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【第五章完結】現代魔術は隠されている  作者: 隠埼一三
Episode Ⅳ『神の檻編』
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10.その夜少女は焼かれ、人形師は黙す⊕

 湿った夜風が、コンクリートの谷間を吹き抜けていく。

 ネオンと酒と人の熱気が絡み合う繁華街・福富町は、まるで都市そのものが心臓の鼓動を刻んでいるかのようにざわめいていた。

 しかし、その表層に浮かぶ喧騒の奥には、誰も気づかない歪みが、確かに息をひそめていた。


 異常な魔力の感知と魔術転移痕の異常反応。

 それは神奈川支部が設置している魔力感知網の一部が、通常の空間座標を逸脱した転移魔術の痕跡を検知したことに始まった。

 転移術式にしてはあまりに不安定で、方向も精度も一定せず、むしろ暴走に近い。

 報せを受けてただちに現地へ派遣されたのが、香月、クレア、そしてシャルロットだった。


「雑な魔術……座標の固定も出来ていませんわ。これは明らかに、習熟した術者の仕事ではありません」

 

 シャルロットは不快そうに眉をひそめながら、舗道に膝をつき、地面に染み付いた魔力の痕跡を指先でなぞった。魔力感知の魔術薬で浮き上がらせたものだ。

 ほのかに赤紫色に発光する魔力粒子。だがそれらは、まるで苦しげに逃げ惑うように、どの方向にも不規則に散っていた。

 残滓のかたちもどこか歪に見える。


「暴走、あるいは……焦りによる発動のようにも見えるな」

 

 香月が低く呟く。

 脳裏に浮かぶのは、あの中華街で見た少女の姿だ。


「だが──なぜ、こんな逃げ回るように何度も発動させている?」


 香月が疑問を口にしたその時だった。


 細い裏路地の奥、ひとつだけ切れた街灯が、不自然な闇をつくり出していた。鈍く湿った空気の中、ぽつんと浮かぶ白い影が、まるで幻のように姿を現す。

 白銀の髪。血のように紅い瞳。

 まるでイヴを模したかのような少女。

 その存在に気づいた瞬間、三人の心臓が同時に跳ねた。少女もまた、こちらを見て硬直する。見開かれた瞳に映るのは、驚愕──それと、言いようのない恐怖。

 まるで雷撃でも浴びたかのように、少女は身を翻し、裏路地の奥へと駆け出した。


『い、いた──っ!』

「追うぞ!」


 思わず声を上げた。次の瞬間、三人の身体が反射的に動く。

 アスファルトの上に湿った足音が乱れ飛ぶ。風が追い越し、視界の端で乱雑に積まれたゴミ箱が弾け飛ぶ。鋭く、そして重い息づかいが混じる。少女は全力で逃げていた。

 路地は入り組み、急角度の曲がり角が連なる迷路のような構造だ。看板の落ちたシャッター通り、放置された自転車、すり抜けるように走る野良猫。そのすべてが障害物のように三人の進路を遮る。


「こっちに曲がった!」


 香月が叫ぶ。視線の先、少女の白髪がひらめいた。彼女は振り向きもせず、走りながら空中に術式を描き始める。魔力を込めた指先は震え、なぞる文様は焦りを映し出すように粗雑だった。

 円形の陣形、その中心には古式の象徴紋が走る。しかし、明らかに不完全。不要な言語が混じり、安定処理もなされていない。ハッキリ言って素人のそれだ。まるで、自己流で急ごしらえした転移魔術──。


 ギィイイン──!


 空間が悲鳴を上げた。

 少女の身体が、ぶれた光の中で揺れ、次の瞬間にかき消えた。空間そのものが術式を拒絶しているかのように、転移の痕跡には亀裂が走っている。


「構わず追え! 感知網がある、俺が空間跳躍で追う!」


 二度目の転移も似たようなものだった。魔力の流れが不安定なまま、空間の歪みだけを頼りに強引に跳んでいる。場所の指定も曖昧で、転移した先には必ず数秒の立ち止まりがあった。

