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【第五章完結】現代魔術は隠されている  作者: 隠埼一三
Episode Ⅴ『人形師編』
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16.操り人形《Marionnette》⊕

 工房の広間に、重苦しい沈黙が降りた。

 分魂体たちは香月の周囲を取り囲むが、襲いかかる気配はない。ただ道を示すかのように、仮面を揺らめかせ、異様に整った円陣を作る。すべてが、香月と人形師の決戦を見届けるために、息を潜めているかのようだった。


「……どうした。仕掛けてこないのか」


 香月の声は低く、鋭い。だが仮面の奥から返ってきたのは乾いた嘲りだった。


「殺意を向けるのはお前の役目だ。俺はお前の殺意を受け、それが導く結末に至るのみだ」


 その声と同時に、広間全体の空気が軋む。壁に描かれた魔術陣が青白く脈打ち、空間そのものが不自然に揺れる。──まるでこの場が、人形師の「檻」であり「儀式の舞台」であるかのように。


「何を……企んでいる?」


 香月の問いに、仮面は静かに応える。


「企み? 違うな。これは俺が望み仕込んでいた必然だ。お前が選ばれた時から。さあ、決着をつけよう」


 不意に、胸奥がざわめいた。

 幼い日の記憶──鉄の枷、背骨をなぞる冷たい器具──その痛みと共に、体の奥に微かな熱が灯る。触れてはいけないと感じていた、異質な感覚。


「……やめろ」


 香月は胸を押さえる。だが、仮面はあざ笑うように言葉を続けた。


「やがて目覚めるだろう、この戦いで。お前に加護を与えた神格が」


 その言葉を皮切りに静かに火蓋は切って落とされた。

 胸奥の熱を抑え、香月は一瞬で距離を詰めた。

 仮面の分魂体たちが鋭く跳躍し、四方八方から襲いかかる。


 だが香月の動きは研ぎ澄まされていた。

 跳ね、体をひねりながら背後回し蹴り──膝蹴りで迫る分魂体を蹴散らす。拳が鋼の鎖を叩き切り、肘打ちで壁に叩きつける。床は衝撃で割れ、振動が広間に波紋のように広がった。


 分魂体は瞬間、消え、また現れ、影のように香月を包む。だが彼は臨機応変に身を翻し、蹴り飛ばし、前進を止めない。


 人形師は動かず立つ。魔術陣が青白く脈打ち、光が香月の体を縁取る。まるで攻撃を誘導するかのように揺れ、広間の空間そのものを戦場に変えていた。


 宙を舞い、体を反転させながら背面蹴り──連続の肘打ち──

 拳と蹴りの軌跡が稲妻のように光を裂き、分魂体は弾け飛ぶ。鎖は宙を裂き、鋼鉄と石床の衝突が轟音となって空間を震わせる。

 香月は駆け抜け、跳躍しながら膝を人形師に叩き込む。

 広間全体が揺れ、跳ねる破片が光の軌跡を描いた。


「|Synergy Enhanceシナジー・エンハンス《筋力・神経反応融合強化》」

 

 口の中で呟き、魔術を発動させる。

 ──速度、力、反射神経。

 全てが極限まで研ぎ澄まされ、香月は人形師に迫る。


 香月が肉薄した瞬間、仮面の奥から声が発せられた。


「|Synergy Enhanceシナジー・エンハンス《筋力・神経反応融合強化》」


 広間を走る青白い光が、一層鮮烈に脈打つ。次の瞬間、魔術によって速度の増した二人の動きは完全に重なった。


 拳が交差し、衝撃波が壁を砕く。

 蹴りがぶつかり、床石が爆ぜる。

 肘と膝が衝突する度に、鉄骨の軋むような音が空間を震わせた。



挿絵(By みてみん)



(……俺と同じ魔術? いや、これは俺が麗奈から剽窃した物だ。偶然か? それに──)

 

