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【第五章完結】現代魔術は隠されている  作者: 隠埼一三
Episode Ⅳ『神の檻編』
125/160

16.神の檻の教祖⊕

 神殿の最奥部にたどり着いた香月とシャルロットは、その異様な光景に思わず足を止めた。


 人形師が、すでに誰かと激しい戦闘を繰り広げていたのだ。


 闇の中で、魔術の奔流が唸りを上げてぶつかり合い、空間が歪み、裂けていく。仮面の奥から放たれる人形師の殺意と、対峙する敵の猛々しい魔力が衝突するたびに、神殿全体が悲鳴を上げるようだった。


 香月は唇を強く噛みしめた。あの男が、ここまで追い詰められているとは──だが、それ以上に目を引いたのは、その敵の存在だった。


「……誰だ、あの男は」


 低く震える香月の声には、動揺はなかった。ただ鋭い警戒の色だけが滲んでいた。


 敵は一人。黒銀の刺繍が施された荘厳な礼装をまとい、背には巨大な十字架の装飾を背負っている。放たれる魔力は鋭利で、暴風のように周囲を蹂躙していた。──ただの信者ではない。明らかに、高位の魔術師だ。


「……あれは、神の檻の教祖……オル・カディス……!」


 シャルロットが、吐息に似た声で名を呟いた。


 オル・カディス──自らを「神の魂の断片」と称する、神の檻の頂点に立つ存在。その名は、香月がかつて垣間見た古代魔術師の記憶の中にも刻まれていた。


 二人は、魔術の激突を繰り広げる戦場に目を向ける。


 その魔力の衝撃波が空間そのものを軋ませ、神殿の柱や壁までもがひび割れていく。人形師は、仮面の奥に一切の感情を見せることなく、指先から繰り出す魔力の糸でオル・カディスの術式を切り裂き、封じていた。


 一方のオル・カディスは、全身に彫り込まれた魔術刻印から、火と雷を融合させた強力な魔術を次々に展開している。呟くような簡素な詠唱に、刻印が即座に反応し、自動的に補完することで、まるで機関銃のように絶え間なく術式が放たれていた。


「……第四世代魔術の応用ですわね。多重発動……普通の魔術師なら、術を展開した瞬間に全身の血が干からびて死んでしまう代物ですわ……」


 シャルロットがわずかに眉を寄せる。これは、まさに魔術戦の頂上決戦と呼ぶにふさわしい。


 オル・カディスの肉体は一歩も動かない。魔術刻印が魔力の流れを最適化し、彼自身を一つの巨大な魔術装置と化していた。否──もはやそれは、魔術によって擬似的に作られた人間の枠を超える存在にすら見えた。


(あいつ……古代魔術師の分魂体だよな……? だが、なぜ人形師が敵対している?)


