2.魔術協会日本中部支部にて⊕
こんな話を知ってるだろうか。
恐らく、オカルト分野では時折聞くような話題かもしれない。伝承で伝えられるような霊や怪物、そして魔術。それらが本当は実在しているという話。
その答を先に言えばそれは一部だけ本当だ。
魔術は実在する。
霊や怪物などは言ってしまえば魔術的な作用によりその存在を実にしている側面がある。
現代社会では誰かの流布した眉唾じみたでっち上げの話と思われるような事柄ではある。だが、それはこちら側の世界の人間ではない表の人間達が一般常識として認識させられている物に過ぎない。
彼らが何故そう認識するようになっているのか。それは魔術師達により結成されて世界中に根を張るようになった秘密結社、魔術協会が流布しているカバーストーリーによる物なのだ。
魔術が実在するという真実を知っているのは、魔術を操る者達だけ。
そういった理念の下に魔術協会は魔術という超自然的な奇跡を起こす方法をありとあらゆる手段で隠匿し、世界から魔術の存在をひた隠し続けている。
魔術協会による隠匿は魔術の存在を知ってしまった人物の記憶を忘却魔術で消すだけにとどまらない。
魔術の効力を発揮できる道具などが世間に出回ればそれを回収し、魔術が原因による事件や事故が起きればその証拠を隠滅し、魔術を使った犯罪があればその魔術を行使した人物を抹殺して闇に葬る事もある。
それらの実行をするのが魔術協会の奇跡管理部という部署だ。
世界中に張り巡らされた情報網と世界各地に配置した構成員達によって、魔術という奇跡の秘法はその存在を隠され続けている。
大神香月はその奇跡管理部の末端構成員の一人だった。
彼が所属しているのは魔術協会奇跡管理部日本中部支部。その集会所は名古屋市中区栄四丁目、俗に「女子大」と地元の人間からは呼ばれている繁華街の中に人知れず存在していた。
旧時代の雰囲気を残して寂れつつも活気があるこの繁華街、そのとある雑居ビルの五階にはバーがある。
店の看板は「満月亭」と書いて正式には「ふるむーんてい」と読む。店の主曰く、「英国のスラングの全裸と掛けている」と本人はジョークのつもりのようだが、特段面白いとも感じないので香月は「まんげつてい」と呼んでいた。
いつ来ても店が開店している様子がなく、最上階である五階にはその店しかない為にそのビルの利用者からは閉店したまま次の借り主が見つからないでいる使用されてないテナントと思われている。しかし、人知れずそこに出入りする人間は何人も居るのだ。
「予約の大神でーす。マスター、お店開いてる?」
そう言って香月は閉ざされた店の扉を4回ノックする。ノックする回数とこの言い回しが合言葉だ。
しばらくすると、扉のロックが解錠される音ともに扉が開いた。
「開いてるよ。さ、中へ入っておくれ」
店の中から出迎えに来たのは顎に白い髭を蓄えたバーテンダー姿の初老の男だった。香月は促されるままに店の中へ入っていく。
扉から入って奥には十人掛けのカウンター席、その背後には五つに区切られたボックス席がある。満席に埋めれば三十人は入るであろう広さのあるそれなりに大きな店内だ。
最上階は店の外から見ると敷地面積が広くはない。それこそせいぜい六人くらいが入店すれば店は満席になる程度の規模の店しか開けない程度の狭小物件の筈なのだが、そうなっているのには理由がある。
満月亭の扉を開けた向こうが、魔術によって異界化されているからだ。異界化された店内から扉を開ける事によってようやく店の中に入れる仕組みになっている。
仮に扉をぶち破って無理矢理に中へ入ったとしても、そこにあるのは異界化されていない倉庫として資材が無造作に置かれているかつて店だった場所だけだ。
香月はカウンター席に座ると、肩にかけたメッセンジャーバッグの中から魔術書を取り出した。
「ジェイムズ、任務完了だ。小説家先生の手に渡った魔術書は回収してデタラメな内容のレプリカにすり替えておいたぜ」
ジェイムズと名を呼ばれたのは、先程香月を迎え入れた初老のバーテンダーだった。
