前編⊕
ジェイムズ・ウィルソンは憂いでいた。というのも、最近かりんからのアタックがますます激しくなってきているのである。
何かと暇があれば満月亭にやってきて、ジェイムズの事を口説こうとするのだ。それどころか隙あらば魅了の魔眼を使い、手っ取り早く落とせないかとすらしてくる始末なのである。
魔眼は、魔術の中でも到達点の一つと言われる程の魔術だ。かりんは日本中部支部の面々の中でもその魔眼を使いこなす事の出来る数少ない魔術師である。
ジェイムズも何度かその目を見たが、その効力に抗いきれず、かりんの事を強烈に好きになりかけたりした事はあるのだ。そのくらい強力な効力のある秘術である。
しかしジェイムズは魔術協会日本中部支部の支部長である。その事に責任感もきちんと感じている。ましてや年の差は干支一周以上は離れているのだ。
だからそんな簡単に部下に手を出すなど出来るはずもなく、かりんからのアプローチをなんとかかわしていた。
そんな時だった。
満月亭に予期しない来客があった。アポイントの予定もない、入口のドアを四回叩いて合言葉まで言ってこの満月亭の店内という魔術空間まで入ってこれるのは魔術協会の人間でしかないが、それにしても何があったのか。そんな疑問を胸に抱えつつ、「開いてるよ」と入ってくる事を許可する。
「お疲れ様で〜す」
そうひょっこり顔を覗かせたのはかりんだった。
ジェイムズは額に手を当てて溜め息をつく。かりんは可愛い女の子であるし、日本中部支部の調査班のエースと言えども一構成員である為、用も無いのに来てはいけないなどという規則はないのだが。
「どうしたんだ?」
ジェイムズが問いかけると、かりんはニコニコしながら答えた。
「ちょっとお買い物に〜♪」
そう言って彼女は買い物袋を見せる。中には食料品や生活雑貨などが入っていた。
「そうか、ならゆっくりしていってくれ。アイスティーで良いか?」
そう言ってジェイムズはかりんにお茶を出す。かりんとは仕事上の関係ではあるが、プライベートでの交流もそれなりにある為、この程度の事は日常茶飯事である。
「ありがと〜♪」
かりんと他愛のない会話をしていると、かりんが突然こんな事を言い始めた。
「そういえばジェイムズぅ、私って可愛い〜?」
「ん? ああ、可愛いと思うがな」
ジェイムズは何気なくそう答えると、かりんは嬉しそうに微笑みながら続けた。
「やった〜♪ じゃあ私と結婚しちゃう〜?」
ジェイムズは一瞬固まった。しまった、迂闊だった。まさかそんな話の流れに持ってかれるとは思っていなかったのだ。しかしかりんはいつも通りのニコニコ顔だが恐らく真面目に聞いているし、冗談で聞いている訳ではないようだった。
ジェイムズが言葉に詰まっていると、彼女はさらに続けた。
「ねえいいでしょ〜? それともジェイムズは私と結婚してくれないのぉ?」
「……それはダメだ。良いか、かりん。お前はまだ若い。俺のようなのを捕まえてどうする?」
「歳の差は関係ないよぉ〜、私はジェイムズが好きだから結婚したいんだも〜ん」
ああ、始まった。と、ジェイムズは思ってかりんから目を逸らした。
こういう時、じっとこちらを見てくるかりんの瞳が赤く光っていたりするのだ。
壁面の鏡越しに彼女の顔をチラリと伺うと、やはり魅了の魔眼を発動させてこちらを振り向かないかとずっと凝視し続けている。
「ねえ〜? 目を逸らしてないでこっち向いてよぉ〜」
「ん〜? 何の事だ〜?」
しらばっくれながら、ジェイムズが目を逸らしたままグラスを洗う。
すると今度は後ろから首筋に手が伸びてきた。いつの間にかカウンターの中に入って背後に回られていたのだ。その手は首を伝って鎖骨を撫で、胸板を滑って腹筋の割れ目を撫で始める。
「おわっ⁉︎」
驚いて振り返ると、かりんが上目遣いでこちらを見つめている。その瞳は赤く光り、魅了の魔眼を発動させていた。ジェイムズはその目を見てドキッとしてしまう。
(いかん!)
