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【第五章完結】現代魔術は隠されている  作者: 隠埼一三
Episode Ⅴ『人形師編』
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17.理性と神格の狭間で

 香月が倒れ、全身から力が抜ける瞬間──陽子の視界の端に、かつて見た光景が揺らめいた。

 広間の激しい衝撃の余韻と、血の匂いがまだ鼻をつく中で、その光景はまるで夢のように静かだった。


 彼女は気づけば、かつて居た世界線の廃墟に立っていた。それはイヴ──始祖人類の先祖返りが肉体を奪われ、魔術協会がその機能を失い、魔術が世界に解き放たれる中で起きた戦乱。それが長く続いた後、ほとんどの命が散り、全てが廃墟と化した街に一人の男が座っているあの光景だ。

 瓦礫の積み上がった街並みの中、ひとりの男が膝をついていた。絶望の色を濃く宿した瞳。

 陽子はそっと膝をつき、手元の古びた魔術書を差し出した。


「……これを、君に。きっと、これからの君に必要になると思って渡す。私の師匠、エリオット・ペンデュラムが遺した魔術書だ。半ば永遠を生きられるようになった君の生命線になるかもしれない」


 男は手を止め、震える指で書を受け取る。

 陽子の視線は、彼の生への執着と、未来へのわずかな希望を探していた。


「……ありがとう」

 

 彼の声はかすかに震え、しかし確かな決意を含んでいた。

 その魔術書はただの書物ではない。陽子の魔獣学院時代の師であるエリオット・ペンデュラムの編み出した時魔術の全てが記してある。それは今の彼には理解できないかもしれない。しかし、魔力さえ続けば不老不死であるとも言える彼が今後気の遠くなる長い年月をかけてそれを理解し習得する可能性は大いにある。

 そして、この先生き延びるための知識と、陽子が残されたこの絶望的な世界線での可能性を託した証だった。


 陽子は少し息を吐き、静かに声を上げる。


「なあ、君はこれからどうするつもりだい? 君の望み通りに自らの肉体を吸血鬼にしてあげた。だが、君は──」


 言葉はゆっくりと落ち、瓦礫の上に広がる沈黙に溶け込む。

 男は視線を上げ、陽子の瞳をまっすぐに見据えた。そこには迷いと、決意が同居している。


「──俺は……俺は、この永遠とも続く命で、自分の答えを見つけるつもりだ」

 

 彼の声は震えながらも、強く意志を宿していた。


 陽子は微かにうなずき、拳を握る。これは苦渋の決断だった。

 ──この瞬間の選択が、無数に分かれた世界線の未来に微かな光を灯すことを、彼女は願っていた。


     ◆


 視界が揺れ、音が遠ざかる。瓦礫の廃墟から意識が戻ると、広間に横たわる香月の姿が目に入った。胸を上下に震わせ、荒い呼吸がまだ耳に届く。全身に力の抜けた彼の体は、まるで戦いの余韻をそのまま抱えているかのようだった。

 肩掛けポーチの中に忍ばせた手の中の魔術書が、かすかに光を帯びているように見えた。陽子は息を整えながら、ゆっくりと香月の横に近づく。

 顔を上げ、陽子は人形師を見据えた。


「これが……こんなのが、君が見つけた解答(こたえ)なのか。こんなんじゃ、あまりにも──」

「……黙っててくれ」

「……こんなものが、君の考える答えだと? これが君の望んだ物だと言うのか! 君の……いや、君がこの少年の命を……人生をこうも弄ぶような真似をして、ここまで追い詰めておいて……それで終わりだとでも言うのか!」

 

 陽子の声は震えながらも、冷静さを失わずに響いた。怒りと苛立ちが混じる中、その瞳は鋭く人形師を射抜いている。


「終わり……か。そう思うのはアンタの勝手だ」仮面の奥から低く響く声。冷徹なその声は、広間にただただ冷たい余韻を残す。「俺は結果を見守るだけだ。行動するべきなのは、今倒れているこの男の方だろう?」

「行動だって……? この少年はもう──!」

 

 陽子は思わず声を荒げる。

しかし、人形師は遮るように手を上げ、静かに言葉を続けた。

 

