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【第五章完結】現代魔術は隠されている  作者: 隠埼一三
Episode Ⅴ『人形師編』
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1.始まりの喪失

──雨が降っていた。


 暗い空を切り裂くように、機体の片翼が炎を噴いた。黒い煙が尾を引き、金属が悲鳴のように軋む。

 飛行機は、斜めに傾いた。


 母が叫んだ。

 父が、香月をかばった。


 そして──世界が、裏返った。


 窓が砕け、音が消えた。

 光も、色も、体温も、香月の中から流れ出していった。

 気がつけば、腕の中に母はいなかった。

 父の手も、もうなかった。

 どこか遠くでサイレンの音がしていた。

 けれど、それが自分に向けられたものだとは──しばらく、わからなかった。


 あの日から。

 香月の世界には、誰もいない(・・・・・)時間が始まった。


 病院の白い部屋で、香月はひとりだった。

 誰が来ても、彼は何も言わなかった。

 呼ばれても、食事が出されても、ただじっと、壁のシミを見ていた。


 やがて彼は『親のいない子供』という分類に収まり、「引き取られる」ことが決まった。


 行き先は──グレイヒル修道院。

 霧に包まれた英国の片隅。石造りの、冷たい建物。

 そこには「子供たちが暮らしている」と説明されたが、あまりに静かすぎた。


 誰も、笑っていなかった。


 話しかけてくる声も、まるで機械のように無機質で。

 大人たちは修道服に身を包み、香月に祈るよう命じた。


 けれど、祈った先に両親はいなかった。

 何度手を合わせても──誰も、帰ってはこなかった。


 ──ある日。


「君に、新しい保護者が決まった」


 院長がそう告げたとき、胸の奥が、ほんのわずかに軋んだ。

 もう一度、家族ができるのかもしれない。


 けれどその誰かは、笑っていなかった。


 黒いスーツに、黒い手袋。

 顔を覆う仮面の奥、その瞳には何の感情も映っていなかった。


「いい子にするんだよ」


 見送りのシスターは微笑んでいたが──

 その笑顔さえも、どこか作り物のように見えた。

 車に乗せられ、森を抜け、石の坂道を下りた先。廃工場のような、鉄とコンクリートの建物がそこにはあった。


 扉が開く音がした。

 香月は、その中へと連れて行かれた。


    ◆


 記憶は、そこから断片的になる。


 最初は、言葉を投げかけられた。

「身体を強くしてやろう」「お前には素質がある」

 その声は、金属を擦るような響きだった。人の口から出た音だとは思えなかった。

 香月は首を振り、帰りたいと伝えた。けれど、その声は届かなかった。


 次に始まったのは、検査だった。

 血を抜かれ、体を撫で回され、目の奥に、奇妙な光を差し込まれた。

 ──それが魔術による施術だったと知るのは、ずっと後のことだ。


 そして、加工(コーディネート)が始まった。


「これはお前の未来のためだ」

 

 声はやさしげだった。けれど、その手は冷たく、香月の腕を躊躇なく切開していた。

 全身を拘束され、幾本もの針が刺さる。

 骨に異物が埋め込まれ、筋肉が裂かれ、背骨に冷たい鉄が這い上がっていった。

 痛みはあった。だが、それ以上に恐ろしかったのは──

 自分の身体が、自分のものではなくなっていく感覚だった。


 右腕が重い。

 左足が、別の素材でできているかのように馴染まない。


 鏡はなかった。

 けれど、それでも分かった。これはもう──母の手を握っていた手ではない。

 父に肩車されたときの、あの足ではない。


(……俺の身体は、誰のものだ?)


 叫ぼうとしても、声は出なかった。

 喉の奥に、何か硬いものが詰まっている気がした。


 部屋の隅には、別の子供がいた。

 無表情で、ただ順番を待っているようだった。


 その子が、どうなったかは思い出せない。

 ただ──ある日、その子はいなくなり、香月の腕が、少しだけ軽くなっていた。


 それが何を意味するのか。

 彼は知っていた。

 だが、それを認めた瞬間、自分が壊れてしまいそうで──目を閉じた。


 部屋の明かりは、ぼんやりと青白かった。天井には、焼き焦がしたような術式の痕跡。

 香月は、その模様がなぜか泣いている顔に見えて、視線を逸らした。

 壁には、子供の背丈に合わせた枷とベルト。床には、乾いた血の跡。


 香月は、自分の胸に手を当てた。


 鼓動はある。息もある。

 けれど、それが『自分』だという確信は、もうどこにもなかった。


 この工房にいた子供の一人が、こんなことを言っていた。


「神を封じるには、器がいる」と。


 ──もし自分が、その器なのだとしたら。

『大神香月』という人間は、もうどこにも存在していないのかもしれない。

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