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【第五章完結】現代魔術は隠されている  作者: 隠埼一三
Episode Ⅳ『神の檻編』
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6.人形師とは何者か

「おや、ジェイムズさん。貴方の有望な部下君なら、たった今、見事にパワーアップして出ていったところだよ。……どうかしたの?」


 魔術工房の扉を開けたジェイムズを迎えたのは、いつもの調子でティーカップを傾ける陽子の声だった。

 香月が工房を後にしてから、わずか半時も経っていなかった。


「ええ、その跳ねっ返りな私の部下のことです」


 ジェイムズは苦笑しながら答える。


「跳ねっ返り、ねぇ。私は、ああいう元気のある子、嫌いじゃないけどなあ」

「……それは、上司の目線から見れば、また別の話でしょう?」


 軽口を交わしながらも、ジェイムズの表情にはどこか翳りがあった。彼は陽子の正面の椅子に腰を下ろし、深く息を吐く。陽子はその様子に肩をすくめる。


「まぁ……そういうものかもね。でも、今日はその元気な部下の愚痴をこぼしに来たわけじゃないでしょ?」


 陽子の問いかけに、ジェイムズは一瞬言葉を選び、やがて静かに口を開いた。


「……カヅキは、本当に大丈夫でしょうか。今回の任務で、彼は人形師(ドールマスター)と対峙するかもしれない。──正直、先が読めません」


 その言葉に、陽子の手元が止まる。


「そればかりは……私にも、この世界線のことはわからない。彼は因果律にすら影響を与える存在ではあるからね。どんな未来が待っているかなんて、軽々しくは断言できないよ。……本当に、最悪の結果になる可能性もある」

「……以前、あなたが話していた。イヴさんの身体を奪われた後も、カヅキが生き延びた──あの未来のことですか」


 ジェイムズの問いに、陽子は静かに頷いた。指先でティーカップの縁をなぞりながら、ぽつりと語り出す。


「そう。あの世界では、彼は自分の身体を無理やり吸血鬼化させて、長い年月を生き延びた。命を引き延ばして、ほんの僅かな可能性に賭けてね」

「……それでも、何も得られなかった」

「ええ。世界は崩壊し、魔術協会は機能を失い、人々は魔に呑まれていった。イヴちゃんの身体も、戻らなかった。その時代はまだ輪廻遡行も機能してなかったから……あの子が生き残った先の時間は、ただ前へ進むだけで、相当な覚悟が要ったはず。──それでも、彼は諦めなかった。半不死の身体で、ただ、可能性に縋って生き続けていた。まるで……罰を受けているみたいに」


 ジェイムズは目を伏せ、拳を握る。陽子の声が少し柔らかくなった。


「でもね、今の彼は違う。背負っているものは減っていないのに、足取りは前よりずっと軽かった。──未来の悲劇を、いっときでも回避できた今なら」


 魔術工房に、ティーカップの湯気がふわりと立ち昇る。外の季節とは切り離された異界の空間に、一匹の鈴虫の音が響いた。陽子が設えた、夏の終わりの名残。

 しかしその音色とは裏腹に、陽子の声は少し沈んだ。


「……だけど、彼の中にはまだ、あの男(・・・)への怒りが残ってる。きっと、復讐を果たそうとする。けど、今の彼では──人形師(ドールマスター)に勝てるとは思えない」


 陽子はゆっくりと立ち上がり、机の上に置かれた一冊のノートを開いた。そのページには、香月の肉体構造を魔術的に解析した図と、そこに施された異常な細工の記録が描かれていた。


「これは、彼の術式と魂を同調させるため輪廻遡行の魔術を施す度に解析して浮かび上がった異物の痕跡よ」


 ジェイムズの眉が動く。


「……彼の肉体側には、ありえないほど特異な加工がされていた」


 陽子はページをめくり、細かな魔術刻印の変遷を指でなぞる。


「周回ごとに彼の身体を解析してはいるんだけど、毎回、加工の痕跡が微妙に違っているの」

「違う……?」

「うん。技術の進化じゃない。揺り戻しがあるの。後の周回で出会った彼に施された施術は、明らかに技術的に後退しているように見えた時すらある。ほら、このページの記録を見て。この内臓の施術は使われている術式が何度もぶれている──試行錯誤の痕があるの。……まるで、誰かが未来の技術を手探りで遡って適用しているようにも見えるんだよ」


 陽子の声に、確かな重みが宿る。


「ねえ、ジェイムズさん。仮に……だけど。その加工を施した人形師(ドールマスター)が、未来から来た存在だったとしたらどう思う?」


 ジェイムズの顔から色が引く。


「……わからない。貴方は、それを裏付ける何かを見たんですか?」


 陽子は一枚の資料を引き抜いて机に置いた。それは、神経網に直接埋め込まれた未知の魔術式の図だった。


「これは──明確に十年前には存在していなかった技術よ。少なくとも、私の知る限りではね」

「じゃあ、つまり……その術式を施した者は、未来を知っていたと?」

「あるいは、未来にいた可能性がある。そうとしか説明がつかない」


 ジェイムズの目に、警戒の色が浮かぶ。


「つまり……その人形師は、今の私達よりも先を見ている存在かもしれないと?」

「その可能性はある。先を見ていたのか、あるいは何かを知っていたのか……。でもね、ひとつ、どうしても気になる点があるの」


 陽子は言葉を切り、指先でページの一角をなぞる。


「この加工、どれも完成形じゃない。試行錯誤の痕跡が残っているの。何度も方法を変えて、時には前より劣る加工を試していた跡もあった。──まるで、迷いながら何度も手を加えているみたいに。もしかしたら人形師は少年の事を知っていて、その上で加工を施してる可能性がある。私達の想像より近い位置に彼はいるかもしれない」


 工房に再び、静寂が落ちる。

 ジェイムズは沈黙の中で何かを飲み込み、口を開く。


「……貴方が言う人形師(ドールマスター)が、私たちの想像より近く(・・)にいるかもしれないというのは、つまり──」

「そう。何かしらの形で……ここにいるのかもしれない」

「……その意味を、本当に理解して言っているのか?」


 陽子は頷いた。しかし、その瞳にはためらいが浮かんでいた。


「でもね、これだけは──今の少年には、まだ伝えるわけにはいかない。……彼はすでに多くを背負ってる。ここに、知らずに受けていた人形師の改造の真実まで重ねたら──きっと、壊れてしまう」


 ジェイムズは頷き、ノートに描かれた術式に視線を落とす。


「……真実は一つとは限らない。あの男がカヅキに干渉し、何を望んだのか。それを見誤れば、取り返しのつかないことになる。それだけは、忘れないでください」

「もちろんだよ」


 陽子は笑った。しかしその笑みには、わずかに冷たく、どこか諦めたような光が宿っていた。


「何が真実かなんて、私たちが決めるものじゃない。──それを選ぶのは、いつだって当事者だからね」

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