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【第五章完結】現代魔術は隠されている  作者: 隠埼一三
Episode Ⅳ『神の檻編』
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11.神の檻、潜入前夜

 夜の帳が完全に降りた頃、三人は神奈川支部に戻る。雑居ビルの七階、無人のフロアを抜け、奥まった一角へと足を運ぶ。支部長から伝えられた合言葉を呟き、扉脇のリーダーにIDカードを滑らせる。カチリ、と小さな音を立ててロックが外れた。


 扉が開いた瞬間、世界がわずかに歪む。空間が反転し、現実とは微妙に異なる異界の気配が、足元から這い上がってくる。


 神奈川支部の集会所(ロッジ)──異界化されたその空間は、現実の構造をなぞっていながら、どこか密やかに隔絶されていた。肌を撫でる魔力の波紋、そして外界からの月光が差し込むかのような柔らかな光が、静かに室内を満たしている。


 中央の丸テーブルには、作戦図とデジタルデータに抽出された地形データがタブレット端末に表示されて、香月・クレア・シャルロットの三人が向かい合っていた。


 クレアは前髪を頭頂で束ね、端末の画面に指を滑らせていた。波形データと施設の構造図を交互に見比べ、何度も補正と再構成を繰り返している。音魔術のシミュレーションだ。


 彼女の音魔術は、現行の魔術理論ではほとんど解明されていない。というのも、クレアほど精密に音を聞き分けられる者自体がほとんど存在しないからである。たとえ魔術剽窃によって音魔術をある程度扱える香月であっても、クレアのようには使いこなせない。


 そのため、彼女が扱う高等な術式は、既存の体系から大きく逸脱した、ほぼ完全な独自理論に近いものとなっている。だが、それこそが──この作戦において、彼女が不可欠な戦力と判断された理由だった。


『地下の用水路……やっぱり、ここなら潜入も遠隔での魔術も通しやすいかな。前の合同作戦でも使ったルートだし、音魔術なら結界の干渉も少ないと思う』

 

 クレアは小さく独り言を発すると、香月とシャルロットに向き直った。


『敷地の建物内が異界化されてないのは、ほんとに助かるよね。たぶん、ボクの音魔術でナビゲートできるけど……ずっとクリアにやり取りできるかは保証できないと思う。カヅキ、いざって時、支援が間に合わないかもしれない』

「ああ、わかってる。何とかするさ」


 香月は短く頷いた。その声には微かな力がこもっていた。冷静を装っているが、内心は波立っている。視線を「神の檻」の構造図に落とすが、意識は散漫だった。


 ──思い出すな。


 そう自分に言い聞かせても、脳裏に焼きついたあの男の姿が離れない。


 人形師──


 未だ正体不明のまま魔術界の闇に巣食い、子どもの肉体を「商品」として加工し続ける外道。かつて、自分もその犠牲者の一人だった。


 冷たい金属が肌を裂く感触。神経が焼かれるような痛み。意識があるのに、声ひとつ出せなかったあの絶望。忘れていたはずの記憶が、先ほどの対峙で一気に蘇った。


 ……あの無力感。


 そして、今もどこかで同じ被害が続いているかもしれない現実。


 香月の視線が構造図の一点で止まった。網膜の裏に、あの記憶が焼きついて離れない。握りしめた拳に、自然と力がこもる。


 一瞬、室内の空気が沈んだ。


 その変化に気づいたクレアが、香月の横顔をそっと見つめる。いつもの軽口はなく、真剣な声で問いかけた。


『……カヅキ、思い出してる? さっきの……あいつ。やっぱり、見間違いじゃなかったんだよね』


 その声には、微かに震えがあった。

 香月は答えなかった。ただ、眉をわずかに寄せる。

 それでも、クレアは言葉を続けた。


『でもさ……カヅキは、もうフォードの屋敷に来たばかりの頃のカヅキじゃない。ボクは知ってるよ。カヅキがボクに音魔術をくれたあの時みたいに……今度は、ボクがカヅキを支える番だよ』


 その言葉は、静かに、けれど確かに香月の胸に届いた。

 隣ではシャルロットが資料を読みながらも、ふと口を開いた。


「カヅキと人形師の因縁については、私も聞いています。でも……たとえ過去がどれだけ恐ろしくても、それに向き合える人だけが前に進める。貴方には、その力がありますわ」


 香月は、ゆっくりと深く息を吐いた。そして、二人に向かって静かに口を開いた。


「すまない……いや、ありがとう二人とも」


 かぶりを振って、頭を切り替える。


(……俺はもう、あの頃のままじゃない。犠牲者で終わるつもりはない。今は、目の前の作戦に集中しろ)


