前編⊕
「なるほど……怪奇現象、ですか」
今日は珍しく事務所に客が来た。無論、便利屋の依頼の客だ。その依頼内容を聞いて香月は頭を悩ませた。
依頼人の経営する広告会社のオフィスで怪奇現象が起きるというのだ。それは突然デスクや観葉植物を浮き上がったり、独りでに動いたりするとの事らしい。
幽霊の仕業──となるとどちらかと言えば霊能者とかそちらの方が適任な依頼だ。仮に本当に霊の仕業という事であれば、それは魔術協会の方の仕事になり得るが屍霊術に詳しい魔術師が必要になるだろう。とはいえ、香月の所属する日本中部支部にはそんな人物は一人も居ない。
ここは便利屋事務所であるというのを理由に、そういう案件は霊能事務所でお願いしますと突き返すべきか香月が考えていると、たまたま事務所に遊びに来ていたクレアが口を挟むようにして依頼人に向かって言った。
『わかりました、その依頼お受けします』
相手は魔術師ではない、一般人だ。伝声魔術で発した声を口パクに合わせる方法でクレアがそう言った。
この話を持ちかけてきた依頼人は流暢な日本語を話して二つ返事で依頼を許諾したイギリス人の少女を見て目を丸くする。
どうやら依頼人の方も、ダメ元で依頼に来ていたらしい。
「え……本当に……?」
『はい、安心してください。私はクレア・フォード。この事務所の主の大神香月の助手、そして未来の嫁です』
「……おい、クレア」
勝手に話を進めて、勝手に未来の嫁宣言までするクレアに香月は抗議の視線を向けるが、それを気にした様子もなくクレアは依頼人に問う。
『ところで今詳細を伺っても?』
「あ、あぁ……まずはこれを見てくれますか」
そう言って依頼人が見せてきたのは一枚の写真だった。
デスクにパソコンが置いてある以外は何の変哲もない小規模なオフィスの光景。その中央に一つの観葉植物が置かれている。
「これ、私の会社のオフィスなんですけど……先日、気づいたらこの観葉植物がこんな状態に……」
そう言って依頼人が次に見せて来たのは、スマホの中に保存された動画だった。再生してみると、観葉植物が宙に浮いて縦横無尽に動き回る様子が撮影されていた。
『なるほど、これは……ポルターガイスト現象というやつですね』
「ポルターガイスト?」
その単語に聞きなれなかったらしい、依頼人が首を傾げるのにクレアが続ける。
『はい。ドイツ語で騒ぎ立てる霊という意味の言葉なのですが、物体の移動やラップ現象、発火・発光現象などがそれにあたります。霊が起こす心霊現象と言えばわかりやすいでしょう』
なるほど、クレアはこの現象を心霊現象という事にしておく事で依頼を解決に導くつもりらしかった。恐らく、彼女の頭の中ではこれを実際にはちょっとした魔術絡みの出来事として、協会の方の管轄で処理しようとしているようだ。
恐らく、構成員の誰かを霊能者の知り合いと装ってとかそういう手法で行くつもりなのだろう。ハッキリ言って詐欺の手法に近い。
(多分、それだと呼ばれるのは清香姉あたりだろうな……現役の役者だし……)
そんな事を考えていると、依頼人はクレアの話に興味深く頷いた。
「ふむふむ、つまりこの怪奇現象は幽霊の仕業という事ですか?」
「いや、俺はそう考えてない」
そんなクレアの話を香月は否定したが、依頼人はその考えに同調する。
「私もそう思っているんですよ。これは霊の仕業ではなく、人間のしわざだ。とね」
「へぇ……?」
香月は依頼人のその言葉に興味を持ったのか、話を続けるように促した。
「この現象が起きたのはちょうど私がオフィスで仕事をしている時でした。私はデスクで仕事をしていたのですが、突然観葉植物が浮き上がって私の周りを飛び回ったんです」
『なるほど……ではその前後に何か変わった事はありましたか?』
「そうですね……特に何も無かったと思いますけど……。あるとしたら、最近転職で辞める社員が居まして、その人が引き継ぎと残務処理でうちのオフィスによく顔を出していましたけど……」
『頻繁に来ていたのですか?』
「ええ。結構、毎日ではなかったですけれど」
依頼人のその言葉にクレアはふむ……と口元に指を当てて何かを考えるような素振りをして言った。
『なるほど……なら、その人がポルターガイストの原因である可能性が高いですね』