 香月は息を切らすことなく、わずかな違和感を掴もうと目を凝らした。


 目の前の人形師の拳は、まるで鏡に映したかのように自分と同じ角度で打ち込まれる。蹴りも、体の捻りも、呼吸のリズムすらも──寸分違わない。

 衝突の余波が、空間そのものを歪ませていた。


「……ふざけるなよ。俺を真似ているだけか!!」


 吐き捨てるように香月が言うと、仮面の奥からは低い声が返る。


「真似……か。どうだかな」


 その言葉に呼応するように、香月達を取り囲む分魂体の人形たちがざわめく。揺らめく仮面が一斉に傾き、円陣がわずかに狭まった。

 その様はまるで、檻の格子が狭められていくかのようだった。


 次の瞬間、再び拳が交錯する。

 骨と骨がぶつかる鈍い衝撃。床石が裂け、破片が飛び散る。

 蹴りが弾けると同時に、広間を走る魔術陣が強く脈動し、青白い稲光が二人の体を縁取った。


(俺の戦い方そのものかってくらい……真似してきやがる。なぜここまで一致する?)


 疑念が脳裏をかすめるたび、胸奥に封じ込めていた熱が暴れ出そうになる。

 それは痛みと同時に、得体の知れぬ昂揚を伴っていた。


「抗え。俺への憎しみを燃え上がらせろ。そうすれば……目覚める」


 仮面の奥から投げかけられた言葉が、炎に油を注ぐ。

 香月は奥歯を噛み締め、拳を構えた。


「──黙れよ! まるで全て自分が仕組んでいたみたいに言いやがって……!」


 怒声と共に踏み込む。

 だが、同じ動きで人形師もまた踏み込む。

 二人の姿は残像となり、広間に幾筋もの閃光が刻まれる。


「抗ってやるさ……! 俺は、お前の手繰らせた糸で踊らされはしないッ!」


 壁は砕け、床は崩れ、宙を裂く拳と蹴りが轟音を響かせた。

 その戦いはもはや、外から見れば区別がつかない。

 香月と人形師──二人の存在は、まるで同じ影を重ねたかのように揺らめいていた。


「──奥の手だッッ!!」

 

 香月の怒声が広間に響き渡る。


 瞬間、全身を包む魔力が爆ぜ、肉体強化魔術の魔力の奔流が筋繊維を駆け巡る。

 筋肉が隆起し、血管が脈打ち、骨の軋みが肉を押し広げる音すら響いた。


「ウォォォォォォンッ!!」


 獣じみた咆哮と共に牙が覗き、爪が鋭く伸びる。漆黒の毛が逆立ち、瞳が血のように赤く光を帯びた。

 人狼化と肉体強化魔術の重ねがけ──それは香月の切り札にして、己を限界まで追い込む奥の手。

 爆発的な魔力と肉体の膨張が重なり、広間の空気はさらに震えた。


 踏み込んだ瞬間、床石が弾け飛ぶ。

 爆発したかのような凄まじい速度と圧力で、香月は一直線に人形師へ迫る。


 だが──


「そう来ると思っていた」


 仮面の奥から囁くような声。

 同時に、人形師の指先がわずかに動いた。


 空間を縫うように伸びた青白い糸が、いつの間にか香月の四肢に絡みついていた。

踏み込んだ脚が一瞬遅れ、振り下ろした爪がわずかに軌道を逸れる。


「……っ!」


 糸はただ巻きつくだけではない。

 筋肉の収縮をなぞり、神経の発火に先んじて、動きを縫い止めるかのように阻害してきた。


「人狼化か。だが、この魔術糸の前では獣も人も同じ。これがお前の奥の手だという事はわかっている……見え透いた手だ。そんな物で俺は殺せはしない」

 

 人形師の声は乾いた笑いを孕んでいた。


 香月は唸り声を上げ、筋肉を裂く勢いで抵抗する。だが糸は千切れない。

 むしろ四肢を引くたびに、己自身の神経に絡みつく錯覚が強まる。


──操られている。

 まるで自分の体が、人形のように糸で引かれて動かされている。


「舐めるなァッ!」


 香月は咆哮し、血走った瞳で仮面を睨みつけた。


 だが、その眼光すらも仮面の男には届かない。

 指先が軽く弾かれた瞬間、青白い糸が波紋のように広がり──


「──この俺を殺したいのだろう? やってみせろ」


 そう呟くと同時に、世界が歪んだ。神の檻での潜入作戦の際に見せたノーモーションでの魔術発動だ。第一から現行の第四世代のどの魔術発動方式でもない──まるで未来からの魔術の発動方式。

