20.かりんの見舞い
「じゃあ、かりんは大丈夫なんだな」
電話口の向こうの二階堂に香月が聞くと、彼は答えた。
『ああ。解毒も上手くいったし、命には別状ないそうだ。姫咲に何か聞けたら良かったが、まだ意識は戻らないとはいえその内に目を覚ますだろう』
それを聞いて安心したようにため息をつくと、香月は言った。
「ありがとう、二階堂さん」
『礼は要らん。それよりもディヴィッド・ノーマンだ』
そう聞く二階堂の声はは真剣そのものだった。香月も気を引き締めてそれに答えた。
「ああ、分かってる。アイツはイヴを売ろうとしてる奴だ。しかも影武者よりタチが悪い。できれば早い内に手を打ちたい」
『そうだな……。いつまでもイヴさんがディヴィッドの手の内にあるのは具合が悪いな』
「それは俺も同感だ」
『まあ、とりあえず今は少しでもゆっくり休めよ。また何かわかったら連絡する』
そう言って二階堂との通話が終わった。
通話を終えた後、香月はスマホをベッドに放り投げた。そしてそのままベッドに倒れ込むように寝転ぶと天井を仰いで呟いた。
「クソッ……ディヴィッドの奴に手も足も出せやしなった……」
悔しさに唇を噛む。すると、ベッドの脇にちょこんと座ったクレアが心配そうに伝声魔術で話しかけてきた。
傷の方は、清香の回復魔術で治して貰ったのか綺麗に塞がっていた。
『カヅキ……大丈夫……?』
「ああ……大丈夫だ。二階堂さんから、ゆっくり休めだとよ。こんな状況で休めってのも無理があるけどな……」
『イヴさんが心配?』
「そりゃあな。ディヴィッド・ノーマンが俺を人形師に売った張本人って知ったからには──」
『カヅキ、ちょっと落ち着いて』
クレアがそう言って、香月の頬にそっと手を当てた。ひんやりとした彼女の手が香月の熱を冷ます。
「悪い……頭に血が昇ってたみたいだ……」
『ううん……大丈夫……』
そう言ってクレアは口元を緩ませた。そのわずかな表情の変化を見て、香月は少しだけ落ち着きを取り戻した。
「ありがとうな」と礼を言うと、彼女は小さく首を振った。そして、クレアが香月の頬に当てた手をそのまま彼の頭に持っていき、優しく撫でた。
彼女の手つきはとても柔らかく、まるで子供をあやしているかの様だった。
その感触に香月は心地良さを覚え、思わず目を細めた。すると彼女はクスッと笑って言った。
それはとても優しい笑みで、普段の無表情な彼女からは想像できないものではあった。
そして彼女は、その口で直接こう続けた。
「カヅキ、もっと甘えて良いよ……」
「えっ?」
そのか細い声が言うのに思わず香月が驚く。クレアが続けて言う。
「カヅキは今、色々思い出してきっと心が辛いんだ。だから無理しなくて良い……」
「……」
その言葉を聞いた時、香月は自分の心がストンと落ち着いたような気がした。そしてそれと同時に涙腺が緩んでいくのを感じた。それを悟られぬように香月は慌てて目元を拭う。
「おい、やめろって」
「……いいから」
そう言ってクレアは香月の頭を優しく撫で続けた。
「やめろってのに……」
香月はそう言いつつ抵抗はしなかった。ただ黙ってされるがままになっていた。
クレアは香月が落ち着くまでの間、ずっと彼の頭を撫で続けていた。
それからしばらく経った後、香月はようやく落ち着いたようだった。彼は目元の涙を手で拭うと、大きくため息をついた。そして言った。
「俺が魔術協会で構成員になったのは、いつか俺の人生を壊した連中に──両親を殺した奴や俺をこんな身体にした奴に復讐できる機会を得る為だった」
「うん」とクレアが相槌を打つ。
香月はそのまま続ける。
「単なる私怨だったよ。でも、今こうしてイヴが巻き込まれて、ディヴィッド・ノーマンのヤツの良い様にされそうになってるって知ったらな……。もう他人事とは思えない」
「うん……」
「俺は今まで自分の為に魔術の修練を続けてきたし、これからもそうするつもりだ。だけど──」
そこまで言うと彼は一度言葉を切った。そして少し間を空けてから言った。
「──今は、誰かの為に……イヴの為に俺の魔術を使いたい」
「カヅキ……」
「だから、これは俺の復讐の延長かもしれない。だけどディヴィッドの野郎は殺さない。奴をぶっ潰して捕まえて、イヴを取り返す。協力してくれないか?」
そう言う香月にクレアはコクリと頷いた。
「……もちろん、だよ」
◆
それから数時間経った後だった。
クレアと話している内にいつのまにか眠っていたらしかった。香月が目を覚ました時、時計の針は既に午後二時を指していた。かりんが目覚めたという連絡が入ったのはそれから三十分後の事だった。
香月は急いで支度を済ませると、彼女の病室に向かった。病院は、教皇庁の傘下組織が出資している所だった。
部屋の扉の前で深呼吸をし、意を決してノックをする。すると中から「どうぞ〜」という声が聞こえたので中に入るとそこには白いベッドの中で上半身を起こすかりんの姿があった。
「あっ、カヅキ君だぁ〜。やっほ〜」
彼女は香月を見つけると無邪気に手を振ってきた。その脳天気な口調は少し前まで下手すれば死ぬかもしれなかった状況にあった人物とは思えない程だ。
そんな彼女の様子を見て、香月がホッと胸を撫で下ろす。
