18.清香の報告⊕
「イヴさんが攫われた? そんな馬鹿な……」
ジェイムズが言う。香月は椅子に座って顎に手を置きながら考える素振りを見せていた。すると清香が言った。
「恐らく、ディヴィッド・ノーマンです……。支部長に見せて貰った通りの顔でした……」
そう言う彼女の声は震えていた。無理もない事だ。彼女も魔術協会の構成員と言えど、非戦闘員なのだ。危機的な状況から命からがら逃げ出してきたその恐怖心たるや計り知れないだろう。
しかし、そんな中でも彼女は気丈にも状況報告を続ける。
「教皇庁の執行者の方々にセーフハウスの護衛をして貰っていたのですが、突然彼らが同士討ちを始めて──」
「精神干渉魔術、か」
教皇庁の執行者達は、仮にも対魔術犯罪者の討伐部隊だ。魔術師ではなくとも魔術に対する抵抗の方法は持ち合わせている。
それを意図も容易く傀儡化するというのは術者は強力な魔術師である証明に他ならない。
「敵は単独です。その同士討ちのどさくさに紛れてセーフハウスに侵入、イヴさんを攫っていきました。侵入者に手も足も出ませんでした……。護衛の教皇庁の方々もほぼ全滅………私がもっと早く気付いていれば──」
「自分を責めるな」ジェイムズがかぶりを振って続ける。「清香はよくやってくれた。こうして生き延びてここに報告しにきてくれたのだからな」
そうフォローを入れてジェイムズが清香に尋ねる。
「それで、発信機の反応は?」
「……発信機? イヴにそんなのつけてたのか?」
ジェイムズの言葉に香月が口を挟む。その両方の言葉に清香が答える。
「彼女に渡したピアスにね、私が仕込んでおいたの。何かあった時の為に。途中までは追えていた。でも今は反応が途絶えています……」
と清香が言う。
「そうか……」
ジェイムズが神妙な面持ちで考え込む素振りを見せる。すると彼は顔を上げて言った。
「分かった、あとはこちらに任せてくれ」
その声からは決意の色が伺えた。
そしてジェイムズは続ける。
「カヅキ……お前には何かあった時の為にいつでも出られるよう待機して貰うとして……。かりんや他に調査班の動ける者に早急に調査を頼もうと思う」
そう言って彼はスマホを取り出して電話を掛け始めた。
◆
『イヴさんのセーフハウスが襲撃されるなんてね……』
クレアが伝声魔術でそう耳打ちしてきたのは、沈んだ表情を見せる香月に対して会話でもして気を紛らわそうとさせるそんな気遣いだった。
満月亭から事務所に帰った後は、ジェイムズからの即応態勢で待機との命令に従ってずっと事務所で連絡待ちをしていた。香月はそれから数時間、気を揉んでいた様子だった。
「あぁ……。イヴがセーフハウスに移動してからたった一日。襲撃されるにはあまりに早過ぎる……」
そんな独り言のような返事がクレアに返ってくる。
『ボクはイヴさんのセーフハウスの護衛には当たってないから状況が良くわからないんだけど……。その敵はそんなに強力な魔術師だったの?』
「あぁ、凄い手練れだよ」香月はそう言いながら頷いた。「清香姉が言うには精神干渉魔術の他に風魔術も使う。魔術の腕は熟練のそれらしい──」
『風魔術?』
「ああ。護衛にはあの吸血鬼神父も居た。教皇庁の連中を操って乱戦に持ち込んだ中で、強力な風魔術で一網打尽にしたらしい」
そう言ってから少し間を置いて香月が言う。
「お前にトラックで轢かれても平気で生存してたあの吸血鬼がやられるなんてな……。完全に不意打ちだったのか? ……それにしても何故こんなにも早くセーフハウスを襲撃できたんだ……?」
香月はぶつぶつと言いながら思考を巡らせる様子だった。そこへクレアが言う。
『……内通者が居る可能性は?』
その言葉に香月が首を横に振り、続ける。