 視界の端で、仮面の輪郭が幾重にも残像を生み出した。

 床の破片が宙に浮き、滴る血さえも遅れて落ちる。


「……なに……ッ」


 香月の反応は間に合わない。

 すでに彼の動きは、人形師にとって『止まっている』のと同じだった。

 絡みつく魔術糸を無理矢理振り解くように鋭い爪を振り下ろす。だが、それより早く糸が神経の動きを縫い止める。膝を突き刺すより早く、腕が背後へと捻じ曲げられる。


 人狼の膂力を誇るはずの肉体が、木偶のように操られていく。


「……これ、時魔術……エリオット師匠の……」


 その光景を目の当たりにした陽子が、思わず息を呑んだ。

 瞳は恐怖と確信に揺れている。


「やっぱり……そういうこと……」


 彼女の呟きが、広間に響く。


「どうした、大神香月!」

 

 人形師が仮面の奥で冷笑を浮かべるのがわかった。

 

「牙を剥いても、吠えても……お前は俺を殺す事はできないぞ!」


 目にも止まらない速度で人形師が香月に肉薄してくる。

 視界がぶれる。

 人形師の残像が十重二十重に折り重なり、どこから拳が飛んでくるのかすら判別できない。


 次の瞬間、鳩尾に衝撃が走った。

 空気が肺から押し出され、呻き声すらも喉に貼りつく。


 すぐさま背後から肘が叩き込まれる。

 振り返るより先に、糸が神経を縫い止め、回避の意志そのものを奪い去っていた。


「が……ッ!」


 血を吐きながら膝をついた香月を、青白い糸が蜘蛛の巣のように絡め取る。

 腕を引き千切ろうと力を込めれば込めるほど、糸は神経の走行をなぞるように深く侵入していく。

 ──まるで身体の設計図を、すべて握られているかのように。


「お前の膂力は見事に育った。だが、それは俺が与えた枷に過ぎん。所詮、お前は俺の作った人形だ」


 仮面の奥から、冷ややかな声が降り注ぐ。


「違う……俺は……俺はッ! お前をッッ!」


 香月は咆哮し、爪を振り上げる。

 しかしその腕は、寸前で糸に絡み取られ、逆に肩の関節を外される。

 裂けるような激痛が走り、膝が勝手に床へ叩きつけられた。


 ──立ち上がれない。

 人狼の膂力を誇るこの身体が、まるで自分のものではないかのように。


 広間を揺らす衝撃音と共に、糸が束ねられた。

 人形師が伸ばした指先が鋭く弾け──次の瞬間、光速めいた拳が香月の胸を貫いた。人形師が呟く。


「──できぬのなら、終わらせてやる」


 空気が爆ぜ、肋骨が砕け散る音が広間に轟く。

 肉を抉り、背中へと突き抜ける衝撃。

 血潮が噴水のように飛び散り、床石を真紅に染めた。


 ──その瞬間、香月の身体が変化を見せた。

 激痛と共に、人狼化していた毛が逆立ち、牙が光を失い、筋肉隆起の膨張も消え失せた。

 全身を覆っていた力の奔流が、打ち砕かれた胸を起点に一気に吸い取られるように消え去る。

 ──人狼化が、解けた。


「……が、ッ……」


 香月の口から、赤黒い塊が零れ落ちる。

 その瞳の光が一瞬にして揺らぎ、力なく開かれる手からは鋭い爪が引き抜かれていく。


「少年……!」


 隅で見ていた陽子の喉が凍りつく。

 胸の中央を、真っ赤な穴が穿っている。

 ──心臓。

 そう思わせるほどの致命傷。


「見込み違いだな。その程度だったか」


 仮面の奥から、冷たい声が響く。

 血に濡れた拳を払い落としながら、人形師は崩れ落ちる香月を見下ろした。


 陽子は息を呑む。

 

 ──死んだ。

 

 そう思わせるに十分な光景がそこにあった。

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