「よお、かりん。調子は悪くなさそうだな」
「バッチリ! ……って訳ではないけどぉ〜、まあ大丈夫っぽい〜。ごめんねえ、心配かけちゃって。うっかり捕まっちゃったあ」
そう言って、かりんが舌を出して自分の頭をポカッと叩く。
「まあ、気にするなよ。悪いのはディヴィッド・ノーマンの野郎だ」
「うん。ありがとぉ〜」と、かりんが微笑む。
「それで、ディヴィッドについては何かわかったのか? アイツのアジトだとか。調査中に捕まったって事は結構近い所まで迫ってたんだろ?」
香月が聞くと、かりんは「むー」と唇を尖らせて言った。
「結構大変だったんだよ〜。かなり危ないルートの情報屋から情報を聞き出したりとか〜。悪い事してるみたいでちょっと怖かったよ〜。まあ、相手は一般人なんだけど〜」
たぶん、かりんのその言い分だと情報屋からは情報は買ってなさそうだった。魅了の魔眼で無料で情報を引き出したのは容易に想像できた。
「あ、カヅキ君。今、お金払ってないのに情報もらってずるいって思ったでしょ〜」
図星だったので香月は誤魔化す様に咳払いをして言った。
「……そんな事ないぞ」
するとかりんがニヤニヤしながら言う。
「嘘付かなくてもいいのにぃ〜。でもぉ、そのおかげで色々と情報も手に入ったしぃ〜。まあ結果オーライってやつ?」
かりんは得意げに胸を張った。
そんな彼女の態度に呆れつつ香月は言った。
「で? 何処まで掴めた?」
「うんとぉ〜、ハッキングした街頭カメラでディヴィッドの特徴に似た人が出没したり出入りしてる所を画像検索かけて貰ったのね〜。そしたら、ちょうどディヴィッドが出入りしてるクリニックがあってぇ〜」
そう言うと彼女はスマホの画面を香月に見せてきた。そのクリニックの外観は郊外にあるような寂れた雑居ビルの一角にあった。看板には「やぶクリニック」と書かれている。
「やぶクリニック……嫌な名前だな。いかにも先生の治療が下手そうだな。……じゃなくて、ここが?」
「最近、ここによく出入りしてるみたい〜。ここのクリニック、先生がもうおじいちゃんで跡継ぎが居なくてちょっと前に閉業したみたいなの〜」
「なるほど、ここにイヴが居る可能性が高いって訳か」
「あくまで推測の域は出ないんだけどね〜。他にも候補がもう二つくらいあるんだけど、ここが一番怪しいって感じかなあ」
「わかった。じゃあ、今から行ってみる」
香月がそう言うのにかりんが目を丸くした。
「ええっ? 今からぁ〜?」
「ああ。早い方が良いだろ。時間が経てばイヴに何をされるかわからない」
香月が当然のように返す。しかし彼女は少し焦ったように言った。
「それはそうかも知れないけどぉ……でも、もしそのクリニックにイヴちゃんが居なかったらどうするのぉ〜?」
「その時は、また考える」
香月は即答した。その迷いのない姿勢を見てかりんは思わず苦笑する。そして彼女は呆れたように言った。
「カヅキ君らしいね〜」
「まあな……」
そう言って彼は肩をすくめた。それから、すぐに真剣な表情に戻って続けた。
「……俺がやりたいんだ。いや、やらなきゃいけない。他の誰でもない、俺がな」
「何を言ってる。貴様などには未来を任せてはおけん」
突然、背後から声が聞こえ振り向くとそこにはいつの間にかロナルドが立っていた。
「……吸血鬼、立ち聞きとは関心できねえな」
香月がそう言うのに、ロナルドが鼻を鳴らした。
「フン……私も早く彼女を助け出したいのでな。形振りは構っていられん」
そう言うと、かりんが呑気な声で言った。
「あ〜、ロナっちだぁ。やっほ〜」
「ロ、ロナっち……?」
彼女の間の抜けた言葉にロナルドが眉を顰める。そんな彼の反応などお構いなしに、かりんは続ける。
「ロナっちもイヴちゃん助けに行くのぉ〜?」
「……ああ、もちろんだ」
かりんに狂わされた調子をなおすように咳払いをしてからロナルドが言う。そして続けて言う。
「彼女は私の護衛対象だ。ずっと昔から彼女を見守り続けてきた。手柄の横取りは許さん」
「別に、イヴはお前の物じゃないだろう……」
そう香月が口を挟むとロナルドはギロッと彼を睨みつけた。その迫力に思わず香月が眉を顰めた。
すると、ロナルドは少し間を置いて言った。
「……とにかく、私も同行させてもらうぞ。人狼、貴様と一緒など不服でしかないが……彼女を救い出したいのは同じだ」
「俺は嫌だね」香月がロナルドを睨みつける。「俺は、お前の事が気に入らない」
香月のそんな態度を、ロナルドは臆する事なくそれを受け止めていた。
「……私もだ」
そんな二人を見てかりんが間を取り持つように言う。
「まあまあまあ〜、せっかく力を合わせるんだから喧嘩しちゃだめだよ〜」
そう言って、彼女は二人の服をちょんちょんと引っ張った。
「二人ともぉ、イヴちゃんを助けたいんだったらぁ〜仲良くしようよぉ〜」
おろおろとするかりんを見て香月はため息をつく。
「わかった。今はいがみ合ってる時じゃないよな……」
かりんの懇願に渋々了承するとロナルドが鼻で笑った。
「フン、最初から素直にそう言えば良いものを……」
そんな彼の態度に苛立ちながらも香月は言った。
「余計なお世話だ……それより、そのクリニックに行くぞ。イヴが居る可能性があるなら、行くしかないからな」




