22.罠⊕
「ッ……」
一瞬の内に景色が変わる。どうやら、ディヴィッドの空間跳躍魔術の発動に間に合ったらしい。
香月は真っ暗な闇の中にいた。掴んだ手の感触的にイヴの腕は掴んだままだ。
「チッ、ついてきちまったかァ……」
視界には映らないが、ディヴィッドが舌打ちをする声が目の前から聞こえた。何か密閉された空間の壁の向こうからは、車とすれ違う風切り音や、エンジンの唸る音が聞こえる。
ディヴィッドがライターで明かりを灯す。香月の視界にイヴを担ぎ上げたディヴィッドの姿が浮かび上がった。
どうやらそこは走行するトラックのコンテナの中のようだった。ディヴィッドはイヴを連れてこのトラックで逃走するつもりだったらしい。
香月はイヴの腕を離さないように力を込める。
「おい、ディヴィッド! イヴを返せ!」
香月が叫ぶと、ディヴィッドはククッと喉を鳴らした。
「返せと言われて返すわけねェだろ? テメェひとりで何ができるんだ? あァッ⁉︎」
そう言って彼は笑った。その声からは余裕が感じられるようだった。
しかし、香月の態度も変わらなかった。
「ひとりじゃねえさ」
香月が不敵に笑んでそう言うと、何かの衝撃を受けたようにトラックが大きく揺れた。まるで巨大な何かに横殴りにされたかのような衝撃だった。コンテナの荷室に積んであった木箱が崩れ落ちる音がした。
「うおっ……⁉︎」
その衝撃でディヴィッドが倒れ、思わず抱え上げていたイヴを手放していた。
香月はイヴを引き寄せ抱きとめる。彼女は気を失っており、意識はないようだったが呼吸はあるようで命に別状は無いようだ。
トラックは何かにぶつかって止まったようだった。
「な、なんだァ!?」
ディヴィッドが叫ぶと、香月はニヤリと笑って答えた。
「清香姉達、上手くやってくれたみてえだな……。言っただろ? ひとりじゃねえってな」
「まさか……テメェ……」
ディヴィッドは何かに気づいたように呟いた。そして彼は慌てて懐からペンダントを取り出し、その魔石に魔力を込めて叫んだ。
「クソッ! 空間跳躍を使えねえ!」
どうやら魔術が発動しないらしい。それもそのはずだろう。香月達がそうなるよう仕組んでいたのだ。
空間跳躍魔術は、その名の通りに空間の間を無視するように移動する魔術だ。だが、その魔術の意図する移動先が術者が存在する空間に存在しないのなら発動ができない。
清香や戦闘班の者達の手によってこのトラックは異界化した空間にぶち込まれた。つまり、ディヴィッドが思い浮かべた移動先は現実世界のどこかだったが、魔術空間の中にはディヴィッドが思い浮かべた場所は存在しなかった。だから空間跳躍魔術が発動しなかったのだ。
そうなったのはイヴを奪還しに来た香月達が、ディヴィッドが空間跳躍魔術を使って逃走を図る事を読んだ作戦だった。
◆
時は香月とロナルドがクリニックに立ち入る数時間前に遡る。
かりんの病室を出た後、クレアや清香、二階堂に連絡して満月亭に招集をかけていた。
かりんから香月のスマホに転送された街頭カメラの映像を見、最初に口を開いたのはジェイムズだった。
「成る程、このクリニックにディヴィッドが定期的に出入りしているんだな……」
「ああ、恐らくイヴがここに監禁されていると読んでる」
香月が頷くと、同じくスマホの映像を覗き込んでいた清香が言った。
「でも、ディヴィッドは空間跳躍魔術を使うんでしょう? 考えも無しに飛び込んで行ってもまた逃げられるだけじゃ?」
「そうかもしれんな。恐らく、ディヴィッドは引き際ってもんを弁えてるような奴なのかもしれん。だが、空間跳躍魔術への対策は無い訳ではない」
清香の質問にジェイムズがそう答え、二階堂を見やった。
「戦闘班お得意のアレだ。三浦がよくやってる手があるだろ、空間跳躍で逃げようとする標的を追い詰める為の」
ジェイムズにそう言われ、二階堂が声を上げる。
「ああ、確かに。前にそんな作戦をやった記憶がありますね」