「いや、それは無いだろ。テキトーな事言うんじゃない」
香月がそう口を挟むのを気にした様子もなくクレアは続ける。
『では、その社員の方に会わせて頂けますか?』
「え、ええ。今日も来ている筈です。それは構いませんが……」
『じゃあカヅキ、早速その方に話を伺いに行こうじゃないか』
「おいおい、もう行くのか? まだ正式に依頼を受けるとも決めてないんだが」
そんな不満げな香月にクレアはチラリと視線を向けると、伝声魔術で香月の耳にこう届けた。
『いいじゃないか、こんな興味深い依頼そうそうないよ? それに正式な依頼を受けるかどうか判断するのは話を聞いてからでも遅くはない筈さ』
そんなクレアの言葉を受けて香月は小さく息を吐く。依頼人からはクレアが視線だけで香月を折れさせたように見えただろう。
「わかったよ……じゃあ悪いですがその社員と会えるように手配してもらえますか?」
「はい、わかりました」
そう言うと依頼人はデスクの上に置かれていたスマホを手に取り画面を数回押した。表示したのは恐らく、件の社員の電話番号だろう。それを聞く前に香月はクレアに釘を刺すように小声で言った。
「クレア、わかっているとは思うけど」
『わかってるよ。カヅキが懸念しているような霊的な現象ではないって方向にしてみるから』
「……頼むぞ、本当」
そう言うと二人は依頼人が電話をするのを黙って見ている事にしたのだった。
◆
香月の便利屋事務所を後にして、件の社員と待ち合わせをしている喫茶店に入る。テーブルにつくなり開口一番に依頼人は口を開いた。
「それにしても驚きました」
「ん? 何がですか?」と聞き返したのは依頼人の座る席からテーブルを挟んで反対側に座る香月だ。
すると、依頼人は香月の隣に座るクレアに目を移す。
「クレアさんは日本語が本当にお上手ですよね。もう日本は長いのですか?」
『いいえ、ボ……私はまだ日本に来たばかりですよ。まだ数ヶ月程です。でも、昔から日本の映像作品が好きだったので、独学で勉強してました。幼い頃から身近にちょうど良いお手本が居ましたので』
そう言って、クレアは香月の方を見る。
その仕草で、依頼人には香月がクレアの日本語を教えていたという事は伝わっただろう。
「なるほど……ではカヅキさんは?」
「俺は日本生まれですが、幼い頃に両親を亡くしまして。それからは七年ほどイギリスで彼女の実家に世話になってました」
「あ、すみません……」
「いえ、お気になさらずに」
そう言って軽く頭を下げ、顔を上げるとタイミング良く依頼人が呼びつけた社員が店の中に入ってきたのが見えたようだった。そうして彼女が席に着くと依頼人は本題に入るべく話を切り出した。
「彼女が社員の──いや、来月からはプロのイラストレーターとして独立されるのですが、博多環さん。優秀な社員さんでしたので、こちらとしては手離したくない方だったのですが……」
「いやー、本当ごめんね岩崎社長。あたしが副業でやってたイラストの活動がバズり過ぎちゃって、企業から案件がかなり貰えるようになっちゃったもんだから……」
そう言って頭をかくのは、茶髪のショートヘアの快活そうな雰囲気のある女性だった。黒のスキニーパンツとベージュのシンプルなカットソーでかなりカジュアルな服装だ。
歳は恐らく二十代半ばという所だろうか。香月やクレアよりは年上だろうが、かりんや清香とかとそう変わらないくらいだ。
そんな彼女にクレアが聞く。
『失礼ですが、ご出身はどちらですか?』
「ん? ああ、あたしは名古屋出身だよ」
『なるほど。それで、その副業というのは?』
「ああ……それはね」
そう言うと博多は鞄の中からクリアファイルに入った一枚のイラストをクレアに見せた。そこには、可愛らしい女の子の絵が描かれている。どうやらアニメのキャラクターらしいが、香月にはそれが何のキャラなのかわからなかった。
しかし、それを見たクレアの反応は違ったようだ。
『これ……! 今度実装される眼鏡付きバージョン衣装の……!』
「お、知ってる? このソシャゲ、今本当にノリに乗っててね。このキャラなんだけどさあ、ずっとあたしが担当してて……」とそこまで言った所で依頼人の岩崎社長が咳払いをした。