 その隙を、三人は逃さなかった。


 三度目の転移の直後──。


 少女は、廃れたラブホテルの裏手、草むらとコンクリートの境界が入り交じる袋小路の中央で崩れ落ちていた。

 片膝をつき、肩で荒い息をしている。目の焦点は合っておらず、額には冷や汗がにじんでいる。雪花石膏のような肌は血の気を失い、青白くなっていた。

 足元には血のように赤い魔力が染み出し、足は細かく痙攣している。魔力の残滓が、溶けるように空気中に拡散していく。

 無理な転移を三度も繰り返した結果、血を使い過ぎ肉体と精神の両方が限界を迎えていたのだ。


『もう……逃げられないよ……』

 

 クレアが追いつき、わずかに肩を上下させながら言う。

 しかし。

 その言葉が終わるより先に、香月の足が止まった。

 そこに、誰かが立っていたのだ。


 少女のすぐ傍──焦げた街灯の下に、ひときわ異様な存在が浮かび上がっていた。


 シルクのような外套。白く無表情な仮面。

 まるで戯れに作られた人形が、通りすがりの観客に無言の演技を披露するように、静かに立ち尽くしている。


「あれは……!」


 仮面の男は、ゆっくりと手を掲げた。

 詠唱はないように見えた。いや、仮面の下で小さく発動の言葉を呟いたのかもしれない。魔力の制御も、まるで吸う息のように自然だ。

 だがその手が下ろされた瞬間、世界が変わった。



挿絵(By みてみん)



 『ボウッ……!』という何かが燃え上がる音。


 空間を焦がしながら噴き出すような荒れ狂うような熱の奔流が、少女を呑み込んだ。

 悲鳴すらあがらない。

 一瞬にして燃え尽きたその残骸には、骨も皮さえも残らなかった。


「……なっ……!?」


 その光景を見たクレアが直接声を漏らす。その声が幾ばくか震えている。


「……あれは……まさか……!? 人形師ですわ……!」


 シャルロットの表情から血の気が引いていく。

 だが、目の前の人物が誰であるかそれを確認して誰よりも激しく反応したのは香月だった。

 その名を聞いた瞬間、過去が喉元まで這い上がってくる。

 自らの肉体が売り物として買われ、あのはぐれ魔術師の扱う商品として肉体が加工された記憶──

 仮面の男が、自分に静かに言い放った言葉が、今も耳の奥にこびりついて離れない。それは恐怖の記憶としてずっと香月の中に存在し続けた物だ。


「まだ削れる、磨ける。……お前はまだ未完成だ ──」


 あの仮面。

 あの絶望。

 忘れようとしても、忘れられなかった。

 香月の中で、あの日の地獄が再燃する。

 怒りが、血を焦がす。


「テメェ……! やっと会えたな……!!」


 拳をきつく握る。香月は口の中で肉体強化魔術の発動の言葉を発する。魔力が身体中に行き渡る、即座に距離を詰める。思う前に駆け出していた。

 復讐。それ以外の思考は、全て黒く塗り潰されていた。


 だが──


 男は香月を一瞥すらしなかった。

 ただ、無言で指を鳴らしただけだった。


 キィ……ン。


 男の指を鳴らした右手の手袋の甲に青白い光を放って魔術陣が浮かび上がる。空間が、沈むように歪んだ。

 空間跳躍魔術。しかも次元干渉の制御が、完璧だ。


 「クソがッ! 逃げるなッ!」


 香月の声は届かない。

 男の姿は、虚空へと呑み込まれるようにして掻き消えた。


 残されたのは、焦げ跡と、立ち尽くす三人だけだった。


「……クソッ……!」


 香月は拳を握りしめ、無言でアスファルトを殴る。

 その拳に滲んだ血は、彼の怒りと無力を物語っていた。


 しばしの沈黙が、焼け焦げた空間に残響のように漂っていた。

 アスファルトの上で膝をつく香月の背中が、悔しさに震えている。


『カヅキ……』


 クレアが声をかけかけようとするが、言葉を飲み込む。今の香月に、何を言えばいいのかもわからないとばかりに力なくかぶりを振る。


「神胎……か」


 シャルロットが再び呟いたその言葉に、香月が反応する。

 顔を上げ、鋭い眼差しを彼女に向けた。


「やはりあの子供が、か」

「ええ……たぶん……。でも……」


 シャルロットが頷き、黒い焦げ跡を残したアスファルトに目をやる。


「恐らく、アレは失敗した神胎の残骸だったのでしょう。異質とはいえ、『神の器』と呼ぶには魔力の強さをあまり感じられなかった……。何らかの方法で教団施設から逃げ出してきたのを人形師が処分した。そう仮定はできそうね……」

