28.エピローグ⊕
満月亭のあるビルからすごすごと出ていき元来た道を戻っていくイヴを、香月とクレアは向かいのビルの屋上から見下ろして見送っていた。
「……行ったな」
『ねえ、良かったの?』
クレアが香月に言う。その表情は幾ばくかの不安を孕んでいた。
「ん? 何がだよ?」
香月が聞き返すとクレアは心配してた事の当てが外れて逆に呆れたような表情を浮かべた。
『もう。イヴさんの事だよ。あのままにしておいて良かったの? 事務所の引っ越しをしたり、わざわざおばあちゃんに変身して通りすがりを装って居なくなったアピールするなんて事までして』
「良いわけないだろ。俺だって心が痛いよ。でもよ」双眼鏡を目から下ろして、香月が一つ嘆息する。「イヴは一般人なんだ。これ以上魔術に関わるべきじゃないだろう? ずっと接点を持たせる訳にはいかないさ」
『まあ、そうなんだろうけどさ……』
クレアは不満げに言うと、香月もどこか寂しそうに言った。
「でもな、俺はこれで良かったと思ってるんだ。きっとイヴにとってもその方が良いはずだ。彼女に普通の生活に戻って貰うなら」
『……そっか』
クレアが納得したように言うと、彼は続けた。
「それに、多分また会うかもしれないしな。そうはならないと良いんだが」
そう言って再びイヴの監視を始めた彼の横顔にはどこか哀愁のようなものを感じ取れた気がした。
◆
満月亭のあるビルを後にして歩く事数分、イヴは自宅であるマンションへと帰り着いた。
鍵を開けて部屋に入り、部屋の明かりを点けると彼女は力なくその場に座り込んだ。しばしの間呆然として、そして一言呟くように言った。
「お礼させてよねって言ったのに……」
その言葉は虚空へと消えて行くだけだったが、今のイヴにとってはそれで十分だった。
「また会えるよね」
そう自分に言い聞かせるように呟く。
「だって、ロニお兄ちゃんの方は約束してくれたもんね。香月君達だって約束させるんだからね。それに会ってくれないなら、こちらから探し出してやるんだから」
彼女は立ち上がると、部屋の奥へと足を進めた。そこにはイヴの背丈ほどの鏡がある。その前で自分の姿を確認してから彼女はニッと笑ってみせた。そして荷物を持つと玄関へと向かう。
「行ってきます」
そう誰もいない部屋に言ってイヴは自宅を後にしたのだった。彼女の心の中にはもう不安や迷いは無かった。
自分がこうありたい、こうなりたいと思った事は全て自分で掴み取ろうとしてきた。これからもそれは変わらない。だから、会いたいと思ったのなら会えるまで探せば良い。
ただ前だけを向いて歩んでいく決意を胸にしてイヴは歩き出した。
Episode Ⅰ『EVE誘拐事件編』完。
次回からは幕間エピソード(短編)「クレア・フォードは猫を追う」が続きます。
【本文について】
ほんの少し本文を加筆修正しました。