「すみません、博多さん。先にこちらの方に本題をお願いします」
「あ、失礼」
そう言ってコホンと咳払いをすると、環は資料から目を上げて改めて香月達の方に向き直った。
「それで、あたしに何が聞きたいんだい?」
『単刀直入に聞きますが、博多さん。ポルターガイスト現象の原因は貴方ですか?』
そんなクレアの言葉に、依頼人──岩崎と香月は思わず言葉を失う。いきなりそれか……と思っている二人を尻目に環が首を傾げた。
「ポルターガイスト現象ってあの? よく霊的な存在の仕業だと勘違いされるアレだよね?」
『はい』
「うーん、わかんないな。あたしはそんな怪現象みたいな事できないからねえ。それにトリックがあったら普通触ればバレるでしょ?」
『では、質問を変えます。ここ最近で何か変わった事はありませんでしたか?』
「別に……」
博多は言いかけて、そこで言葉を止めると何かに気付いたかのように言った。
「……いや、あったわ」
「それは何ですか?」
香月が聞くと環は続ける。
「オフィスに野良猫を拾ってきたんだよ」
そう言って、SNSに投稿された動画を再生し始めた。その動画は環がオフィスの中で何かを覗き込んでいる場面から始まった。
『ねえ、社長! この子、なんか怪我してない?』
そう言って環は動画の中で岩崎に手招きをする。かがみ込んだ環の足元に映っていたのは小さな白い猫だった。
どうやら、この猫はビルとビルの谷間にある路地で足を怪我していたらしいのだ。
『本当だ……これは可哀想に……』
そう呟くと岩崎はその白猫をそっと抱き上げた。すると、その猫は急にジタバタと暴れ出したのだ。そして、その口からは「シャーッ!」という威嚇するような鳴き声が放たれた。
『うわ……社長、噛まれたんですか!?』
『ああ、いや……これは……』
岩崎が言いかけた所で動画の再生時間が終わった。
スマホから顔を上げてクレアが環を見る。
『この猫がオフィスでポルターガイスト現象を起こしていると?』
クレアの言葉に博多は小さく首を振る。
「いや、それがさ……。確かにあの猫が来てから、そのポルターガイスト? みたいな事は起きるんだけど、それは関係ないと思うんだ。だってさ、あの猫ってうちのオフィスに来てから三ヶ月くらいは経つんだよ」
そう言って彼女は続けた。
「最初は野良猫だと思ってたけど、それにしては最初だけ警戒してたけど結構人慣れしてるし……何より餌を食い散らかしたりしなかったんだよ。まるで誰かが置いて行ったみたいにね……」
『なるほど……』
クレアは環の言葉に納得した様子を見せると、今度は香月の方を見た。その視線を受けて香月は小さく頷くと言った。
「……その猫が原因とは考えにくいですが。わかりました。一応、ポルターガイスト現象が起きてる場所を見てみましょう」
そう言うと二人は環と岩崎を連れて、ポルターガイスト現象が起きているというオフィスに向かった。
◆
岩崎が運営するオフィスにやって来た四人はまずは部屋の中を見て回る事にした。
「この部屋が一番多いですね」
『なるほど』
そう言ってからクレアは何かに気づいたようにハッとした表情になると、二人に聞こえないように香月に伝声魔術で直接耳打ちしてきた。
『……カヅキ、あれ見て。部屋の隅に居る猫』
そう言われ、部屋の隅に居る白猫に目をやった。アメリカンショートヘアの白い猫だ。少し痩せているが、可愛らしい顔立ちをしている。
クレアに向き直って、「それが何か?」とばかりに香月は片眉を上げてみせる。
『……カヅキ、あの猫だよ。ポルターガイスト現象の原因』
「え?」
思わず香月は声を漏らしてしまった。
『ほら……感じない? あの猫から魔力を感じるんだよ』
そう伝声魔術で耳打ちし、クレアは視線をその白い猫に向ける。その猫の目はまるで何かを訴えるかのように、じっとこちらを凝視している。しかし、その視線が向けられているのは香月とクレアだ。
(何だ……?)
香月にはその目が何を訴えているのか全く分からなかった。すると、そんな視線に気づいたのか白猫がこちらに対して威嚇するように「シャーッ!」と鳴き声を発してみせた。魔力が強まったように感じる。
香月はハッとして、クレアの方を見た。
(まさか……?)