「記憶処理もちゃんとやったか?」
「抜かり無しだ。ほら、回収した魔術書だ」
ジェイムズ・ウィルソン。この満月亭のオーナーであり、魔術協会奇跡管理部日本中部支部の支部長だ。ちなみに満月亭のある雑居ビルのオーナーでもある。
ジェイムズは差し出されたそれをバーカウンター越しに受け取ると、徐にその中身を開いた。
古い時代の物だ。羊皮紙で出来たページを一枚ずつめくりその内容に目を通す。
そうして、その感想を言うように口を開いた。
「これは第二世代魔術ができた時代のシロモノだな。古い時代の手法ではあるが、屍霊術や憑依魔術の類の研究結果を形にしてある。厄介なモンが世間に出回ったもんだな」
「第二世代……えーと、何だっけか?」
香月の発言にジェイムズが眉をしかめた。
「おいおい、カヅキ。お前さん、ついこの前まで魔術学院に居たんだろう? 古典魔術学の講義あたりで習ったんじゃないのか?」
香月が肩をすくめて返す。
「生憎、その講義は寝てたよ。面白くなくてな」
「ったく、お前の義父さんが聞いたら嘆くぞ。よく単位を落とさずに卒業して魔術協会の構成員になれたなお前……」ジェイムズが呆れて嘆息する。「現代の最新魔術が第四世代というのは言わずもがなだな? いいか、この世界に魔術が生まれたのは約四百年前だ。その時代の頃の魔術は呪文の詠唱によって術式を発動させる物だった。それが第一世代。そうして二百年後、研究が進んで魔術の発動に呪文の詠唱が必要なくなった。術式を図面にし、杖に魔力を通してそれで術式を描く事によって発動できるようになった。それが第二世代魔術だ」
「で、俺達のような構成員が持ってる忘却の魔石みたいな、魔力を込めるだけで発動する魔道具が第三世代魔術なんだろ」
「正確には予め魔力を込めた物品に術式を刻印、または魔力を宿した特殊なインクで術式を描いておいた物に魔力を注いで発動する、だ。おおよそは一応わかってるじゃないか」
「それで、その第二世代魔術ってのがそんなに厄介なのか?」
ジェイムズがその問いに対してやんわりと頭を振った。
「屍霊術って所が問題なんだ。第二世代魔術ができた頃くらいの古い時代の物だから、現代の物よりだいぶ魔力効率も発動効率も悪い術式だがな。だが、考古魔術学をやってる奴ならこの時代の研究の進んでいないまだ荒い術式を解明できるだろう。だからやろうと思えばこの魔術書で人の肉体から魂を抜いたり、他の魂を入れたりできてしまうんだよ」
「魔術協会が定める規律に違反する行為ができるってことか。確か、他者の肉体の乗っ取りは禁止だった気がするな」
「他者の肉体を乗っ取るのは協会の倫理規定に抵触する。やった奴は協会から抹殺指定を受ける事になるわな。まあ、この魔術書は本部に送って禁書目録入りだろうよ」
開いていた魔術書を畳むとジェイムズが金糸で刺繍された豪奢な表紙に指を添えて何やら円形を描いてからその中に三本の線を描いた。そうして、言葉を一つ呟いた。
『Levitas Motus《彼の元へ運べ》』
第二世代魔術の初歩とも言える物体を移動させる魔術だ。魔術学院でも最初に習う魔力を操れる者なら誰にでも簡単にできる。
魔術陣という術式を魔力を込めた指先で対象に描いて発動させる。ジェイムズが唱えた呪文のような言葉は発動した魔術に対する命令のようなものだ。
命令を受けた魔力が魔術書をジェイムズの手から放して宙へ浮かび上がらせる。そうして彼が指を示す方向へゆっくりと飛んでいった。その方向はキッチンとジェイムズの魔術工房がある奥の部屋だ。
「なあ、ジェイムズ」
「何だ?」
「あの魔術書が出品されていたってオークションな。それって俺たち中部支部が追ってる物なんだろ?」
「そうだな」首を縦に振る。「世界中を股にかけて、魔道具やら魔術書やらを売り捌いてる闇オークション。現状じゃここいらを拠点にしている。そこを叩かなくちゃいけないのは、あの山田という作家みたいな魔術師ではない一般人にすら参加を許して魔術の存在を流布しているからだな」
