15.囮作戦の決行⊕
その後、作戦決行日の前夜まで香月達は、香月の事務所兼自宅でイヴの護衛任務を続けた。
イヴのセーフハウスへの移動は清香の担当だった。明日のおとり作戦の実行前に清香がこの事務所にやって来るらしい。一応、教皇庁側の護衛数人を引き連れてだ。
そして当日の夜。
「すごい、本当に私の姿だ。まるで鏡みたい……」
香月が変身魔術で変えた姿を見て、イヴが思わず驚きの声を上げた。
「でも、魔術って凄いんだね。服とか髪とか本当にそのままで私になったみたい」
イヴが感心したように香月から一歩引いてしげしげとその姿を眺める。
「当たり前だろ。そういう魔術なんだから」
香月は呆れ口調で答えた。
「えへへ、そうだよね」
イヴは照れたように笑いながら頬をかいた。
香月は清香達の到着を待ってからその姿のまま外へ出るつもりだった。作戦決行は今からだ。
「それにしても……改めて見るとこの事務所ともお別れなんだよね……」
イヴがポツリと呟く。その言葉に香月が反応して頷いた。
「そうだな。でも、また会えるだろ」
香月のその何気ない言葉にイヴは一瞬目を丸くすると、嬉しそうに微笑む表情をした。
「うん……、そうだね……」
そんなやり取りをして、二人は清香達がやって来るのを待った。
それからしばらくして清香達が空間跳躍魔術で事務所の中にやって来た。その後ろには護衛と思われる修道服を着た男達が数人いた。
「おはようございます」
清香が笑顔で挨拶をする。それに続いて他の者達も挨拶をした。
「イヴさんとは、話すのは二回目になると思うけど、一応初めましてって挨拶しとこうかな。今回は刑事さんじゃなくて、魔術協会の処理班での一条清香です。今日はイヴさんのセーフハウスへの移動を担当してます」
「清香さん、改めてよろしくお願いします」とイヴが緊張した面持ちで挨拶をした。
「こちらこそよろしくね」と清香が微笑んで答える。
「あ、そうそう!」
急に清香が声を上げる。
清香が肩からかけたこじんまりとしたショルダーバッグの中をゴソゴソと探る。その様子を不思議そうにイヴが見ていると、清香が中から小さな包みを取り出した。
「はい、これ。お近付きのプレゼント」
「えっ、良いんですか?」
イヴが驚いた声を上げると、「うん、もちろん」と清香は答えて笑顔になった。
イヴがその包みを受け取ると、中には雪の結晶と雪玉をイメージしたピアスが入っていた。
「わぁ!可愛い!」
「それね、私の手作りなんだ」
言いながら清香は照れくさそうに笑った。
「えっ、そうなんですか?」
イヴも驚いた表情を見せた。
「そうそう。趣味でハンドメイドやっててね。この前は刑事のフリして会ったから、何かちょっと顔合わせるの気まずかったんだよね〜。だからあんまり出来はよくないかもけど……気に入ってくれると嬉しいなって……」
「そんな!とっても素敵です!」
頭をかく清香に、イヴが目を輝かせて言った。
「そう? 良かったあ」
清香が安心したように微笑む。
「あの……ありがとうございます。早速つけちゃっても?」
「どうぞどうぞ」
香月はそんな二人のやり取りを後ろから見ていた。少し離れたところだったので、二人の会話に言葉を挟み辛そうにしていたが切りの良さそうな所で「清香姉、イヴを頼むぞ」と声をかけた。
イヴに変身した後の姿だったが、態度は普段通りの香月に思わず清香は苦笑する。
「大神君、ちゃんと演技はしなよ〜。全然イヴさんらしくなくて、それだと大神君そのままなんだから。その喋り方だと声は違ってもすぐわかっちゃうよ。歩き方とかにも気をつけてね」
「ああ、わかってる。気をつけるさ」
そう言って香月は、飄々としていた。
「本当かなあ〜」
それを見て清香はクスクス笑う。
「でも、任せといて。イヴさんは何がなんでも守らせていただきます」
そう言って、清香がウインクしながら親指を立てる。
本当に愛嬌のある人だ。この数分の会話だけでイヴの方も清香に懐いているように見える。
一旦、清香が気を切り替えるようにコホンと咳払いをすると一緒についてきた教皇庁の護衛達に言った。
「イヴさんの護衛の皆さんも今日はよろしくお願いしますね」
護衛達は清香の言葉に無言で頷くだけだった。それを気にする様子もなく清香は言葉を続けた。
「それじゃ行きましょうか、イヴさん」
「はい」
返事をしてイヴが立ち上がる。