『ね? そうでしょ?』そう言って得意げな顔をするクレア。どうやら、確信があるようだ。そんな二人に依頼人らは怪訝そうな視線を向けた。
「あの……大丈夫ですか?」
そんな二人の様子を心配したのか依頼人の岩崎がおずおずと聞いてくる。それに気づいた二人はすぐに表情を取り繕う。
『「あ、すみません。大丈夫です」』
二人揃って言った。
香月がクレアの耳に口を寄せる。ひそひそと話し出した。
「なあ、どうする? 見た感じ、ここで飼ってる猫だよな」
香月がそう言うと、今度はクレアが口を両手を添えて香月にひそひそと耳打ちした。
「……カヅキ、あの猫を捕まえて。それで正体がわかる」
「わかった」
そう言うと香月は白猫にゆっくりと近づいていった。すると白猫もそれに気づいたのか香月に向かって威嚇の声を上げる。
「シャーッ!」
「大丈夫だ、何もしないから……」
そう言いつつ、じりじりと距離を詰めていくと白猫は後ずさった。しかし、すぐに壁によって退路を失う事になる。
『カヅキ!』
クレアの声に香月は頷くと、白猫に両手を伸ばした。
その時だった。
白猫の体が宙に浮いた。いや、違う──それは比喩ではなく本当に浮いていたのだ。そして、そのまま天井近くまで浮き上がった所で動きを止めた。
「なっ……!?」
『やっぱり……』
驚く香月とは対照的にクレアは納得したように言った。そうしている間にも白猫はどんどん高くまで昇っていく。すると、今度は香月とクレアに向かって急降下してきたのだ。
「危ない!」
咄嗟に香月が叫ぶと、クレアを庇うように前に出て彼女を抱きかかえた。その次の瞬間、白猫が香月の背中に突撃した。
「ぐっ!」
呻きと共に香月は前のめりに倒れ込む。
クレアは慌てて香月下から這い出ると、仰向けになって倒れる彼の横にしゃがみ込むと言った。
『カヅキ! 大丈夫!?』
しかし、返事はない。気を失っているようだ。しばらくするとピクリと腕が動き、ゆっくりと上半身を起こした。どうやら無事なようだ。
その事にほっと胸を撫で下ろすクレアだったが、すぐに表情を引き締める事になった。
(何……今の? それに──)
薄らと猫の背中の純白の毛並の隙間から青白い光が盛れ出しているのが見えた。
(これって、魔術?)
「あの……大丈夫ですか?」と岩崎が聞いてくる。
『あ、いえ! 大丈夫です!』
そう誤魔化すのが精一杯だった。とにかく今は香月の事を心配しなければならないと思ったからだ。
すると、そんなクレアの心配を余所に香月は立ち上がると服に付いた埃を払っていた。そして、白猫の方を見て言う。
「お前、ただの猫じゃなかったんだな」
『カヅキ……?』
「いや、ちょっとな……」そう言って、香月は岩崎と博多の方を見た。「岩崎社長、環さんここから離れてください。できればオフィスの外に出た方が良いかもしれません」
「え、ええ。わかりました」
香月の言葉に戸惑いながらも二人は素直に従う事にしたようだ。オフィスの外に出るとドアを閉めた。
すると、白猫は香月に向かって再び突進してきた。
「うおっ!」
声を上げながら香月はそれを避けると、そのままドアに激突しそうになる白猫に目をやった。しかし、猫はくるりと方向転換しクレアの方へ向かってくる。至近距離だ。これは避けきれない。
『!?』
クレアが驚愕に目を見開く中、白猫はクレアの顔前をかすめるように軌道を逸らして、そのまま開いた窓からオフィスの外へと飛び出して行った。
「あれは、魔術だよな」
『うん』クレアが香月に頷く。『しかも風魔術だよ。魔力の感覚でわかる』
「風魔術……か」と香月は呟く。
『ボクはあの猫を追うよ。あれが街に野放しになっちゃったら協会的にも良くない。カヅキは二人に上手く説明しといて! やっぱ霊能系の方向で!』
そう言って、クレアがオフィスの外に向かって駆け出した。
それを見送る事になった香月は、悩むように頭を搔いた。
「霊能系の方向っていうか、目の当たりにされちまってるからな。これは、社長と環さんに記憶処理するコースの話になりそうだぞ……」




