4.詠唱は魂のポエム⊕
そして翌日。陽子の「ちょうどいい人物」とやらに会うべく指定された場所──と言ってもやはりL’ami de Roseだ──に香月が向かうと、そこにいたのは……どう見ても古代魔術とは縁遠そうな人物だった。
「よっす、カヅキたん! 魔界のプリンセス、夜神ちょこ様爆誕⭐︎ 呼び出してくれて、感謝感激雨あられ~っ⭐︎」
元気よく手を振りながら現れたその少女は、白地に「信じよ、さればパンチ」とプリントされた妙ちきりんなTシャツに、グレーのシンプルなプリーツミニスカートという出で立ちだった。
足元は無地の白ニーハイに、ピンクのクロックスタイプサンダル。艶やかな黒髪ロングにぱっつん前髪、指先にはほんのり光るピンクのネイル。
一見すれば部屋着かと突っ込みたくなるようなラフな格好だ。不思議と清楚にも見えなくはないが──しかしそれ以上に、放たれる言葉のインパクトが尋常じゃなかった。
「……ちょこ師匠が、打って付けの人物? 確かに詠唱魔術を使うけど、古代レベルのなんて使えんのか……?」
「そーだってばよおおんっ!? アタイこそが、魔界のプリンセスにして夜咲く花々の廷の中でも詠唱魔術なら専門家中の専門家な人物なんだゾ! 古代魔術だってアタイの手に掛かれば……」
──あらかじめ陽子が用意してくれていた、香月が古代魔術師の記憶の断片から書き出したメモのコピーを、ちょこ師匠が手に取る。
「フゥン……これは……」
「発動できそうか?」
ちょこ師匠は、メモをじっと見つめたまま動かない。
「……」
眉がひくつき、目が瞬きを忘れたかのように見開かれ──そして次の瞬間。
「……わがんなぃ……」
ちょこ師匠は涙目でメモを見つめながら、力なく呟いた。
「う……これは……さすがに古典すぎるってば……英語の単語も古文書レベルだし、文法もアタイの感覚とは全然合わないし……うえぇ、これ、発動前に頭パーンするやつだよぉ……」
香月がやや呆れたように眉をひそめていると、後ろからふわりと甘い香りが漂ってきた。
「彼女を呼んだのはね、この古代魔術をそのまま使わせる為じゃないんだよ」
ちょこからメモを受け取ると、陽子はそれをひらりと掲げ、香月とちょこの両方に向けて言葉を続けた。
「彼女はね、詠唱魔術の構造を『感じる』力に長けている。つまり、これは古代魔術の文法を自らの精神構造に近い形に落とし込む事が必要なんだ。例えるなら楽譜を渡されて『そのまま演奏して』じゃなくて──『曲の雰囲気を掴んで編曲し直す』作業に近い……とかかな、感覚的には」
「編曲……?」
「まあ、見てなよ」
そう言って陽子はちょこに何やらひそひそと囁き始めた。
「ちょこちゃん、貴方の凄い所を見せてあげて。このStorm Rageはね、怒れる暴風と雷を呼び出して、敵に裁きを下す呪文みたいよ。怒りを嵐と稲光に変えるような……重たくて、荒々しくて。でも、熱い感じの」
ちょこは目を細めた。理解するというより、感じ取るように深く息を吸い込む。
「……ああ、わかりました。心の奥で雷が鳴ってる」
そして──詠唱が始まる。
強い魔力の渦を感じて香月がゴクリと、喉を鳴らす。
「やーっべぇ、ヤツらの怒り! まとめてドドンドンッ! 古代のゴリラパワー、いっけぇぇええ! 天気、荒れてきたー!? 風よ! 雨よ! 雷よ! 今だけ本気出せーッ! 出せるよなーッ!?」
ちょこが叫んだのはとてもじゃないが古代魔術とは思えない、突き抜けたトンデモ詠唱だった。
「……」
香月は呆気にとられてちょこを見つめる。
だが、ちょこの目は真剣だ。魔力は確かに高まっている。
そして──
「ストームちゃーん、きゃもーん! ウェーイ☆」
ちょこの構えた掌から、強風と雷光が解き放たれた。
稲妻が陽子の魔術工房の石造りの天井を焼き、魔術陣の光が一瞬だけ激しく明滅する。部屋全体がビリビリと震え、棚の上の触媒の瓶がカタカタと音を立てた。香月は思わず身構え、陽子は片眉を上げたまま、冷静にその様子を見守っている。
「ちょ、ちょこ師匠!? 何だよこれ!?」
香月の叫びに、ちょこはキラキラと目を輝かせて振り返った。誇らしげに腕をクロスし、右手を高々と天へ掲げる――どこからどう見ても中二病全開の決めポーズだ。
「どーよ、カヅキたん! アタイの魂のポゥエムはッ! 古代魔術の『雰囲気』をガッツリ掴んで、ちょこ様流にアレンジしたらこうなったんだゾ! かっけーだろ、おおおおんっ!?」
「……かっけーって……いや、確かにすげえけど、意味がわかんねーよ。これ、本当に古代魔術の再現って言えるのか……?」
香月は焦げた天井を見上げながら、半信半疑で呟いた。
魔力の奔流はたしかに凄まじかったが、ちょこの詠唱は厳粛さのかけらもない。即興のラップの出来損ないのような奇抜さだ。だが――事実として、魔術は発動している。
陽子がくすくすと笑い、香月の肩を軽く叩いた。