「金になるなら誰でも……って感じがするな」
「ああ。売れる物なら何でも、欲しがる人間であれば仮に魔術師じゃなかったとしても誰にでも。盗品だろうと、魔術協会が定める禁制品だろうと。見境なく、な」
「協会に所属しないはぐれ魔術師のやりそうな事だな」
「主犯格の身柄は割れてるんだがな」
そう言って、ジェイムズがカウンター越しに一枚の写真を差し出してきた。そこには白人の男が写っていた。
「ディヴィッド・ノーマン、元魔術協会所属の魔術師だ。やった事は今と変わらず、魔道具や魔術書を魔術師以外の人間に販売し、それを繰り返した。それで協会を追放されて抹殺指定を受けている。はぐれ魔術師になってからは世界各地で闇オークションを開催して渡り歩いているが、オークションの運営は精神干渉魔術で操った人間を使って自身は表には出てこない」
「尻尾は見えてるのに掴めない、いたちごっこを繰り返してる感じなんだな」
写真に映る、赤い髪をツーブロックのオールバックにした男を眺めて香月が呟くと、ジェイムズはため息をついた。
「手がかりを掴んだ頃にはもう行方を眩ましているんだ。残っているのは精神干渉でオークション運営に使われた人間と参加した一般人の記憶処理、それと一般人の手に渡ってしまった魔術的な物品の回収ばかり。その処理に追われている間に当人は別の地域へ。痕跡はあれど本人を見つけるまでは至らない。これが魔術師だけを相手にした閉鎖的なオークションだったら色々と話が変わってきてたんだ──」
そう言うと、ジェイムズは口の中でもぶちぶちと愚痴をこぼした。何を言っているかまではわからなかったが、この件については相当手を焼かされているらしかった。
「そこでだ」
ジェイムズが語気を強めると、カウンターに肘をついて身を乗り出してくる。香月の眼前に指先を向けてきた。
「中部支部としてはこちらから先手を打つつもりだ。他の国や地域に奴が拠点を移る前に、お前さんにはディヴィッドの居所の手がかりを見つけてもらう」
「見つけるってよ、すぐ行方をくらませる奴を相手にどう探し出せってんだよ」
「カヅキ、お前さんが打って付けなんだ。自分の使える魔術で出来る事と言えば想像はつくだろう?」
そう言われ、考えるように首をもたげる。しばらくして、何か気付いたように声を上げた。
「なるほど、潜入か」
「わかったようだな、お前さんの得意な事だろう?」
そう言ってジェイムズが一枚の紙をカウンターの上に広げる。
「港区の地図だ。ここの稲永埠頭にある海運会社の倉庫なんだが。そこに奴の次回のオークションで出品する商品が集められているらしいという情報を掴んだ。はっきり言って調査班のお手柄だ。そこへ行き、奴に繋がる何かを見つけてくるんだ」
「当のディヴイッド本人に出くわした時は?」
「その時はその時だな。抹殺指定を受けてるはぐれ魔術師が相手だ。お前の手で執行してきても良いぞ」
ジェイムズが冗談めかして言うが、それは本当に言葉通りの意味だ。魔術協会所属の魔術師として協会の規律に背いた者を討てという事だ。
「おー、怖っ。おっさんは配属されて一年程度のまだまだ新米に協会の魔術師らしく殉死してこいとおっしゃる」
「新米って、収穫されて一年経ちゃ古米だろうが。お前はそんな簡単にやられるタマでもないだろう? 俺はお前の実力をそれなりに高く評価しているつもりなんだがな。それに──」
意味ありげにニッと笑う。
「有能な助っ人を手配してある」
「何だよ、その含んだ笑いは。助っ人ってどこのどいつを寄越すつもりだよ」
怪訝な表情を向ける香月に、ジェイムズはニヤニヤと笑って勿体ぶるように言った。
「合流してからのお楽しみだ」
その発言に香月はただ訝しげな表情を浮かべるしかなかった。
Tips:『魔術協会奇跡管理部』
魔術協会の傘下の魔術師達による魔術の隠匿を目的とした部署。奇跡管理部の主な任務は、一般社会において魔術の痕跡やその影響を完全に消去し、魔術の存在を人々の記憶から抹消することにある。