「……だが、なぜ処分する必要があった?」


 香月の問いに、シャルロットは小さく首を振る。


「断定するには情報が足りませんわ。ただ──」


 彼女は仮面の男が立っていた街灯の下を見つめた。


「人形師が直々に動いたという事実は重いです。わざわざ出向いて処分したということは、あの神胎に何らかの危険があったと見るべきでしょう」

「わからない事だらけだな……」

「ええ……でも、参りましたわね。もし仮に人形師が神の檻の関係者であるなら、潜入作戦の前だというのに敵に姿を見られてしまいました……」


 シャルロットの声が重たく響く。緊張が三人の間に広がった。

 クレアは苦い顔で頷く。


『というか……なんで今ここに? あんな奴、ただの偶然で現れるような存在じゃないんでしょ』

「……いや、偶然ではないと思う」


 香月が小さく呟く。まだ拳を握ったまま、だがその表情は冷静さを取り戻していた。


「奴は、明確な意志で動いていた。失敗した神胎の処分──それだけが目的だったように見えた」

『でも、ボクたちには一切干渉してこなかった。まるで眼中に無いくらいに』


 クレアの言葉に、シャルロットも小さく頷く。


「確かに、気になりますわね。もし神の檻の人間であれば、私たちを生かしておくことはリスクになるはずですのに……」

「……単に、目的があの子供の排除だけだったとすれば、私たちは対象外だったという可能性もあります」


 香月は視線を地面に落としたまま、低く言う。


 「──それでもおかしい。処分と呼ぶには、妙に淡白だった」


 その言葉に、シャルロットの目が細められる。


「あの仮面の下はどんな顔をしていたかも、わからないのでは知りようもありませんわ」

「そうだな。だが、あの動き、あの判断、あの手際……外部から来た刺客には見えない──」


 一瞬、沈黙が落ちた。


『……うーん、つまり……』


 クレアが言いかけて、そこで言葉を止めた。答が出ないのだ。それは香月も同じだった。

 何かが噛み合わない。その確信だけが、胸の奥に広がっていく。


「正直、今の時点では神の檻と無関係だとも関係者だとも断定できませんわね。どちらの可能性もある。あの男……本当に情報があまりに少なすぎます」


 シャルロットの結論は冷静だった。香月も頷く。


「……だが、あれだけの実力を持ちながら、今まで正体が不明とされてきてるのも妙だ。フランス支部は人形師を追っているんだろ? 記録にも残っていないのか?」

「ええ。『人形師』という通称以外、詳細は不明です。神出鬼没で、協会の監視網を掻い潜るはぐれ魔術師の中でも特に情報が少ない部類ですわ」


 香月は静かに息を吐いた。


「本当に判断がつかないな。敵か味方かもわからない、正体不明の第三勢力……通りすがりのはぐれ魔術師ではないだろうが」


 その言葉に、クレアとシャルロットも小さく頷いた。

 それが、今この場で得られる限界だった。


「作戦の実行は慎重にやろう。あの男がどんな目的でどこの勢力に居るかもわからない以上は……」

「ええ……」


 三人は言葉を失い、静まり返った街に溶け込んでいった。

 静まり返った街の風の中で、香月はふと右腕に違和感を覚えた。


 見下ろすと、袖の隙間から覗く肌に、ごく薄く、光の線が浮かんでいる。まるで皮膚の内側に、解析魔術の魔術刻印の上に追加で精密な術式の回路が彫り込まれたかのような、新たな紋様がそこにはあった。


「……いつの間に、こんなものが」


 熱も痛みもない。ただそこに、最初からあった(・・・・・・・)かのように存在しているのが気味が悪かった。


 クレアが振り返る。


『カヅキ、どうしたの?』

「いや……ちょっと気になってな……この魔術刻印、陽子さんがこっそり付けたのかもしれないな……」


 香月は焼け跡に視線を落とした。

 しかし、胸の奥で何かが執拗に囁いてくる。


──これは偶然じゃない。


 そう確信する何かが、皮膚の下に冷たく刻み込まれていた。

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