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「今日、特に任務も無くて暇だから、カヅキの家に行って良い?」
そんなメッセージがクレアから来たのは一時間前の事だった。
そして、クレアがトートバッグにアニメのブルーレイを入れて持ってきたのがたった今の事だ。
何も考えずに「別にいいぞ」と返信したのを香月は後悔したが、任務が無く便利屋の方も依頼が無くて暇なのは香月も一緒なので断る理由も無かったのだ。
クレアは香月の部屋のテレビにブルーレイを再生機にセットして、ソファに腰掛けている香月の隣に座った。
『カヅキ、このアニメ懐かしいでしょ』
「ああ、一緒によく見たな。それに英国でも日本でも人気だった」
クレアが再生したのは『葉隠忍法帖』という忍者モノの少年向けアニメの海外タイトルである『ヒドゥン・リーフ・テイルズ』だ。略称はHLT、英語翻訳したバージョンで彼女が実家から持ってきた物だ。
主人公の所属するヒドゥン・リーフという国の忍者の証である木の葉のレリーフのついた額当てが大人気で、香月が英国で修行していた頃に日本のアニメが好きな層の間で流行っていた記憶がある。
『ボクね、このHLTのシリーズ好きなんだよね。日本でのタイトルは忘れちゃったけど……。カヅキはどのキャラが好きなの?』
「俺は順当に主人公が好きだな。こいつは根性がある奴で、落ちこぼれでも前しか向いてない」
『ああ、なるほどね。ボクはこのキャラのライバルのクールなキャラが好きだなあ。まあ、風魔術で主人公の技を真似しようともしたけどさ』
クレアはリモコンを操作して画面を一時停止する。
『カヅキ、これ見てよ。ほら、ここ』
HLTの主人公とライバルの二人が対峙するシーンで一時停止をするクレア。停まった画面を指差す彼女の横顔はどこか楽しげだ。
『ほら、ここだよ、ここ』
「ああ、ライバルがヒドゥン・リーフを抜けて主人公がそれを追いかけて二人が対決するシーンだな……。ここで二人の道が別れてくんだが、ここの対決のシーンがまた良いんだよな」
『そうだよね! 主人公もライバルも互いを思って戦うんだけど、その思いがすれ違っちゃうのが切ないんだよ』
クレアは目をキラキラさせながら香月の感想に同意する。
「このアニメは俺も好きだな。主人公の成長が見れるからな」
『だよね、カヅキなら分かってくれると思ったよ』
「まあ、俺はHLTよりもHLASの方が好きだけど」
ヒドゥン・リーフ・アフターストーリー、略称HLASはHLTの続編にあたるアニメだ。日本でのタイトルは『続・葉隠忍法帖』だったか。主人公の息子の世代が主人公となっている作品だ。
HLASはHLTとは違い、才能を持つ主人公が国を抜けてライバルとの激戦を繰り広げるストーリーになっているが、HLASはHLT以上に過酷な物語になっていて、主人公は父親である前作の主人公とは真逆の道を行く。見る人によっては評価が別れる作品ではある。
『あ~、そういえばカヅキはそっちが好きだったね。ボクは前作の主人公の息子が好きだなあ』
「いや、俺はあの知略キャラの息子の方が好きだ。あと、眉毛が凄い奴の息子も」
『えー! それなら息子よりお父さんの方がボクが好きだよ!』
二人はアニメを見ながら、どのキャラクターが好きか語り合う。二人はお互いの好みが少しズレる為、ちょっと対立しがちである。
しかし、二人は別に仲が悪いわけではない。むしろクレアはそういう話が香月とできる事を楽しんでいる節がある。現に、二人でソファに並んでいるがクレアはべったりと香月にくっついている。
これはフォードの屋敷での修行を終え、魔術学院に通い始めた後でもこうして定期的に一緒に日本のアニメを見てた時にクレアがしてた癖だった。
もっとも、お互いに年齢を重ねるにつれてクレアを意識してか香月からは、彼女を引っペがそうとしていたが、そんな事はお構い無しにクレアは香月にくっついてきていた。その癖は英国時代からずっと変わらず、未だに抜けきらないらしい。
