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【第五章完結】現代魔術は隠されている  作者: 隠埼一三
Episode Ⅴ『人形師編』
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24.追跡と誓い

 クレアはロビーの片隅で泣きやめずにいた。

 シャルロットがそっと背中をさすっても、彼女は小さく首を振るだけだった。


『……ボク、行かなきゃ……』

 

 震える声で繰り返す。


「クレア………けれど、今は無謀ですわ。足跡すらも残していませんし、どちらへ向かったのかも……」


 その言葉にクレアは唇を噛み、涙に濡れた瞳を上げた。

 

『それでも……ボクは絶対に追いかける。絶対に、探し出してやるんだ……! カヅキを一人にしないって、決めてるから……!』


 強い光が宿るその瞳に、シャルロットは何も言えなくなる。

 陽子はそれを横目に見ながら、静かに笑った。


「やれやれ。少年も少年なら、君も君だね。……ほんと、止まらない子たちだよ」


 ロナルドは黙したまま窓の外を見つめていた。

 霧に包まれるパリの朝は、誰にとっても試練の幕開けを告げていた。

 その日を境に、大神香月は忽然と姿を消した。彼の行方を知る者は、誰ひとりいなかった。


    ◆


 香月の失踪から数日後──日本本部の大理石造りの本館に、異常な気配が走る。


 突如、警報の鐘が鳴り響き、振動とともに床が微かに揺れる。

 壁に施された結界の符号が青白く光った。構成員たちは身構えるが、その光は瞬時に赤黒い閃光へと割かれた。


 轟音が響き渡る。天井の一部が粉々に砕け落ち、煙と粉塵が室内を満たす。

応戦に出た構成員の魔力の光弾は、目の前に閃く仮面の男の影にすべて弾き飛ばされる。


 恐怖に声を震わせ、小泉蒼一郎が叫ぶ。

 

「誰だ、貴様は!」


 仮面の男は微動だにせず、暗い仮面の奥から低く冷たく答えた。


「……人形師(ドールマスター)だ」


 その一言で、部屋中の空気が凍る。

魔力の刃が空気を裂き、応接室の重厚な書棚や大理石の床を次々と破壊していく。

 応戦した構成員の光弾は男の放つ赤い魔力によってすべて弾かれ、掻き消される。男の動きは無慈悲に正確だった。


 小泉は最後の力を振り絞り、目の前の男を睨みつける。

 

「あの抹殺指定のはぐれ魔術師の……!? 貴様なのか、人形師……! 世界各地の魔術協会の拠点を襲撃し、幹部魔術師を暗殺している者は……!」


 仮面の男は鼻を鳴らす。

 

「……答えるまでもない。俺の目的のために死ね。魔術協会日本本部長・小泉蒼一郎」


 次の瞬間、赤黒く光る刃が胸を貫いた。

小泉の体は抗う力すら残さず、無力に崩れ落ちる。

 胸郭が軋むような鈍い音とともに、血と肉が内側から裂け、まるで人形の関節が外れるかのように体の輪郭が崩れていく。

 骨が砕け、肉が裂け、内臓が零れ落ちるその瞬間にさえ、仮面の男の動きには一切の躊躇も迷いもなかった。

 まるで存在そのものを消すかのように、目の前の本部長は、元の形すら留めぬ無惨な残骸となった。


 応接室に戻ったのは静寂だけだった。

 破壊の残骸と血の匂いが、空気に染み付く。

 仮面の男──人形師は、何事もなかったかのように姿を消した。


 その日、魔術協会日本本部は人形師を名乗る魔術師に襲撃され、本部長・小泉蒼一郎が殺害された。

 守りに当たった構成員たちは重軽傷を負ったが、死者は一人もいなかった。


 だが、この死は協会内外に衝撃を与えた。古くから組織を支えてきた重鎮の突然の死。襲撃を行ったのは、抹殺指定されているはぐれ魔術師――人形師を名乗る仮面の男だった。


 魔術協会総本部(ロンドン)からの発表は、手短かだった。


「人形師の活動は依然継続しており、今後も協会施設への襲撃が発生する恐れがある。各国本部ならびに支部は最高度の警戒態勢を維持すること。加えて、各国本部においては特別討伐本部を速やかに設置し、統一的な指揮系統のもと対応にあたられたい」


 魔術界は戦慄し、恐怖と混乱に包まれた。


 しかし、その真相を知る者はほとんどいない。小泉蒼一郎が実は古代の魔術師の分魂体であり、その命を奪ったのが「人形師」を名乗った仮面の男──すなわち大神香月だったことを。