かりんと目が合ってしまったが、魅了されそうになるのをなんとか耐えて目を逸らす。しかしかりんはそんなジェイムズを見て楽しんでいるようで、クスクスと笑っているのだった。
「あのなあ、かりん……」
ジェイムズは溜め息をついて、かりんにこう返した。
「いいか、俺は魔術協会の日本中部支部長だ。そして君は調査班のエースで将来有望な構成員だ。そんな俺達が結婚なんて出来ると思うのか? 俺はもう40代だが、君はまだ20代だろう?」
すると彼女は少し寂しそうな顔をして言った。
「でもぉ〜……私はジェイムズの事が好きなんだよぉ?」
「それは嬉しいがな……」
「魔術師的な観点で見ても、私ってかなり有力な物件だと思うんだけどな。ほら、魔眼もあるし、家柄もあるし、魔術師の母体としてもかなり優秀だと思うんだぁ〜」
「それはそうだな。本当にそうだ。でもなあ……」
「じゃあ、ご飯デートだけ。それなら良いでしょ〜?」
「うーん……そうだな……」
ジェイムズは少し困った顔をしながらそう答えた。しかしかりんとて諦めきれない様子だ。ジェイムズは困った顔をしながら、かりんにこう言った。
「わかった、じゃあ今度食事にでも行こう。それで勘弁してくれ……」
「やったぁ♪ 約束だよぉ〜♪」
ジェイムズはやれやれといった表情をして、かりんの頭を撫でた。すると彼女は嬉しそうにニコニコと笑うのだった。
「じゃあそろそろ帰るねぇ〜♪」と言って彼女が帰っていくと、ジェイムズは大きな溜め息をつき、カウンター席に座って項垂れる。
(まったく困ったもんだ……)
こんな攻防を何度も繰り返している。はっきり言って今日はかりんの粘り勝ちだ。
何度もこの攻防を繰り返している分、「結婚して」という言葉はジェイムズには頑なに断られてしまう事はかりんもわかりきっているのだろう。そこに比較的叶えやすい要求を選択肢として提案するというドアインザフェイスという行動心理学のテクニックを無意識に駆使してる節がある……のかもしれない。いや、多分かりんの場合は天然でやっている。
しかしかりんは最近やけに積極的にアプローチしてくるようになった。一体何があったと言うのか。
今まではそこまでの頻度でグイグイ来る事はなかったはずなのだが。
(まあ、それが女の武器って奴なのかもしれんな……)
そんな事を思いながら、ジェイムズはグラスを磨くのだった。
◆
翌日の事である。
ジェイムズの自宅は満月亭のある雑居ビルから割と近い位置にある。高層マンションの上層階にあり、その2LDKの部屋は一人で住むには十分過ぎる程の広さだ。
ジェイムズは自室のある階でエレベーターを降りて自宅へと向かう。その時だった。
「あのぅ……すみません……」
声をかけられたので振り返るとそこには二十歳ぐらいの女性が立っていた。
艶やかなその黒髪は長く、首の後ろで束ねている。顔立ちはかなり整っていて、胸が大きいという特徴を除けば女優と言っても通りそうな清楚系の美人である。
日本人の顔立ちの特徴をしているが、その瞳は青い。
そんな女性が声をかけてきたのであるからジェイムズは少し驚いたがすぐに冷静になって言葉を返した。
「はい? 何か用ですか?」
「えっとですね……そのぉ……」
彼女はもじもじしながら何か言いたげである。
「どうかしましたか?」
「あの、私……実は道に迷ってしまいまして……」
彼女は恥ずかしそうにそう答えた。確かにこのマンションは入り組んでいて分かりにくい所があるし、慣れない人が迷い込む事も多い。ジェイムズは頷いて言った。
「ああ、なるほど」
ジェイムズが納得すると彼女はさらに続けた。
「それでですね……もしよろしければ道を教えて頂けないでしょうか? その……お恥ずかしい話ですが私は方向感覚が弱くて……」
「ああ、そういう事か。構いませんよ」
ジェイムズは笑顔で答えた。
すると彼女も安心したような顔で「ありがとうございます!」と感謝の言葉を口にした。
「ところで、このマンション……であっているのですかね? その訪問されるお宅のご住所のようなものは……?」
ジェイムズが聞くと、彼女は答える。
「ええと、この住所ですね……」
そう言って、住所の書かれたメモを渡してくる。それを受け取り、目を通してみると見覚えのある住所だった。
「ジェイムズ・ウィルソンさんという方のご自宅なんですが……」
「ああ、それなら私の家ですな」
ジェイムズがそう言うと彼女は驚いたような顔をした。
「えっ⁉︎」
「ああ、申し遅れました。私の名前はジェイムズ・ウィルソンです」
「あっ……あの……私は姫咲あおいと言います……。姉がお世話になってます……」
お互いに自己紹介を済ませると、あおいは恥ずかしそうに顔を赤らめて俯いた。そんな様子を見て、ジェイムズも思わず顔が熱くなるのを感じた。
そしてあおいの言葉に後から「ん?」と、なった。
姫咲? 姉? お世話になってる?
一体どういう事なのか。ジェイムズが困惑していると、あおいは申し訳なさそうに言った。
「あのぅ……私、姫咲家の人間でして……」
それを聞いて納得した。なるほど、そういう事か。確かに言われてみれば面影がある気がするし、かりんが妹がいるとも言っていたなと思い出す。
しかし何故ここに彼女がいるのか? そんな疑問を浮かべていると背後で声を上がった。
「あ〜! あおいちゃんだぁ〜!」
声の主はかりんである。彼女はパタパタと走ってくるとジェイムズを追い越して、あおいに飛びついた。
「わわっ⁉︎ お姉ちゃん⁉︎」
あおいが驚きの声を上げる。無理もないだろう、いきなり抱きつかれたのだから。
そんな様子などお構いなしにかりんは嬉しそうに言った。
「どうしたのぉ? なんでここに?」
「いえ……ちょっと道に迷ってしまいまして……」
そうしてかりんとジェイムズを交互に見てあおいは言った。
「あのぅ……姉がここに居るという事は、もしかしてお二人はお知り合いなのですか?」
「ええ、まあ。彼女は私の部下──」
ジェイムズが頷いて言いかけたところで、かりんが割って入るように発言した。
「今日はジェイムズとデートの予定だったの〜!」
「えっ⁉︎」
あおいが驚く。無理もないだろう、いきなりデートだなどと言われれば誰だって驚くはずだ。しかしかりんはそんな様子を無視して続けた。
「だから今日はあおいちゃんも一緒に行こうよぉ」
「ええっ!? いや、その……」
あおいが戸惑っていると、今度はジェイムズが口を挟んだ。
「いや、それはダメだぞ?」
「えー? せっかくの久しぶりの妹との再会なのに〜?」
「……いえ! お気になさらないでください! 寧ろ、こちらとしては都合が良いので……」
あおいの言葉に、ジェイムズとかりんが顔を見合わせた。