クレアが脇腹に腕を絡めてきて香月の肩に自分の頭を乗せる。かなりべったりとくっついてくる。腕の辺りに彼女の胸の柔らかな感触が押し当てられるが、香月が段々と彼女を引っペかそうとするようになった原因がこれだ。そういえば、英国時代以来久しぶりに彼女と再会した時に更に大きくなったと囁いてきた事を、香月は思い出していた。
香月がそんなクレアの段々と成長していってるらしいその柔らかな膨らみの感触にどぎまぎしていると、クレアは香月の方をじっと見つめて彼の腕に柔らかなそれを更に押し当ててきた。
香月はテレビ画面に映るアニメに集中しようとするが、わざとなのかわざとじゃないのか彼女が押し当ててくるそれの方に意識を持ってかれてアニメを見るどころではない。
『ねえ、カヅキ』
「……な、何だ?」
クレアがそう声を掛けてくるのに、平静を装うように返事をする。声が若干上擦る。
『……思い出すよね。英国に居た頃。よくこうやって一緒にアニメを見てた。あの頃はまだ日本のアニメなんて衛星放送かアンダーグラウンドな方法でしか見れなかった頃だけど。ボクがこうやってカヅキとお話できるようになったのも、アニメのお陰だったよね』
「そうだな……義父のツテでフォードの屋敷に世話になってた頃って、クレアはまだ音魔術なんて使わなかった頃だったもんな……」
『そうそう。ボクもまだHLTに憧れる純粋な子供だったよ』
「そうかあ? セクシーなお姉さんに変身して誘惑する術見て、あれやりたいとか言ってた気がするけどな。まあ、あの頃はアニメを見た後に、日本の事とか色々話してたよな」
『そうだね。カヅキは日本の事を沢山知っててびっくりした記憶があるなあ』
「そりゃそうだろ。俺は小学生までは普通に日本に住んでたんだからさ」
香月がクレアに引っペがすのを諦めて彼女の頭を優しく撫でると彼女は嬉しそうに目を細める。そんな表情を見ると、本当に昔と変わらないんだなと香月は英国時代の事を思い返していた。
◆
八年前、香月が魔術協会に保護されてから十分なケアを受けて、両親の死や事件の精神的ショックから立ち直るまではいかぬものの和らぎ始めた頃、香月を引き取り養父となったエドワード・クロウリーが手配した屋敷で魔術の修行を始めた。
それはクレアの生家であるフォードの屋敷だった。そこで香月はフォードの屋敷に住まう形で、そこで世話になる生活が始まった。
クレアと出会った頃は、彼女は十歳だった。
「初めまして、カヅキ。今日から君の面倒は私が見ることになった。このフォード家の長男、アルフレッドだ」
「大神香月です。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく。それと、この子が末っ子のクレア。彼女とは歳が近い、仲良くしてやってくれ」
屋敷での生活が始まった頃、香月はまだ幼かった為かアルフレッドとクレアの二人としか関わる事が無かった。しかし、そんな日々が続く内に少しずつ他の人とも話すようになっていった。
この頃のクレアは全く喋らなかった。いや、喋れなかった。失声症という、喉周辺に損傷は見られないのに言葉を発する事ができなくなる病気だったからだ。
それは後に知ったのだが、クレアの精神的なストレスが原因だった。彼女は風魔術の名門の出というのもあり幼い頃からその才能を磨く為の修行が課されていたが、それは卒なくこなしていた。しかし、母親との死別が彼女の心に暗い影を落としていたのだ。
そんな彼女にフォード家の当主であるリーヴァイは、年の近い香月と接して少しでも心を開いてくれたらという配慮もあったのだろう。魔術の修行も遊びもクレアと一緒という事が多かった。
その甲斐あって、クレアと香月は徐々に打ち解けていき、やがて二人の距離は兄妹のようになっていった。
基本クレアは喋らなかったが、仕草でコミュニケーションを取る事は可能だった。外で遊ぶ時は身振り手振りで意思表示して、二人だけで遊ぶ時は香月に筆談やスマホに文字を打ち込んで意思を伝えていた。
「クレアはどうして喋れないんだ?」