     ◆


 魔術協会日本中部支部の集会所(ロッジ)である満月亭には、異様な緊張が満ちていた。

 古びた木造の建物は普段なら仲間内の笑い声や談笑で賑わうはずだが、この夜ばかりは誰もが口を閉ざしている。

 重たい沈黙の中で、食堂のランプだけが淡い光を投げていた。


 ジェイムズは分厚い書類を机に広げ、険しい表情で目を走らせている。

 陽子は椅子に腰掛け、腕を組みながら天井を仰ぎ、深いため息をついた。

 シャルロットは窓辺に立ち、暗い外の森をじっと見つめている。

 そして、クレアは小さな手を固く握りしめ、まだ涙の跡が残る顔を伏せていた。


 誰もが理解していた。

 

──数日前、日本本部が人形師に襲撃され、本部長・小泉蒼一郎が殺害された。

 協会中に衝撃が走り、各支部には厳戒態勢が敷かれている。


 しかし、彼らの胸を締め付けているのは、ただその報せだけではない。陽子により、香月が人形師を討った後にその名を引き継いだ事実をクレア・シャルロット・ジェイムズに伝えたのだ。

 そして人形師を名乗り、日本本部長の仮面の男が、大神香月である可能性が高いという、背筋を凍らせるような事実も伝えられた。


 沈黙を破ったのは、陽子の声だった。


「まったく、あの少年がこうまで大胆動いてくれるとは思ってもなかったよ」


 乾いた声で吐き捨てるように言い、彼女は机に肘を突く。その声音には皮肉よりも、どこか諦めの色が濃かった。


「……彼は人形師として、古代魔術師の分魂体を根絶やしにするつもりなんだろう。──他世界線での彼が見つけた記憶を頼りにね。『人形師』として身を隠し魔術界に……いや、どこかで潜んでいる古代魔術師に恐怖と圧力を加え続ければ、自ずと自分を探し出そうとしてくれる……」


 陽子の言葉に、シャルロットは目を伏せ、そっと吐息を漏らした。


「……理屈としては理解できますわ。ですが……まさか、仮にも魔術協会に身を置いていた人間が身分を隠して日本本部を襲撃。そして本部長を殺害。これが(おおやけ)になればカヅキは──」


 陽子は小さく肩を竦め、半ば呆れたように口を開く。


「もちろん、彼はもう協会から『存在してはいけない者』と見なされる。……それでも、あの子は止まらない。止まれないんだよ」


 ジェイムズは黙したまま書類を閉じ、硬い音を立てて机に置いた。

 その眼差しには、所属の上司としての責任と、自分にとって家族も同然と言える構成員達を見守る者の苦渋とが交錯していた。


「……敵に回した相手が誰であれ、香月の動きはもはや協会全体の均衡を揺るがす。カヅキが人形師を演じ続ける限り、古代魔術師どもは潜伏を強いられるだろう。が……同時に、協会内部にもその古代魔術師の分魂体に肉体を奪われた人物が潜伏している。だから、人形師の討伐本部が各国に置かれた。カヅキを執拗に追い詰めようとするつもりなのだろう」


 重い言葉に、部屋の空気がさらに沈む。

 その静寂を破ったのは、椅子を押しのける音だった。


 クレアが立ち上がっていた。

 頬にはまだ涙の跡が残る。それでも瞳には曇りのない光が宿っている。


『……ボクは、行くよ』


 その声は震えていなかった。

 握りしめた小さな拳が、誰よりも強く意志を刻んでいた。


『どんな理由があっても、カヅキを一人にさせない。……たとえ協会が敵になっても、ボクは追いかける』


 ジェイムズはその言葉に、しばし目を閉じた。

 深く息を吐き、額に手を当てる。支部長としての理性が即座に「止めろ」と叫ぶ。だが同時に、年若い少女の瞳に宿る決意が、無下にはできないことも理解していた。


「……クレア」

 

 彼は低く名を呼び、ゆっくりと視線を合わせる。


「お前の覚悟は痛いほど分かる。だが、それは無謀の極みだ。香月が背負おうとしているのは、協会全体を敵に回す(ごう)だぞ。そこにお前まで巻き込まれれば、取り返しのつかないことになる。お前は風魔術の名門の出の娘なんだぞ」


