19.ディヴィッドとの対峙⊕
発信機の信号が復活したという連絡があったのはセーフハウスの襲撃から二日経っての事だった。ジェイムズから連絡を受けた香月とクレアは指定された地点へ向かった。そこは香月の事務所がある地域からほど近い川沿いにある廃ビルだった。
『こんな所にイヴさんが?』
「そうみたいだな……しかし、こんな所を拠点にするもんかねえ……」
『協会から追われてるはぐれ魔術師ならそんな物なのかもしれないよ。チョイスとしてはベタだけど人目を偲ぶにはちょうどいいのかも』
「俺は逆に目立つと思うんだけどな……」
『どうだろうね。戦闘班も後から合流してくれるみたい。とりあえず行きますか』
二人は廃ビルに足を踏み入れた。中は埃っぽくてカビ臭い。電気は通っておらず、非常灯の灯りだけが頼りだ。階段を上り三階まで上がった所でクレアが立ち止まった。
『待って、誰かいるみたい』
集音魔術で自分達以外の足音を察知したらしかった。クレアが音に集中する為その場にかがみ込む。
「どうだ?」
『……この先の部屋の扉の前にいるみたいだね。こちらには気づいてないみたい』
「そうか」
クレアの言った通り、二人のいる三階より一つ上の四階にその部屋はあった。音を立てないようそっと扉を開けるとそこには、見覚えのある人物が倒れていた。
「か、かりん!?」
『かりんさん! 大丈夫!?』
慌てて駆け寄る二人。どうやら気を失っているらしい。外傷はないようには見える。
「……ううっ……」
かりんが身じろぎしたかと思うと、パチッと目を開けて顔を上げた。二人の姿を視認すると声を上げた。
「……来ちゃ……ダメぇ!!」
かりんが振り絞るように叫んだ瞬間、香月とクレアの足元が光り出した。魔術陣だ。二人は咄嗟に飛び退こうとするが、間に合わない。これは罠だ。
「……しまっ……!!」
「……っ!!」
二人はそのまま床に倒れ込んでしまった。香月は何とか上体を起こすが、クレアはもう起き上がれないようだった。手足が痺れて動かないのだ。すると、部屋のドアが開き一人の男が現れた。
「よお、協会の魔術師ども。お前らの目当ての女はここには居ないぜ。わざわざ俺が用意した罠にかかってくれてありがとうよ」
「ディヴィッド……ノーマン……!!」
香月はその男の名を呼んだ。そう、現れたのはジェイムズの見せてくれた写真の通りのディヴィッド・ノーマンだった。彼はニヤリと笑うと部屋の中に入ってきた。そして動けない二人を見て言った。
「まさかこんなにも簡単に罠に引っかかってくれるとはなァ。あのイヴとかいう女に仕込んでくれていた発信機に気付いてないとでも思ったか?」
ディヴィッドがパチンと指を鳴らすと、部屋の電気がついた。香月は眩しさに目を細めたが、すぐに目を慣らして彼を睨むように見つめた。
「お前……かりんに何をした……!」
「ここ数日チョロチョロと俺の事を嗅ぎ回ってたもんでなァ……。魔術協会の連中でも捕まえて新たな商品でも仕入れられねえかと軽く囮に利用させて貰ったんだよ」ディヴィッドは懐から何かを取り出す。「なあに、これは軽い神経毒だ」
そう言ってディヴィッドはかりんの首筋に注射器のようなものを刺した。彼女はビクッと身体を震わせるとそのまま意識を失ってしまったようだった。
「……てめえっ!!」
香月は怒りに任せて飛び起きようとするが身体が上手く動かない。彼はそのまま床にうつ伏せに倒れてしまった。
「クソッ……!」
「へっ、安心しろ。この女は殺しはしない。あのイヴとかいう女ほどじゃないにしろ、姫咲って家は日本じゃ魔眼で有名な家系なんだろ? 商品になる物は傷付けないのが主義なんでなァ……」
そう言って近付いてくると、ディヴィッドは香月の顎を蹴り上げる。そうして香月の髪を掴むと引き上げた。
「おン? お前、随分と前にどこかで見た事ある顔じゃねえか?」
ジロジロとディヴィッドが香月の顔を眺めてくる。彼は少し考えると、何かを思い出したかのように声を上げた。
「ああ! お前、人形師に売った人狼のガキじゃねえか? クソ大きくなったなァ! はははっ! なんだよ、まだ生きてやがったのか! アイツが市場に流さなかったから、てっきりくたばってるもんだと思ってたぜ!」