「その可能性はないと考えてる。協会側か教皇庁の側かはわからないけどな。イヴのセーフハウスは、任務に当たっていた清香姉と教皇庁の執行者にしか知らされていなかった。正気な状態であの場所を敵に知らせる奴が居たとは考え難い」
『その可能性からすると……やっぱりディヴィッド・ノーマンの精神干渉?』
「ああ。十中八九そうだろうな。精神干渉魔術を仕込まれてた奴が護衛の中に紛れ込んでた可能性は高い」
そう言ってから香月は少し間を置いて言った。
「……だが、一つ疑問が残る」
そんな彼の言葉に対してクレアが言う。
『……というと?』
「原因はわからないが、清香姉がディヴィッドと対峙した時に硬直したように動けなくなったらしい……」
『……硬直……? 何かに魅了されて動けなくなった、って事かな? かりんさんの魔眼みたいに』
「ああ。その可能性はある」
そう言って香月は考え込む仕草を見せる。
『精神干渉魔術にしても何かしらの魔眼にしても、対抗措置はできる筈だよね。まして清香さん程の人なら──』
「……そうだな」と香月が相槌を打つ。そして彼は続けて言った。
「本物のディヴィッド・ノーマンには何かしらの魔術的な特異体質があるかもしれない」
そんな香月の言葉にクレアが眉をひそめた。
『特異体質?』
「ああ、清香姉の話じゃその硬直に関してだけは魔術の発動の言葉を発していないらしいからな。ディヴィッド・ノーマンの経歴を調べてみたが、魔術協会時代は風魔術が専門だったらしい。精神干渉魔術を覚えたのは協会を抜けてはぐれ魔術師になった後だ。それに奴が魔眼を持っていたという記録は無かった……」
『それは……』
そう言ってクレアは沈黙する。そしてしばらく思考してから彼女は口を開いた。
『うん……、そうだね』と彼女が頷くように言うので香月が尋ねる。
「何か思い当たる節があるのか?」
そんな彼の言葉に対しクレアは言う。
『結論から言えば無いよ。でもそのディヴィッド・ノーマンの経歴なんてアテにならないよ。清香さんが見たのは本物かもしれない、でもまた影武者って可能性だってある……』
そう言ってから彼女は続けた。
『それに魔術師向けの闇市場じゃ、魔眼の売買もされてるって話を聞いた事がある』
「後から付け足せるって訳か……」
クレアがコクリと首を縦に振る。
『そう、本来なら魔術師の家系で代々継承させていった特異体質を無理矢理移植できるんだよ。そういう魔術師から強奪する事を狙って暗殺するような連中もいるらしいから、魔眼の後付けはあり得るよ』
「その可能性もあるな……。だが、かりんやイヴみたいな特異体質を持ってる人間はそうそう居ないしな……」
『まぁね……』
香月がそう言うのにクレアは呟くように言ってから続けた。
『とにかく今の情報だけじゃ何も分からないね。もしかしたら特異体質とかじゃなくてボク達が思いつかないようなとんでもない方法で魔術を使ってきてる可能性だってあるし』
「そうだな………」
『ねえ、カヅキ』
「なんだ?」
『カヅキは今回の件をどうするつもりなの……?』
心配するような声色だ。伝声魔術なのに、クレアのそんな内心の動揺が伝わってくる。クレアの問いに香月はこう答えた。
「……俺はイヴを救出したいって考えてる。ディヴィッド・ノーマンが協会の指定する討伐指定の対象だってんなら、狩る。それだけだ」
その言葉を聞いてクレアがため息を漏らした。
『……わかった』
「……?」
そんな様子のクレアを見て、香月が不思議がる。
「何だ? 不安なのか?」
香月は努めて軽い調子でそう尋ねた。するとクレアがかぶりを振った。
『どっちかというとカヅキを心配してるんだよ。キミは無鉄砲だし、相手は手練れのはぐれ魔術師のようだからね』
「例え相手が誰であろうと関係ねえよ」
即答する香月にクレアが苦笑交じりに言う。
『まったく。カヅキらしいね』
そんなやり取りをした後、二人は僅かに沈黙した。そして互いに笑い合った。