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【第五章完結】現代魔術は隠されている  作者: 隠埼一三
Episode EX『現代魔術は隠されるべきではない?』
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前編

 ダークウェブの片隅に、ひとつの映像が流出した。

 そこに映っていたのは、光と闇を併せ呑む異形の顕現──リリスの力によって神格化した大神香月、その姿だった。

 

 一瞬にして魔術界を震撼させたその映像は、世界中の魔術師や裏社会の組織に転送され、賞金が掛けられた。彼の存在は「狩るべき異端」「神格の器」「魔術師が求める理想の肉体」としてその名を密やかに世界に刻み込んでいった。

 

 そして同時に、日本国内でも波紋が広がっていた。

「魔術は隠されるべきものではない」と叫ぶ公開派の魔術師たちが現れ始めたのだ。


     ◆


 栄の繁華街。夜ごと人波とネオンの光に飲み込まれる雑居ビルの最上階に、その扉はあった。

 一見すればただの空き店舗の鉄扉。だが、合言葉を唱えて決められた動作をすれば錆びた蝶番は静かに回り、内側には全く異なる空間が口を開ける。


 ──満月亭。


 扉の先は、雑居ビルの構造など無視した広がりを持つ魔術空間だった。赤いカーペットに沈む床、奥まで伸びる黒檀のカウンター、古びたランプが投げる柔らかな光。整然と並ぶ洋酒の瓶は、現実には存在しない蒸留酒さえ混じっている。漂う煙草と革張りソファの匂いは、外の喧騒を忘れさせるように濃厚だった。

 この空間はジェイムズが英国にいた頃の思い出を基に、魔術で再現した隠れ家である。協会の限られた人間しか立ち入れない、密談の場──魔術協会日本中部支部の集会所(ロッジ)だ。


 清香はタブレットをカウンターに置き、画面を向けた。

 そこに映し出されていたのは、闇と光を纏う異形──神格化した大神香月の姿だった。


「この映像、どう思います?」


 琥珀色の照明が彼女の横顔を照らす。映像の中の煌めきが、まるで本当にこの場に現れたかのような錯覚を呼び起こした。


「……この映像を見て、『隠すことは罪だ』って言い出す連中が現れたんですよ。公開派、って呼ばれてるらしいです」

 

 三浦はバーボンの入ったグラスを置き、腕を組んだ。

 

「……冗談だろ。これ、合成じゃないのか?」

 

 氷がわずかに揺れて、場に小さな音を立てる。


「俺の若い時代じゃ、まだ魔術師が肉体を亜人化させる文化が廃れるちょっと手前だった。これに感化される魔術師も全然居るだろうよ。だが人間が、ここまで神域に近づけるものなのか?」


 二階堂はプロテインの入ったカップを傾けながら、深く息を吐いた。

 

「映像が合成ならどれだけ楽だったか。問題は映像の真偽じゃない。これが世界に拡散したという事実だ。──大神はもう協会の庇護下にいられない。狩りの標的になる」


 清香が小さく頷いた。

 

「実際、魔術系含めてダークウェブでは懸賞金の話が飛び交ってるんですよ。『神格の器を手に入れろ』って。国家予算級の金額まで提示されてる。魔術師じゃない裏社会の連中ですら色めき立ってるくらいです」


 三浦が舌打ちした。

 

「最悪だな。これじゃ世界中の連中が刺激される。……で、実際に出てきやがったわけか。『公開派』とやらが」


 二階堂は机上に広げた地図を指で叩いた。

 

「名古屋駅周辺で大規模な儀式の準備をしている痕跡がある。一般人を巻き込んで、魔術の存在を世に曝け出すつもりだろう。これは魔術によるテロに近い」


 清香は小声で繰り返す。

 

「公開派……」


 グラスを手にしたまま、三浦が苦々しげに吐き捨てた。

 

「魔術を世界に解き放った瞬間、世の中は戦争になる。協会がどれだけ血を流して魔術という奇跡を隠匿してきたと思ってるんだ。クソッ」


 二階堂は映像をもう一度再生する。闇と光に引き裂かれたような香月の姿がそこにはあった。

 

「……だが、これを見せられれば揺らぐ連中も出る。『この力こそ人類を導く』と考える馬鹿な連中がな」


 二階堂が吐き捨てるように言った。

 再生が止まった瞬間、カウンターに重苦しい沈黙が落ちた。

 店内に漂うジャズの旋律すら、どこか不気味に聞こえる。


 清香はタブレットを伏せ、グラスの水面を見つめた。氷の音がカランと鳴り、沈黙を破る。


「……本当、最近は変な空気ですよね」

 彼女は声を低くした。「日本本部長が襲撃されて暗殺されたり、大神君は懸賞金が掛けられて消息不明……それに、クレアちゃんが大神君を探しに出ていったり」


 三浦が鼻を鳴らした。

 

