後編⊕
白猫に突撃されそうになったクレアだったが、回避することには成功したようだった。猫はそのまま窓の外に出てしまったようだったが、それをクレアが追いかけてオフィスの外へ駆け出していった。
香月はオフィスの外に居る依頼人二人の元へ階段を駆け下りて行くとその二人に言った。
「岩崎社長、環さん! 原因はわかりました! このペンダントです!」
「え? あ……はい? あの飛んでった猫の方じゃなくて……?」と困惑気味な二人に対して香月は掌上に置いた忘却の魔石を二人に見せた。
「これをよく見ててください」
そう言って魔力を魔石に込めると忘却の魔術を発動した。魔石から放たれる光を見つめ、二人がその場に気を失って倒れた。
忘れさせるのはポルターガイスト現象があった事と、猫が宙に浮いた事、そして大神便利屋事務所に依頼に来た事だ。
「ちくしょう、報酬は前払いにして貰えば良かった!」
そうぼやいて、クレアの後を追った。
◆
香月が岩崎のオフィスの敷地外に出ると、既にクレアは猫を追跡していたようだった。しかしそのスピードはかなり速かったらしい、もうクレアの姿が見当たらなかった。
「速すぎだろ……。アイツ、普段は家に引きこもってる筈なんだけどな……」
思わず香月はぼやく。
『カヅキ!』とクレアから伝声魔術で声がかかった。『あの猫、そのビルの屋上に飛んでった!』
「わかった!」
そう返事をして、ビルに向かって駆け出すと階段を一気に駆け上がった。そして、屋上に出るためのドアを蹴破って中になだれ込んだ。
すると、屋上の手すりの上に立っている白い猫の姿があった。香月はその背中に向けて声をかける。
「もう逃げられないぞ」
すると白猫が香月に向き直り、「シャーッ!」と威嚇の声を出した。
そして「追えるものなら追ってみろ」と言わんばかりに、その小さな顎をクイッと上げて行き先を示すと屋上から下の大通りに向かって飛び降りた。このビルの高さは八階だ。
「ちょ、待て!」
香月は手すりから身を乗り出して下を見下ろした。すると白猫は中空で静止しているように見えた。いや、浮遊していたらしい。仰向けの姿勢でこちらを見て、足をバタつかせるように「ニャー」と鳴いた。
まるでこちらを煽ってきているかのような様子だ。
「猫のくせに馬鹿にしやがって……!」
『カヅキ!』
伝声魔術でクレアの声が届くと同時に背後から階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。振り返ると息を切らしたクレアが屋上に姿を現したところだった。
「あの猫が浮遊して、降りてった。追えるか?」と香月が言うと、クレアは頷いて答えた。
『任せて』と伝声魔術で答えると、クレアは目を閉じて意識を集中したようだった。
右足を滑らすようにくるりと円を描く、その足先の軌道を追うようにして青い光が浮かび上がる。足先に魔力を集中しているのだ。
そして空を蹴るようにして、器用に足を滑らしていくと彼女の足元に魔術陣が完成した。
「……Aero Glide」
クレアが魔術の発動の言葉を発する。
と、そこから一陣の風が吹き荒れた。その風に乗るようにクレアの身体がフワリと浮き上がったかと思うとそのまま屋上から飛び降りて行った。
「あ、おい! 俺は……?」置いてけぼりにされた香月がそうぼやいていると、クレアから再び伝声魔術が届いた。
『ごめんな、カヅキ。この風魔術は一人乗りなんだ』
「かの有名ないつも自慢話してくる裕福な家庭の子かよ。じゃなくて、クレアが風魔術使ってる所なんてだいぶ久しぶりに見たぞ。しかも第二世代魔術の発動方法なのは初なんじゃないか?」
『昔、家で一通りは叩き込まれたからね。見せた事は無いけど。カヅキ! そこの向かいのビルの陰に隠れてる! そこまで来て!』
「あ、ああ……わかった!」
そう答えて香月は屋上から階段を使って降りていくと、クレアが手招きクレアが道路を挟んで向かいのビルから手招きしていた。
急いで向かいのビルに向かって駆け出すと、再びクレアが魔術の発動を始めた。
『Aero Glide!』
すると今度は足元の魔術陣から風が舞い、白猫を包むとフワリと浮き上がった。
猫はその風に乗せられてジタバタと翻弄されているようだった。
クレアはその首根っこを掴むと持ち上げた。白猫は諦めたようにその四肢をダランとさせていた。
やがてクレアはこちらに手を振りながら『捕まえたよ』と言ったかと思うとその猫の首根っこを掴んでぶら下げたままで戻ってきた。