それに合わせて清香達も空間跳躍魔術の準備をする。その場にいた全員が清香の肩や腕に触れる。
「Leaping《空間跳躍》」
清香が魔術の発動の言葉を発すると、清香達とイヴは忽然と姿を消した。
清香は処理班の機動力の要と言って良い。それだけ空間跳躍魔術は使い慣れた物だ。おそらく無事にイヴをセーフハウスに届けてくれているだろう。
それを見届けると香月は先に事務所から出てスタンバイしていたクレアにこう言った。
「さあ、クレア。作戦に取り掛かるぞ。モニターしてくれ」
『了解』
囮作戦の開始だ。香月達はまずイヴの家に向かうようなルートを取る事にした。今回の作戦は香月がおとりとなってディヴィッドを誘き出す。独りで行動して無防備である事を演出しなくてはならない。
事務所を出てしばらく歩いた所で、香月は大須商店街の中をキョロキョロと周囲を見回した。不安そうな素振りを見せながらだ。
『今の所、カヅキに近付いてくる人の気配は無さそうだよ』
そうクレアが言う。会話を聞き取られないように、口の中でひそひそと香月が返答する。
「でも、念には念を入れた方がよさそうだ。角を曲がったら一旦人気の少ない路地へ行く」
『了解』とクレアの答えが返ってくる。香月は歩くスピードを速めた。
角を曲がりしばらく行った所で再び立ち止まる。そしてまたキョロキョロと周囲を見回した後に、「はぁ……」と大きくため息をついた。
『大丈夫? それらしい人物は釣れそう?』
「さあな……数日はかかってもおかしくはないけどな……おっと」
前方から歩いてきた数人が香月の姿を見て薄らと笑みを浮かべた。それから小走りになってこちらへ近付いてくる。
「お出ましか? 多分、釣れたか?」
ボソッと呟いて香月は、突然現れた男達がこちらに向かってくるのにビクッと肩を震わせて怯えたような仕草をした。振り返り、来た道を引き返す。
『カヅキ、追ってきてるよ』
クレアの伝声が耳元で響く。それを聞いて香月は、更に足を速めた。角を曲がり、近くの路地に入る。
「おい待てよ!」
男達も慌てて追ってくる。あちらが見失ってしまう事がないよう、振り切らない程度の適度なスピードで目的地へ向かう。窮地を演じる為だ。
『右奥に行って』
クレアがそう伝えてきた。そこは路地の行き止まりだった。香月はそこで立ち止まり、「な、何……貴方達……」と震える演技をしながら男達に向き合った。
男達はニヤニヤと笑いながら近付いてきた。
「よう姉ちゃん。こんな所で何してるんだ? 俺らと遊ばねえ?」
その言葉で男達が何者なのか理解した。明らかなハズレだった。この目の前の輩みたいな男達の目的はナンパらしかった。
テキトーにあしらってこの場を去る事を考えるべきだろう、今は任務中だ。
「別に……ただ家に帰るだけですけど……」
「へぇ〜、そうかよ」と男達のうちの一人が言うと他の男が続けて言う。
「まあそんな事はどうでもいいさ、ちょっと付き合ってくれよ。今から飲みに行くとかさ──」
言葉の途中で男は言葉を詰まらせた。
「あがっ……あがが……あぐっ……」
呼吸を詰まらせたように呻き、白目を剥いて地面に倒れた。男の身体が炎に包まれ燃え盛る。
突然の事に、それを見て残った二人の男が何事が起きたのかわからず一瞬硬直する。それから一人の男が叫んだ。
「て、てめぇ! 何しやがった!」
香月は、突然の事に状況が掴めないでいた。
「い、いや……何も……」
「嘘つけ!」
別の男も叫ぶ。そして懐から何かを取り出そうとした。ナイフの類だろう。しかし、取り出す前にその腕が炎に包まれた。
「ぐわぁ!」
男が悲鳴を上げる。
もう一人の男がそれを見て、何事だ? とそちらに顔を向けた瞬間、ドサリという音がした。そちらを見ると首が落ちた自分の体が見えた。その体が血を吹き出して倒れると同時に男の首が地面に落ちた。
「何なんだ……?」
思わず、香月が突然の出来事にそう呟く。
「いけないなあ……お前らみたいな下賎が触れて良いものじゃないんだぞ、この子は……」
そんな声が聞こえると同時に、路地の奥からコツ、コツと足音が聞こえてきた。
香月がそちらへ目を向けると、そこには──
「ディヴィッド・ノーマン……?」
香月は緊張した様子でそう呟く。
ツーブロックにした赤い髪をオールバックにした男……。しかも、ジェイムズから見せられた写真と違って若々しい。イヴの証言した通りだ。