「まだ終わってはいないさ。下がって、見ていると良い」


 その言葉が落ちた瞬間、広間の空気が微かに揺れた。香月の体が、倒れたまま小さくピクリと動く。


 陽子は咄嗟に反応し、香月に駆け寄ろうと手を伸ばす。しかし、その動きを止めさせるかのように、人形師の低い声が広間を支配する。


「始まったな──」


 倒れた香月の胸元から、微かな光が漏れ始める。それは単なる魔力の輝きではなかった。体の内側から何かが溢れ出すように、神性を帯びた魔力がうねり、空間に波紋のように広がる。

 髪の色が徐々に白へと変化していき、かすかに風を孕むように揺れた。


 そして、ゆらりと立ち上がると、瞳の色が深紅に染まり、光を宿した。その瞳に映るものは──ただの人間ではない。神格「リリス」の存在が、今まさに顕現しようとしていた。


 胸奥から力強く迸る魔力は、広間の空気を歪ませ、壁や床の埃を巻き上げる。全身を覆う神性の気配は、倒れた状態の香月から、まるで別の存在が立ち上がったかのような迫力を放っていた。


 陽子は僅かに息を飲む。香月の体が放つ力は、彼女が知る魔術の枠を超えている。神の檻の地下神殿で見た、神格に覚醒した香月の力だ。


「……少年……!」

 

 思わず声が漏れる。しかしその瞬間、香月の唇がわずかに動き、低く響く声が広間を震わせた。


「出てくるな──俺がやる」

 

 それは、香月の中にある理性の声──自身の意思──だった。


「……リリス……出てくるな──」


 だが、赤く光る瞳の奥から、力強くうねる神性の魔力が香月の体を満たし、抑えきれない勢いで溢れ出す。白銀の髪は風を孕み、全身を包む光は、広間の暗がりを切り裂くように輝いた。


 香月の意識はその中で必死に保たれ、リリスに言葉をかける。


「……頼む、人形師を()るのは俺だ……!」


 リリスの意識は揺らぎながらも、香月の呼びかけに応じるように赤い光を瞬かせた。神格の力が身体を駆け巡る。胸の奥から迸る魔力が、床を震わせ、広間に漂う埃と霧を巻き上げる。


 人形師は一歩も動じず、冷たい仮面の奥で香月を見据えた。

 

「神格の力が目覚めたか──しかも、祝福を授けた神格自身ではない。神格の力を借りて己の意識を保とうとしている……」


 香月の体が、倒れたまま小さくピクリと震える。胸の奥からほとばしる力は、ただの魔力ではない──神性を帯びた赤い光が、彼の身体を内側から押し広げる。髪は白銀に変わり、広間の暗がりを切り裂くように光を放つ。


 その瞳は深紅に染まり、光を宿した。だが、その奥には確かに香月本人の意思が存在していた。理性と神格、二つの意識がぶつかり合いながらも、同調している。


「……リリス……頼む……お前の力を、俺と共に──!」


 低く、しかし断固とした声。香月の手が拳を握りしめると、赤い光が激しく迸り、足元の床に衝撃の波紋を描いた。広間の空気が震え、壁や天井の埃が舞い上がる。


 仮面の奥から人形師が冷たい声を発する。

 

「この瞬間を待ち望んでいた。神格を自らの器に招き入れるだけでなく、お前の意志で制御しようとする──完成だ」


 人形師の声は低く冷徹だが、その奥に微かに興奮が混じる。仮面の隙間から覗く瞳が、赤く燃え上がる光に挑むかのように輝いた。


「良いぞ、その力で俺を殺せ。大神香月。そして、俺が課したお前の人生の呪いを打ち破って見せろ!」


 香月の体はまだ床に膝をついたままだが、瞳の奥に宿る深紅の光は確かに意志を映していた。白銀に染まる髪が微かに揺れ、胸奥から迸る神性の力が全身に広がる。理性と神格、二つの意識がせめぎ合いながらも共鳴し、力の奔流が広間を満たしていた。


「──リリス、共に……俺と……! 戦えッ!」


 その声に応じるように、赤い光がゆらめき、香月の周囲の空気が震える。倒れたままではあるが、拳は強く握られ、立ち上がる覚悟が全身から伝わってくる。陽子は息を飲み、彼の背後で微かに光る魔術書に希望を見た。


 広間の暗がりに、人形師の冷徹な視線が突き刺さる。だが香月の目は揺るがない。力はまだ制御の途上にある。それでも、今ここで意思を保ち、神格の力と共鳴すること──それが次の戦いを切り開く鍵となるのだ。


「──俺は、お前への復讐を完遂させる!」


 膝をつく体から滲む決意。その姿は、次の戦いの幕開けを告げるに十分だった。

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