24.満身創痍の戦い⊕
思い返せば、俺なんてまだマシな方だったのだろう。こうして一応は生きているのだから。と、香月は想起した。
人形師という魔術師に売り飛ばされて、他の子供達から摘出した臓器や筋肉や骨──身体の中の物を魔術的に加工した物を好き勝手に移植された。加工された肉体は、魔術師への商品として売り出される予定だったが、そこを魔術協会に救われて協会の構成員になった。
他の子供達はどうだったか?
自分を加工する為に、切り刻まれ、中身を取り出され、魔術の為に殺されていったんじゃないだろうか。材料として、消費物として。
イヴみたいな自分と同じように商品として扱われて本来の生活を奪われそうになっている・奪われた者達はどうなのか?
略奪・搾取される恐怖に震えているかもしれない。自分のように本来の生活にはもう戻れなくなっているかもしれない。中には肉体を奪われてその魂はこの世から消えてしまった者も居るかもしれない。
その考えが頭にあったから、香月は魔術協会の構成員になる事を選んだ。そして今、自分がこうなった原因を作った男の前に立っている。
「やめろッ! そんな状態で勝てる相手じゃない!」
二階堂の制止する声に、香月は足を止めなかった。そのままディヴィッドに向かって駆ける。
「覚悟しろよ、ディヴィッド・ノーマン! お前みたいな奴はこの世から無くさなくちゃいけねえんだ!」
そう叫び、彼の顔面を殴りつけた。
「ぐ……っ⁉︎」
ディヴィッドが呻く。しかしまだ倒れない。切り返すように反対側の拳で再度殴りかかる。
「まだだァッ!」
ディヴィッドも負けじと反撃に出る。
その鋭い爪を振るい、香月の胸元を引き裂く。血飛沫が舞う。だが、その痛みに耐えつつも彼は攻撃を続ける。
「うおおおぉッ‼︎」
叫びながら、何度も拳を叩きつける。その度にディヴィッドは苦悶の声を上げたが、それでも倒れなかった。
「フッフッフ……ハァーハッハッ‼︎」突然、ディヴィッドが高笑いを上げた。「どうやら、魔力切れだなァ! 大方、肉体強化魔術すら使えなくなったんだろ! その程度で俺をブッ殺せんのかよォッ!!」
ディヴィッドが香月の腕を掴む。そのまま力任せに放り投げた。壁に激突し、地面に落ちる。
だが、それでも彼は立ち上がった。
「まだだ……まだ終わってねえ……ッ」
呟くように言った香月に、二階堂は再度制止の声を上げる。しかし香月は止まらない。
ディヴィッドはその鋭い爪を一閃しようとする。だが、それを気にせずにディヴィッドへとなりふり構わずに突進する。その勢いのまま体当たりを仕掛け、ディヴィッドの巨体の懐に潜り込んだ。
「ハッ! 魔力切れの生身のお前に何ができるッ! 」
ディヴィッドはその木の幹のような太い両腕を香月目掛けて振り下ろそうとする。
しかし、その一撃は当たらなかった。香月がディヴィッドの股の間をすり抜けて、背後に回ったのだ。
その背を駆け上がるようにしてディヴィッドの首の後ろにしがみつくと香月は叫んだ。
「吸血鬼! 狙うべき所はわかってんだろ!」
「貴様に言われなくとも……!」
ロナルドはそう返事をして、地面へ掌を広げた。それを見、香月が口の中で肉体強化魔術の発動の言葉を発する。残りの魔力を振り絞って、発動させるとディヴィッドの首をありったけの力で絞め上げた。
「主の名を借りて命ず。闇よ、刃となりて貫け!」
ロナルド言葉に応えるように、足元から無数の漆黒の刃が顕現する。刃は真っ直ぐにディヴィッドの左胸へと伸びた。
「二階堂さん、合わせてくれ!」
その香月の叫びに、二階堂は頷きながらディヴィッドに向かって走り出した。ロナルドが放った無数の闇の刃の隙間を縫うように駆け抜け、ディヴィッドの心臓がある左胸に肉薄する。
「ハアァッ‼︎」
二階堂は吼えながら、渾身の力を込めて拳を叩き込む。それと同時に叫んだ。
「魔力爆縮っ!」
魔術が発動される。触れた拳の先から圧縮した魔力を対象の内部に叩き込み、内側から膨大な物理エネルギーとして炸裂させる魔術だ。先程、トラックを魔術空間にねじ込んだのも恐らくこの魔術だろう。