こんなにもあっさりと釣れるとは思っていなかったが、こうしてこんな早いタイミングでわざわざ出向いてくれるという事は案外イヴの取り返しを焦っていたのだと考えても良さそうだった。
「へえ……俺を覚えてるんだ。嬉しいねぇ」
ディヴィッドと呼ばれた男が薄気味悪い笑みを浮かべながらそう言った。
「こ……来ないで!」
怯えを滲ませた声で香月が叫ぶ。変身魔術のお陰で声色は完全にイヴのそれだ。
思いの外、早くターゲットを釣り上げる事に成功したが相手の油断を誘う為にも演技はし続けなければいけない。
クレアの集音魔術でモニターはされている。多少の時間を稼げば待機させた戦闘班や教皇庁の面々にディヴィッドを取り囲ませる事も可能になるだろう。
香月が怯える演技を続ける。
「倉庫から逃げ出したのは精神干渉魔術が効かなかったからか? 倉庫が荒らされていたのはてっきり魔術協会に勘付かれたと思っていたんだけどな……まあいいさ」
独り言のようにそう言ってデヴィッドは口の端を上げた表情のまま近付いてくる。明らかに真っ当な人間では出せないようなプレッシャーを放っている。それは狂気のような物なのかもしれない。それを感じ取ったのか香月は後退りをした。
しかしすぐに背中に壁が当たるのがわかった。だが、デヴィッドは構わずに近付いて来る。
「お前が倉庫から消えてから何日も様子を見ていたよ。だが、一向に何もない。どうやら魔術協会の連中はまだお前の正体に気づいてないようだ。だからこんな所を一人で無防備に歩いていられる。アルビノの女……、俺が最初に見つけたんだ……。誰にも、俺以外の奴には絶対に渡さない……! ボスにだって渡さない! これで俺が、俺だけが! お前を独り占めできる……!」
ディヴィッドがそう言ってニヤリと笑った瞬間、香月の背筋に悪寒が走った。そして同時にクレアから警告の声が上がる。
『カヅキ! そいつの魔力が跳ね上がったよ! 気をつけて!』とクレアが言うと同時にデヴィッドが掌を前に突き出すのが見えた。香月は咄嗟に横に飛んだ。
「Flame cutter《炎刃》ッ!!」
ディヴィッドが魔術を発動させる。
香月が向かって燃え盛る炎の刃が飛来した。しかし回避の動作は必要なかった。
これは脅しだ。直撃はしない。
放たれた炎の刃は香月の頬の間一髪の距離を通り過ぎて、建物の壁を切り刻んだ。さっき、絡んできた男の一人の首を切り落としたのはきっとこの魔術だ。
「へぇ〜、驚かないんだな。当たらないと確信していた? 魔術師でもないのに魔力を感知できるのか?」
デヴィッドが感心したように言う。
「その調子じゃ精神干渉魔術も耐性があるか……? くくく……ますます気に入ったよ……力尽くで手に入れる甲斐があるじゃないか」
デヴィッドは嬉しそうにそう言った。一方の香月は、緊張で呼吸が荒くなるのを感じていた。魔術学院である程度訓練を受けていると言っても、現場に配属されてから実際に戦闘になった経験はそこまで無い。
『カヅキ! 大丈夫!?』
クレアの心配そうな声が聞こえる。しかし、それに答えている余裕はなかった。香月はデヴィッドを見据えて言う。
「へっ……面白くなってきた。構成員になってから初めてだよ……、協会が抹殺指定してるはぐれ魔術師に出くわして戦闘になるのは……」
そう言って、香月が変身を解いた。
みるみるとイヴの姿から普段通りの姿へ戻っていく。その姿を見、ディヴィッドが驚愕の表情を浮かべた。
「お前……、魔術師か!? 俺の、俺のアルビノの女は何処へやった! まさか、魔術協会の……!」
「さあな……。教える必要なんてねえだろ。そんな事より、アンタをぶっ倒すのは俺だよ」
香月がそう言って戦闘態勢に入った。トントン、とステップを踏み相手の様子を伺う。ディヴイッドが怒りの形相で叫んだ。
「クソが……魔術協会ッ! あの女を返せ! あの女は俺の大事な商品だぞ!」
ディヴィッドは激昂した様子で、香月に向けて掌を突き出した。
「Pillar《火柱招来》ッ!」
その瞬間、彼の周囲に炎の渦が巻き起こる。まるで炎の壁と感じるくらい巨大な火柱だ。ディヴィッドは容赦無くその炎を香月に向けて放つ。
しかし、それを顔を覆うように腕を構え炎の柱へ突っ込んでいく。
「Enhance《肉体強化》ッッ!」
肉体を強化・活性化させる魔術だ。身体の至る所を焼かれながら、放たれる炎の中を突き進む。
「何!?」
ディヴィッドが驚きの声を上げる。