「人形師……!? お前、人形師を知ってるのか! しかもあの孤児院で俺を売った奴なのかよ……!」
「おいおい、俺の事をおぼえてなかったのかァ? まあ、そりゃそうか。八年も経ってんだからな。悪ぃなァ、俺はただ人形師に頼まれて売り物を売っただけだぜ? 活きの良い材料をくれって言われてなァ。だから仕入れる為に殺したんだよ、事故に見せかけてお前の両親をなァ。お前みたいな没落した魔術師家系のガキ、魔術を使えない上にあんな孤児院ぶち込んじまえばタダのゴミになるだろ? そんな物にわざわざを価値をつけてやったんだ、感謝して欲しいくらいだぜ!」
そう言うとディヴィッドはゲラゲラと笑い出した。そんな彼を怒りに震えながら見つめる香月。
「お前……。お前の所為で俺は……!!」
「おいおい、なんだ? そんな怖い顔すんなよ」
ディヴィッドはそう言って香月の腹を蹴り上げた。「ぐあっ!」と呻き声を上げて香月は床にうずくまる。そんな彼を見下ろしながらディヴィッドは言った。
「まあ、なんだ? お前を人形師に売った後、確か魔術協会の総本部の奴らに工房を嗅ぎつかれたんだったか? まだ生きてるって事は売り物としては完成品になってんのか? だったら、人形師の加工が終わった肉体な訳か。お前も売り物になるなら、また俺が売ってやっても良いんだぜ?」
「お前……!!」
その時、ディヴィッドが視界から消えた。驚いて前を見るとクレアの魔術による音の衝撃波が彼の身体を吹き飛ばしたのだ。彼女は床に倒れながらもディヴィッドに攻撃を加えていた。
「……カヅキに、手……出さないで……!」
「……チッ! このアマァ!」
吹き飛ばされたディヴィッドは立ち上がると怒りを露わにして彼女に向かって掌を向ける。
「Storm Edgeッ!」
ディヴィッドの掌から無数の風の刃がクレアに向かって放たれる。彼女はそれに気付くが、避けようにも身体の痺れが邪魔をして動く事すらままならない。のたうつように横へ身体を逸らすが、それでも避けきれずに身体から血が飛び散った。
「クレア!」
香月が叫ぶのも虚しく、風の刃がクレアの身体をズタズタに引き裂いていく。服もボロボロになり、彼女の白い肌には無数の切り傷が刻まれていた。
「トドメだ、クソアマァ!」
そう叫びディヴィッドがクレアに飛びかかろうとしたが、間に入った何者かによって阻止された。その人物はそのままディヴィッドの腕を掴むと、床に引き倒して手にした拳銃を発砲した。銃弾はデヴィッドの肩を撃ち抜いた。
香月がその姿を見て呟く。
「吸血鬼……お前……」
それはロナルドの姿だった。ここに姿を表したという事は、イヴのセーフハウス襲撃の後に独自にディヴィッドを追っていたのだろう。
ロナルドは倒れたディヴィッドから離れ、クレアを助け起こすと自分の上着を彼女に着せた。
「お怪我はありませんか? お嬢さん」
「……あ、ありがとう……」
ロナルドが手を差し伸べると、困惑した様子でクレアはその手を借りて立ち上がろうとする。上手く力が入らないが、ロナルドが魔術陣の外へ引っ張り出すと身体の痺れが抜けていく感覚があった。
彼女はよろよろと立ち上がると香月の元に近寄った。そして心配そうに覗き込むと彼の身体を起き上がらせる。その時、ディヴィッドが口を開いた。
「きさまらぁ……!」
そう吐き捨てる彼を一瞥するとロナルドが言う。
「未来は何処だ」
「あの始祖人類の女の事か? 大事な金蔓なんだ、教える訳ないだろうが」
「……そうか」
ロナルドが何やら口の中でぼそぼそと呟くとその赤い目が光った。すると、彼の足元から黒い靄のようなものが現れた。
その靄は徐々に刃を象っていく。それを見、ディヴィッドが鼻を鳴らす。
「あン? なんだこりゃ……魔術か……? お前、教皇庁の狗じゃねえのかよ」
「貴様に教える義理はない」
ロナルドがそう言い放つと、彼の足元から現れた黒い刃はディヴィッドに向かって飛んでいった。それをギリギリで躱すディヴィッド。しかし、その刃は彼の手足を浅く切り裂いたようだった。