注ぎ込まれた魔力が、ディヴィッドの体の内側で一気に爆発した。その穴の開いた胸に、ロナルドの放った無数の漆黒の刃が心臓を、剥き出しになった魔石を刺し貫いていく。
「ガアァァッ‼︎」
ディヴィッドが絶叫を上げ、その場に倒れ、崩れ落ちる。
香月もすぐに離れようとするが、魔力を使いすぎた影響か上手く立ち上がれない。そこで、二階堂が香月に手を差し出した。
「大丈夫か?」
「あぁ……悪いな、二階堂さん」
そう言って彼の手を取り立ち上がる。そして二人は改めて倒れ伏している怪物を見下ろした。
その胸には大きな穴が空き、肉片が飛び散っているのが見える。だがまだ息があるようで、ピクッピクッと痙攣していた。
「ハァーッ……ハァーッ……」
荒い息を吐きながらディヴィッドが口を開く。その口元には血が流れていた。
「この程度で……俺を殺せると思うな……! 今の俺はあの女の血から得た莫大な魔力、そして吸血鬼化させたこの身体でもう不死身だ! 心臓を貫かれた程度じゃ死なねえ……ッ!」
そう叫び、立ち上がる。その目は怒りに満ちていた。
「身体の中で、まだまだ魔力が膨れ上がっているんだ……! 魔術協会なんかに、負けるわけがねえ!」
ディヴィッドの叫び声に呼応するように、彼の肉体に変化が現れる。その身体がメキメキと音を立てて更に膨れ上がっていくのだ。
身体を再生させながらまるで風船のように膨張していくディヴィッドの身体を見て、香月は呟いた。
「……まだ再生しやがるのか。確かアイツは屍霊術も使える筈だ。これって、もしかして──」
「ああ」
二階堂が肯定するように頷く。
「ディヴィッドが打った薬は吸血鬼化する為の物だったみたいだな。吸血鬼になるとその肉体は死者同様だが、魔術的な手法で肉体は生かされたままになる。魔力を糧にして生きる生物と化すんだ。まあ、使われた術式は旧い世代のだな。人間の姿を保てない物のようだが──」
「そこの吸血鬼の祓術師殿とはまるで別物だな……。それにしても醜い姿だぜ。まあ、かなり強力な個体になっているのも確かだがな。イヴの血を注入しただけであんなにも魔力が……」
香月はそう答えながら、ロナルドの方を見ると彼は既に次の攻撃に備えるように構えている。
「おい、大丈夫か?」
香月が聞くが、ロナルドは苦しそうに呼吸をしていた。
「お前も、かなり消耗してるみたいだな……」
「貴様に心配される筋合いは無い……。それより、どうするつもりだ? 奴を倒す策でもあるのか?」
「まあ……な……」
香月は答えたが、内心は不安だった。先程の魔術でほとんどの魔力を使い切ってしまったからだ。それでもやるしかない。そう覚悟を決めた。
ディヴィッドは自らを膨張させてどんどん巨大になっていく。やがてその姿は十メートルを超える巨大な肉の塊となったところで止まったようだった。
「見ろッ! まだ魔力が身体の中で尽きる事なく膨れ上がっていくッ! 全ての魔術師が求めた理想の力だッ! どうだッ! この姿はッ! 美しいだろうッッ⁉︎」
ディヴィッドが狂ったように叫ぶ。だがその声は最早人のものではなくなりつつあった。
「俺はもう不死身だッ! 誰にも俺を殺す事は出来なァいッ!」
ディヴィッドは叫びながら、ゆっくりと動き出す。その巨体が一歩進む度に地面が大きく揺れ動く。香月はその振動で思わずよろけた。
(まずいな……)
香月はそう思った。状況は最悪だ。せめて魔力が残っていれば対抗できたかもしれないが今は殆どゼロに等しい状態だ。
それに、ロナルドも満身創痍だろうという事は見て取れた。先程の二階堂の説明がロナルドにも当てはまるなら、魔力生物である吸血鬼の身体というのはその身体が再生される度に魔力が消費されるのだ。
まして、彼が放っていた闇の刃も本人は何も言わないが魔術である可能性が高い。
この戦闘の間で、かなりの魔力を消耗していると考えると──
「なあ、吸血鬼。お前、これ以上戦うとどうなっちまうんだ?」
