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【第五章完結】現代魔術は隠されている  作者: 隠埼一三
Episode Ⅴ『人形師編』
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8.偽装の空路

 廃ペンションの裏手に広がる雑木林を抜け、香月とクレアは無言でカーシェアの車へ戻った。

 夜明け前の空気は湿っていて、風が吹くたびに潮の香りがまだ鼻に残る。


 成東駅近くの駐車場に車を戻すと、香月は念入りに車内を確認してからキーを操作し、ロックをかけた。

 カーシェアのアプリが返却完了を示したと同時に、スマートフォンの電源を落とし、SIMカードを抜き取る。


「ここから先は、通信も魔力痕も極力残さない。敵の包囲は成田周辺に集中しているはずだ」


 駅構内へと足を運びながら、香月はクレアに小声で指示を飛ばす。

 彼女はすでに音魔術による静音領域を展開しており、二人の会話は外には届かない。


『ボクは空港まで普通に行く。──でも、カヅキは?』

「途中の駅で外れる。何かしらの方法を使って、別ルートから合流する。心配するな」

『つまり……別行動だね』


 クレアの声に、香月はうなずいた。

 解析魔術を使って道中ですれ違う人間の身体構造情報を収集し、それを変身魔術に使う下準備は整っている。


 成東駅の電車がゆっくりとホームに滑り込む。

 車内には数人の乗客がいるだけだ。だが、魔術協会直属の監視部隊が潜んでいないとは限らない。


「このまま空港まで行くと、どこかで待ち伏せているはずだ。だから撹乱する」

『じゃあ、合流は……?』

「空港の制限エリア内だ。フランス行きの便の搭乗口で落ち合うぞ」


 香月は電車の乗り口に一歩踏み出す直前、左手を軽く振る。


「念のため──クレア、お前の方に何かあれば即座に名古屋に帰れ。俺の方に何かあった場合もそうする」

「わかった。……でも、気をつけて」


 クレアが頷く。視線の奥に、決意と緊張が混じっている。


 香月は、乗り込んだ車内でシートに座る。空間跳躍魔術を使うのは何駅か乗ってからだ。この山奥の駅では人に紛れる事も難しい。木の葉を隠すなら森の中、人を隠すなら人混みの中だ。

 一定距離を移動した段階で、電車を降りて監視の目を掻い潜り空間跳躍魔術を使う。

 痕跡を偽装しながら別の地点に現れ、そこから変身魔術を駆使しながら他人として再び空港を目指す。


「──敵の目を、欺けなければ終わりだ。だが、欺ければ突破できる」


 小さく息を吐き、香月は目を閉じた。

 列車が動き出す。

 成東駅を離れ、次第に都市部へと近づいていく中、二人の逃走劇は次の段階に入ろうとしていた。


     ◆


 車内のディスプレイが次の停車駅を告げる。次の駅は比較的栄えた街並みだ。乗降者もそれなりに多いだろう。

 香月は無言で立ち上がると、クレアにだけ視線を送った。


 小さな頷き──それが合図だった。


 電車が減速をはじめ、ホームに滑り込むのと同時に、香月は人波の中に紛れるように車外へと出た。

 クレアは振り返らなかった。香月の姿がドアの向こうに消えるまで、ただ静かに前を向いていた。


 駅を出ると、香月はすぐに視線を巡らせ、周囲の監視気配を探る。

 わずかな魔力の揺らぎすら許さず、ただ空気の変化に神経を研ぎ澄ませる。


「……誰もついてきてはいないな。今のところは」


 通りに出たところにあった小さなコンビニに入り、雑誌棚から関東の道路地図を取り上げる。

 香月はレジに無言で現金を置くと、即座に店を出て、裏路地へと足を踏み入れた。


(空間跳躍を使ったとしても、どうしても魔力の残滓が残る。残滓から逆算される可能性だってある。上手く撹乱しねえとな……)


 そんな思考を巡らせながら、香月は壁際に身を寄せ地図のページをパラパラとめくる。

 成田市街の周辺に印をいくつか書き込み、その上で曖昧にだが跳躍先の座標を決める。背中の自在術式を意識し、脳裏に空間跳躍魔術の魔術陣を思い浮かべる。そして、ぽつりと呟く。


「Leaping《空間跳躍》」

 