「フォード家の末娘か。……あの過保護なリーヴァイ卿が黙ってるとは思えんがな。日本中部支部(ここ)にねじ込まれた時だって、支部長が英国時代の部下だからどうにか許可が下りたんだ。あの親父殿が諸手を挙げて認めたわけじゃない」


 二階堂が淡々と肩をすくめた。

 

「だが彼女はもう動き出している。大神を探すために、まずフォード邸に向かったと報告が入ってる。今頃、父親を説得しているところだろう。……あの子の気質を考えれば、動かない方が不自然だ」


「だが危ういな」三浦が呟いた。

「狙われているのは大神だけじゃない。クレア自身も『神格保持者の鍵』として標的にされかねん」


 清香は不安げに唇を噛んだ。

 

「……そうなると、この名古屋の件は余計に無視できませんね。公開派の暴走に、大神君の映像流出が拍車をかけてる。彼らは神格保持者の存在を正当化の道具にするつもりなんじゃないです?」


 二階堂が机上の地図を指先で叩いた。

 

「名古屋駅周辺で発見された巨大な魔術陣の痕跡は……まだ未完成の物だった。発動される前に潰す必要があるな」

 

 彼は視線を上げ、静かに告げる。

 

「三浦さん、現場の指揮を頼みます」

「へいへい、胃が痛くなる仕事ばっか押し付けやがって」

 

 三浦は椅子を押しのけるように立ち上がり、肩をぐるりと回した。

 

「……で、もしその公開派というのが実際に儀式魔術を始めたらどうなるんです?」


 清香がそう言うと、二階堂の瞳が冷たく細められた。

 

「今はその儀式魔術を行おうとしている人物が個人なのか、複数居るのかすらわからない。だがその時は――一般人の目に入る前に、消すしかないな。これは重大な魔術犯罪だ。即刻抹殺指定の扱いをせざるを得ないだろう。場合によっては教皇庁の検邪正省の手を借りる必要すら出てくる」


 清香は小さく息を呑んだ。


     ◆


 夜の名古屋駅は、まるで眠ることを忘れた巨大生物のようだった。

 ビルの灯が群青の空に滲み、行き交う車のヘッドライトが幾筋もの光の線を描く。人波は絶えず、酔客や観光客、駅前のストリートパフォーマーまでが、都市の熱を夜空に押し上げていた。

 その喧噪のただ中で、三浦たちは人の目に映らないよう街の隙間を進んでいた。


「やれやれ、この地域か……。名古屋は飯は美味いが、魔術的には最悪だな」

 

 三浦が肩を竦め、口元の無線マイクを軽く叩いた。

 

『このエリアは人通りが多いだけでなく、地脈と古社の痕跡が重なってて、魔力の流れが極めて乱れやすいみたいですからね〜……三浦さん、何か見つかりました?』

 

 清香の声が、軽やかに返ってきた。


「今の所はまだって感じだな。ああ、今日は良い感じの時間に一仕事終えれたら皆で寿司でも食べに行きたい気分だな」

『え! 回らない所ですか!』

「ああ、回らない所だよ。ただし、お値段はリーズナブルな奴だけどな」


 夜風がビルの谷間を抜け、薄い霧雨が降り始める。三浦は灰皿代わりのコーヒーの空き缶を足元に置き、煙草に火をつけた。


「……この周辺で、儀式魔術の痕跡があるって話は本当なのか?」

『はい。現場の残留魔力の観測結果から、笹島から栄までの間で複数の魔力の残滓を検出しています。それに魔術陣の形成に必要な基点が今のところ三か所発見されています。全て、人通りの多い場所ですね』

「厄介だな……つまり、人目に触れる可能性の高い場所でおっ始めようとしてるってわけか」

『ええ。公開派と言われるだけありますよね。誰が仕掛けているのかはまだ不明ですが、早めに現場を確認する必要があります』


 会話が途切れた刹那、無線に二階堂の低い声が割り込んだ。

 

『上空五十メートル圏、魔力の揺らぎを感知。位置は笹島交差点の北側。……一条、そこまで跳べるか?』

『了解、行ってみます。……Leaping(リーピング)《空間跳躍》』


 三浦は煙草の火をゆっくりとくゆらせながら、夜の街を見渡した。

 霧雨に濡れたネオンの光が、路面に淡く反射して揺れる。人波のざわめきが遠くに流れ、雑多な街の息づかいが耳をくすぐる。


「……まったく、都市の魔術調査ってのは疲れるもんだな……」

 

