけになる事はまだ彼も知らなかった。それはもう少し先の話になる。
◆
雨上がりの夕暮れ時、一人の女性が商店街を歩いていた。日本人だ。黒く長い髪は腰の辺りまで伸びていて、よく手入れがされているのか陽光に艶やかな輝きを放っている。
右手には三つの指輪。それと首には豪奢な金の装飾がされた赤い宝石のペンダントがぶら下がっている。そしてその手にはアタッシュケースを持っていた。
彼女はふと立ち止まると、公園の方を振り向いた。
「……一足遅かった? 見失ってしまったのかしら」
彼女は残念そうに呟くと、再び歩き出し商店街を抜けた。
「まあ……いいわ。ディヴィッドの仇は私が……」
そう独りごちると、そのまま駅に向かって歩き出した。
『──続いてのニュースです。本日昼頃、名古屋市の名労銀行で強盗事件がありました。犯人は未だ捕まっておらず、警察は捜査員を増員して犯人の発見を急いでいます』
商店街の路面に面してオープンテラスになっているブラジル料理店の片隅に置かれたテレビからニュースキャスターの声がそう伝えていた。
『現場の防犯カメラの映像です』
テレビに映された映像には銀行に入る男が映っていた。ツーブロックにした赤髪をオールバックにしている男だ。
手に持っているのはアタッシュケースだった。男はアタッシュケースをカウンターに置くと、そのまま中へと進んでいく。
そしてカウンターで受付の女性に「金だ! 立て。お前が金庫を開けろ!」と叫ぶと、女性がそれに従い、立ち上がる。何やらやり取りをした後に近くにいた男の職員も立ち上がって奥の部屋に行く。
そうして一旦防犯カメラの映像は途切れて場面は変わり、受付の奥の部屋から男が出て来る。
男は札束の入ったアタッシュケースを持ったまま銀行を出て行った。
『この映像は事件発生の午後十二時三十四分ごろに撮影された物です。犯人と思われる男はこの後すぐに銀行を出て行っています』
「物騒だねえ……」
映像を見ていたブラジル料理店の店主が呟く。その隣で、キッチンで料理の下ごしらえをしていたエプロン姿の女性も同意するように頷いた。
『この事件は先週に起きた名労銀行金山店で発生した強盗事件と手口が似ている事から同一犯である可能性が高いという事です』
テレビからキャスターの声が流れる中、エプロン姿の女性は黙々と料理の下準備を続けていた。そこへ、修道服のような黒い服に身を包んだ男が現れる。
「鳥の丸焼きの焼き立てを、一つ。持ち帰りで」
「ああ、ロナルドさんじゃないか。了解したよ。鳥を丸々一匹なんて豪勢だね。教会でお祝い事かい?」
キッチンの女性がそう言って笑うと、ロナルドは無愛想な顔で答えた。
「ええ、そんなところです」
『この強盗事件については愛知県警が捜査を続けています』
テレビから流れるニュースを見ながら、ロナルドは手にしていたメニュー表を眺めた。そして注文された鳥の丸焼きを作り始めた所で男が一人店内に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませー」
キッチンの女性がそう声をかける。入ってきた人物を見たロナルドは驚いたような声を上げた。
「大神、貴様……」
「よう、ロナルド。この前ぶりだな」
店に入ってきた男──香月が軽く手を挙げて挨拶をする。そしてそのままレジカウンターに行くと注文を始めた。
「鳥の丸焼きハーフサイズ、テイクアウトで。焼きあがってる奴で良いよ」
「はい、少々お待ちを……」
注文を受けたキッチンの女性がメニュー表を確認して用意を始めた。香月は店の中にいたロナルドを見ると声をかける。
「なあ、どう思う? あのニュース」
「……ああ、そうだな。あれはディヴィッド・ノーマンのように見えたな」
「仕草は本人じゃない。多分、ニセモノだろう。恐らくは残党だと思うんだが」
「何が言いたい?」
「俺達が解決した事件、まだ後片付けがありそうだ……って話だよ」
香月が肩をすくめながらそう答えると、ロナルドは舌打ちをする。
「またディヴィッド・ノーマン絡みか。あの一件以降、この街は呪われたかもしれんな」
「まさか」と香月は笑った。「まあ、でも……」
彼はレジカウンターに置かれたメニュー表に視線を移した。
「……ここのブラジル料理店は昔からやってて料理が美味いんだ」
「……どういう事だ?」
ロナルドが訝しむような視線を向けると、香月は肩をすくめた。
「また来るって事さ。この感じはお前とまた組む事になるかもしれねえ。その時はよろしくな」
それだけ言うと、香月は店の外へと出て行ってしまった。
「あ……ありがとうございましたー」
キッチンの女性がそう声をかけるも、既に彼の姿は見えなくなっていた。ロナルドはため息をつくと、自分の分の鳥の丸焼きを受け取って店を出た。
次回、Episode Ⅱ「ディヴィッド・ノーマンの残党編」開始。




