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【第五章完結】現代魔術は隠されている  作者: 隠埼一三
Episode Ⅳ『神の檻編』
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2. 檻の向こうに在るもの

 重厚な木の扉が、静かに──しかし確かな音を響かせて閉じられた。

 その瞬間、外界との繋がりは断たれ、世界は別の相貌へと切り替わる。


 ──ここは、満月亭。

 一見すれば、その内装はただただ洒落た隠れ家バーである。しかしその実態は、魔術協会日本中部支部の集会所(ロッジ)なのだ。

 一般客が足を踏み入れることは、決してない。現実世界から切り離された異界の中にあるバーだからだ。

 ここは、協会に属する者、もしくは支部長ジェイムズ・ウィルソンの許可を受けた者だけに開かれた魔術空間だった。


 無垢材で組まれた重厚なカウンター、暖色の間接照明、壁一面に並べられた高級ウイスキーのボトル群が広がっている。

 表向きは本格的なバーだが、あくまで営業のためではない。

 支部長ジェイムズの趣味により、集った者たちに気まぐれで酒やドリンクが振る舞われる──そんな、贅沢な『隠れ家』である。


 今夜、その隠れ家の中心に立つジェイムズは、すべての視線を一身に集めていた。


「──皆、集まってくれて感謝する」


 白髪混じりの髪をきちんと撫で付け、黒のカクテルアタイアを纏った老紳士。

 英国の伝統を体現するかのようなその立ち姿は、まるで老舗バーのマスターのような風格を帯びている。

 しかし、その眼差しには隠しきれない緊張が滲んでいた。


 香月、クレア、そしてフランスからの出向者・シャルロットをはじめ、処理班、調査班、戦闘班の主要メンバーたちが静かに席に着く。

 普段なら冗談と笑い声が飛び交うこの空間も──今は、針が落ちる音さえ聞こえそうな静寂に支配されていた。


「これより──『神の檻』への潜入作戦について、事前調査班からの報告および、それを踏まえた作戦概要の説明を行う」


 ジェイムズは、眼鏡のブリッジを指先で押し上げながら静かに告げる。

 言葉の端々から、今回の任務が並大抵ではないことが滲み出ていた。


「知っての通り、日本本部と中部支部の合同作戦として立ち上がった本作戦だが──事前調査に派遣した構成員のうち、四名が行方不明、二名が重傷を負うという結果になった」


 場内に、ぴんと緊張が張り詰める。


「だが彼らが命懸けで持ち帰った情報は、極めて有益なものだった。──日本本部からの支援は既に打ち切られている。ゆえに、我々中部支部単独で任務を遂行せねばならない。……各員、この任務には相応の覚悟を持って臨んでほしい」


 香月も、無意識に背筋を伸ばしていた。


「今回、各班には異なるエリアの調査を命じる。カヅキとクレア──お前達を班とし、神の檻の中心部に潜り込んで貰う担当を任せる」


(……また妙な役回りだな)


 内心でぼやきながらも、表情には出さない。

 隣のクレアが小さく肩をすくめ、シャルロットは変わらず微笑みを浮かべている。

 この緊張感の中でも揺るがぬその胆力に、香月は密かに舌を巻いた。


「なお──カヅキ達の班には新たな仲間が加わる形だ。フランス本部より出向し合流してくれた、シャルロット・ルフェーブルだ」


 ジェイムズに促され、シャルロットが優雅に立ち上がる。

 ふわりと揺れた亜麻色の巻き髪が、控えめな照明を受け、柔らかく光を帯びた。


「皆さま、どうぞよろしくお願いいたしますわ」


 朗らかで上品な声が、満月亭の静寂をそっと震わせた。

 まるで舞台の主演女優が登壇するように、場の空気が一瞬、彼女に傾く。


(……やっぱり目立つな)


 香月は、静かに息を吐いた。


 ジェイムズはひと呼吸置き、場を再び引き締める。


「──話を戻そう」


 声音には、先程よりもさらに重みが宿る。


「『神の檻』は、ただのカルト教団ではない」


 ジェイムズの低い声が、満月亭の空間を染め上げた。


「彼らは──『神胎の器』を作り出すため、都市を、人間を、素材として扱っている節がある」


 一瞬、場の空気が凍りつく。


 香月は無意識に拳を握りしめ、クレアは顔を強張らせた。

 シャルロットだけが、わずかに首を傾げながらも静かに耳を傾けている。


「詳細は資料を配布するが──彼らは『始祖の血』と呼ばれる特異な血統を持つ個体、つまり魔術の根源に近い存在を探し求めている。恐らく人工的な始祖人類の肉体を生み出そうとしている。そしてその器に『神』を宿すことで、現代社会を破壊し、新たな世界を創造しようとしている」


 淡々と語る声の奥に、怒りにも似た感情が滲んでいた。


「さらに問題なのは、彼らの背後に人形師(ドールマスター)の技術の影響が見られることだ。……生きたまま肉体を改変し、自我を奪い、依代として保存する。──それは、中東で我々が遭遇した加工体と同一の系統に属するものだった」


 ジェイムズは、カウンター奥に置かれたファイルを手に取り、開いた。


「こちらは、施設内部で回収した一部の資料だ。これによれば──彼らは過去にも『神胎』を作ろうとし、失敗している。それでも諦めず、今もなお、より完全な器を追い求め実験を続けている」

『失敗した……(うつわ)は?』


 伝声魔術の出力を控えめで、クレアが問う。

 ジェイムズは一瞬、言葉を選び──静かに答えた。


「……廃棄された。意識も、自我も、何もかも奪われたまま、な」


 ざわり、と。

 満月亭の空気が微かに震えた。

 その非道さを、誰もが言葉にせずとも理解していた。


「だからこそ、今回の潜入は単なる情報収集ではない」


 ジェイムズの声は、低く、しかし確かな重みをもって響いた。


「彼らの計画を止めること。──もし『神胎』が完成しかけているなら、それを破壊及び組織自体を壊滅すること。それが、我々に課された使命だ」


 香月は、ぎゅっと拳を握った。


 死闘を重ねてきたとはいえ、ここまで重苦しい任務は初めてだった。

 ジェイムズの言葉が、ずしりと胸にのしかかる。


「作戦の詳細は、これから各班に個別に伝える。だが──覚えておけ。今回の作戦の相手は、ただの人間ではない。魔術の裏側、欲望と狂気に取り憑かれたような連中だ。……決して、甘く見るな」


 再び、場内に緊張が走った。

 誰もが、この作戦がただの任務ではないことを悟っていた。普段の任務より、格段に危険度が違う。


 一拍置き、ジェイムズは眼鏡のブリッジを押し上げる。


「──作戦決行までは、まだ幾許かの猶予がある」


 わずかに場の空気が揺らいだ。

 だが、安堵の色は誰の顔にも浮かばなかった。

 猶予とは、すなわち、より確実な死地に向かう準備期間でしかないと、全員が理解していたからだ。


「各自、準備を怠るな。己の魔術、己の信念を、もう一度、見つめ直しておけ──それが生きて帰るための、最低条件だ」


 低く、静かに。

 しかし誰よりも重い覚悟を込めて、ジェイムズは言葉を締めくくった。

 満月亭の静寂の中で、誰もが、それぞれの胸に決意を刻みつけていった。

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