ある日、二人でアニメを見ている時に香月がクレアにそう尋ねた。その頃にはクレアはだいぶ香月に懐いていて、べったりと抱きついて一緒にアニメを鑑賞していた。
彼女は困ったような顔をしてスマホに『わからない』とだけ打つと首を横に振る。
その仕草を見て香月もそれ以上は聞かなかったし、クレアも話そうとはしなかった。
「そっか」とだけ答えて、二人はまた一緒に遊んだり魔術の修行をするようになった。
そんな日々が続いたある日の事だった。
彼女がスマホに『カヅキに見せたいものがあるんだ』と打って見せてきた。
『ボクね、魔術の新しい使い方を思いついたんだよ』
「へえ。どんなのだ?」
『それは見てからのお楽しみだよ』と打ち込んでから、クレアはスマホを何やら操作すると再び香月に見せる。その画面には魔術陣が表示されていた。
『これは風の魔術陣の応用だよ』
「ああ」
『これに魔力を流し込むとね』
クレアがテーブルの上に敷いた紙にスマホに表示された通りに魔術陣を書いていき、それに魔力を込めると、魔術陣が青白い光を放った。すると、声が聞こえてきた。
『あー、あ! あーっ! カヅキ、聴こえる?』
初めて聴いたが、それは紛れもなくクレアの声だという事はわかった。
失声症が治ったわけではないとすぐに香月は理解した。彼女の言葉を風魔術で発声していたのだ。
「すげえ!」と興奮して声を上げる香月に、クレアはその乏しい表情にほんの少しだけのドヤ顔を浮かべて胸を張った。フンスッと彼女の鼻が鳴った。
『これがボクが編み出した、音魔術だよ。カヅキともっと話したかったんだ』
この魔術は、彼女の創作魔術の試作第一号となった。
それからクレアはこの音魔術を使ってカヅキと会話するようになり、更に風魔術を応用を活かして音魔術の幅を増やしていった。
その数年後に魔術学院に通っていた頃の彼女は音魔術の魔術刻印を身体に彫る事になるのだが、末娘に対して子煩悩なリーヴァイでも説得するのに相当骨が折れたらしい。
「未成年の身体に魔術刻印はダメ!」だの「ウチは風魔術の名門なんだから、成人したら風魔術の刻印を彫って貰わなければだなあ!」とリーヴァイが散々ゴネたのだが、最終的には半ば無理矢理に彫り師からの誓約書にサインをさせたらしかった。
◆
そして時は現在に戻る。
彼女が初めて音魔術を使った出来事から数年経って、16になる頃にはクレアはより美しく成長した。それこそフォードの屋敷の使用人からも絶大な人気を誇る程にだ。
自分とクレアの世話をしてくれたフォード家の若いメイドであるセリーヌは彼女に新しいドレスを着せる度にニヤニヤしていたのを覚えている。しかもそんな様子だったのはセリーヌだけではなかった。
そう、クレアは使用人の皆がそんな風になってしまうくらい本当に可愛いのだ。
その頃でも一緒にアニメを見る習慣はそのままで、べったりくっついて来るのもそのまま。しかし流石に思春期だけあって香月の方はクレアを引っペがすようにはなっていったのだが。
魔術学院の方でもその類稀な才能を活かして成績優秀、研究職を有望視されていただけにちょっとした有名人の扱いを受けていた。
失声症の症状はというと、それからというもの段々と和らいでいったようで、本人の練習もあったようでか細い声であるが直接喋れるようにもなっている。それでも、伝声魔術で話す習慣が長かったのか何かにつけては直接話すより伝声魔術で会話する方を選ぶ。それは相変わらず変わっていない。
香月が一足先に魔術学院を卒業してからは協会の構成員として任務を請け負う身分となったが、クレアが卒業してからは期待された通りに研究職をする代わりに香月と同じ日本中部支部で構成員をするとリーヴァイに我が儘を言って捩じ込んで貰ったのは知っての通りだ。
『それでね……』と楽しそうに話すクレアに相槌を打ちながら、香月は彼女と過ごした日々を思い出していた。
『もう! カヅキったら聞いてる?』
「あ? ああ」
『じゃあ何の話してたか言ってみてよ』
「……なんだったけか」
『やっぱり聞いてなかった!』