「チッ、やるじゃねえか。教皇庁のワンちゃんがよ」
「黙れ」
そう言い、再度ロナルドが黒い刃をディヴィッドに放つ。
「おっとっと」
ディヴィッドは飛んでくる刃を躱しながら部屋の隅に移動すると、パチンと指を鳴らした。すると、部屋のドアが開き外で待機していたであろう彼の精神干渉魔術に操られた人間達が何人もなだれ込んで来た。
「そいつらを殺せ」
そう命じる。すると、彼らは各々の武器を手に一斉にロナルドに襲いかかった。
「フン……」
しかし彼は鼻を鳴らすとそれを軽くいなし、黒い刃で次々とその手足を貫いた。バタバタと倒れていき、いとも簡単に全滅する。ディヴィッドはそれを見て舌打ちをした。
「魅了の魔眼に、人形師の作った商品を逃すのは惜しいが……ひとまず退散させてもらうぜ」
そう言うと、ディヴィッドの姿がその場から消え去った。空間跳躍魔術のような物を使ったようだった。それを見たロナルドは吐き捨てるように言う。
「逃げたか……」
『カヅキ! 大丈夫!?』
クレアが魔術陣の外へ引きずり出した香月を揺さぶる。彼は何とか上体を起こすと言った。「ああ……大丈夫だ」
『良かった……でも、アイツは……』
そう言ってディヴィッドの消えた方を見る。しかしもう既に気配はなかった。
「逃げられたな」
ロナルドが呟く。そして彼は香月に言った。
「無様だな、人狼。貴様がこの体たらくとは」
「うるせえ。ちょっと油断しただけだ」
「フン、どうだかな……」
手にしていた拳銃を懐に収めると、ロナルドは倒れているかりんに近寄った。
「この中に解毒ができる者は?」
そう聞くと、香月とクレアは首を横に振った。
「そうか……」
ロナルドはそれだけ言うと、彼女を肩に抱えると部屋の外へ出た。香月達もその後に続く。
一緒に一階まで降りると、魔術陣の効果が切れて動けるようになった。クレアは階段を下りるぎこちなさがなくなって、壁沿いに添えていた手を離す。よろめきながらも香月を支えるようにして階段を下りてきた。
ディヴィッドの魔術が引き裂いた彼女の服の胸元は血で染まっていた。香月は心配そうな様子で言う。
「……クレア、大丈夫か?」
「ボクは大丈夫……カヅキこそ平気……?」
か細い声で、気丈にそう聞いてくるが本当に辛いのは彼女の方の筈だ。ボロボロの服から覗く傷はまだ浅いが、支えてくれる彼女の身体は時折ぎこちなく震えている。
力なく首を振るしかできない。
「俺は……大丈夫だよ……」
そう言って、せめてもと彼女の身体を支え返してやるように腕を回す。
それを横目で見ながらロナルドは言った。
「この、かりんというお嬢さんだが……彼女に盛られた神経毒をどうにかしたい。場所を移そう」
「移動ってどこにだよ……?」
香月が聞く。すると、ロナルドの背後から声がした。
「その必要はないさ」
香月が振り返ると、そこには二階堂ら戦闘班の面々と清香の姿があった。それを見たロナルドは怪訝そうな顔をした。
「……どういうつもりです?」
「いや、大神達と合流するつもりだったんだが……どうやら遅かったようだな」
「ああ……」
二階堂が言うのに、悔しそうに香月は声を漏らした。清香はそんなやり取りに割り込むように言った。
「私にかりんちゃんを診せてください。回復魔術が使えます。解毒だって可能です。お願いします!」
清香の真剣な眼差しに、ロナルドはかりんをそっと下ろすと彼女に預けた。清香は床に横たえられた彼女の側に座ると、目を閉じて集中を始めた。
二階堂はそれを確認すると、全員に対して言った。
「とりあえずここでの任務は完了だ。姫咲の治療は一条に任せてここを出るぞ」
「待ってくれ、ディヴィッドを逃してしまった。後を追わないと……」
香月が言うのに、二階堂が続ける。
「大神。君達が対峙したデヴィッド・ノーマンは空間跳躍の魔術を使ったんだろう。恐らく奴はもうここには居ない。それよりも彼女の治療が先だ。話はその後でもいいだろう?」
「……分かった」と香月は渋々引き下がった。そうして一同はビルの外に出たのだった。