そして、ディヴィッドに肉薄すると同時に拳を放つとその一撃はディヴィッドの腹部に直撃する。その身体吹っ飛んで壁へ激突し、崩れ落ちた。
「……弱い。随分と呆気ないな」
そう言って香月はディヴィッドへ近付く。
「ま……待て、金ならやる……だから命だけは助けてくれ……」
ディヴィッドが命乞いをする。これが魔術協会の総本部から抹殺指定を受けた魔術師とは思えない情けなさだ。
「生憎、金には困ってないんでね。俺は俺の任務をこなすさ」そう言って香月はデヴィッドの頭部を掴んだ。「ま……運が悪かったと思いな」
そう言うと、そのまま地面に叩きつけた。鈍い音が路地に響く。ディヴィッドはピクリとも動かなかった。どうやら気絶したようだった。
「大神!」
その時、後方から声が聞こえた。振り返るとそこには二階堂と三浦達、戦闘班がいた。どうやらクレアからの合図で駆け付けてくれていたらしい。
「……戦闘班の出番は必要なかったらしいな。今さっき、俺が倒したよ」
「そいつがディヴィッド・ノーマンなのか?」
二階堂が倒れている男を見て言う。
ディヴィッドは見るも無残な姿だった。顔は地面に打ち付けた時に額から出た血で真っ赤に染まっていて、白目を向いていた。情けないやられ姿だ。
二階堂の問いに香月が答える。
「ああ、多分な」
「多分……だと?」
二階堂が怪訝そうな表情を浮かべた。
「コイツ、すぐに気絶したんだよ。まあ、俺の一撃で軽い脳震盪を起こしてるだけだとは思うんだが……。抹殺指定のはぐれ魔術師にしては弱すぎないか? まるで三下を相手にしたような気分だ」
素直な疑問を口にした。すると二階堂は呆れたように言う。
「まったく……まあ良いさ。こいつを拘束しよう」
そう言って視線を路地の入り口へ向けた。そこには魔術協会の戦闘班の者達と思しき姿があった。二階堂が彼らに向かって指示を出すと、気絶したディヴィッドを手際良く拘束し、連行して行った。
『これで任務完了、楽勝だったねぇ』
そんなクレアの伝声が耳に届く、香月が納得いってないように声を漏らした。
「……本当にこれで終わりなのか?」
『どうしたの? カヅキ』
「いや、ディヴィッドを倒して拘束した。その結果が得られたならそれで解決……と言いたいんだがな。何か引っかかる。力尽くで手に入れると豪語してた割に、あまりに弱いんじゃないかと思ってな」
そう呟くとクレアが納得したように言った。
『そうだね……でも、そんなもんなんじゃない? ディヴィッド・ノーマンは抹殺指定魔術師と言っても実力が伴わなかったんだよ。多分。それでもイヴさんを連れ去った張本人なんだからさ』
「そうなのかもしれないんだけどな……」
そんな会話を交わしていると、香月の下へ二階堂が再び駆け寄ってきた。
「ご苦労だったな、大神」と二階堂が言った。「これでひとまず一件落着だ。ディヴィッド・ノーマンを生きて拘束できたのはお手柄だぞ。後は俺達に任せてくれ。しっかり尋問する予定だ」
「ああ、任せるよ」
そう短く答え、香月は二階堂に後を任せて現場を後にした。クレアと会話を交わしつつ、事務所への道を歩く。その時、ふと気が付いた事があった。
「そういえばよ」
『どうしたの? カヅキ』とクレアが反応する。
「いや……ジェイムズにディヴィッド・ノーマンの使う魔術について聞き忘れたなと思ってな。火炎魔術の使い手だとは聞いてなかったしな」
『ああ……そういえば、そうだね。精神干渉魔術の話はされてた気がするけど』とクレアが相槌を打つ。『でもまあ、別にいいんじゃない? カヅキの魔術で十分に対処できたんだし』
「まあな……」と短く答えて、香月は顎に手を当て考える素振りをした。「なあ、あれは本当にデヴィッド・ノーマンなのか?」
『どういう事?』
「交戦する直前に、アイツはイヴの事を『俺以外の奴には渡さない』と言ってたんだ。しかもそれに執着してるようだった。その言葉がやけに引っかかる」
『うーん、そんな気になるような事かなあ。ディヴィッド・ノーマンはボクらと同じ魔術師だよ? 自分以外の魔術師にって意味じゃないの?』
「そうなのかもしれないんだけどよ……。どうにも引っ掛かるんだ」
するとクレアが苦笑して言う。
『カヅキってさ……、意外と心配性なんだね?』
「うるせえな……」
それだけ言って香月は再び考えに耽るのだった。
その香月の引っかかりの正体がわかったのはディヴィッド・ノーマンの拘束から一日が経った時になる。