そんなやりとりをしながら、香月はクレアに抱きつかれたままアニメを視聴していた。結局、そのまま二人で最後までアニメを見終わったが、クレアはやはりべったりとくっついたままだった。次のディスクに入れ替えようともせずそのままでいると、クレアが伝声魔術で声を発した。
『ねえ、カヅキ』
「ん?」
『こういう雰囲気の時って、カヅキはボクに何かしたくなったりとかしないの?』
香月の肩に頭を乗せたまま、クレアが横目で見てくる。香月は視線を逸らすように天井の方を見る。
「何かって……何だよ」
『とぼけないでよ、カヅキ。ボク、長年こうしてるけど、こうするとカヅキはいつもソワソワしてるのわかってるんだからね』
クレアは更にぎゅっと腕に力を込めて密着度を高めると、わざとらしく自分の身体の一部分を確かめさせるように香月の身体に押し当てる。柔らかな感触が押し潰されるように伝わってくる。
「まあ、そりゃそう……だよな……」
「ボクはいつでもいいんだよ? カヅキがその気になるならね」
クレアが耳元に口を寄せて直接囁いてくる。その魅力的な囁きに、思わず生唾を飲み込んでしまう。そのまま彼女に口づけでもしてしまいたくなるような誘惑に駆られるが何とか理性で堪える。
そんな香月にクレアは頬を赤く染めながら、上目遣いに見つめて来る。
『ボクだってもう子供じゃない。カヅキのしたい事なら何でもしてあげられるよ』
「いや、でもな……」
『……もしかして、日本人の感覚ってそういう物なの? 別に良いのに。それとも……ボクは魅力が無いかな?』
クレアは悲しげな表情で俯くと、そのまま黙り込んでしまった。香月が慌てて彼女の肩に手を置くと、彼女はすぐに顔を上げて薄く口元に笑みを浮かべた。
『なーんてね! 冗談! 冗談だよ!』
「お前なあ……。もう長い付き合いだから冗談かどうか分かるようにはなったんだぞ?」
『何だいそれ? まるでボクがいつもふざけてるみたいじゃないか』
「半分くらいそうだろ」
『酷いな!』
そう言いながら「むー」と頬を膨らませるクレアだが、すぐにクスクスと笑い出す。そんなクレアに釣られて香月まで笑ってしまう。
『カヅキのそういう所、ボクは好きだよ』
「そりゃどうも」とだけ返すと、クレアは不満げな表情になった。
しかし、すぐに笑顔に戻ってまた腕に力を込めて抱きついてくる。
『ねえ、カヅキ』
「なんだ?」
『ボクね、またこうやってカヅキと一緒にいられるのすごく嬉しいよ』
「……そっか」
香月はクレアの頭を撫でると、彼女は心地良さそうに目を細めた。そのまましばらく沈黙が続いた後、不意に彼女が口を開く。伝声魔術ではなく、あのか細い声で直接言う。
「……カヅキ」
「ん?」
そう言って、クレアがしてきたのは懐かしい仕草だった。スマホに文字を打ち込んで見せてくるあの仕草。
『キスしてもいい?』とだけ入力した画面を見せてくるクレアに、香月は面食らった。
「あのな──」
口を開こうと香月がした瞬間、それを遮るようにクレアは唇を塞いできた。
「んぐっ!?」
突然の事で頭が真っ白になる。柔らかい感触が唇に触れる感覚が脳に伝わってくる。唇が触れるだけのキスだ。
数十秒後に唇が離れると、彼女は悪戯っぽく笑んだ。
『今日はこの辺で勘弁しといてあげる』
そう打ち込んだ画面を見せてくると、彼女はもう一度唇を重ねてきた。また触れるだけの軽いキスだったが、それでも心臓の鼓動が跳ね上がるくらいには衝撃的だった。
『またね、今度はもっといっぱいしようね』
伝声魔術を使ってそう言いクレアは立ち上がると、そのまま部屋から出て行ってしまった。一人部屋に残された香月はしばらく呆然としていたが、我に返って頭を抱えたのだった。
TIPS:「HLT・HLASについて」
モデルは勿論、NARUTOとBORUTO。
NARUTOはイギリスで大人気なんだそうで、今回の話は海外での日本のアニメ事情を調べて香月達が視聴してたであろうアニメを選定しようとした結果こうなりました。
ちなみに同じヨーロッパだとフランスで人気なアニメはイギリスとはちょっと違ったりと地域柄というのかお国柄というのか、放送されていたアニメが違うようでその影響があるみたいです。