 再び視線を資料に戻し、施設内部の排水路と通気ダクトが複雑に交差する区画へと目を凝らす。


 その隣で、シャルロットは紅茶のマグを手に取り、もう片方の手には一枚のビスケットをつまんでいる。しかしそのビスケットは、唇に届く前で止まったままだ。彼女の瞳は真剣そのもので、先遣隊が持ち帰った断片的な情報を、確かな洞察力で読み解いていく。


「この防御結界……相当手強いですわね。魔力の流れが不自然に歪められている。地脈までねじ曲げるようにして、外からの干渉を完全に拒んでいるようですわ」


 眉をひそめたまま、シャルロットは紙に複雑な術式を素早く書き込んでいく。彼女の役割は、本隊の到着までに神の檻施設に張られた結界を解除することだった。


「中和には、その場での結界解析をしてからでしか手がありませんわ。これには時間がかかります。外郭の結界の制御は、わたくしが引き受けた方が良さそうです。敷地正門からの正面突破は論外ですわね」

「となると……時間稼ぎも含めて考えれば、やはり用水路ルートしかないか」


 香月が地図を拡大し、青葉区の裏手に広がる旧農業用地に繋がる古い用水路を示す。現在も一部が通行可能であることが示されていた。


「問題は、教団側がそのルートをどこまで把握してるか、だな」

「以前の先遣隊が使ったルートですから、もしかしたら敵に把握されている可能性はあるかもしれないですわ。目立った警備はないようですが、何らかの探知術式が仕掛けられていてもおかしくありません」


 シャルロットの言葉に、クレアの表情が曇る。


『なあ、シャルロット。だったら、どのルートが安全なんだよ』

「……難しい判断ですわね。でも、選べるルートは限られてますし、やはりここが妥当かと」


 シャルロットが小さく肩をすくめ、ようやくビスケットを口に運ぶ。さくりと小さな音がして、張り詰めた空気に微かな温度が加わる。


 香月は軽く息を吐き、二人に告げた。


「……いや、予定通りに行こう。俺とシャルロットが用水路から入る」


 その声は低く静かだったが、揺るぎない意志が込められていた。クレアとシャルロットは視線を交わし、そして頷く。


「奇をてらわず、リスクを最小限に。それが一番成功率が高い。警戒されてる可能性はあっても、正面突破よりはずっとマシだ」

「……異論はありませんわ。結界への侵入と中和には、わたくしが用意した魔道具を使います。侵入には偽装結界を使いますわ。起動すれば、十数秒間だけ結界を誤魔化せます。その間に侵入すれば大丈夫ですわ」

「助かる。中に入ったら、俺が施設内に入って変身魔術で信者に化けて先行する。シャルロット、お前は後方で待機、控えて貰っている本隊の突入の為に結界を中和してくれ。それが終わったら状況を見て脱出して良い」

「いいえ」


 シャルロットは毅然とした声で言った。


「わたくしも一緒に潜入します。結界の解除を現地で行ってから、そのまま香月と合流しますわ」


 香月が眉をひそめる。


「お前は本隊と合流する手筈じゃなかったか。結界の魔力の中和を維持すれば十分だ」

「本隊が動けるのは、わたくし達が侵入してから6時間後が予定でしたわよね? それまでにカヅキの身に何が起きるか分かりませんわ。それに人形師の事もあります。……わたくしだってカヅキの事が心配ですのよ?」


 シャルロットの瞳は真っ直ぐ香月を見据えていた。


「わたくしたち三人で上手く立ち回れば、後続で本隊を送り込む必要もありませんわ。──それこそ、事後処理だけを任せても問題はありません」


 一瞬の沈黙のあと、香月は小さく息を吐いた。


「……わかった。ただし、突入後の指揮は俺が取る。あくまで俺達の任務は潜入と調査だ。不都合があれば、すぐに撤退するからな」

「異論ありませんわ」


 横で腕を組んでいたクレアが、口を開いた。


『ボクも反対はしないよ。今の魔力分布を見る限り、内部には複数の結界による隔壁があると思う。本隊突入まではこの三人だけなら、慎重にしても問題無いと思う』


 香月はタブレットを操作し、通気ダクトと排水路が交差するポイントを指差す。


「潜入ルートは、ここ。ここが一番結界の魔力が薄い。四時に侵入を開始、そして結界内に入った五分以内にシャルロットが中和を開始して、俺が先行してシャルロットが潜入する方法も確保する」


 そして、もう一度念を押すように言った。


「本隊の突入は午前十時。それまでに結界を抑制、俺たちが神の檻の施設の調査を終える。手筈は以上だ。いいか、任務は必ず果たす。そして、絶対に生きて戻るぞ」


 三人は無言でうなずいた。


 夜の帳の向こう。

 人知れず姿を潜める神の檻に向かって、先遣隊は出発する事となった。

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