前編⊕
教皇庁検邪正省所属、祓術師ロナルド・ディオの一日は早い。朝日が昇る前に目を覚まし、身支度をしてから、まずは教会で祈りを捧げる。
それから検邪正省からの任務指令の確認を行う。現在は神の子の再臨である伊深未来の護衛以外の任務は言い渡されて居ない。
彼女の護衛は他の祓術師達と協力して時間帯毎に交代で行っているが、彼女を狙う魔術師の影は見当たらない。
しかし、いつ彼女が狙われるかは解らないので、今日も警戒を怠る事は無い。
「お早う御座いますロナルドさん」
「ああ、お早うございます」
同じ教会で祈りを捧げていた一人の司祭に挨拶をする。彼はこの教会の責任者で、この教会で祓術師あるロナルドにとっては上司にあたる人物だ。
「本日のご予定は?」
「特に無いですよ、強いて言えば未来の護衛ですかね」
「そうですか……しかし、本当に彼女が再臨した神子なのでしょうか?」
「それを言うのは野暮ってものですが、……やはり気になりますか」
「ええ、気にならない訳がありません。本当に神子が再臨したのであれば、この世界を正しく導く筈なのですから」
「…………」
彼の言う事はもっともな事だ。少なくとも彼女の身体的特徴や上層部からそう伝えられているのだから、誰もが疑いを持たずに信じている事でもある。
しかし、教皇庁の上層部はあくまで彼女を保護の対象とするだけで、宗教的にどうこうすると言う考えは無い。
あくまで祓術師が彼女の護衛をしているのは、神託ではなく教皇庁の上層部の命令に依るものだ。
「まあ、考えても仕方ない事ですよ。我々が出来る事は、ただ未来を守る事だけですから」
「……そうですよね。すみません、詮無い事を言いました」
「良いんですよ」
謝る司祭を宥めて、礼拝堂を出る。今日もまた一日が始まる。
◆
まず自室に戻り、武器の手入れをする。リボルバー拳銃の弾倉と銃口の裏表にブラシを入れ簡単にクリーニングする。
祓術師が使う銃に込めるのは銀の弾丸だ。銀は魔力の吸収率が良く、撃ち込まれると体内での魔力の流れを阻害するからだ。
しかし銀は、普遍的な弾丸によく使われている鉛と比べるとほんの少し硬度があるとはいえ鉛と同様に柔らかな金属である事には変わりはない。
弾丸を撃ち続けていると、銃の内側に弾に使われた金属が付着し蓄積していくのだ。その蓄積していった金属が内部の圧力が高まって銃を構成する部品やフレームがヒビ割れるという事はある。
つまり、定期的なクリーニングが必要なのだ。
銃のクリーニングを終えると投げナイフの点検に入る。刃と先端の欠けを確認して、必要であれば砥石でその鋭さを維持する。持ち手を掴み、投げるような動作を繰り返して違和感や異常が無いかを確認する。
銃と投げナイフに異常が無い事を確認してから、銃は黒衣の懐のホルスターに、ナイフは袖の中のホルスターに仕舞う。
それから黒衣の服装の上から外套を羽織る。
「……よし」
装備を点検し終えると、部屋を出た。
廊下に出ると、同じ祓術師のヴィクターに出会った。彼は自分と同じ様に武器の手入れをしていたようだ。
「お早う御座いますヴィクターさん」
「お早う御座いますロナルド殿」
互いに挨拶を交わす。祓術師には上下関係はあまり無く、皆名前で呼び合うようにしている。
「これから任務ですか?」
「ええまあ、……と言っても神子の監視任務ですけどね。そろそろ交代の時間なので」
「ああ、成る程。それはご苦労様です」
「どうも。ロナルド殿もですか?」
「いえ、私は今日はオフですよ。少し大須でもぶらつこうかと」
「そうですか。では、自分はこれで」
「ええ、お気をつけて」
ヴィクターは軽く会釈すると廊下を歩いていった。彼の担当は未来の住むマンションから彼女の所属する事務所までの往復の警護と、未来を護衛している祓術師達の統括だ。
「さて、私もそろそろ行くか」
廊下に出ると、階段へと進む。
階段を降りて一階へ降り立つとロビーを抜けて外へ出る。
「だいぶ日差しが強くなってきたな……」
そろそろ梅雨明けの季節だ。本格的な夏が近づこうとしている。
吸血鬼の身体ではあるが、物語や伝承のように日光を浴びて灰になってしまう訳ではない。はるか昔、旧世代の吸血鬼化の方法では吸血鬼は日光に弱く、日の下を歩くだけでも魔力の消費が激しかったらしいが、ロナルドに施されたのは、魔術師達の亜人化競争が激化してた時代に生まれたより吸血鬼としての能力を洗練させ、弱点を克服した吸血鬼化の方法らしい。
その為か、日光にある程度は耐性があるし、日差しが苦手と言う訳でも無い。
「だが、やはり名古屋の夏は蒸し暑いな……」
どうしてもこの名古屋の夏は苦手だ。暑くなると頭がボーッとしてしまうし、身体の動きも鈍くなる。それどころかこの地域は夏は湿気が多く、外に出ると蒸し風呂の中にいるような暑さがある。
それもあって野外での活動的な行動が取りづらくなってしまうのは事実だ。
それでも吸血鬼特有の体温の低さで、黒衣の上に外套が着れてしまうのは利点ではあったが。
「……今日はまずは喫茶店でも行くか」