 香月の額に汗が滲む。空間に満ちる魔力は、ただ強大なだけではない。歪んでいる。

 その瞬間、オルの額に刻まれた神紋が強く輝き、空気が一変する。


人形師(ドールマスター)。貴様がこの地に直接姿を現すとはな……我らが神に牙を剥くとは思わなかったぞ」


 澄んだ、鈴の音のような声。その美しさの裏に、冷たく毒が潜んでいた。


「だがよかろう。我は祝福しよう。貴様がこの地で滅びることを──神の名において」


 刻印が連鎖を始め、神殿の壁がひび割れる。


「来る……!」


 シャルロットが咄嗟に香月の前に出て、魔道具で結界を張る。


 次の瞬間、上空から無数の光槍が降り注いだ。物理法則を無視するように軌道を変え、逃げ場を封じる。


 だが──


「……甘いな」


 人形師の冷ややかな声が仮面の奥から漏れた。指先から放たれた魔力の糸が空間を縫い、光槍の軌道を絡め取っていく。


 その動きは、まるで計算し尽くされていたかのように緻密だった。空間に描かれる幾何学模様が、光槍のエネルギーを絡め取り、圧を殺し、分解していく。


「な……っ!?」


 オル・カディスが目を見開く。


「構造を分解……!? 迎撃ではないだと……!?」

「お前の魔術は──俺には敵わない」


 冷たく放たれた言葉と同時に、人形師が手を振る。魔力糸が変質し、鋭利な刃へと変わる。

 その一撃が空を裂き、オル・カディスの胸元をかすめた。


「──がっ!」


 その体が後方へ吹き飛ぶ。直撃ではないはずなのに、礼装の結界が焼き切れる。放たれた魔術の糸が礼装を切り裂き、そこに編まれた魔術陣を無効化する。


(……やはり、人形師の戦い方は異質だ。現代の体系では説明できない魔術……まるで未来から来たかのようだ)


 香月は息を呑む。


「シャルロット……あいつ、本気で殺るつもりだ」

「ええ。でも……まだ終わっていませんわ」


 倒れたオル・カディスの体が、不自然に持ち上がる。血塗れの神紋が、紅く、より深く輝きを増していた。


「……我が肉体は器に過ぎぬ。我が力は、神域へ至るッ!」


 焼け爛れた刻印から滲み出るのは、魔力ではない何かだ。


「……!」


 神殿が脈動を始める。床が心臓の鼓動のように低く重く震え、オルの体が軋む音を立てて立ち上がった。


 その姿は、もはや人間から崩れていた。


 裂けた皮膚から、黒い触手状の魔力が溢れ出す。神紋は血と炎に包まれ、異形の印へと変貌。刻印は脈動し、周囲の空間すら侵食し始めていた。


「……何に憑依するつもりだ」


 人形師が視線を揺らす。


「憑依? 違うな」


 オル・カディスがゆっくりと天を仰ぐ。


「神胎の器は完成しなかった。だが、それで終わりではない。神胎の完成は……我が身をもって……代行すれば良いのだ……ッ!」


 その声とともに、肉体が音を立てて裂けた。赤黒い魔力が触手と化し、蠢く。


「魔力が……暴走しているのか?」


 香月はすぐに魔力の流れを読んだが、それは意思を持っていた。生きているかのように、魔力が周囲に広がっていく。


「……外に出るつもりか!」


 次の瞬間、部屋全体が軋んだ。魔力の触手が壁や床の隙間を這い回り、隣室──培養ポッドの並ぶ部屋へと伸びていく。


「まさか……っ」


 シャルロットの表情が険しく歪む。


 ──ずるり。


 重い何かを引きずる、不快な音。魔力の触手が、血塗れの人型の肉塊を何体も、何体もずるずると引きずって戻ってきた。


「……! あれは……クローンの……!」


 破壊されたはずの、未成熟な始祖人類のクローンたち。潰れた骨、飛び出した内臓、露出した脳──それらはまるで『食材』のように無造作に寄せ集められている。


 オル・カディスは膝をつき、腹部に刻まれた裂け目がぱくりと開いた。そこから覗いた第二の口が、ためらいなく肉塊に食らいつく。


「嘘だろ……!」


 香月の声は震え、凍りついていた。


 儀式などではない。貪り食うことで、幹部信者の体は異様な膨張を始めていた。

 人形師はわずかに沈黙し、それから息を吐く。香月とシャルロットの方を向くと、仮面の奥から視線が返される。


「……お前たちは、下がれ。死にたくないならな」


 その言葉に、香月は答えなかった。

 あの憎い男から情けをかけられている──それでも気に入らないが、どうして人形師がそんな事を言ってくるのかも理解ができなかった。

 代わりに、空間を満たす気配を全身で感じていた。


(……これで四度目……とかになるか?)