 跳ぶ先が整い、香月の姿が一瞬の風に溶ける。

 次の瞬間、人気のない路地裏へと跳躍した。そこで姿を確かめる暇もなく、再び指先で地図を指し示す。


「……次はここだな」


 跳躍、また跳躍。

 既に三度目。視界が揺らぐたびに、体の芯から血の気が引いていく。三度目の跳躍の直後、地面に膝をつきそうになる。吐き気と眩暈。血圧の低下だ。

 

(……ヤバい、視界がにじむな。もう一発撃ったら気絶しかねない)

 

 だが、まだ止まるわけにはいかない。追撃の気配は──すぐそこまで来ていると考えて良い。

 一回の移動で残す痕跡を最小限に抑え、幾度も空間を跨いでいく。時折、フェイクを挟むように敢えて最短経路を選ばずに。

 体力と魔力を削る手法だが、ある程度の速度と隠密性を両立するにはこの手しかなかった。


(──普通に電車で行くより遠回りだが、成田の東側、旧道沿いから空港へ接近するべきだろうな)


 そうして二時間をかけてたどり着いたのは、成田市郊外の古びた神社の裏手だった。

 森に囲まれた境内は人の気配も薄く、結界も手入れが行き届いていない。香月は苔むした鳥居を背に、視線を空へ向ける。


 術を発動させながら、香月は思う。


(──空間跳躍の長距離移動、しかも連続使用は魔力の消耗が激しい。血が足りなくなる。どこかで肉を買い込まないといけないな)


 呼吸を整え、最後の座標を思い描く。


「Leaping《空間跳躍》」


 発動と同時に、重力が反転したような感覚が体を包む。

 視界が瞬き、世界の色調が一瞬だけ裏返る。


 次の瞬間、香月の足が、成田空港制限エリアの外縁に着地した。


 ──搭乗ゲート手前、貨物搬入路の影。人通りのほとんどない職員用通路にある、排気口の脇だ。

 すぐに姿勢を低くし、周囲の気配を探る。警備魔術の術式網と、物理的な監視装置の配置を確認する。


(時間は──まだある。クレアも、無事に着いていればいいが……)


 変身魔術を使う前に、香月は一瞬だけ肩で息をついた。

 空間跳躍の連続使用によって、魔力だけでなく体内の血の気も目に見えて薄れている。吐き出す息が、どこか鉄の匂いを含んでいた。


 だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。

 香月は背中の術式を再起動し、解析魔術で得た情報を記憶補助の魔術陣から呼び出す。

──身長、骨格、服装、そして歩行パターンまで忠実に思い浮かべる。


「Trance《変身》」


 呟きと共に、空気がきらめくように揺れた。

 次の瞬間、香月の姿はまるで別人にすり替わっていた。日焼けした肌に、グレーのスーツ。人混みの中で道すがらすれ違ったサラリーマンの男になっていた。


 手には鞄を下げている。どこにでもいる、無口で地味な中年男の風貌。これなら、多少無愛想でも誰も怪しまないだろう。


(登場時間まで後二時間ちょいってところか──)


 香月は変身魔術の効果を維持したまま、成田空港第2ターミナル国際線出発ロビーの雑踏を歩いていた。

 顎を引き視線を下に向ける。無口なサラリーマンの風貌を保ったまま、人混みに自然と溶け込む。


(クレアは先に到着しているはずだ。チケットも、俺の分まで取ってある)


 出発ロビー中央、柱の陰──そこに、一人の少女が立っていた。

 ショートボブに眼鏡、地味な黒いパーカーに小型キャリー。雰囲気はまるで、初海外の大学生のようだ。だが、香月にはすぐに分かった。


 クレアだった。


 クレアは、香月に視線を向けることなく、すれ違いざまに鞄の中から小さな封筒を滑らせて手渡す。

 中には、印刷済みの航空券とパスポート。どちらも魔術的に偽装された情報で登録されている。


『受託荷物は預けずに手荷物だけ。カヅキはそれでいい、よね』


 彼女は、少しだけ視線を寄越し、伝声魔術でそう囁いてきた。


「十分だ。助かる」


 香月は口の中で短く答え、書類を確認。ゲート番号は「47」、搭乗開始まで1時間と少し。


 二人は合流の余韻すら残さず、別々に動き始めた。

 香月は、出発ロビーから保安検査場へと向かうエスカレーターへと足を向ける。


(ここからが本番だな──)