そう決めて商店街を歩き出した。
◆
「いらっしゃいませ〜」
カランコロンとベルの音を鳴らして、店内に入る。
ここは喫茶店『はやし家』。大須観音の近くにあるこの辺りでは老舗の喫茶店だ。
「あらロナルドさんおはようございます。お一人様ですか?」
「ええ、モーニングのBセットをお願いします」
「かしこまりました、ベーコンエッグトーストのセットですね。お飲み物はブレンドで良いかしら? では、こちらのお席へどうぞ」
店員に案内された席に座る。店内には他の客は居ないようだ。
「珍しいね、こんな時間に来るなんて」
「ええ、今日はオフだからたまには一人でゆっくり羽を伸ばそうかと思いまして」
「そうかい。まあゆっくりしていきなよ。モーニングのセットもすぐに用意するからさ」
そう言って店員はカウンターへと戻っていった。
「さて……」
モーニングが来る間、スマートフォンでEVEのインスタグラムアカウントをチェックする。彼女が芸能活動を初めてから初めて購入したスマートフォンだが、基本的には連絡用の端末としてしか使っていない。
スマートフォンを使うようになるまでは折りたたみの携帯電話とパソコンで殆どの事は済ませていたが、慣れてしまうとこっちの方が携帯性や利便性の高さもあってもうパソコンを使わなくなったまである。
彼女の芸能活動をチェックするのは専ら任務と関係がありそうであまり関係が無い、彼女の日常の投稿を見る為だ。
「……ふむ」
今日の投稿は、彼女が所属している事務所のモデル仲間と一緒に映ってる写真だ。
どうやら先日、事務所の仲間と大阪にある大型アミューズメントパークに行ったらしい。彼女は有名映画の魔法学校の制服に身を包んで園内を楽しんでる様子が伺えた。
「可愛いな……」
思わず呟いてしまう。本当に可愛いと思うし、彼女の魅力が存分に引き出されている写真だと思う。
「お待たせしました〜モーニングのBセットになります」
そんな事を考えていると店員が注文した品を運んできたので、思考を切り替える。
「どうも」
目の前に置かれた皿の上には、こんがり焼けたトーストとベーコン、そして目玉焼き、そしてサラダが盛られている。その脇にコーヒーカップが置かれた。
「ではごゆっくりどうぞ〜」
店員はそう言ってカウンターに戻っていった。早速食べ始める事にする。まずはコーヒーを飲む事にした。
「ふぅ……」
一口飲むと、香ばしい香りが鼻腔に広がる。苦味と酸味のバランスがちょうど良くてとても美味しいと思う。
そのままトーストに齧り付くとサクッという音と共に口の中にバターの風味が広がりベーコンの塩気がそれを引き立てる。そして最後にコーヒーを飲むと口の中がリセットされるような感覚に陥る。
「お? 何だよ吸血鬼。今日はオフか?」
「……人狼、その名で私を呼ぶな。……何の用だ?」
声をかけてきたのは大神香月、魔術協会日本中部支部の構成員だ。この前のディヴィッド・ノーマンによる未来の誘拐事件で手を組んだ魔術師だ。
以前までは大須商店街の中に彼の表の職業である便利屋の事務所があったのだが、今はその事務所を移転して大須からは少し離れた場所に居を構えているらしい。
「何って、モーニング食いに来たんだよ」
「なら私の事は気にするな。ゆっくり食べればいいだろう」
「いや、ちょっとな……お前がオフだってんなら話しておきたい事があってさ」
香月はそう言いながら対面の席に座ると頼んでいた自分の分のモーニングセットを店員に注文する。店員が離れるとこちらに向き直る。
「何だ、話しておきたい事とは」
「ああ……お前、イヴの護衛についてからもうどれくらい経った?」
「……そうだな、約十五年ぐらいになると思うが。恐らくもう暫くは彼女の護衛をする事になるだろう」
「そうか……ならイヴに言っておいてくれないか。俺を追い回すのは辞めてくれって」
「……それは貴様が直接言ったらどうだ?」
「それが出来たら苦労しないさ。だが、イヴは俺を見ると問答無用で追いかけて来るんだよ」
「それは……まあ、そうだろうな。未来はああ見えて行動的でそれでいて頑固だからな。……貴様、彼女に何をした? 心当たりがあるんだろう?」
そう尋ねると彼はかぶりを振った。
「何もしてねえよ。あー、多分イヴの写真集を予約して買ったくらいだ。だが、多分それは関係ない」
「……本当にそれだけか?」
「本当だよ! ああもう、いいからお前にイヴに言って欲しいんだよ。頼む!」
そう言って香月は頭を下げる。その必死さに少々面食らうが、頼まれた以上引き受ける事にする。
「分かった分かった……伝えるだけは伝えておく」
「ああ、ありがとうな。それで、お前今日暇か? 暇だよな? ちょっと頼みがあるんだよ」
「おい待て、勝手に決めるな。私は今日はオフだと言っただろう」
「……頼む! この通りだ!」
そう言って香月は再び頭を下げる。その姿を見て溜息を吐くと渋々了承する事にした。
「分かった……貴様らしくもないな。それで、何をすればいい?」
「ああ、実はな……」