ふと気になって聞いてみたが、ロナルドはこちらを睨みつけるだけで答えようとはしなかった。
「まあ、答えたくないのはわかってんだけどよ。教皇庁にとっちゃ本来なら魔術の存在自体が教義に反してるんだからな」そう言って香月が首をもたげる。「お前が無理して戦ったら、吸血鬼の肉体ってのは魔力切れを起こして消滅してしまうんだろ? 肉体が灰になって」
「……それがどうした」
ロナルドが答える。と、香月は彼に向かって自らの腕を差し出した。
「俺の血をやる」
ロナルドがその言葉に一瞬驚きを見せた。そしてすぐに険しい表情に戻る。
「貴様、どういうつもりだ?」
「別に理由なんかねえよ。ただな、俺達はこれからあのバケモンと戦わなきゃいけないんだ。魔力切れなんて起こしてる場合じゃねえんだよ」そう言って香月は苦笑を浮かべた。だがその目は真剣だった。「協力しないか? 一緒にアイツを倒す為にさ」
ロナルドはしばらく無言のまま動かなかった。やがて、ゆっくりと口を開いた。
「…………わかった」
彼はそう言って香月に近づくと、その差し出された腕に口を寄せる。
その様子を見て、香月はふと囮作戦のブリーフィングの時に清香が言っていた一言を思い出していた。
『吸血鬼って、確か噛まれて血を吸われると身体中に性的な快楽が走るらしいよね。本当なのかな?』
ロナルドが口を開くと、そこには鋭い牙が左右に並んでいるのが見えた。
「ちょ、ちょっと待った‼︎」
「……何だ?」ロナルドが怪訝そうな表情を浮かべる。「良いと言ったのは貴様の方だろう?」
「いや、そりゃそうなんだけどよ。でもいきなり噛み付くとは思わなかったんだよ! こ、心の準備ってもんがあるだろ⁉︎」
香月は焦りながら言う。しかし、ロナルドの方はというとキョトンとした表情をしているだけだった。
「貴様らしくないな。心配するな、噛んだとして貴様が吸血鬼になるという事はない」
「いや、そうじゃなくてな……もう少し、こう、あるだろう⁉︎」
「……?」
慌てた口調の香月に、ロナルドが怪訝な表情のまま首を傾げる。香月の言葉の意図は全く伝わってはいない。
そんなやり取りをしている間も、ディヴィッドはゆっくりとこちらに向かって近付いてきている。このままではマズいと思い、香月が叫んだ。
「おい、吸血鬼! やっぱり早くしろ!」
「貴様はどっちなんだ。わかっている」
ロナルドはそう言うと再び香月の腕へと口を近づける。そして牙が皮膚に触れる寸前で動きを止めたかと思うと、そのままゆっくりと口を開いた。鋭い犬歯が皮膚に食い込み始める感触に香月は思わず身震いした。
やがて完全に牙が突き刺さり、そこから血液が流れ出す。その血を啜るようにロナルドの喉が上下するのが見えた。
「……っ!」
痛みと共に全身に電流が流れたような快感が走る。思わず声が出そうになるのを必死で抑えた。
(な、なんだこりゃ……?)
まるで全身が性感帯になったような感覚だ。脳が痺れていくようだった。だがそれは決して不快ではなくむしろ心地いいものだったのだが──
「ちょちょちょ、やっぱやめ……!」
香月はロナルドを突き放そうと腕を引きかける。だが、それを察したようにロナルドが腕に吸い付く力を強めた。更に牙が深く食い込み激痛が走ると同時に強烈な快感が脳髄を駆け巡った。
「あ、あ、やめ……アーッッッ‼︎」
香月の絶叫が魔術空間の中に響き渡る。彼は腰砕けになりながら地面に膝をついて倒れ込んだ。
「あ、ああ……あ……」
頭の中まで蕩けてしまいそうな感覚に身を震わせていると、不意にロナルドの腕の力が緩むのを感じた。それと同時に牙が引き抜かれる感触があった。
香月は放心した様子でその行為を受け入れていた。全身が熱くなり、頭の中がほんやりとする思考の中で香月が力無くポツリと呟いた。
「もう……お嫁に行けねえ……」
そんな放心状態の香月を、ロナルドは口元を拭いながら見下ろすと言った。
「貴様の場合はそもそも嫁には行けん。安心しろ」