「少年、わかってないなぁ。
ちょこちゃんは、第一世代魔術と呼ばれる詠唱魔術の本質を、本能的に掴み取れる。文法や単語があんまりわからなくても、感覚で再現できちゃうの。……もはや『魔法』の領域に近いよ」
「感覚、ねえ……」
香月はちょこを見つめ直すように目を細めた。
めちゃくちゃな言葉だったが、魔力の流れは確かに本物だった。
彼女が放った雷光には、まるで本物の嵐が宿っているような、荒々しさと圧倒的な熱量があった。
「だけど、俺が他の世界線で見た時はもっとちゃんとした詠唱をやってたぞ……」
「それはきっとアタイがその時空気を読んでたんだよ〜。だって、ちゃんとした詠唱の方がカッコいいじゃん?」
「そりゃそうだが……流石にこれは参考にできそうでならんだろ……。でも、すげえな……」
ちょこは「えへへ」と照れ笑いを浮かべながら、メモをもう一度手に取る。
「でもさー、カヅキたん。このメモの呪文、アタイにはめっちゃムズいよ。単語とか文法とか、ガチで意味わかんないし……でも、なんかこう、すっごく『重い』感じがするんだよね。なんつーか、叫ぶだけじゃなくて、魂ごとぶつけるみたいな?」
「魂ごと、か……」
香月の脳裏に、古代魔術師の記憶の断片がフラッシュバックする。あの魔術師の詠唱は、ただの言葉ではなかった。まるで世界そのものを書き換えるような、深い覚悟と信念が込められていた。あの感覚を、ちょこは本能的に捉えているのかもしれない。
陽子がティーテーブルに腰を下ろし、顎に手を当てて考えるように言う。
「ちょこちゃんの言う『重い』感じ、実は大事なヒントになるかもね。第一世代魔術は、よく『精霊との対話』だなんて表現を使われるんだけれど、『世界にお願いする』感覚らしいんだよ」
「世界にお願い、な……」
香月は陽子の言葉を反芻するように呟いた。それは、たしかにあの古代魔術師の記憶にあった感覚と重なる気がした。命令ではない。支配でもない。ただ、深い願いと覚悟を持って、世界に語りかける——そんな祈りに近い行為。
「それってつまり……」
「うん。詠唱ってね、ただの朗読じゃないんだよ。『どうしてその言葉を選ぶのか』、『どういう感情で語りかけるのか』——そういう精神のあり方が問われるものなんだ」
陽子は紅茶に口をつけながら、優しい笑みで続けた。
「だからこそ、ちょこちゃんみたいに感覚で読み替えられる人は貴重なんだよ。たとえ意味がわからなくても、魔術の魂を再構築することができる。世界がちゃんと自分の言葉に応えてくれるんだよ」
「ふーん……つまり、アレは……雰囲気から再編成した、いわば魂の翻訳ってことか……?」
「そうそう、魂の翻訳って言い方、すごくいいね」
陽子が満足げに頷くと、ちょこも「おお〜カヅキたん、ポエマー気質ぅ〜」と変なテンションで拍手を始めた。おい、やめろ。ポエマーとか言うな。
「でもさあ、カヅキたん。これ、アタイがやってみて感じた限りでも──まだ『芯』までは届いてない気がするんだよね。もっとこう……怒りとか悲しみとか、いろんな感情が渦巻いてて、嵐っていうよりも、魂の咆哮って感じ。たぶんさ、これってただの呪文じゃないよね?」
ちょこがメモを指先でトントンと叩く。まるでそこに込められた想念をなぞるように。
「……確かに、あの古代魔術師の記憶……怒ってた。何かを、誰かを。世界に、なのか、自分自身に、なのか……でも、その怒りはただの破壊じゃなかった。『裁き』って言葉に近いかもしれない……」
香月は、メモを見つめながら思い出す。
あの詠唱は、激情から生まれたものだった。しかしそれは制御され、選ばれた言葉によって形を得ていた。つまり──
「……感情を形にする、それが詠唱の根本ってわけか」
「恐らくね。そして、その感情と自分の魔力を一致させた時にだけ、詠唱魔術は術者の心象を具現化するの。ちょこちゃんは、言葉じゃなく感情でそのプロセスをこなしてる。つまり、言語より先に魂の形を通して世界に語りかけてるってことなんだよ」
陽子の言葉に、香月はしばし黙り込んだ。
そして、ゆっくりとメモを手に取る。
「だったら、俺も……感情で再構築してみるか」
「という訳でぇ!」
香月の呟きに重ねるように、ちょこが声を上げた。見ると、また彼女が中二病全開のポーズを取っていた。
「早速、詠唱の特訓始めよっか☆」
「特訓……」
その言葉に以前の世界線でのちょこからの萌え萌えビーム発動の指導の光景がフラッシュバックした。ハッキリ言って嫌な予感しかしない。あの時のことを思い出しただけで背筋がぞくりと寒くなる。
だが、この詠唱魔術への理解度を高めれば、古代魔術を魔術刻印用の魔術陣に落とし込めるかもしれない。
今回の作戦はあの人形師──香月にとって自分の人生を狂わせた元凶と相対する可能性がある。その可能性がどれだけ低くとも、香月は今以上に己の力を磨く必要がある。
その為には──
「……やるしかねえな」