香月は駆け寄っていって、「でかした!クレア!」と彼女の頭を撫で回した。
『ちょ、ちょっと! カヅキ‼︎』
彼女は顔を赤くして抗議してきたが、香月は気にする事なく猫をぶら下げたままの彼女を撫で続けた。
「で、この猫どうしような? このまま事務所に連れて帰るか?」
『うーん……。でも、あの会社で可愛がってたんじゃ……』
彼女が言うと、その背後から声がかかった。
「……何してるんだ、お前ら。カヅキの便利屋の仕事か?」
聞き慣れた男の声だった。声の主を見、二人は声を上げた。
「ジェイムズ!」
『おじ様!』
◆
結局、猫は満月亭に連れて行く事にした。依頼人と環にはもう忘却魔術を掛けてしまった後だ、かといってそのままこの猫をあのオフィスに戻す訳にもいかなかった。
忘却魔術で指定した効果的に、猫を拾った記憶は残ってはいるだろうがそもそも相手は元々野良で拾った猫だ。どこかにでもフラリと行ってしまったとでも考えてくれる事だろう。
そうして一時的にあの風魔術が操れる猫を魔術協会預かりにしたのだが、後々色んな事がわかった。
「どうも、その猫は島津義彦というかつて協会所属の魔術師だった人の飼い猫だったらしい」
「かつて?」
香月が満月亭のカウンター席に座ってそう聞き返すと、ジェイムズが頷いた。
背後のボックス席のソファには猫のお出かけ用のキャリーバックが置いてあった。魔術の発動を封じる魔術陣でしっかり、風魔術対策がされている。その中にあの白猫が眠っていた。
「ああ。昔、この日本中部支部に在籍してた方だよ。十数年前に引退されてな、それで数ヶ月前に亡くなったんだが──」ジェイムズは洗ったグラスを拭きながら、続ける。「動物が痛くない方法で魔術刻印を施して、使い魔として使役できないかという研究をしてたんだそうだ。その内の一匹だったらしい。島津さんは相当な猫好きだと有名だったからな」
「なるほどな……」
香月はそう言って、ジェイムズからの話に納得していた。要は飼い主が亡くなって、餌を探しに野良になったあの猫があの広告会社に拾われたという感じだったのだろう。
ボックス席のキャリーバックの中ではその猫が丸くなって眠っている。そして先程、ジェイムズはこの猫を使い魔として使役できないかという話をしていた。
殺処分するのも骨が折れそうな、それなりに賢い猫だ。それではこちらの意図を勘づかれてまた逃げたり暴れたりするかもしれない。飼うならその方が良いのかもしれないが、問題は飼い主だ。
『ねえ、ボクがあの子飼っても良いかな?』とクレアが切り出した。
「うーん……別に良いんじゃないか」そう言って、香月はジェイムズを見る。「ジェイムズはどう思う?」
「街に解き放たない事、街に出すならちゃんと躾ける事、最後まで面倒を見る事。それが出来るなら良いぞ」
「まるで野良猫を拾ってきた子供に対する台詞だな……いや、実際野良の時期があったんならその通りか」
「ああ、そうだ」ジェイムズはそう言うと、グラスを棚に戻した。「まあ、何かあって面倒が見れない時はカヅキに預けるのも手だろうな。仮にその猫が暴れたとしてもな」
「おいおい……」
『ボクがちゃんと躾けるから!』
クレアはそう訴えるように言ってきた。
「……まあ、良いんじゃないか? 俺もたまに様子を見に来るよ」
「で、飼うなら名前をつけないといけないよな。クレア、どうするんだ?」
そうジェイムズが言うと、クレアは一度香月を見ると、普段表情の乏しい顔にニヤニヤと口元を緩めながら答えた。
『実はもう決めてあるんだよ』
そう言って彼女はキャリーバックをこちらに持ってきた。その中を覗き込むと猫は起きていた。「ニャー」と小さく鳴くと前足で顔を洗い始めた。
「ちなみに何ていう名前だ?」
ジェイムズに聞かれてクレアは答えた。
『カヅキ』
「何だ?」
と香月が聞き返すと、黒猫がまるで返事をするように「ニャー」と鳴いた。
『だからカヅキだってば』
「……どういう意味だ? まさかこの猫の名前、俺の名前にするのか?」
『そうだよ、この猫の名前は今日からカヅキだよ』
クレアはそう言うと、満足げな表情で頷く。香月は思わずため息をついた。そしてキャリーバックの中の猫に話しかけた。
「まあ、なんだ……。今度からよろしくな……カヅキ」
「ニャ」
短く猫が返事をする。
複雑そうな表情を浮かべる香月を見て、ジェイムズとクレアが笑う。
『カヅキ、今日からよろしくね』とクレアが言うと「ニャー」と白猫改めカヅキが返事をした。
次回、幕間「メイドの幽霊は探されている」