 香月は構内のトイレに入り、鏡の前で立ち止まる。

 今の姿は、変身魔術で作った中年のサラリーマン──だが、これから通るのは出国審査だ。


(このままじゃ、照合がズレる。顔だけ戻す)


 思い浮かべる。このグレーのスーツのサラリーマンと同じ体格、同じ服装のまま、顔だけは本来の自分自身の顔にする──


「Trance《変身》」


 わずかに空気が揺らぎ、皮膚の色調と骨格が変わる。

 鏡に映ったのは、サラリーマンのスーツを着たままの──大神香月本人の顔だった。


(よし)


 香月は個室を出て、自然な足取りで出国審査場へと向かう。

 パスポートと搭乗券を手に、自動化ゲートに立つ。


 読み取り端末にパスポートを置き、カメラの前で一瞬だけ目を見開く。

 センサーが起動し、顔認証が始まる。


『認証中──』


 一瞬、背中に視線のようなものを感じた。明確に「監視されている」と悟らせる、魔術的な気配だ。


(……来たか)


 魔術協会直属の追跡班。自分に割かれている戦力なら、空港に数人張っていてもおかしくない。

 だが、焦る素振りは見せなかった。


「通過を確認しました」


 無機質な電子音とともにゲートが開く。

 香月は一歩、足を進める──その瞬間だった。


「すみません、お客様」


 背後から声がかかる。

 振り返ると、私服姿の男が一人、笑顔を浮かべながら近づいてくる。笑顔は穏やかだが、左耳にだけ妙に派手なピアスが揺れていた。

 口調だけでも係員のふりをしているが、視線がまったく笑っていない。咄嗟に思いついた作戦か何かだろうか。


(──確実に協会側の人間だな)


 香月は足を止め、少しだけ驚いたような顔で振り返る。変身魔術を使う暇はなかった。誤魔化せるだろうか。


「……何か?」

「いえ、少しだけ、持ち物の確認を──」


 男が胸ポケットに手を伸ばした瞬間、香月は小さく体をひねった。

 足元でバッグのストラップを引っかけたふりをしながら、腰の角度で短距離の空間跳躍魔術を発動させる。


(騒ぎにはできねえ。あいつの動きを鈍らせるだけでいい)


「Leaping《空間跳躍》。Silence Sphere(静音領域)」


 ぽつりと呟く。

 空間魔術から音魔術へ、自在術式を瞬時に切り替えながら二つの魔術を発動させる。それと同時に、香月の体がわずかにふわりと浮き、その姿が掻き消える。1メートルにも満たない、瞬間的な位置移動をする。


 結果──男の目には、香月が視線の死角に自然と移動したようにしか見えなかっただろう。


「……どこへ行った?」


 男がきょろきょろと辺りを見回す。

 香月はすでに別の列に紛れて歩き出していた。表情ひとつ変えず、機械的に進む他の旅行客の列の中、すでに背後を取られていたことに気づいていないふりをしている。


 気配が遠ざかっていくのを感じながら、香月は心の中で舌打ちした。


(奴ら、本気で追いに来てるな。下手すりゃあの場で騒ぎになっていた)


 だが、すでにゲートは通過した。

 今さら追うには、連中も「表向きの理由」が必要になるだろう。空港という人気の多い場所では、付け焼き刃で下手に騒ぐことは許されない。入念な下準備ができている作戦ならともかく、曖昧な疑いだけで騒ぎを起こせば逆に自分たちが目立つ。


(撹乱が効いてる証拠だな。あいつらも探り探りってわけだ)

 

 制限エリアに入ると、香月は人混みに紛れるように歩きながら、再び姿を変える。

 

「Trance《変身》」

 

──変身魔術を発動し、さらに別人の姿と変わる。さっきとはまた異なる、空港内で見かける案内職員に似た風貌だった。

 この雑踏の中で、逆に目立たない存在とも言える。


(この姿なら、話しかけられることはまずない。職員に見えても、それが逆に「風景」として溶け込む──これならもう追えないだろう)


 搭乗ゲートは「47」。

 電子掲示板が、搭乗開始まで残り四十分を示していた。

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