 思わず、過去の戦いを脳裏に思い浮かべた。

 喉の奥がかすかに焼けつくような、濃密すぎる魔力の圧。それは、これまで何度か彼が直面した始祖人類の血による魔力と同じものだった。それは時に賢者の石により増幅された魔力。そして、ディヴイッド・ノーマンが始祖人類の血を取り込んで自我も理性も摩耗させながら、ただ力だけを膨張させていった時の──あの、得体の知れない空気。


 神の名を騙り、始祖人類のクローンの血肉を喰らい、呪いのような異質な魔力で異形へと至ろうとするオル・カディス。その姿は、もはや人間ではない。

 なのに、その在り方には、妙な既視感があった。いや、あまりにも『同じもの』を感じるのだ。力に魅入られ、自我を保てなくなるそのプロセス……まるで、始祖人類の血が導く必然の末路かのように。


(……同じだ……いや、これは……それ以上かもしれない)


 香月は唇を噛んだ。かつて対峙してきた敵と同じ──いや、それをも凌駕する異質さが、オル・カディスの身体から発せられている。


 人間の形をしていながら、もはやその魂は人ではない。人であることをやめた怪物──


 だが、その異形を前にしても、シャルロットは微塵も怯えを見せなかった。


「……このままでは、神殿そのものが崩落しかねませんわ。未だ捕まっている日本本部の構成員たちが巻き込まれれば──危険です」


 そう告げる彼女の表情には、冷静を装う意志と、拭いきれぬ焦燥が入り混じっていた。


 シャルロットが魔道具にそっと触れると、淡い光を放つ防御結界が神殿内に再び展開される。広範囲を包み込むその結界は、爆発的な魔力の暴走にも耐えうる強度を備えていた。どうやら、あの異形をここに封じ込めるつもりらしい。



挿絵(By みてみん)



「カヅキ……万が一の場合は、神殿ごと封印します。あれは──外に出してはいけない存在ですもの」


 それは、命を捨てる覚悟と表裏一体の宣言だった。魔術協会の構成員としての責務を、彼女は決して投げ出さない。その声音には、一点の迷いもなかった。


 香月は、その言葉の重さに目を細める。


「シャルロット、お前……」


 彼が何かを言いかけた瞬間、神殿全体が──低く、地の底から響くような唸りを上げた。オル・カディスの肉体が完全に異形へと変貌し、その中央──もはや「人」であった面影をわずかに残す顔のあたりに、不気味な目が開いた。

 その目が開いた瞬間、香月の全身に電流が走ったかのような戦慄が走る。


 見られた──そう思った。


 あれは、ただの視線ではなかった。魂の奥底を覗き込まれるような──言葉では説明できない、凍てつくような悪寒。理性を灼く暴力的な存在の圧が、たった一つの眼球から溢れ出していた。

 香月は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

 この異常を突破するには、選択肢は一つしかない。覚悟を決めるべきだ。


「……おい、人形師ッ!」


 叫びと同時に、仮面の男がちらりと振り返る。だがその目──いや、仮面越しに伝わる気配には、相変わらずの冷淡な拒絶があった。


「共闘するぞ。言っておくが……お前を許したわけじゃねぇ。アイツを倒したら、次はテメェの番だ」


 返答はない。人形師はただ静かにオル・カディスを見つめたまま、ゆっくりと右手を掲げる。


 その瞬間、彼の背後で漂っていた黒い魔術の糸が一斉に動き出した。空間を裂き、空気すら凍てつかせる殺気をまといながら、異形へと収束していく。

 戦闘態勢──人形師はその意思を、行動で示した。


「……せめて返事くらいしろよな」


 香月は舌打ちを一つ。そして魔力を全身へと巡らせる。


Enhance(エンハンス)《肉体強化》」

 

 発動の言葉を呟くと、背中の魔術刻印が淡く青白い光を放ち、身体強化魔術が展開される。


 人形師が戦う意思を見せた以上、こちらも迷っていられない。


 神殿の空間が軋むように揺れた。オル・カディスの肉体はなおも変異を続け、無数の黒瘤が蠢き、魔力は物理法則の限界を超えて膨張していく。

 その中心で開かれた「目」が、すべてを見透かすように輝いていた。


 香月は、汗に濡れる額を拭いもせず、シャルロットと人形師の動きを目で追った。

 たとえ一時の共闘であっても、人形師と肩を並べるなど本来あり得ない話だ。子供の頃に植え付けられた恐怖は、今なお彼の脳裏にこびりついて離れない。


 それでも、今は背を預けるしかない──

 そう思わせるだけの異常が、目の前には広がっていた。

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