「? 作戦?」
香月が二階堂に尋ねると、彼は静かに頷いた。
「大神、空間跳躍には弱点があるんだ」
「どういうことだ?」と香月は首を傾げた。
「空間跳躍魔術は魔術空間の中には入って来れないんだ。一条が満月亭の中に直接跳んできた事を見た事はないだろう?」
そう言われ、香月が清香を見て「ああ」と声を漏らす。
「そういえば、いつも扉から入ってくるな……」
「うん、空間跳躍魔術では満月亭の中には入れないからね。いつもこのビルの五階に跳んできてるんだよ」
清香の言葉に二階堂が頷く。
「そして、その逆も成立するんだ」
「つまり──魔術空間から外へは空間跳躍できないって事か?」
香月が聞くと、二階堂が再度頷いた。
「そうだ。それを利用して、標的を魔術空間の中に閉じ込める。そうすれば標的の空間跳躍魔術による逃亡を封じる事ができるって寸法だ」
◆
「テメェ……テメェら! 一体どうやって仕組んでやがった……!」
ディヴィッドは怒鳴るように叫ぶ。
「ほら、コレだよ」
香月が懐からピアスを取り出して見せた。それは清香がイヴに渡した発信機付きのピアスだった。
「俺と吸血鬼がクリニックに潜入する前に、他の構成員達に頼んで状況をモニターして貰っていたんだ。ウチには音に敏感な奴が居るからな」
フッと笑み、香月が続ける。
「不意をつく為に何としてもお前と一緒に空間跳躍する必要があったんだが、何とか上手くいったぜ。発信機の信号の場所が変わった瞬間に待機していた奴らにその場所に空間跳躍で跳んで貰い、即座に魔術空間を展開してもらうようにしてたんだ。信じてたぜ、アンタは空間跳躍を使って逃げてくれるって。まさか跳んだ先がトラックの中だなんて思わなかったがな」
香月が得意げにそう説明するのに、ディヴィッドが悔しげに叫んだ。
「クソがッ! 最初からそのつもりで……!」
「ああ、クリニックでアンタと出くわさなきゃできない作戦だった。それにイヴもまだ無事だった。だからラッキーだったよ」
そう言うと、背後でコンテナの扉が開く音がした。差し込んでくる光にディヴィッドが目を細める。背中越しに入り込んでくる明かりを感じて、香月が言う。
「さあ、ここまでだディヴィッド。俺達、魔術協会と教皇庁の祓術師がお前の悪事を止める」
「クソが! 俺を捕まえられると思ってるのか!?」
「ああ、そうだな。俺一人だけなら無理だったろうな。だがここには仲間がいる。アンタを追い詰めるのに十分な戦力だ」
そう言って香月は背後に目線をやった。すると開かれたコンテナの扉の向こうに三人の人間が歩み寄ってきた。二階堂と清香、そしてロナルドである。
「吸血鬼、ありがとよ。お前のお陰だ。それにしても屍鬼は早く片付いたんだな」と香月がロナルドに声をかけると、彼は少し戸惑ったような表情を浮かべた。
「……うん? 何だよその反応は?」
「いや……貴様からそんな言葉を言われるとは思わなかったものでな……」
困惑した顔のロナルドに香月が片眉を上げた。
「ん、そうなのか? 別に変な事は言ってないよな?」
そんなやり取りをする二人にディヴィッドは舌打ちをした。そして懐に手を入れようとしたので香月は叫んだ。
「動くな! 魔術は使わせねえぞ!」
「チッ、クソがッ!」
ディヴィッドは舌打ちをすると、懐から何かを取り出した。それは赤い液体の入った注射器のようなものだった。彼はその注射器を首筋に当て、中の液体を体内に注入した。するとディヴィッドの瞳孔が徐々に開き始めた。
「ハッ! こいつはその始祖人類の女の血で錬成した魔術薬だ! その血には圧倒的な魔力が秘められている! どうだ、これでどうなるかテメエらにもわかんだろォッ!」
とディヴィッドが叫んだ瞬間に彼の身体に変化があった。彼の肌の表面がボコボコと隆起し始めたのである。筋肉が肥大していくように皮膚を伸ばし、ディヴィッドの身体が徐々に巨大化していったのだ。