 三浦は小さく吐き捨てるように呟き、灰皿代わりの空き缶に煙草を押し付けた。

 独り言のように続ける。

 

「これで誰が仕掛けてるのかわかりゃいいんだが……なぁ……」


 霧雨が降り始める。ネオンが濡れた路面を染め、誰かの笑い声が遠くで弾けた。

 雨粒が肩を濡らす。だが三浦の視線は、まだ人々の行き交う喧騒の向こう──笹島の方向に向けられていた。


     ◆


 次の瞬間、空気が弾けた。

 白い残光とともに、清香の姿が現れる。

 空間跳躍魔術──座標指定型の短距離転移。処理班の機動力の(かなめ)である彼女の得意とする術式だ。

 雨粒が残光に照らされ、一瞬だけ宙に浮かぶように見えた。


 着地した先は、閉鎖された立体駐車場の屋上だった。

 鉄錆の匂い。フェンスの向こうに広がる街の灯り。その中央で、

 地面にうっすらと焦げたような(・・・・・・)魔術痕が浮かんでいた。


「……これ、やっぱり。儀式陣の端点……だよね」

 

 清香はしゃがみ込み、掌をかざす。


Analysis(アナリシス)《解析》」


 発動の言葉を発し、魔術を発動させる。清香の解析魔術の術式は、魔術陣の術式構造の解析に特化した構成になっている。

 

 淡い青光が魔術陣の線をなぞり、浮かび上がった紋様が雨の中にぼんやりと輝いた。

 複雑な幾何構造、重ねられた呪式層──そして中央に走る、生物的な螺旋の模様。


 脳裏に浮かんできた魔術陣の全貌に思わずハッとなった。そして、この儀式規模の巨大な魔術陣を街に仕掛けた人物がしようとしている事のおぞましさに吐き気を覚えた。

 

 それは見覚えのある嫌な(・・)形だった。

 

 神の檻の教団施設の地下で神胎を培養していたポッド──人形師が破壊していったそれを回収し、欠片を繋ぎ合わせて分析して発見された神胎を作る為の術式の構造に酷似していた。


「三浦さん、これ……多分、神の檻で使われていた術式と同じ系列です」

『は? あの連中は中部支部と横浜支部の合同作戦で潰したはずだろ』

「……潰したのは組織であって、信仰じゃありません……。残党が居たのかも……。しかも、この魔術陣は──名古屋の街の住民達を全て異形に変えようとしてるって言うの……? こんなのって……!」


 清香の声がわずかに震えていた。

 雨音の向こうで、二階堂の報告が続く。

 

『他の基点でも同様の痕跡を確認。……おそらく、都市規模儀式でしょう』

『都市ごと……魔術陣だと?』


 無線の中で三浦が聞き返すのに二階堂が肯定した。

 

『ええ。中心座標は名古屋駅から栄にかけて──名古屋市内で人が最も集まる場所です』


 三浦は舌打ちをした。

 

『やってくれるぜ、公開派。……これはただの過激派じゃねぇな……』

「あの……」

 

 清香が声を潜める。

 


「もし、この術式の構造が神の檻由来なら──首謀者は、神胎の細胞を自分に取り込んでいる可能性があるんじゃないですかね……」

『馬鹿な、そんな事が……あれは失敗作だったはずだろ』

「いえ、狂信的な何か──理性の枠をとうに超えてるような……そんな意思(・・)を感じるんです」

『流石、舞台役者だな。考察が深い』


 三浦がそんな軽口を返してきたその時だった。

 突如、清香の耳にノイズが混じる。

 無線の異常かと思ったが──違う。これは声だ。


──奇跡は、隠されるためにあるのではない。魔術は、隠されるべきではない。

──人が神に至る事ができる。その瞬間を……世界に見せねばならない。


 機械的な反響を帯びた声だった。

 まるで、魔術陣に仕込まれた術式そのものが語りかけてくるような、歪んだ響きだった。


「……誰?」

 

 清香が思わず呟く。


『一条、どうした? お前も聞こえたのか』

「二階堂君も聞こえたの? 何、この声……クレアちゃんの伝声魔術とも違う……」

『ノイズじゃないようだな。俺にも入った。……術式を通じた宣告、とかか?』


 雨脚が強くなり、街の光が滲む。

 冷たい風が頬を叩き、清香は無意識に肩をすくめた。


(誰が……? この街で、何を……)


 無線の向こうでは、三浦の低い声が何かを指示していた。

 だがその言葉が届くよりも先に──清香の胸には、得体の知れない恐怖だけが残っていた。


(魔術という奇跡を見せるためにこの街を犠牲にするというの──)

 

 清香は唇を噛み、夜の雨を見上げた。

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