 クレアは小さく首を振る。

 その仕草には幼さも儚さもなく、ただ一人の少女としての確かな意思だけがあった。


『……おじ様。それでも、ボクは行くよ。泣いて待ってるだけじゃいられない。カヅキを必ず探し出して、一緒に帰る。それがボクの答えだよ』


 静かながらもはっきりとした言葉に、ジェイムズは言葉を失った。

 机に置いた拳が強く震える。支部長として命じるべきか。だが父親のように見守ってきたこの少女に、どうしても「諦めろ」とは言えなかった。


 やがて、彼は苦々しい笑みを浮かべた。


「……まったく、お前はリーヴァイの娘だよ。頑固で、言い出したら聞かない。危険と分かっていても愛する者を追うだろうしな、アイツは……。血は争えんものだな」


 ジェイムズはしばし目を閉じ、深く息を吸った。

 やがて支部長の顔つきに戻り、低く、だがはっきりとした声で告げる。


「……クレア。お前を実行班の任務から正式に解任する。日本本部で起きた一連の件は、もはや支部の手に余る。お前に背負わせるには重すぎるからな」


 クレアの肩がわずかに震える。

 それでも彼女は視線を逸らさず、抗議の言葉を飲み込み、ただじっと彼を見据えていた。


 ジェイムズはその瞳に答えるように、机の引き出しから一通の封筒を取り出した。

 赤い蝋で封がされ、協会の印章が刻まれている。


「だが……支部長として、そしてお前の親に任された立場として、ただ待っていろとは言えん。──新たにお前に任務を与える」


 封筒を机に置き、彼は言葉を続けた。


「任務は単純だ──失踪した日本中部支部構成員、大神香月を探し、その所在を報告せよ。討伐も拘束も求めない。追跡と接触、それだけで十分だ。なお、カヅキが人形師である事実は伏せておく。これは正式な命令であり、支部承認済みの任務として扱う」


 その声音は厳格だが、どこかに微かな優しさも滲んでいた。


「……これならば、お前の意志を無下にせずに済む。だが勘違いするな、クレア。これは『支部長としての命令』だ。お前が勝手に飛び出して死地に向かうことは許さない。必ず同行者をつける。お前一人で行かせはしない」


 クレアの胸が熱くなる。涙がこぼれそうになりながらも、彼女は力強く頷いた。


『……ありがとう、おじ様。ボク、必ずやり遂げる』


 ジェイムズは腕を組み、わずかに視線を逸らした。


「……これで良いんですね? 陽子さん」


 陽子は椅子から立ち上がり、クレアを一瞥する。表情は冷静だが、その目にはわずかに懸念が浮かんでいた。


「ええ、これで良いわ。悪いね、ジェイムズさん。貴方の立場もあるのに……ただし、言っておく。少年の行方は簡単には掴めない。しかも協会内部の事情も複雑だ。油断すれば命に関わる」


 クレアは真っ直ぐに頷き、拳を小さく握りしめる。


『わかってる……でも、ボク、絶対にカヅキを連れ戻す』

「それで、その同行者というのが私……ということですわね? わざわざフランス本部調査局まで連絡して日本に呼んだ以上」


 シャルロットは背筋を伸ばし、軽く微笑んだ。余裕と遊び心を感じさせるその笑みの奥に、わずかな熱が宿る。――確かに任務として人形師を追う必要はある。しかし、心のどこかで香月を追う理由が、任務以上に存在していることを彼女自身も否定できなかった。


 ジェイムズは頷いた。


「ああ、シャルロット・ルフェーブル。君はフランス本部調査局の任務で人形師を追っているだろう? しかも、人形師が討たれたことも報告していないらしいじゃないか。その立場を継続していることで、今回の同行は公式の任務として成立する。任務として追跡を続ける中で、クレアの希望に沿って動くことも可能だろう」


 クレアは小さく息を整え、シャルロットの視線に応えた。頬に残る涙が乾く前に、瞳には決意の炎が宿っている。


『……わかった。シャルロット、頼むよ』


 シャルロットは軽く頷き、肩越しに微笑んだ。


「任せなさい、クレア。危険な任務にはなるでしょう。けれど、わたくしが一緒なら安心してモン・シューを探せるでしょう?」


 その冗談めいた言葉の裏に、鋭く磨かれた決意が透けて見える。それにクレアが返す。

 

『シャルロット、お前だってカヅキの事は探し出したいのはわかってるからね』

「あら、それではカヅキを見つけた時には、クレアより先に抜け駆けしてしまうかもしれませんわね?」


 その軽口は場を明るくするだけでなく、互いに対する確かな信頼の証でもあった。クレアはその空気に背を押されるように深く息を吸い込み、胸に宿る決意をより強くする。


『望むところ。ボクはカヅキと結ばれるつもりで追いかけて来てるんだから』

「なら……私も真剣になりませんと、ですわ」


 言葉を交わす二人を見守っていたジェイムズは、ようやく椅子から立ち上がった。長身の影が机に落ち、静かな重みが場を支配する。彼は書類をまとめながら、上官として最後の釘を刺した。


「繰り返すが、クレア。今回の任務は『追跡と接触』が目的だ。無理に戦闘を挑む必要はない。人形師の正体を知らずに行動することが前提だ。カヅキを狙っている勢力はまだ存在しているだろう。くれぐれも命を大切にするように」


 クレアは力強く頷く。


『……はい。絶対に無茶はしません』


 陽子も椅子から立ち上がり、クレアの肩に軽く手を置いた。冷静な顔の裏にある、少女への深い思いやりが感じられる。


「油断は禁物だよ。相手は、一介の魔術師やギャングだけに留まらないから」


 クレアは小さな声で答える。


『……でも、ボクはやり遂げてみせるよ。どんなことがあっても……!』


 その言葉に、室内の空気は一瞬だけ柔らかくなる。だが、その先には、誰も予測できない試練が待ち受けていることを、皆が胸の奥で理解していた。

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