その薬はイヴの血で間違いないのだろう。魔力の源は生命力、つまり血液だ。彼女の血には膨大な魔力が含まれているのだ。それを体内に注入した事で、ディヴィッドは一時的にではあるが膨大な魔力をその身に宿す事に成功したのだろう。
「テメェら、命乞いをしなァッ! この俺の力の前に為す術もなく死んで行けェッ‼︎」
その巨大な化物は、地鳴りのような声で叫ぶと、コンテナの壁を破壊しながら外へ飛び出した。
魔術空間は、トラックを閉じ込める為に構成した急拵えだった。その風景は、白一色の世界だ。
ディヴィッドだったそれは空中で身体を大きく膨らませ、黒い翼を生やすと遥か上空へと舞い上がっていった。
香月は清香に目配せしてイヴの身体を預けると、ディヴィッドを追ってトラックの荷台から飛び降りた。そして、肌にビリビリと感じるディヴィッドの魔力の高まりに顔を顰めながら呟いた。
「凄まじい魔力だ……。なるほどな、イヴが始祖人類の先祖返りってのは伊達じゃねえんだな……だから、こんな力が目覚めるのか……」
彼の目の前では、そのディヴィッドだった巨大な化け物が黒々とした翼をはためかせていた。
それはまさしく悪魔と形容するにふさわしい姿だった。頭部には二本の角が生えており、大きな口からは牙が覗いている。その皮膚は黒く変色していて、その肥大化した身体の大きさはトラックのコンテナよりも大きいだろう。
そんな化物となったディヴィッドを前に香月は静かに呼吸を整えた。そして、彼はトラックのコンテナから出てきた三人を振り返り、声をかけた。
「悪い、イヴを連れて満月亭に戻ってくれ」
その言葉に清香が目を見開いた。彼女は香月に食ってかかる。
「ダメだよ!大神君、死ぬつもりなの⁉︎」
だがそれに香月は静かに首を振った。そして彼は少し微笑んで言う。
「いいや、死ぬつもりなんかねえよ。だから、イヴを頼む」
「でも!」
と清香が泣きそうな顔で訴える。するとロナルドが進み出た。
「大神香月、貴様だけに任せてはおけん。ディヴィッド・ノーマンは未来を危険な目に遭わせた。私がその償いをさせる」
初めて名前を呼ばれたのに香月が目を丸くする。だが、その意図を汲んでロナルドに対して頷いた。
そうして、香月が二階堂に振り返る。
「二階堂さん、アンタもだ。もしも俺達がやられた時の保険だ。戦闘班の面々を呼んでおいてくれ」
「わかった、任せておけ。大神、死ぬなよ」
「そのつもりはねえって言ってるだろ」
香月がそう言うのに、清香は不安そうに目を伏せながらもイヴを抱き上げると二人に対して言った。
「大神君……ロナルドさんも、死なないでね」
「ああ、任せておけよ」
「元より、死ぬつもりはない」
香月とロナルドは清香に頷く。そうして香月はロナルドを見た。
「吸血鬼、本当に俺に付き合ってくれるんだな?」
その言葉にロナルドは驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑んだ。
「フン、良いだろう。貴様と組むなどこれっきりにしておきたいがな」
「じゃあ、決まりだ。俺とお前であのデカブツを倒すぞ」
「フン……言われなくともだ」
そう言ってロナルドは静かに右手を広げた。その掌には十字架のペンダントが握られている。
「主の名を借りて命ずる。顕現せよ」
ロナルドが厳かに呟く。
すると、そのペンダントは突如眩い光を放ち始めた。そして光が収まった時、その手にあったのは大きな十字架状の大剣だった。刃の部分だけで二メートルを超えるであろうその大剣を片手で持ち、ロナルドはフッと笑った。
「貴様と共闘するのは気に食わん……しかし、今はあの化け物を倒す方が先決だ」
「ああ、そうだな」
香月もニヤリと笑って答える。互いを見合うように、二人が声を上げた。
「「行くぞ‼︎」」
そうして、二人は同時に地面を蹴ると空中に羽ばたくディヴィッドへと立ち向かった。




